四、心を開く公爵①
翌日、クロネリアは
数年前、くすんだ緑が気に入らないとガーベラが下げ
「おはようございます。公爵様」
「……」
ベッドから返事はない。
「少しだけカーテンを開けさせて頂きますね」
その窓からは椅子に
クロネリアはここで外の景色を
時々専属の
(食事を
ゴード
(なんとかもっと食事を
クロネリアは侍女に「手伝いましょうか?」と声をかけた。
食事の
しかし侍女たちはぎょっとした顔をして「これは我々の仕事ですので結構です」と断った。
そして昨日より
何か手伝おうとしてもすべて断られ、公爵に近付くこともできない。
(困ったわ。これでは何もできないわ)
仕方なくしんとした窓際に座っていると、外を歩くメイドたちの
「見た? 奥様のあのドレス。いったいいつの時代のドレスかしら?」
「メイドの私でも、もう少しましなドレスを持っているわ」
「あの人、
「そのお金はどうしたのかしら? お金目当ての
「やっぱりアーク様の言っていた話は本当みたいね」
「私も『看取り夫人』の噂は聞いたことがあるわ。彼女が
「そういえば食事の介助をやたらに申し出てくるのよ。おかしいでしょう?」
「まあ! では毒を盛るつもりで? なんて
「絶対に介助などさせてはだめよ! 公爵様に近付けないようアーク様に
の」
(そういうことだったのね)
侍女やメイドがよそよそしい理由が分かった。
「イリス様はなんだってあのような方を連れていらしたのかしら」
「死神女に
「それとも……イリス様は早く公爵様に亡くなって欲しいのかしら」
「アマンダ様が亡くなってから、お二人は不仲だという話だものね」
クロネリアはちらりと公爵のベッドを見てほっとする。
窓際で
それにしても噂によると、どうやらイリスと公爵は仲が悪いらしい。
(イリス様は公爵様に長生きして欲しいと思っておられるようだったけれど
ら)
そういえばこの
「では新しい奥様は公爵様を殺しにきたの?」
「そうに違いないわ。できるだけ関わらないでおきましょう」
クロネリアは小さくため息をついた。
(ずいぶんいろいろに噂されているのね)
どちらかというと、前の夫たちは告げられた余命よりも長生きしているのだが、看取り夫人として嫁いでいるのだから、
それが死神と言われるのならそういうことになるのだろう。そしてこのままでは何もできないままに、本当に命を取りにきただけの死神になってしまう。
(何か方法を考えなくては。公爵様の側に近付かなくても打ち解けられる方法を)
クロネリアは公爵のために自分ができることをひたすら考えて過ごした。
夕方になると
「お父様!
すっかり死神女というあだ名になってしまっている。
アークがベッドの側に来ると、公爵は初めて口を開いた。
「アークか……。私は大丈夫だ。心配をかけてすまないな……」
弱々しい声で告げて、骨と皮だけの手を
公爵はイリスとは不仲のようだが、アークのことは
「お父様。僕が守るからね」
そう言って窓際に座るクロネリアをきっと
「アーク。ご婦人にそんな言い方をするものではない。もちろん私も彼女に帰る場所があるなら、そうして欲しいが……。無理に追い出すつもりもない。彼女が死神だというなら、それで命を取られてもいいのだよ」
「お父様。そんなことを言わないでよ! 僕を置いていかないで」
「生きていても私はこの通り体を動かすこともできない。お前にもイリスにも
「
さめざめと泣くアークを気の毒に思う。
イリスが言うように、この
クロネリアには悲しむほどの父との思い出などないが、看取った二人の夫のことは父のように
せめて満たされた思いで家族と残された日々を過ごして欲しいと願う。
そんな風に見守るクロネリアの視線に気付いたのか、アークがつかつかとこちらに向かってやってきた。
「そこはお母様が座っていた場所だ! 勝手に座るなよ!」
クロネリアは、はっと立ち上がった。
「ごめんなさい」
アークはクロネリアの古びた緑のドレスと、一部を簡単に
「お母様はいつも
「……はい」
そうなのだろうとクロネリアも思う。
きっとここに座っていたアマンダという女性は、夫にも
どこにも居場所のないクロネリアとは全然違う人種なのだ。
クロネリアには一生手に入らないすべてを持っていた人。
きっと愛に包まれた温かな
「僕はお父様と話しているんだ! 出ていけよ!
「……分かりました」
クロネリアは頭を下げて部屋を出た。
言われるままに
「ふん! 追い出してやったよ。これで大丈夫だからね、お父様」
しかし公爵は困った顔でアークの手をそっと
「私のためと思って彼女に意地悪をするならやめなさい。あの人にも何か事情があるのだろう。好きでこんな余命
「違うよ! あの女は公爵家をのっとるつもりなんだよ」
アークは少し不満げに口を
「でも大丈夫だよ。僕が追い出してやるから。お父様は何も心配しないで」
「アーク……」
公爵はまだ何か言おうとしたが、
*****
部屋を追い出されたクロネリアは、とぼとぼと裏庭を歩いていた。
「公爵様に近付けないばかりか、部屋を追い出されてしまったわ……」
前夫二人の家では家族には冷たくされたものの、夫の側にいることだけは本人の希望もあって邪魔されることはなかった。
けれど今回は、公爵本人がクロネリアを望んでいないのだからどうしようもない。
だがこのまま何もできずに看取るだけの日々は
「アーク様……。大好きなお母様を失い、お父様まで余命僅かなどと言われて、どれほどの不安と
クロネリアには、アークの不安と孤独が分かるような気がしていた。
幼い
母を失えば独りぼっちになってしまうという
アークもまた、父を失えば心の
だから、公爵の死を連想させる看取り夫人を追い出そうと必死なのだろう。
アークに幼い日の自分を重ねてしまう。
母を失わないために必死に
表現の仕方が違うだけで、同じ不安と恐怖を抱えているように思えた。
「でもこれほど
ひどい暴言を
むしろ何か励ましてあげたいと思うのだけれど、それも余計に反感を買うのだろう。
「これは……」
そこには色とりどりのアネモネが花びらを
「すごい! こんなにたくさんの色のアネモネは初めて見たわ」
レンガで区切られた
「ここはまだ
その心配りに、アネモネに対する深い愛情を感じた。
そうしてどこまでも続くように思えた花壇だったが、突然終わってしまった。
最後の花壇はレンガで区切ってあるものの、何も植えていないようだ。
「これから植えようとしているのかしら」
クロネリアは再び
「この花壇は赤いアネモネばかりなのね」
そっと花びらに
(ふふ。きれい……)
情熱的な赤い花が元気をくれるような気がして
「散歩か?」
ふいに声をかけられてクロネリアが顔を上げると、イリスが執事を連れて立っていた。
「あ、はい。あまりに綺麗に咲いているので見入ってしまいました」
クロネリアは
イリスがクロネリアの貧相なドレスを怪しむように見ている。
クロネリアは
「父上の様子はどうだ? 何か話したか?」
「いえ……。お
クロネリアが謝ると、イリスは小さくため息をついた。
「そんなことだろうと思った。別に君に期待などしていないから謝らなくていい」
「はい、すみませ……、あ、いえ……ごめんなさい」
クロネリアは結局しょんぼりと謝った。
イリスはそんなクロネリアを見つめ、こほんと
「まあいい。部屋に花を
「え?」
クロネリアははっと顔を上げ、目を
「いいのですか?」
あまりにクロネリアが
「……ああ。私の許可をもらったと言えば快く分けてくれるだろう」
「ありがとうございます!」
クロネリアが元気よく礼を言うと、イリスはまたこほんと咳払いをして冷たく答える。
「別に礼を言われるほどのことではない」
そんなイリスに、クロネリアは気になっていたことを尋ねた。
「あの、イリス様、少しお
「なんだ?」
「この花壇がよく見える、こちらの大きなガラス張りのお部屋はどなたのお部屋でしょうか?」
イリスはクロネリアが手で示す、レースのドレープカーテンがかかった窓に目をやった。
「ああ。ここは少人数で過ごすサロンになっている。と言っても、元気だった頃の父上が気に入って、仕事の合間に
「そうだったのですね……」
クロネリアは
「この部屋がどうかしたのか?」
「いえ……。なんでもありません。ありがとうございます」
笑顔で礼を言うクロネリアに、イリスは首を
そうしてクロネリアは
「そういうことだったのね……」
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