五、イリスの謝罪①


 こうしゃくていの食事は朝と夕方の二回だった。

 それはクロネリアの実家と同じだ。

 気の弱い母はダイニングルームで他の夫人と顔を合わせるのがいやで、いつもクロネリアと二人、自室で食べていた。

 運ばれてくる料理はどれも冷めた残り物ばかりで、決して美味おいしい食事ではなかった。

 子どものころはダイニングルームでにぎやかに食事をするガーベラがうらやましかったものだ。


「今日は私のお母様の誕生日祝いのディナーだったのよ。三段のケーキがすごく美味しかったわ。でも残念ね。全部食べ切ってしまってもう無いわ」


 ガーベラは特別な料理が出た日は、わざわざ気の毒そうにクロネリアに言いにきた。

 幼いクロネリアはどうしても食べたくて、母にいっしょにダイニングルームに行こうとさそってみるのだが、行きたければ一人で行きなさいと言われ、結局母を置いては行けなかった。

 先の二人のり先では、ベッドから動けない夫のしんしつに、二人分持ってきてもらって食べることが多かった。あまり食べることのできない夫に合わせた病人食だった。

 この公爵邸では……大きなダイニングルームもあるようだが、時間になるとメイドがクロネリアの部屋に運んでくれた。しかしそれは実家の冷めた残り物とはまるでちがう。

 夕食はワゴンに載せた出来立てのフルコースだった。

 メイドたちは無言でクロネリアの前のテーブルにごうな料理を並べる。

 クロネリアはうれしくてついメイドに話しかけてしまった。


「このお料理はなんですか? 外はサクサクしているのに中はクリーミーでとっても美味しいです!」


 しかしメイドたちはつんとすまして答える。


「さあ、存じませんわ」

「良家の奥様が食事中におしゃべりするものではありませんわよ」


 非難するように言うメイドたちに、クロネリアはしゅんと落ち込んだ。


「すみません……」


 メイドたちは、そんなクロネリアを無視してそそくさと出ていく。


(やっぱり私と仲良くしたい人なんて、ここにもいないのね)


 でもこの温かい料理があるだけで幸せだと気持ちをえる。


「うん。全部美味しい! このお料理をお母様にも食べさせてあげたいわ……」


 母は食が細くなってあまり食べなかったが、この美味しい料理ならたくさん食べるかもしれない。そう思うと、今すぐ持っていってあげたくなる。

 量は食べられないけれど、マナーや作法はかんぺきでとてもれいな食べ方をする母だった。

 クロネリアもをして、所作だけは王家のばんさん会に出ても恥ずかしくないほど美しいと母はいつもめてくれた。


「お母様は預けたゆいのう金を少しは使っているかしら」


 好きに使っていいとわたしてもクロネリアのお金だからと一ルーベルも使えない母だった。

 次に実家にもどったら、母にドレスを新調してあげようと心に決める。

 新しいドレスに喜ぶ母を想像したら、気持ちが上がって元気が出た。


「さあ、早く食べて今日は大浴場に入らなくちゃ」


 公爵邸の地下には大浴場があった。温泉を引き入れていていつでも温かい。

 イリスは留守でアークは早い時間に入るため、それ以外の空いている時間は好きな時に入っていいらしい。実家や前夫ていでは他の家族にえんりょしながら大急ぎで小さな浴場を使っていたことを考えると、これも夢のような時間だった。


「よし! ドレスは残念でも、せめてれいにはしないとね」


 クロネリアは食事を済ませると、えを持って部屋を出た。着替えといっても三着持ってきたドレスのうち一着はきに出していて、残りの二着をこうに着ている。

 メイドたちは毎日せんたく物を取りに来るが、クロネリアのしょうの少なさにあきれたような顔で立ち去っていった。


「染み抜きがうまくいかなくても、あのドレスを着るしかないわね」


 そんなことを考えながらろうを曲がると、急に目の前にとがったけんさきが現れた。


「きゃっ?」


 おどろいたことに、アークがクロネリアに向かって子ども用のサーベルをしていた。

 はっと後ろに下がるクロネリアに、さらにアークの細長い剣が突き出される。


「アーク様……」


 小さなは習った通りの綺麗な姿勢で、クロネリアの体をよけて左右に剣を突き出す。


「死神め! お父様に毒を飲ませようとしたな!」

「な、なんのことですか?」


 クロネリアは剣先からのがれるように後ずさる。


「出ていけ! 今すぐ出ていかないと、本当にすぞ!」


 本当に突き刺すつもりはない。おどかすだけのつもりなのだ。

 だから真ん中をけて左右交互に突いてくる。

 クロネリアは後ずさりしながら剣先をよけるが、少しだけバランスをくずして右にかたむいた。


「あっ!」


 アークがさけんだかと思うと、その剣先がクロネリアのスカートを切りいていた。

 驚いてサーベルを引くアーク。


「な、なな、なんでちゃんとよけないんだよ! 僕は刺してないからな! お前が自分から剣に刺さりにきたんだ! 僕を悪者にするためにわざと体を傾けたんだ!」


 まさか本当に剣が刺さると思わなかったのか、アークはクロネリア以上にどうようしている。


「ぼ、僕はなんてさせてないから……僕はそんなつもりじゃ……」


 刺さってしまったことにショックを受けて泣きそうになっていた。

 クロネリアは自分のドレスのことよりも、アークがかわいそうになった。


だいじょうです。スカートが切れただけで怪我はしていません」


 クロネリアがあわてて言うと、アークはほっとした顔になって口をへの字に曲げて泣きそうなのをこらえている。


「ぼ、僕は……僕は……」


 ひどいことをされたはずなのに、クロネリアはやはりアークをおこる気になれなかった。


「アーク様……」


 何かなぐさめる言葉をかけてあげようとした。しかし。


「何をしているっ! アーク!」


 廊下の向こうからとつぜんるような声がひびいた。

 イリスがちょうど外から帰ってきたところだった。


「あ、兄上……」


 アークはびくりとかたふるわせた。

 イリスがってきて、信じられないという顔でアークのサーベルとクロネリアの破れたドレスを見つめた。


「お前が……やったのか、アーク……」

「ぼ、僕は……違う。そんなつもりじゃ……僕は……」


 じわりとアークのひとみなみだあふれてくる。


そこなったぞ、アーク……。ご婦人に剣を向けるなんて……しかもドレスを突き刺すなんて……騎士の風上にも置けない……。お前に剣を持つ資格などない!」

「ううう……兄上が悪いんじゃないか……。こんなやつを連れてくるから……ううう」

「どんな理由があろうとも、まるごしの女性に剣をるうなど騎士失格だ!」


 イリスはアークの手から剣を取り上げて怒鳴った。


「僕のサーベルだよ。返してよ……」

「だめだ。お前はしばらく剣を持つことを禁ずる!」


 イリスに言われて、アークは絶望したようにぽろぽろと涙を溢れさせた。


「兄上のバカッ! だいきらいだ!」


 アークは言い捨てると、だっと駆けだした。


「こら、待てっ! クロネリアに謝れ、アーク!」


 しかしアークは振り向きもせずに行ってしまった。


「……」


 アークの立ち去った後には、クロネリアとイリスの二人だけが残された。

 振り向いたイリスは、怒っているというよりも、弟に大嫌いと言われてひどく傷ついているようにも見える。そして気まずそうにクロネリアの破れたドレスに視線を向けた。


「すまない、クロネリア。弟がひどいことを……」

「いいえ。アーク様は少し脅かすつもりだったのです。私がバランスを崩したせいでドレスが破れてしまい、ご自分の方がショックを受けておられました。ですがドレスが破れただけで怪我はしていません。どうかアーク様を𠮟しからないでくださいませ」

「……」


 イリスはクロネリアの言葉をどこまで信じていいのか思案しているようだった。

 やがて何かを決心したように、クロネリアのうでつかんだかと思うと、つかつかとエントランスホールに向かって歩き出した。


「ついてきてくれ、クロネリア」

「え?」


 イリスに引っ張られるままについていくと、エントランスホールではイリスの荷物を馬車から運んでいるしつたちがいそがしく立ち働いていた。

 そしてエントランスの外では荷物を降ろした馬車がきゅうしゃに向かおうとしている。


「ゴード。悪いが今から出かける。馬を替えて馬車の準備をしてくれ」


 エントランスホールにいたゴード執事長は目を丸くした。


「今帰ってきたばかりで、またお出かけになるのですか?」

「街まで行くだけだ。すぐに戻ってくる」


 ゴードは腕を引っ張られているクロネリアをしんそうな顔で見つめてから応じた。


かしこまりました。すぐにご用意いたします」


 よくできた執事は主人の命じるままに、急いで馬車の準備を整えた。



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