五、イリスの謝罪③

 

 結局破れたドレスに着替え直す必要もないだろうと、紫のドレスを着たまま帰りの馬車に揺られているクロネリアは、高く積まれたドレスの箱を見つめていた。

 自分のためにドレスを買ってもらったのは、子どもの頃以来のことだ。


「時間がなくて勝手に決めてしまってすまない。気に入らないようならもう一度買い直しに来てもいい。それともこの謝罪ではなっとくできないか?」


 イリスはだまったまま箱を見つめているクロネリアに尋ねた。


「いいえ、まさか。あの……少し箱を開けて中を見てもいいですか?」

「? ああ。何か不備があれば言ってくれていい」


 イリスはほおづえをつきながらクロネリアの様子を見つめていた。

 クロネリアは宝箱を開けるようにそっとふたを上げ、イリスが選んでくれた他の二着のドレスを見つめた。

 イエローとブルーの上品なデザインのドレスだ。どちらも素敵だった。

 付属品がたくさんついていて、シーンによってそうしょくをアレンジできるようだ。

 そのなめらかなれてみる。

 全部、自分のための新品のドレスなのだと実感すると、じんと胸が熱くなる。


「ありがとうございます、イリス様。大切に着させていただきます」


 喜びをみしめるように礼を言うクロネリアを、イリスは不思議そうにながめている。


「いや……そんなに喜んでもらえるとは思わなかった」

「どれもとても素敵なドレスで夢のようです。嬉しいです」

「ドレスぐらいで夢のようだなどと大げさだな」

 イリスは呆れたようにそっけなく言う。

「まあ……気に入ったのならそれでいい」


 ほんの少し微笑んだように見えたイリスだったが、すぐに気持ちを切り替えたのかこほんとせきばらいをする。


 そして、もういつもの事務的なイリスに戻っていた。


「これで謝罪を受け入れてもらえたとして、あなたに言っておかねばならないことがある」


 クロネリアは、はっと夢から現実に引き戻された。


「今回のことはもちろんアークが悪いのだが、あの子がここまでするなんて初めてのことだ。あなたにひどく反感を持っているからだろう」

「はい……」


 クロネリアはさっきまでのがおを消して、しょんぼりと俯いた。

 綺麗なドレスですっかりゆめごこになっていたが、これが現実なのだと思い知る。

 やはりかいされるのだな、とかくしていた。


「仕事先でも考えていたのだが、やはりあなたには……」


 言いかけたイリスは、すべてをさとったように顔を上げたクロネリアと目が合うと、なぜかいっしゅんだまり込んだ。そして告げた。


「……侍女をつけることにしよう」

「え?」


 クロネリアは意外な言葉に目を見開く。


「侍女?」


 てっきり契約解除の話だと思ったのに違ったのだろうかと聞き返した。


「では……私は……まだお屋敷にいてもいいのですか?」


 クロネリアはぱっと顔を輝かせて尋ねた。


「うむ。だが、最初に言ったように、少しでもあやしいりがあったり、これ以上アークにあくえいきょうおよぼしたりするようなら解雇させてもらう」

「はい! ありがとうございます!」


 すべてを達観したような看取り夫人の顔から、十八歳らしい少女の笑みがこぼれる。


「別に感謝されることでもない」


 喜びに溢れた顔で礼を言うクロネリアに、イリスは相変わらずそっけなかった。

 そうして馬車は晴れやかに微笑むクロネリアと気難しい顔をしたイリスを乗せて、公爵邸に帰ってきたのだった。



*****



「なんであんなことを言ってしまったのだ……」


 夜もけ切ったしつ室で、イリスは頭を抱えたままつぶやいた。


「今日で解雇するつもりだったのに。クロネリアのあのとびいろんだ目を見ると言いだせなかった。そしてふいに思いついたことを言ってしまった」


 あの時、今日で看取り夫人の契約を解除したいと言うつもりだった。それなのに。


「それで専属侍女をつけると?」


 イリスの前には、留守中の報告にきた側近侍女のローゼが立っていた。

 めずらしく落ち込んでいる主人を見て可笑おかしそうに尋ねた。


「そうだ。すまないが君がクロネリアの専属侍女になってくれ、ローゼ」


 一番の適任者はローゼだろうと思う。


「そして彼女が何か怪しい動きをしたらすべて報告してくれ。その時は、今度こそ契約の解除を言い渡そう。次こそは、はっきり言うつもりだ」


 もう情にほだされて流されるつもりはない。

 スペンサー家を父の代わりに取り仕切る者として、判断を誤るわけにはいかない。

 有能な侍女に見張らせて、時にはれいこくな決断をしなければならない。

 イリスにはこの公爵家を守る責任があるのだ。多少嫌われても、非情な男だと後ろ指をさされても、守らねばならないものがある。その覚悟で過ごしている。

 そんなイリスにローゼが答えた。


「怪しい動きというか、今回のアーク様のことは私にも責任がございます。私がもっと気を付けていれば未然に防げたことでございます。申し訳ございません」

「君が? どういうことだ?」


 イリスはげんな顔で尋ねた。

 そしてローゼはアークがなぜサーベルなどを持ち出すことになったのか、事のてんまつを話した。

 話を聞き終えたイリスは信じられないという顔でかくにんした。


「さっきなんと言った? 父上が笑っていたと?」


 イリスが引っかかったのは、アークの毒の話よりもその部分だった。


「はい。私は見ていませんがアーク様の話から推察しますと、公爵様はクロネリア様と楽しげに談笑していたようでございます」

「まさか……。母が亡くなってから、私とアークがどれほど話しかけても短く答えるぐらいしかしなかった父上が? その上、笑っておられただと?」


 クロネリアが来るまで、死にたいとしか言わなかった父だった。

 にわかには信じられない。


「先ほどお目覚めになった公爵様に話をうかがいましたが、毒というのはたぶん、クロネリア様がお体に毒ですと言われたのを聞きちがえたのだろうということでございました」

「まったく困ったやつだな、アークは」


 こうなると明らかに悪いのはアークで、クロネリアにはまったく非がない。

 馬車の中で冷たい言い方をしてしまったことを、むしろ申し訳なく思った。


「馬車でのイリス様の判断はけんめいだったのかもしれません。今しばらくクロネリア様をお屋敷に置いて様子を見てみる価値はあるかと思います」


 ローゼの言葉にイリスもうなずいた。


「……そうだな。父上が以前のように元気になられるなら、もちろんクロネリアを置くことに異論はない」


 元々それを期待してらいしたのだ。

 父が元気になるなら、えんじょしむつもりもない。


「ならば彼女が看取り夫人としての才能をもっと発揮できるように、君がサポートしてやって欲しい。君がえんすれば他の使用人たちも彼女にもっと協力的になるだろう」

「そうですね。メイドたちの中には、アーク様の言葉を信じて看取り夫人を死神のように思ってけむたがっている者もいるようです。クロネリア様に対して好意的とは言いがたい態度だとゴード執事長もおっしゃっていました」

「うむ。ゴードは今のところ静観しているようだが」


 ゴードは、高額な結納金を払ったわりに公爵家にふさわしい支度をしてこなかったクロネリアを、良くは思っていない。

 あのドレスはないでしょうとイリスにもっていた。

 馬車の中で聞いた話が本当なら、クロネリアのせいではないのだが。


「そういえば、ドレスの着方が分からないと言っていたな」


 イリスは思い出したように呟いた。


「ドレスの?」

「ああ。流行はやりのドレスなど着たこともないようだった。悪いが彼女がはじをかかないようにさりげなく手伝ってやってくれ」


 ローゼほどの立場の侍女なら、着付けなどはメイドに指示するだけなのだが、着慣れていないクロネリアは要領を得なくてメイドにかろんじられるかもしれない。

 母おもいだったイリスは、びょうしょうの母を世話するうちにそんな細かなことにまで気が付くようになった。そして気付くと放っておけないしょうぶんでもあった。

 気が回り過ぎて公爵やアークにも口うるさくなってしまい誤解されるのだが。

 そしてづかいの細やかさのわりに、そっけない事務的な口調がさらに反感を買ってしまう。そのあくじゅんかんが続いていた。

 今のところそんなイリスのことを分かっているのは、この側近侍女だけだった。

 ローゼだけがイリスの真意をってくれる。

 だから安心してたのむことができる。


「分かりました。お任せください」


 ローゼはうやうやしく頭を下げて主人の命令をった。


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