五、イリスの謝罪②
*****
イリスは無言のまま、
「あの……イリス様。どこに行くつもりなのですか?」
イリスは不安げに自分を見つめる少女に目を向ける。
「も、もしかして……このまま私を追い出すつもりですか? アーク様に剣まで持たせるほど
クロネリアは、青ざめて弁解の言葉を探している。しかし。
「何を
イリスの言葉にクロネリアは少しほっとして、もう一度尋ねた。
「ではどこへ?」
「アークが失礼なことをしたお
「ドレスを?」
クロネリアは思ってもいなかった言葉に驚いていた。
「だ、大丈夫です。上手に
「縫って、まだそのドレスを着るつもりなのか?」
イリスが呆れたように言うと、クロネリアは
破れている以上に流行おくれで古びたドレスだった。
「き、着替えもありますので……大浴場に行くつもりでここに……」
イリスはクロネリアが
「メイドたちは着替えの準備もしてくれないのか」
本来なら夫人が実家から連れてくる専属の
「ゴードからいろいろ報告を受けている。新しい奥様はドレスを新調する
「……」
クロネリアはますます恥ずかしそうに俯き、真っ赤になった。
「すみません、イリス様。私はゴード執事長に
「噓を?」
イリスはこの看取り夫人が、どんな大それた噓を白状するつもりなのかと身構えた。
ゴードから聞かされた話では、使用人たちの間でクロネリアの様々な
多額の結納金を受け取ったとは思えないような
やはりみんなが言うように何か
「実は……ドレスを新調するつもりなどありませんでした。本当は頂いた結納金で公爵家にふさわしい
「では結納金は何に使ったのだ?」
はっとクロネリアは顔を上げ、観念したように答えた。
「あの……母に……。すみません。母にもっと豊かな暮らしをさせてあげたくて……」
「……」
どんな企みを白状されるのかと身構えたというのに、
(ただの親孝行な少女にしか見えないが、それも看取り夫人の手口かもしれない)
イリスは
「あなたは前の二人の夫からも多額の結納金を受け取っていると聞いた。それでは足りなかったのか?」
母親とグルになって何か良からぬことに金を使っているのかもしれない。
「いえ。前の夫たちの結納金は……父が事業に使ってしまったので……」
「……」
俯いて申し訳なさそうに答える目の前の
(いや、だがこれも
事業家として様々な
「私はブラント
病に
あんな男はさっさと
「そのブラント侯爵が病の
「そう……ですか……」
その新妻とはクロネリアのことだ。
クロネリアは、世間で何を言われていたかなんて知らないらしい。
そんな風に言われていたのだと、初めて知ったように青ざめて目を
「だが一年
ある者は急に
別の者は高利で
そして別人のように毒々しさのなくなった侯爵の
『まったくどうなっているんだか。あの偏屈侯爵が、私に頭を下げて謝ったのだ』
『あのケチでがめついブラント侯爵が金を返すって言うのだからな』
『看取り夫人に向かって、それは幸せそうに微笑んでいるのだよ。信じられるか?』
『やはりあの看取り夫人のおかげなのだろうな』
『まあでも、嫌な男だと思っていたが、それほど悪い人間でもないのかもしれない』
『金も返してもらったことだし、もう
不思議なものであれほど腹を立てていた者たちも、死を
「すべてはローセンブラート家の看取り夫人のおかげなのだと、社交界ではあなたのことが話題になった。自分も人生の最後をそのような夫人に看取られたいと、多くの貴族が
きっと人生経験豊富な年配女性があらゆる看取りの知識を
だが現れたのは、まだ十八の
「私は……ただ二人の夫を看取っただけで……最初にお話しした通り、特別な技術や知識を持っているわけではありません……」
イリスも初対面で、期待外れだったとがっかりした。
明日にも自ら死を選んでしまいそうな父に
他の看取り希望の貴族たちに取られる前にと、慌てて決断してしまった。
今考えてみると、それもローセンブラート男爵の手口だったように思える。
騙された気持ちでいるのは確かだった。
父も
しかもアークが剣を持ち出すほどに嫌っているなら、もう考えるまでもない。
高額な結納金は
「期待に
だが、しょんぼりと謝る少女を見ていると、なかなか言い出せずにいる。
とりあえず、弟のアークがしでかした非礼の分は謝罪しようと思っていた。
「いや……。とりあえず、お詫びにドレスをプレゼントさせてもらおう」
ちょうど馬車が店の前に
*****
「ここは……」
イリスに手を
公爵邸に向かう時に通り過ぎた、大通りの
豪華なドレスを着たマネキンがライトアップされている。
馬車を目にしたコンシェルジュが、客を
「これはイリス様。お久しぶりでございます。ようこそお
「ああ。母が
どうやらこの店はアマンダ
「クロネリア。入って好きなドレスを選んでくれ」
「え……」
クロネリアは店内に招き入れられ、夢のような空間に
大きなシャンデリアに照らされて、豪華なドレスがずらりと並んでいる。
どれもこれも、フリルと
「こちらのお
黒いタキシード姿のコンシェルジュが
「ああ。公爵家の夫人にふさわしいドレスを
「公爵家のご夫人……。では、この方が……」
コンシェルジュはそれだけでクロネリアの正体が分かったようだ。
こんなところまで、看取り夫人の噂は届いているらしい。
クロネリアは恐縮したまま
「こちらのドレスはどうでしょうか? 細身の奥様にちょうどよいサイズかと思います」
クロネリアは慌てて首を振る。
「いえ。このような高価なドレスを頂くわけにはまいりません。もっと
「公爵夫人の普段着だと思いましたが……」
コンシェルジュが
「気に入らないのか?」
イリスが尋ねた。
クロネリアは慌てて首を振る。
「いえ、まさか! とても
「……」
さっぱり選ぼうとしないクロネリアに、コンシェルジュもイリスも呆れている。
連れてきたことを
「クロネリア。もう閉店時間が
お店に
「悪いが私が適当に決めさせてもらう」
「え?」
驚いているクロネリアの
「この
「……」
驚いたまま何も答えないクロネリアの代わりにコンシェルジュが返答する。
「よいと思います。一度ご試着なさいますか?」
「ああ。そうだな。着てみた方が分かりやすい」
話はどんどん進められ、コンシェルジュが女性の店員を二人呼んで、クロネリアは試着室に連れていかれた。
「失礼致します、奥様」
店員は手早くドレスを
実家では着替えや
ガーベラ母娘には専用の侍女がいて、いつも
しかし店員二人は慣れた手つきで、クロネリアの
「これが……私……」
そこには、別人のように華やかな貴婦人に変身したクロネリアが映っていた。
イリスの選んでくれた
に使われていて、白い小花の刺繍が
「どうぞ、奥様。こちらへ」
店員に手を引かれ、イリスの前に出た。
コンシェルジュと
「クロネリアか?」
別人のようになったクロネリアに、イリスも驚いたようだ。
「おお! これは、大変お似合いでございます、奥様」
コンシェルジュは大げさに驚いて褒めたたえた。
「なんと。世間でお噂の看取り夫人とは、このように美しいご婦人だったのですね。このようなご婦人なら確かに
どうやらイリスと、看取り夫人の話題で盛り上がっていたらしい。
「いかがでございますか? イリス様」
コンシェルジュはイリスに感想を求める。
クロネリアは不安げにイリスに視線を向けた。
目が合うと、イリスは慌ててふいっと視線をそらした。
(もしかして怒っておられるの? 看取り夫人のくせに華やか過ぎるものね。イリス様のお気に
すっかりこのドレスが気に入っていたクロネリアは
看取り夫人には似つかわしくないと
イリスはぽそりと答えた。
「悪くないな。いや、よく似合っている……」
そっけなく言うイリスにクロネリアはぱっと顔を
「では、このドレスを……頂いてもいいのですか?」
看取り夫人ではなく、
「君が気に入っているなら、もちろんそれをプレゼントさせていただく」
「本当ですか? ありがとうございます!」
「詫びの品だ。別にそこまで感謝されるほどのことではない」
心から感謝を
何か怒っているのかと思ったが、イリスはさらにコンシェルジュに命じた。
「ついでにこれと……ああ、これも似合いそうだ。全部もらおう」
「畏まりました」
コンシェルジュは閉店間際のありがたい上客に、にっこりと応じる。
あっという間に決めて、三着も買ってしまった。
「あの……イリス様……こんなにもらうわけには……」
「着替えも必要だろう。このぐらい気にしなくていい」
コンシェルジュは大急ぎでドレスを包装して、大きな箱を馬車に運び込んでくれた。
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