三、奪われた婚約者


「こちらが奥様のお部屋でございます」


 しつ長のゴードに案内されたのは、こうしゃくの部屋に近い、おどろくほど広い部屋だった。

 大きな窓からは暖かい日差しが入り、テラスに出ると裏庭がわたせる。

 裏庭といってもふんすいえんもある広々とした大庭園だ。

 てんがいのある大きなベッドにごうなソファセットが置かれ、しょう部屋とメイクルームまで完備されている。かくのような小部屋もあった。

 実家では考えられない広さで、先の二人のり先でもこれほど豪華な部屋は見たことがない。


「お荷物はこれだけですか?」


 部屋の真ん中には、クロネリアが持ってきた古びたトランクが置かれていた。

 れいみがかれた調度品の中だと余計にみすぼらしく見える。


「お輿こしれの荷馬車が後から来るのかと思っていましたが……。専属のじょもいらっしゃらないようで……」


 ゴード執事長はあまりに身軽な輿入れにこんわくしているようだ。


「正式なけっこんではないので……これだけです」

「ですが……おたくに必要なゆいのう金はじゅうぶん過ぎるほどおわたししていたのに……」


 家を取り仕切る執事長は、おそらく結納金の額も知っているのだろう。

 結納金とは、本来結婚の支度に使うために渡されるお金のことだったはずだ。

 あれだけもらっていながらこの荷物はないだろう、という表情だった。

 正式な結婚でなくとも取り仕切った執事長としては結納金をしぶったのかと疑われ、けんていが悪いらしい。クロネリアは申し訳なさにきょうしゅくした。


「急な輿入れでしたので……すみません」

「まあ……そうですね。急なことでしたので……。では、何かようがございましたら外のメイドや執事にお言いつけください」


 執事長はしぶしぶなっとくして部屋を出ていった。

 クロネリアはほっとしてゆかに置かれたトランクを開く。

 結納金はすべて母に預けてきた。

 一人目のバリトンはくしゃくに続き、ブラントこうしゃくの結納金も勝手に父と第一夫人たちに使われてしまった。だから今回はクロネリアが預かると言って引かなかった。

 父は渋々クロネリアに結納金を渡してくれたが、どうもイリスが言っていたような額ではない。だんしゃくれいじょうつうにもらえるほどの金額だった。

 おそらくもらった結納金の一部だけをクロネリアに渡したのだろう。

 お金にきたない父のやりそうなことだ。

 それでもすべてをうばわれていた今までよりはいい。

 母にそのお金で少しだけでも豊かな暮らしをさせてあげられるなら。


えのしょうけておかなくちゃね」


 クロネリアはトランクの中から古びたドレスを二着出して、衣装部屋に入った。

 大きな鏡のある広い衣装部屋にクロネリアのドレスを掛けると、やけにひんそうに見えた。

 このだいていたくでは、なにもかもがちがいで、クロネリアとその所持品だけがいている。


「結納金で一着だけでもドレスを新調すれば良かったわ」


 今着ているドレスが一番ましだけれど、それにしてもおとりする。

 いや、本来なら父がそれぐらい準備しておくべきだったのに。

 ブラント侯爵を看取って実家にもどると、第一夫人と第二夫人は真新しいドレスを着ているというのに、第三夫人の母だけが着古したドレスを着ていた。

 家の中にはぜいたくな調度品がまた増えていて、メイドの数も増えている。それなのに母だけが専属の侍女もつかず相変わらずの暮らしのようだった。

 いつだってそうだ。


 昔から母とクロネリアだけがローセンブラート家でれいぐうされてきた。

 母は昔、社交界でもうわさになるほど美しい令嬢だったらしい。

 その母をめた父が半ばごういんに妻にしたというのに、やさしかったのは最初の一年ほどだけだったそうだ。若く美しい母は、第一夫人と第二夫人にけむたがられ、徒党を組んでひどいいやがらせをかえし受けてきたと聞いている。

 ドレスを破かれたり、食事に虫を入れられたりするのは序の口で、時には第一夫人のほうしょく品をぬすんだけんをかけられ、顔は美しいがうそつきでいんな女性だとあらぬ噂を流された。

 しきのメイドたちも第一夫人がおそろしくて、母をかばう者はだれもいなかったそうだ。

 全員敵のような屋敷の中ですっかり心をんだ母は、やせ細りゆいいつの武器の美しささえ失い、父に見向きもされなくなったのだ。

 そんな母の唯一の希望が、結婚してすぐに生まれたクロネリアだった。

 クロネリアは、第一夫人たちのおもわくのままに暗く陰気に自らへんぼうしていくような母をはげまし、前向きな言葉をかけ続けて過ごしてきた。

 母のうっくつした思いを根気強くき出させ、深い共感とともに励ましの言葉をかける。

 小さな幸福とささやかな希望を見つけては、母を勇気づけ幸せな想像をふくらませた。

 そんなクロネリアだったから余命わずかな老人たちも勇気づけることができたのかもしれない。クロネリアがとびいろひとみで静かに見つめると、老人たちはこれまで誰にも言えなかった苦しい気持ちをできるようだった。

 どくな母によってつちかわれた皮肉な才能だった。

 そんなローセンブラート家で一番関わりがあったのが第一夫人のむすめのガーベラだ。

 ガーベラは、幼少時から一つ年上のクロネリアが持っている物を何でもしがる子ども

だった。ドレスも宝石も、元々自分の方が高い物を買ってもらっているはずなのに、クネリアの物を欲しがった。もらえなければ意地悪をされたと第一夫人に泣きついて、いつもクロネリアが𠮟しかられ、時にはせっかんされたこともある。

 クロネリアが反論しても、育て方が悪いのだと母が責められることになり、結局すべてガーベラに取り上げられる。

 そんな日々の連続だった。


「でも……まさかハンス様まで取り上げるなんて……」


 あれほどクロネリアを愛していると言ってくれたハンスが、まさかガーベラを好きになるとは思わなかった。

 ハンスにはバリトン伯爵にとつぐ前に手紙を書いてガーベラに渡してもらった。


『父に命令されバリトン伯爵を看取るために結婚することになりました。けれど私は今も

あなた一人を愛しています、ハンス様』


 しかしその手紙に返事が来ることはなかった。

 そしてガーベラとの婚約が信じられなくて、バリトン伯爵を看取った後にも、ハンスに手紙を送ったことがある。


 『バリトン伯爵には二年も嫁ぐことになってしまいましたが、父のようにおしたいしていただけです。私は今もハンス様を愛しています』


 けれどその後受け取ったハンスの返事はひどく冷たいものだった。


『僕を裏切っておいて、よくもそんなことが言えますね。あなたは噓つきの悪女だ。僕はもうだまされません。あなたよりガーベラの方がずっとらしい女性だと気付きました。もう僕の前に二度と現れないでください』


 クロネリアは絶望と共にくずれた。

 バツ1になったクロネリアをハンスは許してなどくれなかった。

 普通に考えれば当然だった。まだ若いクロネリアは、父やガーベラの言葉を真に受けて、まだハンスと結婚する未来があると信じていたけれど、そんなわけがなかった。

 十八になって、様々な現実をたりにしてきた今なら分かる。


「私はまだまだ子どもで……バツがつくことの意味を分かっていなかった」


 バツが一つついた段階で貴族の第一夫人になることなどありえないのだ。

 バツが二つつけば第三夫人も無理だろう。

 バツが三つつけば……。


「ふふ……。もう看取り夫人にしかなれないわね」


 クロネリアは看取り夫人にあたえられた豪華な部屋を見回しちょうした。

 けれどこうして看取り夫人としてでも望んでくれる相手がいるのなら、まだましなのかもしれない。そうして結納金を少しずつでもめて母と二人で暮らせたら。

 今のクロネリアにはそれが一番の夢だった。そのために……。


「心を閉ざしていらっしゃる公爵様にも、できることがあると信じて頑張ろう!」


 暗くしずみそうになる気持ちに、自分でかつを入れた。

 クロネリアは今回の看取りも前向きに誠意をもって務めるつもりだ。

 その時、カチャリとドアが開いた。


「?」


 ノックもなしに誰だろうと見ると、アークだった。

 小さな頭がひょっこりとのぞく。


(まあ、わいい……)


 えんりょがちに覗く仕草がほほましい。


「アーク様。何か御用ですか?」


 クロネリアが声をかけると、アークはおずおずと部屋の中に入ってきた。

 両手を背中に隠して何か持っているようだ。


「さっきはひどいことを言ってごめんなさい。兄上に謝っておきなさいと言われたから」


 しょんぼりと進み出るアークが愛らしい。

 さっきははんこう的な目でにらんでいたけれど、こうしてなおになると天使のような少年だ。


「そうだったの。もういいのよ。気にしていないわ」

「おびにこれをあげようと思って……」

「え?」


 アークは言うなり、背中に隠し持っていたコップの色水をばしゃりとクロネリアに浴びせた。


「きゃっ!」


 色水は見事にクロネリアに命中して、かみからドレスまでびしょぬれになった。

 しかもそれは赤い色水で、ドレスの白いえりがピンクに染まってしまった。


「へへーん! いい気味だ、死神女め!」

「アーク様……」


 こんなことは実家でもよくあった。

 ガーベラには子どものころからもっといん湿しつな意地悪をされてきた。

 ガーベラは罪をなすりつけるような、救いのない嫌がらせをする人だった。

 この程度のいたずらなど可愛いものだ。気にしない。

 思ったよりも落ち着いているクロネリアを見て、アークは少しひるんだ顔になった。


「こ、こんなのはまだ軽い方だからな。お前が出て行かないならもっとひどい意地悪をしてやるぞ! 庭にいる大いもむしつかまえてきてベッドの中に入れてやるからな。すごく大きいんだぞ!」


 おどし文句のつもりらしいが、クロネリアには大したことではない。


「大芋虫なら実家の田舎いなかにはたくさんいました。私は全然だいじょうです」

「!」


 わざと平気なふりをして言うと、アークは信じられないというような顔をしてたじろいだ。


「い、芋虫が平気なんて、やっぱりお前は死神女だな! 正体をつかんだぞ! 僕は絶対負けないからな! お前をなんとしても追い出してやる! 泣いても知らないぞ! 僕はなぐさめたりしないぞ。女の子を泣かせたって全然平気なんだからな!」


 可愛い台詞ぜりふを吐いて、アークは部屋を飛び出していった。

 こんなことには慣れている。おこる気にはならなかったけれど……。


(そんなにきらわれてしまっているのね……)


 慣れてはいても、気持ちは沈みそうになる。

 残されたクロネリアはびしょぬれで床も水浸しだった。


「メイドを呼んでいてもらうべきかしら? ううん。これぐらいなら自分で片づけられるわね。それよりも……」


 よごれたドレスの方が問題だった。


こんの布地の部分は目立たないけれど、白い襟の汚れはせないわね」


 他に持ってきた、さらに貧相なドレスにえるしかない。

 このドレスもきをしないと着ることはできそうにない。


「困ったわ……」


 こうして、まどいの中で一日目は終わった。



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