四、心を開く公爵②


 公爵が目覚めた時、もうアークは部屋にはいなかった。

 そして部屋になつかしい香りがただよっていた。

 そっとくと、ベッドの側のびんに色とりどりのアネモネがけてある。

 アマンダが生きていた頃、よく摘んできて飾っていた花だ。

 そして出窓に向かって立ったままほおづえをついて外を眺めている後ろ姿が目に入った。

 アマンダは出窓からの景色が気に入っていて、よく同じ恰好で外を眺めていた。


「アマンダ……」


 女性が振り向き、すぐにアマンダではなく、看取り夫人と呼ばれる少女だと気付いてかたを落とした。

 彼女はそんな公爵に気付いたのか、ベッドからはなれた窓際に立ったまま話し始めた。


「ここから見える庭園の花もてきですね。奥の庭園にも可愛い花がたくさん咲いていました。あまりに綺麗だから庭師の方に頼んで少し分けてもらってきました」

「……」


 クロネリアの言葉に公爵は無言で返した。

 さっきアークがひどい言い方をしたことを謝るべきかと思ったが、クロネリアはそのことには何も触れなかった。穏やかに落ち着いている。

 そんなクロネリアのかもしだす空気が、アマンダに似ているのだと気付いた。

 そしてクロネリアは無言の公爵に構わず続ける。


「あんなに様々な色のアネモネは初めて見ました。きっと大事に育てていらっしゃるのでしょうね。愛情を受けて育った花たちのぬくもりを感じます」

「……」


 やっぱり公爵は何も答えない。

 けれどクロネリアは独り言のように話し続けた


 他愛もない話だ。

 窓から見える空、鳥たち、来客の馬車、庭師の働きぶり。

 どうでもいい話を、公爵は延々ともり歌のように聞いて過ごした。

 クロネリアの穏やかなこわいろは不思議にここよく、時々眠りながら、時々てんじょうを眺めながら、聞いて過ごす時間は悪くなかった。

 日が暮れると、クロネリアは無言のままの公爵に退室の挨拶をして部屋を出ていく。

 こうしてアークに悪態をつかれ、メイドたちのかげぐちはどんどんひれがついて広まり、執事長はよそよそしいままに三日が過ぎていた。


 公爵の部屋では、いつものように出窓に頰杖をついて、クロネリアが今日も話し続ける。


「今日はいいお天気ですわ。鳥が飛んでいます。あれはなんという鳥かしら。しっぽが白いわ。あら、馬車がきゅうしゃから出てきました。アーク様が宮廷学院にけられるようですわ。金ボタンの赤のジャケットと半ズボンは……学院の制服かしら。よく似合っていらっしゃいます。見送りのメイドたちに手を振って行ってしまわれましたわ」


 公爵は今日も聞いているのかいないのか、クロネリアに背を向けたまま無言だった。

 しかし構わずクロネリアはとりとめもなく話し続ける。

 そしてふと、ここから外の景色を眺めていたアマンダを想像してみる。

 明日がどうなるかも分からない看取り夫人の自分と違って、愛する夫と息子二人に囲まれて、きっと満たされた日々だったのだろう。

 どんな風に毎日を過ごしていたのだろう、と夢物語のように思いをせる。


「あ、ここにも白いアネモネが咲いていますわ。気付かなかったわ」


 この窓から一番よく見える小さな花壇にも白いアネモネが咲いていた。


「私の実家の庭にも白いアネモネがたくさん咲いていました」


 そして幸せな未来をおもえがいていた十三歳の日々を思い出した。


「最初の結婚の前、私には文をわす方がいました。その方と結婚したら庭にアネモネを

植えようと約束しました。今となっては永遠にかなわぬ夢となってしまいましたが」


 しんみりと告げるクロネリアに、初めて公爵から返事が戻ってきた。


「そのアネモネは……アマンダがよめりに連れてきた……。白いアネモネが好きだと言って、自分で花壇に植えていた……」


 公爵は懐かしむように呟いた。


「アマンダ様が……。実はこの三日、少し気になることがあってアネモネの花言葉を調べていたのです。白いアネモネの花言葉をご存じですか?」


 クロネリアが尋ねた。


「花言葉か……。さあ、知らないな」

「『真実』『期待』『希望』です。きっとアマンダ様はそんな気持ちで嫁いで来られたのでしょうね」

「そうなのか……。アマンダとそんな話はしなかった……。私は毎日いそがしくて、晩年はゆっくり話を聞いてやることさえしなかった。病で体調が悪くなっていることに気付いてやることもできなかった。失って初めて、アマンダがどれほど大切な存在だったか気付いたのだ。もっと早く気付いていれば……」


 公爵はこうかいみ込むように言葉をれさせた。


「アマンダ様は……公爵様のお心を分かっていらっしゃったのではないでしょうか。手入れの行き届いたアネモネの花壇を見れば、分かるような気がします」


 そうしてクロネリアは公爵に尋ねた。


「もしかして、アマンダ様と連れ添ったのは二十五年だったのではありませんか?」

「二十五年……。そうだな。昨年亡くなったが、その半年前にぎんこんしきで銀食器をおくった。それがどうかしたのか」

「一階のサロンから見える奥庭にアネモネの花壇があるのをご存じですか?」


 公爵は少し考えて、元気な頃を懐かしむように肯いた。


「ああ。そういえば色とりどりに咲いている花壇があったな」

「花壇の数は二十五ありました」

「二十五……? まさか……」


 公爵はすぐに気付いてどうもくした。


「はい。おそらくアマンダ様は公爵様との年月を数えるように、毎年花壇を増やしていたのでしょう。少しずつ植える時期を変えて、なるべく長い期間花が咲き続けるように」

「そんなこと……私は知らなかった」

「伝える必要などなかったのです。ただ、公爵様がお気に入りのサロンから花壇を見て、疲れたお心が少しでもいやされればと願っていらっしゃったのでしょう」


 公爵は今さら気付いたように肯いた。


「そうだ。私はあのサロンで庭を眺めながら過ごす時間が好きだった。どれほど疲れていても、あの部屋で庭を眺めていれば元気になるような気がした」

「それだけでアマンダ様はじゅうぶんだったのです」


 しかし公爵は首を振る。


「私は……そんなアマンダのこころづかいにも気付いてやれなかった。……なんとおろかな」


 公爵は両手で顔をおおってうめいた。


「アマンダは何も気付かない冷たい夫をうらんでいたことだろう。なんということだ……」


 しかしクロネリアは答えた。


「いいえ。恨んでなどいません。なぜなら、最後に植えたアネモネは赤一色だったのです」

「赤? それは……どういう意味だ……」


 公爵はクロネリアを見つめた。


「赤いアネモネの花言葉は『君を愛す』です」


 クロネリアはアマンダの心を知りたくて、公爵家のしょさいに入れてもらって調べていた。

 そこにはアネモネのところにしおりはさんである花言葉の本があった。


「アマンダ様が最後に公爵様に残したメッセージは花壇一面の真っ赤なアネモネなのです」

「真っ赤なアネモネ……」


 公爵は驚いたように呟き、こらえきれないようにえつらした。


「うう……まさか……。そんな……そんなことがあるはずが……」


 公爵はあふれるなみだに声をまらせてき込む。

 苦しそうに呻く公爵を見て、クロネリアは慌てて側に近付きそっと肩をさすった。


「大丈夫ですか、公爵様。すみません。余計な話をしすぎてしまいました。お疲れになってしまわれたのではありませんか?」

「いや……大丈夫だ。余計な話などではない。教えてくれてありがとう、クロネリア」


 そう言って公爵はせきがおさまると、「ふ……」と初めての笑い声を漏らした。


「不思議だな。咳と共に何か胸につかえていたものが一つ取れたような気がする。あなたの言葉が私の傷口を癒してくれたようだ」


 クロネリアは元気そうな公爵に、ほっとあんの息を漏らす。


「これ以上お話しするのは体に毒ですわ。少しお休みくださいませ、公爵様」


 クロネリアは公爵にとんを掛け直した。


「少しお水を飲まれますか?」

「いや、いい。確かに少し疲れた。休ませてもらおう」


 そうして公爵は、クロネリアに見守られながら安心したように眠りについた。



*****



「大変だよ、ローゼ。ちょっと来て!」


 アークは、ろうを歩いていたじょのローゼをつかまえて自室に引っ張り込んだ。


「どうなさいました? 何かあったのでございますか?」


 耳にかかるほどの短いあかがみと切れ長の黒いひとみをした背の高い侍女が、しんみょうな顔で尋ねた。

 ローゼはイリスが最もしんらいしている侍女で、ゴード執事長と共に屋敷を取り仕切っている。アマンダの病が重くなってきた頃から、女主人の代行として侍女やメイドを取りまとめてきたびんわん侍女だった。


「今さっき、お父様の部屋をのぞいて信じられないものを見たんだ」

「な、何を見たのですか?」


 ローゼは、これはただ事ではなさそうだとごくりとつばを吞み込み聞き返した。

 そしてアークは深刻な表情で告げた。


「お父様が……笑ってたんだ」

「?」


 ローゼはきょとんと目を丸くする。


「公爵様が笑っていらした? 良いことではないですか。少し体調が良くなられたのでしょうか?」


 しかしすぐにアークは否定する。


「もう、違うったら! 僕は聞いてしまったんだ!」

「なにを聞いたのでございますか?」


 アークはとんでもない秘密を話すように声をひそめた。


「驚かないでね。クロネリアが毒ですって言ってたんだ」

「毒?」

「そうだよ。クロネリアがお父様に毒ですって言って飲ませようとしてたんだ」


 ローゼはさすがに青ざめた。


「そ、それで公爵様は?」

「いやいいって断っていた。でも、このままじゃいずれ毒を飲まされるよ」

「まさか……。本当にそんな話をなさっていたのですか? 毒ですと言って毒を飲ませる者などいないでしょう? 公爵様も、いやいいでは済まない話ですよ」


 しかしアークはすっかり毒という言葉にどうようしていた。


「早く追い出さないとお父様が殺されてしまうよ。ローゼも協力して」

「何をなさるおつもりですか?」

「少しあらなことをしておどかすんだ。女性だからって手加減している場合じゃない」


 ローゼは眉根を寄せて首を振った。


「いけません。そんな恐ろしい相手ならなおさら、イリス様にお任せしましょう。イリス様が仕事から戻られるまでお待ちください」


 アークはいらだって不満をばくはつさせた。


「なんで分かってくれないの? 兄上が戻るまで待っていたら、お父様が殺されてしまうんだよ。お父様はもうクロネリアの言いなりになっているんだから」

「もう少し様子を見てからにしましょう。私も気を付けて公爵様を見ていますから」


 アークは全然分かってくれないローゼにだんんだ。


「もういいよ! ローゼには頼まないから! 僕一人でやるから。もう出てって!」


 ローゼの背中を押して部屋を追い出した。


「ちょっ。アーク様! イリス様がお帰りになるまで待ちましょう。ね! アーク様」


 バタンと閉じられたドアの外でローゼが声をかけていたが、アークは取り合わなかった。


「本当は僕だってこんなことしたくないけど、でも僕しかお父様を助けられない。僕がやるしかないんだ……」


 アークは決意を固めたように腰のサーベルをいた。



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