第26話 セシルのためのイヤリング




「ほら、セシル様。鏡を見て下さい」

「レ、レイン‥‥」

「大丈夫ですよ」


 セシルは、恐る恐る鏡を覗き込んだ。そこには、ラベンダー色のドレスを身につけた自分がいた。胸元に散っているパールと造花が非常に可愛らしい。可愛らしい、のだがー‥‥‥


「露出高くないですか?」

「お綺麗ですよ」


 肩は出ているし、鎖骨や胸元も布で覆われていない。こういった服装に慣れていないセシルは、非常に心許ないと感じた。

 セシルの問いに、レインはグッと親指を立てた。これでいいということらしい。


 本日は、いよいよ王宮主催のパーティ当日だった。そのためのドレスを新調しようということで、リリエットさんに頼んだドレスを身にまとっていた。


「さて、仕上げです。髪はどうしましょうか‥‥」

「そのままで大丈夫だよ」

「じゃあ、少しだけ巻きましょう」


 セシルの意見は聞き入れられない。しかし、彼女のセンスは本物なのでここは任せるしかない。

 髪を整えて、リップを塗って、頬を染めて‥‥‥


「最後に、イヤリングをつけます」


 レインに渡されたアメジスト色のイヤリングを耳につける。先端に宝石のようなものがぶら下がっているそれをつけると、シャランと音が鳴った。


「このイヤリング、可愛いね」

「‥‥‥‥‥」


 なんとなく思ったことを口にすると、レインはニヤニヤと笑い始めた。


「それは、アルベール様が選んだものですよ」

「え?!」

「他はリリエットさんに任せたのに、それだけはわざわざ宝石店で選んで買ったみたいです」

「ええ?!」


 セシルはパッと耳についているそれを触った。セシルの瞳の色と同じイヤリングは、セシルによく似合っていた。


「意識してますね」

「え?」


 セシルが振り返ると、嬉しそうな顔をしたレインがいた。


「意識してるのかな?」


 だって、それは恋愛感情を持った相手にしか当てはまらないし‥‥‥とセシルは口ごもらせる。


「初めて屋敷に来た時のセシル様は、アルベール様なんて信じない、みたいな感じでしたけど」


 レインの言葉にセシルは、ほんの数ヶ月前のピクニックに出掛けたことを思い出す。

 あの時は、まだまだアルベールのことを信用していなかったし、彼のことを何も知らなかった。リリエットのことだって浮気相手だと思ったのだ。

 けれど、あの日一緒に出掛けたことで、「もっと知りたい」と思うようになった。それは、リリエットからアルベールの境遇を聞いたことがきっかけだった。


「この数ヶ月の間に、色々なことが変わりましたね」

「そうだね」


 距離が近づいた。

 前よりも彼のことが分かるようになってきた。アルベールがずっと誠実に接してくれたから、セシルも彼を信じることが出来た。

 

 それは、きっと当たり前のことではないのだろう。


「あの方に、あなたのような優しくて強い女性がいてくださってよかった」


 ポツリと呟かれたレインの贔屓目ひいきめの言葉に、セシルは少し笑ってしまう。


「そんなことはないと思うけど」

「ありますよ。その証拠にデニスさんが懐いています」

「何それ?」

「デニスさんは、気さくな方ですが、身内意識が高いのです。なので、私たちの中に入り込もうとする人間はもれなく全員嫌うんですよ」

「そうなんだ‥‥‥」


 心当たりがありすぎる言葉に、セシルは苦笑いをする。思えば、初めての仕事の時からデニスは敵意が丸見えだった。それでも、侍女たちのように嫌がらせをしないのだから、彼の根は優しいのだろう。


「あなたの真っ直ぐな強さが、かつての私を救って、アルベール様を救って、沢山の人の助けになっているんです」

「‥‥‥‥」

「だから、いつでも頼って下さい。誰もがあなたの助けになりたいと思っています」

「うん‥‥」


 ずっと、暗闇のような場所に留まっていた。辛い日々に慣れて、妥協して、一生このままなのだと思っていた。


 けれど、アルベールと出会って、世界が変わった。


 こんなに幸せになれるのかと、今でも不思議な気分になる。

 苦しかった日々を全て許せる訳ではないけれど、今の幸せを得られるのなら無駄ではなかったのだと思えた。


 セシルにとって、アルベールは暗闇に差した一筋の光だ。その光を大事にして、掴んで離さなければ、王宮へ行っても大丈夫だと思った。


「‥‥‥ありがとう。レイン」

「泣かないで下さい。メイク崩れますよ」

「レインだって、泣いてるじゃない‥‥‥」


 私たちは少し泣いて、その後、慌ててメイクを直した。






⭐︎⭐︎⭐︎






 お礼を言って、心配するレインやエリックに「行ってきます」と伝える。そして、アルベールとセシルは王宮へ向かう馬車に乗り込んだ。

 ちなみに、デニスはこっそりと忍び込んで色々と情報収集をするそうだ。


「向こうに着いたら、挨拶回りがあるからついて来てもらっていいか?」

「むしろ、ついて行きたいです。王宮は久しぶりで少し不安なので」

「そうか」


 そのまま二人は無言になってしまう。いつもなら、何かしらを淡々と話し、話題がなければそれぞれ自由に過ごしているのだが。


 セシルはチラリとアルベールを盗み見た。彼は濃紺の正装を身につけていた。いつもと違うその姿にセシルは緊張を感じる。

 アルベールもまた、セシルに話しかけず、窓の外を見ていたので目が合うこともない。


『意識してますね』


 レインの声がセシルの脳内に響く。


(いや、違う! これは、意識とかじゃなくて‥‥!)


 彼女は誰に言うでもなく、必死に弁明する。彼女の言う意識する、というのは恋愛的な意味だろう。そして、セシルはアルベールに恋愛感情など抱いていない。


(大体、これは契約結婚じゃない)


 そう考えて、セシルは目線を下にさげた。


(そうなんだよね)


 はじめはその方が有難いと、気が楽だと感じていた。けれど、いつの間にかそのことを考えると胸の奥がモヤモヤするようになっていた。


「顔を上げろ」

「え?」


 セシルが前を見ると、アルベールと目があった。彼は軽くセシルの前髪を払う。いつもなら頭を撫でるだろうが、きっとヘアスタイルが崩れることを配慮してくれたのだろう。


「大丈夫だ。俺がついている」


 どうやら、王宮へ行くことに緊張していると思われたみたいだ。励ましの言葉に、思わず口元が緩む。


「ありがとうございます」

「いや」


 セシルは、そっと耳元に触れた。同時にシャランと音が鳴る。


「このイヤリングも、選んでくださったと聞きました」

「ああ。‥‥‥‥‥レインめ、バラしたのか」

「はい?」

「なんでもない」


 最後の方は聞こえなかったが、彼はセシルから目を離して苦い顔をしていた。それにしても、今日はなかなか目が合わない。


「肌身離さず、持っておけ」

「はい」


 セシルが笑顔を向けると、アルベールは少し目を見開いて、ふいと顔を逸らした。


「‥‥‥向こうでは、王族への挨拶もある」

「そうでしたね」

「君に強制労働を強いていたのは、国王・第一王子・第二王子の誰だ?」


 セシルは、王宮でのことを突然聞かれて、キョトンとした。そして、王宮で働いていた頃のことを思い出す。


「主に第一王子のルーウェン様でしたね。病気で療養中の国王や、王位継承権のない第二王子はそのことに関して発言権はなく‥‥」

「なるほどな」


 アルベールは頷くと、ニヤリと笑って見せた。


「ならば、第一王子に一矢報いようか」

「何を企んでいるのですか」

「心配するな。向こうにはデニス以外の協力者もいるんだ」

「協力者?」


 初耳だった。それは、セシルと面識のある人なのかと考えたが、セシルとアルベールの共通の知り合いなどほぼない。ので、アルベール個人の知り合いと考えていいだろう。


「あまり、無茶はなさらないで下さいよ?」

「名付けて、第一王子失脚作戦だ」

「本当に無茶はやめて下さいね!」


 馬車が止まる。アルベールは先に降りて、セシルに手を差し出した。セシルは迷わずその手を取る。


 セシルの眼前には王宮があった。沢山の人が長い階段を登り、会場へと向かっていく。煌びやかな情景とは裏腹に、そこには沢山の陰謀と探り合いが鳴りを潜めているのだろう。


「行くぞ」

「はい」


 不安はある。けれど、隣にはアルベールがいる。セシルは気合を入れて一歩踏み出した。


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