二、看取り夫人①
クロネリアが
借金をしてガーベラのために高価なドレスをオーダーし、家中の
クロネリアはガーベラより一つ年上だったが、第三夫人の娘であったため立場は弱い。
ブルーネ伯爵の要望で、第三夫人である母とクロネリアもお茶会に出席するように言われたのだが、着古したドレスでいざ行ってみると、第一夫人に「あら、本当に来るなんて
そうしてガーベラとハンスに二人きりで中庭を散歩させるお
『一目見た時から、あなたに心
そんな手紙をもらったクロネリアは、
父は第一夫人の娘ガーベラと、第二夫人の長男の
第三夫人の母は立場も弱いが気も弱く、
「
母はいつもさめざめと泣きながらクロネリアに謝っていた。
「謝らないで、お母様。私はお母様の娘に生まれて幸せよ」
必死に
『本当に私などで良いのでしょうか?』
不安になりながら返した手紙に、ハンスはすぐに返事をくれた。
『僕には君しか考えられない。両親にももう話しました。ローセンブラート
まだ十二歳のクロネリアには夢のような出来事だった。
第一夫人はかんかんになって
しかし父としては、ともかく裕福なブルーネ伯爵と
こうしてクロネリアとハンスは許嫁となり、文を
『中庭にアネモネの白い花が
『僕の家には真っ赤なアネモネが咲いています。
二歳年上のハンスは社交界にも出て様々な付き合いも増えているようだったが、クロネリアへの気持ちは変わらず、
いつか純白のウエディングドレスを着て、白い馬車に二人で乗って沿道からの祝福を受け、教会で結婚式を挙げるのだと、幸せな夢に
しかしそのささやかな夢は、十三歳のある日、
余命三か月と言われていたバリトン伯爵は、遺産の心配しかしていない夫人たちに失望していた。そんな時に
半分やけになっていたのだろうが、全財産はたいてもいいから若く
そんな
だがさすがにクロネリアに申し訳ないと思ったのか、バリトン伯爵は借金の帳消しと共に多額の
そうして父は大喜びで
「お前はバリトン伯爵に嫁ぐのだ。寝たきりの老人の話し相手になるだけでいいのだ。そ
れだけで結納金と、うまくいけば遺産まで手に入るぞ。お前はついている、クロネリア」
「そんな……。私はハンス様との結婚が決まっているのです!」
クロネリアには結納金も遺産もどうでもいい。
ハンスと幸せな家庭を築くことが夢なのだ。
「ブルーネ家に嫁ぐにしても、持参金をたっぷり持っていった方が後々の立場もいいだろう。バリトン伯爵の結納金を持っていけばいい。ほんの三か月ほどの
「い、
気の弱い母と
「うるさい! 私に口答えをするな! 娘の結婚は親が決めるものだ。もう決めたのだ!」
父は
クロネリアはそれから毎日泣き暮らした。
「お父様はひどいわ。私はハンス様と結婚するつもりだったのよ。それなのに……」
気の弱い母はクロネリアを慰めながら謝った。
「ごめんね。ごめんね、クロネリア。私が第三夫人という弱い立場のせいで。あなたにこんな苦労を背負わせてしまって」
母はクロネリア以上に泣きじゃくっていた。
「お母様のせいではないわ。泣かないで、お母様」
結局、母の立場を考えると受け入れるしかなかった。
そんなクロネリアの結婚前夜の部屋を、妹のガーベラが訪ねてきた。
「おめでとう、クロネリア」
ガーベラはお祝いにお気に入りのサファイアのブローチを
「これはあなたが一番大事にしていたブローチじゃないの?」
「ええ。だから大好きなクロネリアに渡したかったのよ」
ハンスに見初められてから、ずっと無視されていたのが
「ハンス様のことでは私も
ガーベラはハンスとのことがある以前から意地悪で、クロネリアは様々な嫌がらせを受けたものだが、まさか自分から謝ってくるなんて思いもしなかった。
思ったほど悪い人ではなかったのかも、と少しだけ思い直した。
考えてみれば、本当は自分がハンスと結婚するつもりでお膳立てまでしてもらったのにクロネリアにとられたのだから、意地悪ぐらいしたくなるだろう。
嫌な人だと思っていた自分も悪かったような気がした。
「ううん。仲直りできて嬉しいわ、ガーベラ。ありがとう」
茶色の髪をいつも高く
感じさせるグレーの目を細めて
「心配しなくとも
ガーベラはなんでもないことのように言った。
「でも……夫を
男性は妻を亡くしてもバツつきとは言われず、複数の夫人を持つことも多いというのに、女性が夫を亡くすとバツがつくのだ。理不尽な話だった。
「大丈夫よ。クロネリアの場合は元々余命宣告を受けている人に嫁ぐのだもの。それにバツ1なら
バツ2になると、
夫の死は、なぜか妻のせいのように言われる風潮があるのだ。
昔、夫を次々と毒殺して遺産を手に入れた
実際には、夫のせいで理不尽な死に方をした妻の方がずっと多いだろうに。
「心配しないで。ハンス様はきっとあなたの事情を分かって待っていてくれるわ。私がちゃんと説明しておいてあげるから」
クロネリアはガーベラのその言葉を信じた。
だからガーベラに
「ガーベラ、どうかこの手紙をハンス様に渡して欲しいの」
ハンスに今回の結婚について弁解する手紙を出そうとしたが、父に見つかり取り上げられてしまった。でもガーベラからなら渡せそうに思えたのだ。
ガーベラはにっこりと微笑み、クロネリアの手紙を大事そうに受け取った。
「任せて、クロネリア。必ずハンス様に渡して、あなたの
ガーベラはそんな風に言ってクロネリアを見送った。
クロネリアはその言葉を信じて、心を
そんなクロネリアと過ごす日々から元気を得たのか、バリトン伯爵は周囲の予想に反して、その後二年も長生きした。
予想外に長く嫁ぐことになったが、クロネリア自身もバリトン伯爵の優しさに
理不尽な結婚ではあったけれど、クロネリアがもらえなかった父のような愛情をバリトン伯爵は
クロネリアの悲しみの分だけ、バリトン伯爵は幸福な最期を
そうして戻ってきたクロネリアを待っていたのは、結婚前のクロネリアに
第一夫人のドレスも新調され、以前より
そして
「いやあ、実はバリトン伯爵にもらった結納金で新しい事業を始めたのだ。なに、心配することはない。事業が
クロネリアは信じられなかった。
「な! その結納金は私がハンス様の
「ああ、そのことだが……」
父は少しだけ気まずそうに切り出した。
「バリトン伯爵はずいぶん長生きをしたものだ。さすがに二年も生きるとは思っていなかった。ハンスも二年は待てなかったようだな」
「どういうことですか?」
「実は傷ついたハンスを慰めるためにガーベラがずいぶんと心を砕いてくれてな。その
「まさか……」
クロネリアは、父の
すぐにガーベラは「わっ」と泣き出した。
「ごめんなさい、お姉様。私はお姉様のためと思ってハンス様を慰めていたのよ。それなのに、ハンス様は私のことが好きになってしまったなんて言い出して」
「そんな……」
「私はお姉様に悪いからとお断りしたのよ。それなのに、ハンス様がどうしても私と結婚したいとおっしゃるものだから。ああ、ごめんなさい、お姉様」
「噓よ……。ハンス様がそんなことを言うわけがないわ」
クロネリアが蒼白になって反論すると、ガーベラは涙をぬぐい
「お姉様が信じたくない気持ちは分かるわ。でも、ほら。もう
ガーベラはクロネリアの目の前に左手の薬指にはめた大きな婚約指輪を突き出した。
ショックを受けるクロネリアに、父は
「ハンスのことは
さっきまで泣いていたはずのガーベラも、父に同調する。
「そうよ、お姉様。侯爵様に嫁げるだなんて
その能天気な言葉に、クロネリアは
「ブラント侯爵……。その方は確か七十を過ぎたご老人ではないですか?」
ブラント侯爵はお金にがめついことで有名な
「そうだ。バリトン伯爵が二年も長生きをして幸せな最期を迎えたという噂を聞いて、病に
「……」
嬉しそうに話す父に、クロネリアは言葉を失った。
ハンスと結婚するガーベラと、二度目の看取り夫人となるクロネリア。
同じ父の娘に生まれながら、この
傷心のまま部屋に戻ったクロネリアに対して、母は今回も泣きじゃくるばかりだ。
「ごめんね。私が弱いせいで旦那様の言いなりにしかなれなくて。本当はあなたがハンス様と結婚するはずだったのに。ううう。ごめんなさい、クロネリア」
「お母様の……せいではないわ……」
結局クロネリアが
ハンスはもうガーベラとの結婚を決めてしまっているし、父に逆らえば、母と二人、屋敷を追い出されて路頭に迷うしかない。
クロネリアはブラント侯爵の許に嫁ぐ他なかった。
そして、もうこの人生は
気難しかったブラント侯爵は、献身的なクロネリアに支えられ、三年も長生きをして周囲が
そうしてクロネリアの看取りは社交界でも噂になり、ついたあだ名が『看取り夫人』だったのだ。
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