第18話 食堂

 夕飯を求めて食堂へ行くと、私に視線が集まっている。なんだろう。結衣ちゃんはどこかな。ぐるりと食堂を見渡すと、端の席で小さくなって食べている結衣ちゃんの姿が見えた。

 私はお盆を取り、用意された夕食の皿を順番に取っていく。ご飯、みそ汁、魚の煮つけ、お浸し、最後に林檎…を取ろうとした時だった。影が差し掛かる。顔を上げれば、そこにいたのは名前も知らない寮生。雰囲気から上級生だろうか。


「貴女、日野琴子さん?」

「はい。」

「ちょっと聞きたいことがあるのだけど。」

「何でしょう。」

「美羽奏様とエスの関係というのは本当かしら。」

「えっと…。はい。」

「そう。やっぱり噂は本当だったのね。」


 そういって彼女は私から離れた。何だったんだろう。私はお盆を持ったまま結衣ちゃんの座っている座席の方へ向かって歩き出した。その時、何かが足に触れる。食器を持っているから下が見えないが、何かに引っかかってしまったよ。


「あっ。」


 バランスを崩した私は、その場で盛大に転倒をしてしまった。床に散らかる夕食。


「ちょっと、貴女何をしているの?」

「やだもう、私の服に付いたじゃない。これ海外製のお洋服なのにひどいわ。」

「申し訳ありません。」


 すぐに立ち上がり、頭を下げた。


「謝ればいいって問題じゃないのよ。」

「さっさと片付けてよ。床が汚れているわ。」


 その場にいる寮生たちが口々という。いろんな方向から言われるものだから、誰が何を言っているか分からない。けれど、顔を上げると彼女たちは怒っているような口調ではあるものの、顔はひどく歪んだ笑みを浮かべていた。瞬時に分かった。これはわざとだと。


 私は黙って食器を片付ける。お嬢様学校でもこういうことってあるんだ。クスクスと笑い声が聞こえる。ノイズのように聞こえるその声はひどく耳障りだった。


「あらあら、お洋服が汚れていましてよ。食事をする場所には不釣り合いではなくて?」


 片付ける様を見てさも楽しそうに笑っている人物。この人は見たことがある。たしか…花房みやさん…だっけ。寮生だったんだ。彼女は数名の女学生に囲まれていた。

 奏さんと一緒に会った時は、可愛らしい顔立ちで、礼儀正しくて、絵にかいたような上流階級のお嬢様って印象だったけど、寮にいる時は随分と印象が違うような…。


「何?無視?」

「いえ、そんなことは。」


 私が立ち上がると、こぼした食事で汚れた私の姿をみて、さも泥だらけの子猫でも見るような目でシッシと追い払うような仕草をした。あからさますぎる。取り巻きの子たちも、そんな花房さんを持ち上げている。ああ、嫌だな。心の奥で黒い感情が広がっていく。視線はどんどん床に。地面を見つめる。早く片付けてこの場所を去りたい。その時だった。


「琴ちゃん。て…手伝うね。」


 すっと私の横にしゃがみ、床を拭き出したのは、同室の結衣ちゃんだった。


「結衣ちゃん…。」

「これ終わったら、部屋に戻って、準備してお風呂行こう、ね?」

「ありがとう。」

「うん。先輩方もお騒がせして申し訳ありませんでした。すっすぐに片付けて部屋に戻りますので。」


 丁寧に深々と頭を下げる結衣ちゃん。私も結衣ちゃんの真似をして頭を下げた。花房さんたちは私たちを見てスッと目を細めてニヤっと笑うと、あらそう、と呟くと何処かへ行ってしまった。


 シンと静まりかえる食堂。私と結衣ちゃんは無言で部屋の掃除をした。カチャカチャと割れた食器の音だけが響いていた。


「痛っ。」


 割れた食器で指を切ってしまった。ぷくりと小さな血の玉が指に浮かぶ。私はそれを口にくわえようとしたが、結衣ちゃんが腕を掴んで制止した。


「駄目だよ。破片が入ってるかもしれないから。まずはしっかり洗おう?」

「大袈裟だよ。」

「大袈裟なんかじゃ…ないから。」


 結衣ちゃんの声が震えていた。どうしたんだろう。ああ、もしかして大人しくて控えめな結衣ちゃんだから、先輩を前にして喋って緊張してしまったとか。だとしたら悪いことをしたな。巻き込んじゃった。なんだか申し訳ない。


「ごめんね。結衣ちゃん。」


 結衣ちゃんは少し驚いた顔をしていた。


「どうして謝るの?」

「巻き込んじゃったから。ごめん。」


 眉をハの字にして笑う。結衣ちゃんは難しい顔をして、それから小さく一言だけ呟いた。


「そんなことないよ。」


 それから二人で片づけを澄まして部屋に戻った。さっきまでお腹が空いていたはずなのに、今は食欲がない。結衣ちゃんに風呂に行くように誘われたけれど、私は着替えだけ済ませてベッドに倒れ込んだ。ちょっと今は何も考え無くない。結衣ちゃんはそんな私に何も言わず、風呂に向かっていった。一人取り残された部屋で私は大きなため息をついた。これで終わればいいけど、あの花房さんの表情、まだ何かあるような気がして胸の奥がざわざわと落ち着きがない。


「寝よう。」


 布団をかぶって瞳を閉じてみるけれど、一向に眠気は来ない。むしろ目は冴える一方だ。私が布団をかぶっているせいか、風呂上りで帰ってきた結衣ちゃんは私に話しかけることもなく、そのまま部屋の明かりを消した。


 あれからどれくらいの時間が経っただろうか。寝たいのに眠れない。ゆっくり布団から顔を出せば、時計の時刻は午前三時を指示していた。水でも飲んだら落ち着くかな。ゆっくり布団から起き上がると、結衣ちゃんがいないことに気付く。今は部屋から外出禁止の時間帯のはずだ。こんな深夜に何処に?

 窓から外を眺めてみるが、結衣ちゃんらしい人の姿は見えない。結衣ちゃんの布団に近づいてそっと手を置いてみる。まだ温かい。ということはここを離れて左程時間が経っていないということだ。

 ゆっくり扉を開けて廊下を見てみるが、廊下も消灯されており、シンとしている。廊下に出てみようと一歩踏み出そうとした時、カチャとどこかの部屋の戸が開いた音がした。慌てて私は自分の部屋の戸を閉めて部屋に戻った。また規則違反だの言われたら大変だ。大きな溜息をついて、もう一度窓まで歩き、少しだけ窓を開けて外を眺める。暗くて良く見えない。空に視線を移せば、どんよりとした雲が広がっているのか、星も月も見えない。今にも雨が降りそうな湿った匂いがする。どんより。まるで今の私の心を代弁しているかのようだった。


「結衣ちゃん、何処に行ったんだろう。」


 布団に入って、丸くなる。やはり眠気は一向に襲ってこない。そのままいつの間にか外は明るくなり始めていた。結衣ちゃんは結局朝まで戻ってこなかった。


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