ブレザーと和三盆 夏

 短い春と長い夏の間の、雨の時期が明けようとしていた。曇り空から差し込む日の光が、夏のじりじりとした暑さを呼び込んでいた。

 彼女はまだ冬服を着ていたが、明日にも夏服に変わりそうだった。

 教室の壁際に、生き物も水も入っていない水槽が置かれている。枯山水と呼んだ方が近いであろうその水槽の「世話係」を、彼女は名乗り出ていた。

 彼女がいつものようにその水槽の「世話」を始めると、見慣れないオブジェが入っているのに気が付いた。入っている砂と同じ白色の、小さな「橋」。

「ああ、それ和三盆で作ったやつ。そろそろ期限切れるし、捨てる前にちょっと味見してみる?」

 隣で水槽の世話の指導をしていた生物学の助手が、そんなことを言った。

 彼女がおずおずと橋を拾い上げると、ざらついた感触が指にまとわりついた。ほのかに甘い香りがした。落雁のような橋を短い爪で削って一舐めした。淡すぎる甘さだ。食感と色も相まって、砂の味がした。

「でも捨てるのもったいないよねー。何かいいアイデアある? まあ、どうなるかは決まってるんだけど、クイズ感覚で考えてみて」

 甘味を摂取して脳が活性化したからか、思考が研ぎ澄まされる感じがした。

(この隙にアイデアを出そう)

 水分を失ってひびの入った白い砂の塊に、既視感があった。その既視感の正体を彼女は思い出した。

 窓の下には校庭が広がっている。黄色味がかった白色の砂の庭に、ひびが入っている。この時期特有の雨が降り続く気候により、水はけのいい校庭が雨水を含んでは失い、流れ落ちた水で出来た間隙が、ひびの形を呈しているのだ。

 一方で、校舎の際には水はけの悪い土壌があり、一か月くらい無くなっていない水たまりがある。そこはアメンボとか、ボウフラとか、そんな生き物たちの棲家になっていることを彼女は知っていた。そこに「橋」を投げ入れて生き物たちの餌にしてやる、というのがアイデアの一つ。

 あるいは……。さらに長い思考に入りかけた彼女は、助手がバルコニーの戸を開ける音で我に返った。やけに重い音だと思った。

 足の速い助手に続いて、彼女は教室からバルコニーに出た。

 この教室は校舎の接続部分に位置しており、隣の校舎の屋上をバルコニーとして利用している。コンクリート張りのバルコニーは教室一個分ほどの広さがあり、柵に沿って水槽が並んでいる。水槽には、水が入ったものや生物が入ったものがある。枯山水の水槽はここにはない。

 生物学の先生が、白衣を温い風になびかせ、向こうを向いて立っていた。彼女よりも早くバルコニーを突っ切った助手は先生のそばに立ち、何かを話していた。

 彼女は先生に手招きで呼ばれた。和三盆をこちらに、とか何とか言っているようだったが、低い音で鳴る風のせいでよく聞こえない。

 バルコニーを進むと、強い風にあおられ、彼女の長いスカートが巻きあがった。先生も助手も女性だが、そんなことを理由に落ち着いてもいられない。しかし、風を頬張って膨らんだスカートが、いつまでたってもしぼまない。悪戦苦闘しながら抑え込む。

 風に舞ったスカートが、目の前をずっと覆っているような気がして。

 彼女にとって永遠にも思える時間の後、風がようやく止んだ。「橋」の一つは無事だったが、二つの「橋」が、スカートに気を取られていた内にどこかへ行ってしまった。

「すみません。和三盆がどこかへ」

「大丈夫だよ。ある分だけでもこの子たちにあげよう」

 先生は残った「橋」を三つに割り、ポケットからやすりを取り出した。三人で分担して、水槽に和三盆を削り入れていった。

「おや。君も……」

 和三盆を削り始めてすぐに、先生がバルコニーの入り口に目をやった。そこにいたのは、季節外れの詰襟に身を包んだ、目つきの悪い男子生徒。

 何かが始まる予感がした。

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