二、看取り夫人①


 クロネリアが許嫁いいなずけだったはくしゃく子息のハンスと出会ったのは十二歳の時だった。

 きんりんで最もゆうふくだと言われているブルーネ伯爵一家をお茶会に招くことができた、と父は大喜びしていた。第一夫人がむすめのガーベラを伯爵家ちゃくなんのハンスにめてもらおうと、父を言いくるめて画策していたのだ。

 借金をしてガーベラのために高価なドレスをオーダーし、家中のほうしょく品を身に着けさせて、れい作法まで特訓してのぞんだお茶会だった。

 クロネリアはガーベラより一つ年上だったが、第三夫人の娘であったため立場は弱い。

 ブルーネ伯爵の要望で、第三夫人である母とクロネリアもお茶会に出席するように言われたのだが、着古したドレスでいざ行ってみると、第一夫人に「あら、本当に来るなんてずうずうしいこと。ローセンブラート家のはじになるからすみの目立たないところに座ってちょうだい」と言われ、二人とも隅っこに追いやられた。

 そうしてガーベラとハンスに二人きりで中庭を散歩させるおぜんてまでしたものの、ハンスが選んだのは一言も話していなかったクロネリアだった。


『一目見た時から、あなたに心うばわれてしまいました』


 そんな手紙をもらったクロネリアは、まどいながらもうれしかった。

 びんぼう貴族で社交界にはなばなしくデビューするゆうもなく、貴族との交流もほとんどなかったクロネリアにとっては、きんぱつで青い目をしたハンスは夢の世界に連れて行ってくれる王子様のように思えたのだ。

 父は第一夫人の娘ガーベラと、第二夫人の長男のていさいを保つだけで手一杯で、クロネリアのことまで考える余力はなかった。

 第三夫人の母は立場も弱いが気も弱く、とついできた時から先の二人の夫人にずいぶんいじめられてきたそうだ。すっかり自信を失い、父に意見することもできなくなっていた。


だん様はクロネリアを社交界に出すつもりもないのよ。私の娘に生まれたせいでごめんなさいね。あなたはこんなに美しいのに……。私の立場が弱いばかりに……」


 母はいつもさめざめと泣きながらクロネリアに謝っていた。


「謝らないで、お母様。私はお母様の娘に生まれて幸せよ」


 必死になぐさめるクロネリアだったが、なんとなく自分は貴族れいじょうとしての幸せなけっこんはできないのだろうと感じていた。まさにそんな時にハンスが見初めてくれたのだ。


『本当に私などで良いのでしょうか?』


 不安になりながら返した手紙に、ハンスはすぐに返事をくれた。


『僕には君しか考えられない。両親にももう話しました。ローセンブラートだんしゃくにもいまごろ話がいっているはずです。あなたを愛しています、クロネリア』


 まだ十二歳のクロネリアには夢のような出来事だった。

 第一夫人はかんかんになっておこり「こっそりハンス様に色目を使っていたのね! なんていやしい子なの!」とクロネリアをむちち、ガーベラは「どんな手を使ってハンス様をゆうわくしたの! このどろぼうねこ!」となじって中庭の池にとした。

 しかし父としては、ともかく裕福なブルーネ伯爵とえんを持てるなら相手の要望に応じる方が得策だったようだ。

 めずらしくクロネリアのかたをもってくれて、ガーベラ母娘おやこたしなめてくれた。

 こうしてクロネリアとハンスは許嫁となり、文をわすだけの交際が始まった。


『中庭にアネモネの白い花がみだれています。ハンス様にも見せてあげたいわ』

『僕の家には真っ赤なアネモネが咲いています。けっこんしたら庭にたくさんのアネモネを植えよう。楽しみだね、いとしいクロネリア』

 二歳年上のハンスは社交界にも出て様々な付き合いも増えているようだったが、クロネリアへの気持ちは変わらず、はなやかではないけれどおだやかな交際を深めていた。

 いつか純白のウエディングドレスを着て、白い馬車に二人で乗って沿道からの祝福を受け、教会で結婚式を挙げるのだと、幸せな夢にいしれていた。

 しかしそのささやかな夢は、十三歳のある日、とつじょとしてくだることになった。

 いそがしい父に代わって母と共にたきりのバリトン伯爵のおいに行き、六十ほどもとしの差のある伯爵に見初められたのだ。

 余命三か月と言われていたバリトン伯爵は、遺産の心配しかしていない夫人たちに失望していた。そんな時にやさしい言葉をかけて心配してくれるクロネリアに心奪われたのだ。

 半分やけになっていたのだろうが、全財産はたいてもいいから若くはつらつとしたクロネリアと最後の結婚をして、幸福のままられたいと望んだらしい。

 そんなじんが通ると思ったのは、父がバリトン伯爵に借金をしていて、しきを担保にとられていたからだった。父には断るせんたくなどなかった。

 だがさすがにクロネリアに申し訳ないと思ったのか、バリトン伯爵は借金の帳消しと共に多額のゆいのう金までくれた。

 そうして父は大喜びでえんだんを決めてしまったのだった。


「お前はバリトン伯爵に嫁ぐのだ。寝たきりの老人の話し相手になるだけでいいのだ。そ

れだけで結納金と、うまくいけば遺産まで手に入るぞ。お前はついている、クロネリア」

「そんな……。私はハンス様との結婚が決まっているのです!」


 クロネリアには結納金も遺産もどうでもいい。

 ハンスと幸せな家庭を築くことが夢なのだ。


「ブルーネ家に嫁ぐにしても、持参金をたっぷり持っていった方が後々の立場もいいだろう。バリトン伯爵の結納金を持っていけばいい。ほんの三か月ほどのしんぼうだ」

「い、いやです! 私はハンス様以外と結婚する気などありません!」


 気の弱い母とちがい、クロネリアはきっぱりと意見した。しかし。


「うるさい! 私に口答えをするな! 娘の結婚は親が決めるものだ。もう決めたのだ!」


 父はりつけると、もう話す気はないと部屋を出ていってしまった。

 クロネリアはそれから毎日泣き暮らした。


「お父様はひどいわ。私はハンス様と結婚するつもりだったのよ。それなのに……」


 気の弱い母はクロネリアを慰めながら謝った。


「ごめんね。ごめんね、クロネリア。私が第三夫人という弱い立場のせいで。あなたにこんな苦労を背負わせてしまって」


 母はクロネリア以上に泣きじゃくっていた。


「お母様のせいではないわ。泣かないで、お母様」


 結局、母の立場を考えると受け入れるしかなかった。

 そんなクロネリアの結婚前夜の部屋を、妹のガーベラが訪ねてきた。


「おめでとう、クロネリア」


 ガーベラはお祝いにお気に入りのサファイアのブローチをわたしてくれた。


「これはあなたが一番大事にしていたブローチじゃないの?」

「ええ。だから大好きなクロネリアに渡したかったのよ」


 ハンスに見初められてから、ずっと無視されていたのがうそのような言葉だった。


「ハンス様のことでは私もくやしくて、いろいろ意地悪をしてしまったこともあるけれど、やっぱりあなたは私のお姉様ですもの。今までごめんなさいね」


 ガーベラはハンスとのことがある以前から意地悪で、クロネリアは様々な嫌がらせを受けたものだが、まさか自分から謝ってくるなんて思いもしなかった。

 思ったほど悪い人ではなかったのかも、と少しだけ思い直した。

 考えてみれば、本当は自分がハンスと結婚するつもりでお膳立てまでしてもらったのにクロネリアにとられたのだから、意地悪ぐらいしたくなるだろう。

 嫌な人だと思っていた自分も悪かったような気がした。


「ううん。仲直りできて嬉しいわ、ガーベラ。ありがとう」


 茶色の髪をいつも高くい上げているガーベラは、第一夫人によく似た金属の冷たさを

感じさせるグレーの目を細めてほほんだ。


「心配しなくともだいじょうよ、クロネリア。バリトン伯爵は三か月ももたないといううわさよ。がっぽり結納金をもらって看取ったら、さっさともどってくればいいのよ。それからじゅうぶんな持参金を持ってハンス様に嫁げば喜んでもらえるわ」


 ガーベラはなんでもないことのように言った。


「でも……夫をくした女性はバツ1と呼ばれるのでしょう?」


 だれが言い始めたのか、昨今の社交界では未亡人をバツつきなどと呼んでいる。

 男性は妻を亡くしてもバツつきとは言われず、複数の夫人を持つことも多いというのに、女性が夫を亡くすとバツがつくのだ。理不尽な話だった。


「大丈夫よ。クロネリアの場合は元々余命宣告を受けている人に嫁ぐのだもの。それにバツ1ならさいこんも出来るわ。バツ2になると再婚は難しくなるけれど」


 バツ2になると、きつな女性だと言われ再々婚は絶望的になるらしい。

 夫の死は、なぜか妻のせいのように言われる風潮があるのだ。

 昔、夫を次々と毒殺して遺産を手に入れたようえんな未亡人がいたそうで、どうもそこからバツの多い女性は不吉だと敬遠されるようになったらしいが。

 実際には、夫のせいで理不尽な死に方をした妻の方がずっと多いだろうに。


「心配しないで。ハンス様はきっとあなたの事情を分かって待っていてくれるわ。私がちゃんと説明しておいてあげるから」


 クロネリアはガーベラのその言葉を信じた。

 だからガーベラにたのんでしまったのだ。


「ガーベラ、どうかこの手紙をハンス様に渡して欲しいの」


ハンスに今回の結婚について弁解する手紙を出そうとしたが、父に見つかり取り上げられてしまった。でもガーベラからなら渡せそうに思えたのだ。

 ガーベラはにっこりと微笑み、クロネリアの手紙を大事そうに受け取った。


「任せて、クロネリア。必ずハンス様に渡して、あなたのじょうきょうを説明してあげるわ。あなたは安心してバリトン伯爵に嫁いで、看取っていらっしゃい。ね、クロネリア」

 

 ガーベラはそんな風に言ってクロネリアを見送った。

 クロネリアはその言葉を信じて、心をめてバリトン伯爵の世話をした。

 そんなクロネリアと過ごす日々から元気を得たのか、バリトン伯爵は周囲の予想に反して、その後二年も長生きした。

 予想外に長く嫁ぐことになったが、クロネリア自身もバリトン伯爵の優しさにいやされ、さいの看取りでは「私を置いてかないでください」と泣きじゃくっていた。

 理不尽な結婚ではあったけれど、クロネリアがもらえなかった父のような愛情をバリトン伯爵はあたえてくれたのだ。だから父を失ったように悲しかった。

 クロネリアの悲しみの分だけ、バリトン伯爵は幸福な最期をむかえたのだろう。

 そうして戻ってきたクロネリアを待っていたのは、結婚前のクロネリアにおくったものよりも大きなサファイアのブローチをつけたガーベラだった。

 第一夫人のドレスも新調され、以前よりぜいたくな暮らしぶりを感じさせる。

 そしてりの良さそうなジャケットを身につけた父は、クロネリアをむかえて信じられないことを言った。


「いやあ、実はバリトン伯爵にもらった結納金で新しい事業を始めたのだ。なに、心配することはない。事業がどうに乗ったらお前には何倍にもして返すから。それまで少し貸しておいてくれ、クロネリア」


 クロネリアは信じられなかった。


「な! その結納金は私がハンス様のもとに嫁ぐための持参金にするはずでは……」

「ああ、そのことだが……」


 父は少しだけ気まずそうに切り出した。


「バリトン伯爵はずいぶん長生きをしたものだ。さすがに二年も生きるとは思っていなかった。ハンスも二年は待てなかったようだな」

「どういうことですか?」

「実は傷ついたハンスを慰めるためにガーベラがずいぶんと心を砕いてくれてな。そのけんしん的な姿に、ハンスも心が動いてしまったようなのだ。それで……」

「まさか……」


 クロネリアは、父のとなりに立つガーベラに視線を向けた。

 すぐにガーベラは「わっ」と泣き出した。


「ごめんなさい、お姉様。私はお姉様のためと思ってハンス様を慰めていたのよ。それなのに、ハンス様は私のことが好きになってしまったなんて言い出して」

「そんな……」

「私はお姉様に悪いからとお断りしたのよ。それなのに、ハンス様がどうしても私と結婚したいとおっしゃるものだから。ああ、ごめんなさい、お姉様」

「噓よ……。ハンス様がそんなことを言うわけがないわ」


 クロネリアが蒼白になって反論すると、ガーベラは涙をぬぐいほこったように告げた。

 

「お姉様が信じたくない気持ちは分かるわ。でも、ほら。もうこんやくしたのよ」

 ガーベラはクロネリアの目の前に左手の薬指にはめた大きな婚約指輪を突き出した。

 ショックを受けるクロネリアに、父はさらにむごいことを言う。


「ハンスのことはあきらめてくれ、クロネリア。それよりも、お前にはもっとらしい縁談の話が来ているのだ。なんと今度はこうしゃく家だ。あの金持ちで有名なブラント侯爵がお前を妻にと申し出てくださったのだ」


 さっきまで泣いていたはずのガーベラも、父に同調する。


「そうよ、お姉様。侯爵様に嫁げるだなんてうらやましいわ。お姉様は本当に運のいい方だわ。私も安心してハンス様と結婚できるわ」


 その能天気な言葉に、クロネリアはぜんとしてたずねた。


「ブラント侯爵……。その方は確か七十を過ぎたご老人ではないですか?」


 ブラント侯爵はお金にがめついことで有名なきらわれ者の貴族だった。


「そうだ。バリトン伯爵が二年も長生きをして幸せな最期を迎えたという噂を聞いて、病にたおれた侯爵様がお前をお望みになったのだ。素晴らしい幸運だ。お前はついている」

「……」


 嬉しそうに話す父に、クロネリアは言葉を失った。

 ハンスと結婚するガーベラと、二度目の看取り夫人となるクロネリア。

 同じ父の娘に生まれながら、このきょうぐうの差をのろいたかった。

 傷心のまま部屋に戻ったクロネリアに対して、母は今回も泣きじゃくるばかりだ。


「ごめんね。私が弱いせいで旦那様の言いなりにしかなれなくて。本当はあなたがハンス様と結婚するはずだったのに。ううう。ごめんなさい、クロネリア」

「お母様の……せいではないわ……」


 結局クロネリアがきょぜつしたところで、他の道などないのだ。

 ハンスはもうガーベラとの結婚を決めてしまっているし、父に逆らえば、母と二人、屋敷を追い出されて路頭に迷うしかない。

 クロネリアはブラント侯爵の許に嫁ぐ他なかった。

 そして、もうこの人生はんだのだとぼうになっているはずなのに、余命いくばくもないブラント侯爵を目の前にすると、結局誠心誠意くしてしまうクロネリアだった。

 気難しかったブラント侯爵は、献身的なクロネリアに支えられ、三年も長生きをして周囲がおどろくほど穏やかなひとがらになって幸福な最期を迎えた。

 そうしてクロネリアの看取りは社交界でも噂になり、ついたあだ名が『看取り夫人』だったのだ。


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