第19話 授業中と嫌がらせ

いくら私が望まなくても、当然のように朝は来る。当然のように登校時間になってしまう。結衣ちゃんはいないし、朝食も食べる気にはならなかったので、私は制服に着替えて重い足取りで教室へ向かった。

 登校中にすれ違う生徒からの視線を感じる。ひそひそと噂されている。『エス』という単語がいたるところから聞こえるから、おそらく奏さんとの関係のことなんだろうけど、奏さんって何者なんだろう。奏さんと姉妹関係になっただけで噂の渦中の人物になってしまったようだし、そもそも女学生の噂の伝わる速度が尋常じゃない。早すぎる。私編入したのごく最近なんだけどな。


 出来るだけ誰とも顔を合わせないように早歩きで教室に到着すると、座席には既に結衣ちゃんが着席していた。


「琴ちゃんおはよう。」


 至っていつもと変わらず挨拶をしてくる結衣ちゃん。


「おはよう…。結衣ちゃん、昨日なんだけど。」

「何?」

「夜部屋にいなかったよね?」


 結衣ちゃんは首を傾げた。


「いたよ?」

「でも…。」

「琴ちゃん寝ぼけてたんじゃないかな?昨日はいろいろあって疲れてただろうし。お風呂も入らず寝ちゃってたでしょう?」

「え。」


 私が答えようとしたタイミングで始業のチャイムが鳴った。皆そそくさと座席に付く。もっと結衣ちゃんに聞きたいことがあったけれど、仕方がないので座席に付いた。一時間目は洋裁の授業だった。



 先生が型紙や縫製についての説明をしている最中、授業中でもあるのに女学生たちは小さな手紙を交換していたり、ひそひそと話ていたり、この人たちは学ぶ気があるのだろうか。コン、と後ろの座席の生徒から背中を小突かれる。振り向くと、後ろの席の子は何?と言わんばかりに無視をしてきた。何だろう。首を傾げてもう一度机に向かうが、再び背中を小突かれる。しかしまた振り向いても後ろの子は無反応。周囲の席からクスクスと微かに笑い声が聞こえる。ああ、なるほど。私に用があるわけではなく、わざとやっているようだ。


「日野。」

「はい。」


 先生に声をかけられ、反射的に返事をする。


「よそ見をするな。授業を受ける気がないなら外に出ても構わんぞ。」

「……申し訳ありません。」

「気を付けるように。」


 先生は再び授業を再開した。


 それからの授業も小さな嫌がらせが続いた。さっきみたいに背中を小突かれたり、お手洗いに行っている間に筆箱を隠されたり、『関係を解消すべし』って書いた紙が机に入れられていたり、私だけ課題の紙が回ってこなかったり、はっきりと犯人が分からない陰湿な嫌がらせ。これはちょっとあまりにも露骨じゃないだろうか。 


そんなこんなで今日の最終授業を迎えた。座学ではなく、実技だ。畳の部屋で反物を縫っていく。これは仕立て屋で働いていたときの経験が生きた。スイスイと縫い進めていく。何も考えなくても進んでいく自分の手。やっぱり縫物は楽しい。嫌なことも少しは忘れられそうな気がした。私は目の前の反物に集中した。


「すごいね、日野さん。」


 にこやかに笑みを浮かべて声を掛けてきた同級生。


「えっと、その、ありがとうございます。」

「私裁縫苦手で。見て、まだこれだけしか縫えてないの。」


 彼女が見せてきた縫物は三寸ほどしか縫えていない。授業が始まって結構時間が過ぎたけど…縫物苦手なんだろうな。誰にでも得手不得手はあるもんね。


「上手く縫うコツとかあるのかな?」

「コツ?えーと、例えばこうやって…。」


 私はその子の反物を少しだけ縫って見せる。別に特別なことはしていないし、どちらかと言えば基礎的な内容だ。


「わーすごい。縫い目も綺麗!」

「ありがとうございます。じゃあ、お返ししますね。」


 私が反物を渡そうとすると、彼女はその反物ごと私にグイッと引き返した。ん?どういうこと?


「じゃあ、日野さん。私の分もよろしくね。」

「え?」

「わあ、いいなぁ。みっちゃん日野さんに縫ってもらえるの?いいなぁ、私もお願い!」

「ちょっと。」

「じゃあ、私も!」


 目の前にどんどん積まれていく反物の山。教師は止めようともしない。ただ期限内に課題を終わらせること、だけ告げて部屋を出て行ってしまった。授業が終わるチャイムが鳴れば、皆どんどん帰り支度をして出て行く。部屋に残ったのは私と反物の山だけだった。


「期限っていつだっけ。」


 目の前の黒板に視線を移すと、チョークで大きく『提出期限明後日。』と書かれていた。明後日でこの反物の山…終わるかな。

 本当だったら一人ひとり自分でやるべきだし、返せばいいんだけど受け取ってもらえる気がしない。むしろ今日一日の嫌がらせの件を思うと、余計に嫌がらせされる可能性が高い。それに嫌がらせには変わりないけど、また物を隠されたりするよりは、縫物をしていた方がマシだ。縫物自体は好きだし。これも勉強の一つだと思えば。この量を縫い切ればそれなりの技術はつくかもしれない。前向きに考えよう。前向きに考えないと、やってられない。


「よし。やりますか。」


 私は両手を組んでグイッと伸びをした。それから、肩をぐるぐると回して頬を叩く。


「あの、琴ちゃん。」


 教室のドアからこちらを覗いて声をかけたのは結衣ちゃんだった。てっきり他のお嬢様女学生たちと帰ったと思っていた。わざわざ戻ってきたのかな。ああ、もしかして…。


「結衣ちゃんの分も縫おうか?」

「ううん、そうじゃなくて。大丈夫?手伝おうか?」

「大丈夫じゃないけど、まあ、これも勉強みたいなものだし、頑張るよ。それより結衣ちゃんに聞きたいことがあるんだけど。」

「な、なにかな?」


 私が聞きたいことがあると言えば、結衣ちゃんは苦笑いをした。明らかに聞いてくれるなという雰囲気が出ている。てことは聞いても無駄かな。


「ううん、やっぱりいいや。先に寮に帰ってて。」

「分かった。もし手伝えることがあったら言ってね。」

「了解。」


 結衣ちゃんはペコっと頭を下げて教室を後にした。私はもう一度深呼吸をして、目の前の反物の山に取り掛かった。


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