第6話 彼女は、空から降ってきた(アルベール視点)




 魔物討伐から戻り、アルベールは執務室に入ろうとすると、中から声が聞こえてきた。


「アルベール様がセシル様に花を渡してたんすよ!」

「それで、どうしたんですか?」

「それが紫の薔薇でして、花言葉の意味も含めて受け取れって」

「そして?」


 一方が熱心に話しかけ、一方が興味津々に相槌を打っている。


「その花言葉に『尊敬する』って意味があるんすよ!奥手かよって!!」

「本当に、奥手ですね」


 二人は興奮していて話を止める様子もない。


「もうキスくらいしてるべきなのに」

「初々しいですね。でも、手を出してたら、抹殺していたところだったので。よかったです」

「え?物理的に?」

「ふふ」


 二人が不穏な会話をしている。いよいよ我慢できなくなったアルベールは、扉を勢いよく開けた。


「おい、お前ら」

「あ、アルベール様。お帰りっす〜」

「おかえりなさいませ」


 中にいたのは、アルベールが予想していた通りの人物だった。


 一人はレイン。言わずもがな、セシルの元で働いてもらっている侍女だ。

 一人はデニス。筆頭執事であるため、責任のある仕事を命じることが多い。お調子者ではあるが、情報収集に長けている為、影武者的な役割を果たしてもらうことも多い。


 今回、会話を引導していたのはお調子者のデニスだ。きっと、アルベール達が帰ってきたところを物陰から見ていたのだろう。


「デニス、俺がここに来るのに気付いていて、わざとその話題をしたな?」

「あはは。そうっすよ。だって、あんなアルベール様、見たことなくて新鮮過ぎましたもん。からかうしかないでしょ」


 彼は悪びれもせずに笑う。


「それにしても、俺。なーんで、セシル様と結婚をしたのか謎なんですけど。別に結婚する必要ありませんか?」

「‥‥‥‥彼女を連れて来る前に、話したはずだが?」

「聞いてませんでした」


 当たり前という風に反省の色も見せないデニスに、アルベールはため息を吐いた。


「いいか。彼女はー‥‥」


 こうしてアルベールは、セシルを妻として迎えることとなった経緯を話し始めた。




 セシルと契約結婚をすることになったきっかけ。


 それは、セシルが空から降ってきたからだ。

 比喩でもなんでもない。文字通り、空から降ってきたのだった。




 セシルが王宮から追放になった、その日。アルベールはちょうど王宮を訪れていた。


 というのも、アルベールは家督相続の際に少々問題があったため、そのことについての確認。また、隣国に接している辺境に領地を持っていることもあり、自国と隣国の橋渡し的観点から、王宮を訪れていたのだ。


 その日は、後者についての交渉や話が必要だった。彼の領地を守っていた聖女が亡くなってから、魔物が増加していた。魔物が増えれば、隣国も被害を被り、国交仲が悪くなる。教会にいる聖女に浄化してもらうため、王宮を通して交渉しなければならなかった。


(国王は病気のせいで、長らく謁見できていない。王位を継ぐ第一王子は、政治を分かっていないから、実りのある会話が出来ない‥‥)


 アルベールはそんなことを考えながら、王宮に向かって歩いていた。宰相に話をつけるしかない、と決めていたその時だった。


「貴様を追放する!!」


 突然、上から第一王子・ルーウェンの声が聞こえてきた。彼は王宮二階のバルコニーにいるようだった。また、何か阿呆なことをしているのではと見上げると、アルベールはそこにいた人物に目を見張った。


「どういうことでしょうか?」


 そう訊ねる少女は、王宮が囲っている聖女の一人だったからだ。彼女の表情は見えないが、特徴的な白い髪をたなびかせて、凛と王子に向き合っている。


(聖女の‥‥‥セシル様か‥‥‥‥‥‥)


 王宮を訪れることの多かったアルベールは、もちろん彼女のことを知っていた。

 彼女は、教会から追い出された聖女として有名だった。身分もなく、痩せ細っていて、いつも口を噤んでいる。美しいもう一人の聖女とは大違いで、彼女は人から悪く言われることが多かった。


(だが‥‥‥‥)


 アルベールは、彼女が聖魔法を使う時、優しい表情をすることを知っていた。その力を決して他人を脅かすために使わないことも。


 むしろ、彼女の悪い噂を積極的に流している第一王子に嫌気がさしているほどだった。きっと、彼女が王宮を追い出されそうになっているのも、何か事情があるのだろう。


「貴様は、エレンを虐めただろう!」

「何を言っているのか分からないのですが」

「とぼけるな!」


 二人はしばらく言い合いをしていたが、そこに新たな声が加わることで流れが一気に変わった。


「ひどいです。セシルさん。あんなことをしたのに、忘れるなんて‥‥」

「エレン‥‥‥」


 アルベールの位置からは見えなかったが、どうやらそこにはもう一人の聖女もいるらしかった。


「エレン、私がそんなことしてないなんて、あなたが一番知っているでしょう?なんでそんなこと言うの?」


 セシルは彼女に訴えかけるが、次の瞬間にはエレンのすすり泣き声が聞こえてきた。それに逆上したのは、ルーウェンの方だった。


「貴様!エレンを泣かせたな!」

「‥‥‥‥‥‥‥」


 一方的に責められる中でも、彼女は凛と背筋を伸ばしていた。


「お言葉ですが、殿下。ここでの聖女としての仕事の大部分は私が担っております。私を追放したら、王宮での仕事が回らなくなりますよ」

「嘘をつけ。エレンがほとんどの仕事をこなしているだろう?」

「それは、間違いです」

「黙れ!!」


 彼はセシルの体を力強く突き飛ばした。あまりの強さに、彼女の体はバルコニーの低い柵をいとも簡単に飛び越えてしまった。


 彼女の体が重力に従って、下に落ちてくる。


「‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥!」


 何かを考える暇もなく、気づけば、落ちてくる彼女に向かって手を伸ばしていた。そして、彼女の体は、アルベールの手に向かって真っ直ぐ落ちてきた。


 そう、彼女は落ちてきたのだ。


 彼女を受け止めると、彼女はゆっくりと目を開いた。そこで、初めて目が合う。


「‥‥‥君は、追放された後は、どこに行くんだ?」


 気づけば、彼女に話しかけていた。彼女は怪訝な顔をしながら、ふいと目を逸らした。彼女の瞳には寂しさや諦めの感情が映っていた。


「さあ。行き場もないので」



 二人の間に沈黙が流れた。


(俺は、今、彼女を救いたいと思っている)


 彼女は聖女だ。「救う」なんて簡単ではない。しかし、彼女にアルベールが守りやすい立場を与えたら、どうだろう?


 周りは、納得しないかもしれない。しかし、アルベールの領地が聖女の力を欲しているのも確か。それを持ち出せば、周りが口出しすることもないはずだ。


(あったとしても、黙らせる)



「おい!」


 流石にまずいと思ったのだろう。ルーウェンはバルコニーから顔を出して、セシルの様子を確認しようとする。


「貴様‥‥‥‥‥伯爵か?」


 上を見上げたアルベールと目が合うなり、ルーウェンはほっとした表情で訊ねた。アルベールはその言葉を無視して、とある提案を持ちかけた。


「殿下、提案があります。俺は彼女をーー‥‥‥」



 こうして、俺はセシルと契約結婚をする道を選んだ。






「んん〜。でも、それなら、『助けたいから、結婚しよう』って、セシル様に伝えないんですか?」


 話が終わると、デニスが首を傾げて尋ねた。


「彼女は教会と王宮に2度も捨てられている。見ず知らずの男が『君を助けたい』などと言って『はい。そうですか』って信頼する気になるか?」


 アルベールの言葉に、二人は押し黙った。セシルは言いふらすことは決してしないが、自分の過去を隠すこともなかったので、セシルがどんな扱いを受けてきたか、なんとなく知っていたためである。

 そんな扱いを受けてきて、見ず知らずの男からの無償の救済を受け取ろうという気になるだろうか、と。


 アルベールは長い足を組んで、身を椅子の背もたれに預けた。


「俺なら誰も信頼しない。いや、出来ない。それなら利害で表現できる関係の方を信用する」

「‥‥‥‥‥‥‥‥‥」

「彼女の状況は、俺たちが考えていた以上に悪かったらしい。教会でも、王宮でも、虐げられていた」


 「あ、それ俺の調べっすね」とデニスは相槌を打った。アルベールは、契約の際にセシルが発していた言葉を疑問に思い、デニスに調べさせていたのだ。

 アルベール自身もその事実確認をしていたために、数日屋敷を開ける結果となった。


「王宮は今、新しい聖女の扱いに困っているらしい。教会の動きも怪しいところがある。彼女を渡せと要求してくるのも時間の問題だろう。だから、守り切れるよう信頼を勝ち取るぞ」

「承知致しました」


 レイン、デニスはそれぞれ忠誠の意を示し、彼の命令に従う。アルベールは「それから」と付け足した。


「俺と彼女は契約上の関係だ。変な邪推はしないでくれ」


 アルベールの言葉に、レインとデニスは顔を見合わせた。


「え?自覚なしパターンっすか?」

「みたいですね‥‥‥」


 ひそひそと話し合う二人に、微妙な空気が流れる。


「アルベール様。では、何故、セシル様に過剰な愛を注いでいるのですか?」


 レインの疑問に、アルベールは首を傾げる。何故だろうと考えて、セシルと契約を結んだ日のことを思い出した。


「彼女は、俺に『頼りたくない』と言っていた。その言葉通り、彼女は、他人に頼ることを絶対にしない。そのくせ、他人のために無理をしてしまうところがある」


 今日の魔物討伐然りだ。彼女のおかげで被害を出さずに済んだが、彼女の危機感の低さに、アルベールはめまいを覚えたものだ。


「王宮での出来事を知っているから、俺は勝手に彼女に幸せになって欲しいと思っている。なのに、彼女は俺の支援を拒否しようとするから、構い過ぎているのかもしれない」


 アルベールの結論に、デニスがため息をついた。


「アルベール様は、その『幸せ』の隣に自分がいようとか思わないんすね」

「何が言いたい」

「別に~。これから、楽しみだなって。ね、レインさん」

「そうですね。これから、お二人がどうなっていくのか」



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