六、アークとの和解③


 やがて夕方になると、アークがきゅうてい学院から戻っていつものように公爵の部屋にけ込んできた。


「お父様! 大丈夫だった? 死神女に意地悪されてない?」


 いつも通りに言って部屋に入ると、そのまま驚いた顔で立ち止まった。


「お父様……」

「おかえり、アーク」


 公爵はベッドに起き上がり、トレイにのせられた軽食を食べながら答えた。


「お父様! 起き上がって大丈夫なの? 食事ができるの?」

「ああ。今日はずいぶん気分がいい。おなかが空いて仕方がないからゴードに言って簡単な食事を作ってもらった。お前も食べるかい?」


 アークは大きな目をうるませ、ベッドのそばに駆け寄った。


「ううん。ううん。僕はお腹いっぱいだから、お父様がたくさん食べて。そして病気なんかやっつけちゃって」

「うむ。私の食欲に驚いて病気が逃げていったようだ」

「本当に? 良かった。良かったあ」


 ぽろぽろとなみだあふれさせて、アークは公爵にすがりつく。

 公爵はそんなアークの髪をそっとぜた。

 クロネリアはまどぎわに立ったまま、その様子を微笑んで見ていた。

 クロネリアが公爵にたのんだのは簡単なことだった。

 少し無理をしてでも元気なふりをして見せてあげること。

 死を前にして希望を失ったり、そうしつ感や罪悪感に心を支配されて視野がせばまったりしていると、不思議なほど当たり前なことが見えなくなる。

 内に内にと心がしずんでいって、自分を大事にできなくなる。

 そして、自分を大事にできなくなると、自分を喜ばせる気にもならなくなる。そうして気付けば他人が何をすれば喜ぶのかも分からなくなってしまうようだ。

 母も、前夫二人も、本来簡単なことをわざとげて難しくして悩み苦しんでいた。

 クロネリアにはなんの能力もないけれど、何も持たない若い娘だからこそ、余計なものにじゃされることなく単純な答えに辿たどけるのかもしれない。


「アーク。私はどうやら看取り夫人の神のご加護で元気になったようだ」


 公爵はまだ縋りついて泣いているアークに告げる。

 クロネリアは驚いて公爵を見た。こんな話をするとは聞いていなかった。


「神のご加護?」


 アークは幼い顔を上げた。


「彼女は死神などではなかった。私の寿じゅみょうを延ばすために来てくれたのだよ。今の私を見れば分かるだろう? 彼女が来てから、私は元気になっただろう?」


 アークは戸惑うように窓際のクロネリアを見た。


「もう彼女を死神などと呼ばないで欲しい。私の命の恩人なのだから」


 アークは気まずそうに視線を落とす。


「そしてどうかアマンダの椅子に座ることを許可してやってくれないかな?」


 アークははっとして、窓際に立ったままのクロネリアに今さら気付いて目を丸くした。


「お前に座るなと言われてから、私が許可しても座ってくれようとしないのだよ。一日中立ったまま私の話を聞いてくれているのだ」


 アークは申し訳なさそうに顔をゆがめた。


「彼女に座ってもいいと言ってくれないかな?」


 アークはぐしぐしと涙をいてクロネリアの方に歩いてきた。

 そしてクロネリアの前に立って尋ねる。


「お父様を元気にしてくれる?」


 クロネリアは少し悩んでから答えた。


「元気になって頂けるようせいいっぱいお仕えしたいと思っています」

「毒を飲ませたりしない?」


 クロネリアは驚いて、ぶるぶると首を振った。


「そんなことするわけがありません!」


 小さな貴公子はようやく納得したのか、クロネリアに手を差し出した。

 クロネリアが戸惑うようにその手を見つめ、アークは少し照れたように告げる。


「お母様の椅子に座っていいよ。クロネリアだけ許す」


 クロネリアが驚いた顔で公爵を見ると、微笑みをかべて肯いている。

 クロネリアは信じられない思いで、その小さな手をとった。

 不安とどくに押しつぶされそうになりながら必死に戦う、小さなやわらかい手だった。


「ありがとうございます、アーク様」

「ぼ、僕は、本当は女性には優しいんだ。りゅうだからね」


 アークは胸を張って言うと、クロネリアの手を引いてアマンダの椅子に座らせてくれた。

 そして……。


「今まで意地悪をして……悪かったよ。……ごめんなさい」


 顔をそむけたままぽつりと謝るアークが可愛い。

 耳まで赤くなって俯いている。


「初めて会った時からなんて素敵な小公子様かと思っていました」


 クロネリアが言うと、アークの耳がますます赤くなる。

 なおになったアークは、思った通り天使のように可愛かった。


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