六、アークとの和解②



*****



「昨日とずいぶんドレスの雰囲気が変わったな。よく似合っている」


 昨日までとちがい、公爵は部屋に入るとすぐに話しかけてくれた。


「あの……おそばでお話ししてもよろしいでしょうか?」

「うむ。私ももっとあなたと話してみたいと思っていた。大きな声を出すのはつかれるから、側に来てくれるとありがたい」


 クロネリアはまくらもとに近付き、ドレスのスカートをつまみ朝のあいさつをしてから告げた。


「このドレスはゆうべイリス様に買っていただいたのです」

「イリスが?」


 公爵は驚いたように目を見開いた。


「あれがそんな気のいたことをするとは思わなかった。私もあなたがずいぶんまつなドレスを着ているので気になっていたのだ。イリスは事実こんなどと言ってゆいのう金もわたさなかったのかと思っていたのだが……」


クロネリアはずかしくなってうつむいた。


「いいえ。イリス様はじゅうぶんな結納金をくださいました。私がきちんとたくをしてこなかったのでございます。すみません」


 公爵は恐縮するクロネリアを見て、少し考えてから尋ねた。


「昨日の話で気になっていたのだが、あなたはなぜおもい合った人と結婚しなかったの

だ?」

「それは……」


 クロネリアは問われて、つつかくさず今までの人生を話すことにした。

 公爵と打ち解けるためには、クロネリアがまず正直に自分のことを話すべきだと思った。

 結婚が決まっていたのに、とつぜんバリトンはくしゃくめられてしまったこと。

 父は伯爵に借金があり伯爵との結婚を受け入れるしかなかったこと。

 その後二年間生きたバリトン伯爵を看取って戻ってみると、想い人は妹とこんやくしてしまっていたこと。そしてすでに次の看取り結婚が決まっていたこと。

 今さら隠すことも、取り繕うこともない。

『看取り夫人』と呼ばれる自分が、今さらを張ったところで何が変わるわけでもない。

 すべてを聞き終えた公爵は静かにうめいた。


「なんと無体なことを……」


 そんな風に言ってくれる人がいるだけで、クロネリアは救われる気がした。


「バリトン伯爵もなんとざんこくな申し出をしたことか。さぞうらんでいるだろう?」


 公爵に問われ、クロネリアは首をった。


「確かに……結婚当初は恨んだ日もありました。ですが、そのうち……今日も生きていてすまないと謝るようになったのです」


 クロネリアは当時を思い出すように、くすりと笑った。


「毎朝、目を覚ますたびに、また生きてしまった、すまないと謝るのです。そのうち、なんだか私は可笑おかしくなってしまって。生きていることを謝らないでくださいまし、と言いました。どうかもう気にせず長生きしてくださいませ、と」


 くすくすと笑いながら話すクロネリアに、公爵は目を見開いた。


「恨んでいないのか? バリトン伯爵のことを。あなたの幸せな結婚を台無しにした張本人だというのに」

「ええ。伯爵は最後までお優しい方でした。私も……ある意味……本当の父のように愛していたのかもしれません……」


 公爵は驚いた様子でさらに尋ねた。


「しかし……次のブラントこうしゃくのことは恨んだだろう? ブラント侯爵は、私も知っているが気難しくてめんどうな男だった。社交界に敵も多く、女性にはさらにしんらつな態度だった」

「はい。最初は私のすることがすべて気に入らないようで、られてばかりでした」

「うむ。そうだろう」


 公爵は納得したように肯いた。


「ですが、ブラント侯爵様はおびえておいででした」

「怯える? あのってばかりの男が?」


 公爵は目を見開いた。


「はい。自分は人にひどいことばかりしてしまったからちがいなくごくちるだろうと」

「は! 自覚はあったのだな。だが今さらいてもおそいだろう」


 公爵はあきれたように言い放った。しかし。


「いいえ。私はまだ遅くはないと申しました」

「遅くはない?」


 クロネリアは肯いた。


「はい。まだ生きているではないですか、と。命ある限り遅いことなど何もないのだと。悔いているのなら、一人一人お呼びになって謝ればいいと申しました」

「なんと。そのようなことを……」

「ブラント侯爵はそれから毎日のように親交のあった方々を呼んで謝り続けました。そうして二年が過ぎたころにようやく謝り終えたようです。その後はひたすら私に謝っておいででした。ですので私は『すまない』という言葉は聞ききたと申し上げました。どうせなら『ありがとう』と言って欲しいと。それからは、私が何かするたびにありがとうと言ってくださいました」

「うーむ……」


 公爵はうなるように呟いてから、再び尋ねた。


「あなたのような女性なら、妻にしいという男も大勢いるだろう? このような老いぼれのところにおらず、良家に嫁げばいい。あなたの父上はなぜ、こんなところにまた嫁がせたのだ」

 そんな風に考えてくれる父ならば、最初からバリトン伯爵と結婚させなかっただろう。

 それに。


「私は社交界で『看取り夫人』と呼ばれているのです。そんなえんでもないあだ名のついた女性と結婚したがる若い男性がいるはずもございません。数多あまたの結婚の申し込みは、看取りを希望する方たちばかりでございます。この家から追い出されたら、私はまた次の看取り貴族に嫁ぐことになるでしょう。だからどうか、私のために長生きしてくださいませ、公爵様」

「……」


 たんたんと告げるクロネリアに、公爵は黙り込んだ。

 あわれなむすめだと思っているのだろう。

 それを否定するつもりはない。

 そんな視線にいちいち傷ついていたら生きていられなかった。

 自分の人生をあきらめ、そして受け入れた。

 このこくな運命の中にも、ささやかな幸せが残っているはずだと。


「あなたは不思議なおじょうさんだ」


 やがて公爵は観念したように告げた。


「あなたと話していると、自分が何に苦しんでいたのか分からなくなる。何にこだわってかたくなに心を閉ざしていたのか、バカバカしくさえ思えてしまう」


 クロネリアは黙ったまま公爵を見つめる。


「そして、そのりょぶかとびいろひとみに見つめられると、洗いざらい正直に話してしまいたくなる。きっと……バリトン伯爵もブラント侯爵も同じような気持ちになったのだろう」


 クロネリアは、ただ微笑んだ。

 そして今は目の前の公爵がかかえるものを少しでもいっしょに背負ってあげられたらと思う。


「クロネリア、どうかアークのことを許してやって欲しい」


 公爵はやせ細った手をばしてクロネリアにこんがんした。


「アマンダがくなった時、アークはまだ九歳だった。明るくておしゃべりで母親思いの優しい子だったのだ。大好きな母親を亡くしてから、急に神様なんていないと言い出した。いるのは意地悪な死神だけだと。そして人を疑うようになった」

「そうだったのですね」


 クロネリアは、幼いアークの悲しみを想像して胸が痛んだ。


「イリスは母親代わりになろうと気にかけているようだが、かえって反感を買ってしまっているようだ。イリスも仕事がいそがしいのに弟の世話まで、面倒に感じていることだろう」

「面倒に……感じているでしょうか?」


 クロネリアは首をかしげた。

 なやんではいるだろうけど、面倒に感じているようには思えなかった。


「私は仕事人間だったくせに、アマンダが亡くなったたんすべてに気力を失い、事業も領地の管理もすべてイリスに押し付けてしまったのだ。それだけでもめいわくに感じているだろうに、弟の世話まで押し付けるのかと不満に思っているはずだ」

「イリス様が? 公爵様に不満を持っているようには見えませんが……」


 公爵に見えているイリスと、クロネリアの見ているイリスにはずいぶんへだたりがあるように感じる。


「イリスのことはともかく、アークを意地悪でいやな子だと思わないでやって欲しい」

「もちろんです。嫌な子だなどと、一度も思ったことはありません」

「けれどずいぶんあなたにひどいことをしているだろう? 今も……」


 公爵はベッドのわきに立つクロネリアを見上げた。


「アマンダのに座るなとアークが言ったから、あなたはそうやって一日中立っている。あれからこの部屋で一度も椅子に座ってないだろう」

「気付いていらっしゃったのですね……」


 いつも出窓にほおづえをついて外の景色をながめているか、公爵の話を聞く時はベッドのそばに立つか、ゆかひざをついてかがんでいた。


「アークも本気で言ったのではない。アマンダの椅子に座っていいのだよ」

「ありがとうございます。けれど大丈夫です。立ったままの方がイリス様に買っていただいたドレスがしわにならないですから」

「イリスのことなど気にすることはない。気まぐれにしたことだ。あれは女性にも事務的な物言いばかりでそっけないのだ。仕事が忙しいからこんのがしたなどと言っているが、きっとごれいじょうたちに呆れられて振られているのだよ」


 公爵はため息をつきながら言う。


「そんなことはありませんわ。イリス様は女性に好かれる方だと思います。きっとアーク様のために婚期をおくらせていらっしゃるのでは?」

「ふん。そんなはずはない。イリスはアークにも冷たい。怒ってばかりいるからアークもうっくつしてあなたに意地悪をしたりするのだろう」

「イリス様は𠮟ってはおられますが、冷たいとは思いませんでしたが……」


 公爵はイリスのことをずいぶん誤解しているように思えた。


「アークは最近笑ったこともない。アマンダがいた頃はよく笑う子だったのに」


 それはクロネリアも思っていた。アークの笑顔を見てみたいけれど、公爵家に来てから一度も見ていない。笑えばきっと天使のようにわいいだろうに。


「アークは……何をすれば喜ぶのだろうか……」


 公爵は思い悩んで尋ねた。


「アーク様が喜ぶこと?」

「私は子育てをすべてアマンダに任せていたので、どうすればアークが喜ぶのか、見当もつかないのだ。できることなら喜ばせてやりたい」

「アーク様を喜ばせればいいのですね? 簡単ですわ」


 クロネリアは肯いた。


「あなたにはアークが喜ぶものが分かるのか?」


 あっさり答えるクロネリアに公爵は目を丸くする。


「ええ。お任せください」


 クロネリアは自信たっぷりに微笑んだ。


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