三、奪われた婚約者
「こちらが奥様のお部屋でございます」
大きな窓からは暖かい日差しが入り、テラスに出ると裏庭が
裏庭といっても
実家では考えられない広さで、先の二人の
「お荷物はこれだけですか?」
部屋の真ん中には、クロネリアが持ってきた古びたトランクが置かれていた。
「お
ゴード執事長はあまりに身軽な輿入れに
「正式な
「ですが……お
家を取り仕切る執事長は、おそらく結納金の額も知っているのだろう。
結納金とは、本来結婚の支度に使うために渡されるお金のことだったはずだ。
あれだけもらっていながらこの荷物はないだろう、という表情だった。
正式な結婚でなくとも取り仕切った執事長としては結納金を
「急な輿入れでしたので……すみません」
「まあ……そうですね。急なことでしたので……。では、何か
執事長は
クロネリアはほっとして
結納金はすべて母に預けてきた。
一人目のバリトン
父は渋々クロネリアに結納金を渡してくれたが、どうもイリスが言っていたような額ではない。
おそらくもらった結納金の一部だけをクロネリアに渡したのだろう。
お金に
それでもすべてを
母にそのお金で少しだけでも豊かな暮らしをさせてあげられるなら。
「
クロネリアはトランクの中から古びたドレスを二着出して、衣装部屋に入った。
大きな鏡のある広い衣装部屋にクロネリアのドレスを掛けると、やけに
この
「結納金で一着だけでもドレスを新調すれば良かったわ」
今着ているドレスが一番ましだけれど、それにしても
いや、本来なら父がそれぐらい準備しておくべきだったのに。
ブラント侯爵を看取って実家に
家の中には
いつだってそうだ。
昔から母とクロネリアだけがローセンブラート家で
母は昔、社交界でも
その母を
ドレスを破かれたり、食事に虫を入れられたりするのは序の口で、時には第一夫人の
全員敵のような屋敷の中ですっかり心を
そんな母の唯一の希望が、結婚してすぐに生まれたクロネリアだった。
クロネリアは、第一夫人たちの
母の
小さな幸福とささやかな希望を見つけては、母を勇気づけ幸せな想像を
そんなクロネリアだったから余命
そんなローセンブラート家で一番関わりがあったのが第一夫人の
ガーベラは、幼少時から一つ年上のクロネリアが持っている物を何でも
だった。ドレスも宝石も、元々自分の方が高い物を買ってもらっているはずなのに、クネリアの物を欲しがった。もらえなければ意地悪をされたと第一夫人に泣きついて、いつもクロネリアが
クロネリアが反論しても、育て方が悪いのだと母が責められることになり、結局すべてガーベラに取り上げられる。
そんな日々の連続だった。
「でも……まさかハンス様まで取り上げるなんて……」
あれほどクロネリアを愛していると言ってくれたハンスが、まさかガーベラを好きになるとは思わなかった。
ハンスにはバリトン伯爵に
『父に命令されバリトン伯爵を看取るために結婚することになりました。けれど私は今も
あなた一人を愛しています、ハンス様』
しかしその手紙に返事が来ることはなかった。
そしてガーベラとの婚約が信じられなくて、バリトン伯爵を看取った後にも、ハンスに手紙を送ったことがある。
『バリトン伯爵には二年も嫁ぐことになってしまいましたが、父のようにお
けれどその後受け取ったハンスの返事はひどく冷たいものだった。
『僕を裏切っておいて、よくもそんなことが言えますね。あなたは噓つきの悪女だ。僕はもう
クロネリアは絶望と共に
バツ1になったクロネリアをハンスは許してなどくれなかった。
普通に考えれば当然だった。まだ若いクロネリアは、父やガーベラの言葉を真に受けて、まだハンスと結婚する未来があると信じていたけれど、そんなわけがなかった。
十八になって、様々な現実を
「私はまだまだ子どもで……バツがつくことの意味を分かっていなかった」
バツが一つついた段階で貴族の第一夫人になることなどありえないのだ。
バツが二つつけば第三夫人も無理だろう。
バツが三つつけば……。
「ふふ……。もう看取り夫人にしかなれないわね」
クロネリアは看取り夫人に
けれどこうして看取り夫人としてでも望んでくれる相手がいるのなら、まだましなのかもしれない。そうして結納金を少しずつでも
今のクロネリアにはそれが一番の夢だった。そのために……。
「心を閉ざしていらっしゃる公爵様にも、できることがあると信じて頑張ろう!」
暗く
クロネリアは今回の看取りも前向きに誠意をもって務めるつもりだ。
その時、カチャリとドアが開いた。
「?」
ノックもなしに誰だろうと見ると、アークだった。
小さな頭がひょっこりと
(まあ、
「アーク様。何か御用ですか?」
クロネリアが声をかけると、アークはおずおずと部屋の中に入ってきた。
両手を背中に隠して何か持っているようだ。
「さっきはひどいことを言ってごめんなさい。兄上に謝っておきなさいと言われたから」
しょんぼりと進み出るアークが愛らしい。
さっきは
「そうだったの。もういいのよ。気にしていないわ」
「お
「え?」
アークは言うなり、背中に隠し持っていたコップの色水をばしゃりとクロネリアに浴びせた。
「きゃっ!」
色水は見事にクロネリアに命中して、
しかもそれは赤い色水で、ドレスの白い
「へへーん! いい気味だ、死神女め!」
「アーク様……」
こんなことは実家でもよくあった。
ガーベラには子どもの
ガーベラは罪をなすりつけるような、救いのない嫌がらせをする人だった。
この程度のいたずらなど可愛いものだ。気にしない。
思ったよりも落ち着いているクロネリアを見て、アークは少し
「こ、こんなのはまだ軽い方だからな。お前が出て行かないならもっとひどい意地悪をしてやるぞ! 庭にいる大
「大芋虫なら実家の
「!」
わざと平気なふりをして言うと、アークは信じられないというような顔をしてたじろいだ。
「い、芋虫が平気なんて、やっぱりお前は死神女だな! 正体を
可愛い
こんなことには慣れている。
(そんなに
慣れてはいても、気持ちは沈みそうになる。
残されたクロネリアはびしょぬれで床も水浸しだった。
「メイドを呼んで
「
他に持ってきた、
このドレスも
「困ったわ……」
こうして、
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