第17話 寮会議と寮長
「皆さん集まりましたね。各班長、班員は全員いますか?」
「はい。」
定刻通りに寮会議は始まった。会計報告、今月の目標、規則の再確認、その他申し送り事項などが続いて最後。
「今月、寮規則を破った者、名前を呼ばれたら立つこと。」
ピリッと空気が張り詰める。私の名前も呼ばれるんだろうか。息を潜めて、耳を澄ませる。
「相川愛子」
「市野いちゑ」
「浮橋ウメ」
次々と名前を呼ばれた寮生がその場で起立していく。次は私かもしれない。そう思うとどんどん気が重くなっていくし、息が苦しくなる。ただでさえ小さい体がどんどん小さくなっていくような気がする。
「以上。では一人ずつ謝罪と今後どうするか表明しなさい。」
あれ、呼ばれなかった。寮会議の司会進行を務める寮生を見るが、彼女は仕事を終えたと言わんばかりの顔をして、ストンと自分の席に着いた。胸がざわざわ落ち着かない。一人ずつの懺悔タイムに突入したところ、静かに眉一つ動かさず聞いている寮長の紋さんに視線を移す。
「……。」
一瞬だけ目が合った気がした。しかし紋さんは表情一つ変えることなく、手元の手帳に記録をしながら寮生たちの謝罪を聞いていた。長い長い謝罪時間。これ、聞いている方も体力というか精神的にかなり疲れるし、参ってしまう。肩が重い。
最後の一人の謝罪が終わったところで、司会者が再び全員の前に立った。
「以上で今月の寮会議を終了とする。各々規則内の範囲で自由行動とする。解散。」
暗黙の了解か、上級生から部屋に戻っていく。寮会議が終わると、さっきまで張り詰めていた空気は嘘のように穏やかになり、楽しそうな女の子同士のキャッキャした声が響いている。私も大きく息を吐いた。
「琴ちゃん、お疲れ様。」
「結衣ちゃんも。すごいね。寮会議っていつもこんな感じ?」
「今日は規則違反少ない方だよ。先月はもう少し多かったから。」
「そうなんだ。」
「琴ちゃんご飯まだだよね。一緒に食堂行く?」
「うん。あ、でも先に行って貰っていい?ちょっと用事があって。」
「そうなの?わかった。じゃあ先に行ってるね。」
「うん、ありがとう。」
結衣ちゃんに手を振ったところで、寮会議が開催されていた談話室から出ると、そこで腕を組んで待っていたのは班長の尾野さんだった。思わず顔が引きつる。班長は、眉間に皺をよせて、私をギロっと鋭い目線で見つめた。今の私はまるで蛇に睨まれたカエルだ。
「見逃すのは今回だけよ。」
それだけ言い残すと寮長は行ってしまった。やはり本来は規則違反者の中に私の名前が入っていたんだろう。きっと紋さんが働きかけてくれたんだ。あとでお礼を言わないと。
とりあえず私は班長にお辞儀をしたが、班長は私の姿に目もくれず、ツンと廊下を歩いて行ってしまった。
「えっと。まずは、部屋に戻らないと。」
私は昨日の紙を紋さんに届けるという使命がある。私は急いで部屋に戻ると、引き出しから昨日の紙を取り出す。中身は…見たいけど、見ない約束だし。
ふと頭を過るのは、奏さんの「絶対見た方が良いよ」という言葉。そう言われると気になってしょうがないが、なんだかそれは、紋さんに失礼な気がして結局見ることはしなかった。
「よし、寮長の部屋は…。」
確か最上階で、寮長室…寮長室、あった!ここだ。
小さな表札に『寮長室』と記載されている。コンコンと部屋の戸ノックした。少しの間を置いて、ゆっくり開かれたドアの中から、紋さんが出てきた。
「例の紙は持ってきたかしら。」
「はい。ここに。」
私は畳まれた紙を出すと、紋さんはスッとそれを指先で挟んで受け取ると、そのまま部屋の方を指先で指示した。
「どうぞ。入って。」
「良いんですか。」
「ええ。」
紋さんに促されるままに部屋に入る。寮長室の中は私の部屋とは内装が大分違っていた。まず一人部屋だし、二人部屋の広さを一人で使っているわけだから、広い。本棚やベッドに至るまで高級感がある。紋さんの好みなのか、それとも元々そういう部屋なのか、室内は茶色で統一されていた。洋風だけど古風な感じが紋さんの佇まいに良く合っている。
「この紙、見た?」
「いえ、見ていません。」
「そう。……どうしたの、そんなにキョロキョロして。」
「部屋が広くて。」
「まあ、二人部屋の広さを一人で使っているから広く感じると思うわ。何か飲む?」
紋さんは部屋の隅に目をやった。よく見れば寮長室にはどうやら小さな台所まで付属しているようだ。料理をするには小さすぎるが、お茶を淹れるには丁度いいくらいの洋風の小さな台所。西洋の言葉でキッチン、って言うんだっけ。
「お構いなく。」
「遠慮しなくていいのよ。珈琲は飲めるかしら。」
「はい。」
「ちょっと待っていて。」
可愛い食器でお湯を沸かす紋さん。そういえば、前に奏さんの家に行ったときは紅茶だったっけ。紋さんは珈琲が好きなのかな。なんて思っていると、ふわりと珈琲の香がしてきた。紋さんは手際よくコーヒーカップに珈琲を注ぐと、可愛らしいクッキーも添えてテーブルに置いた。
「どうぞ。」
「ありがとうございます。」
湯気が立っている珈琲。紋さんは飲みなれているのか、上品な手つきでコーヒーカップを手に取ると、ふうっと小さく息をはき、珈琲を口に運ぶ。紋さんの部屋がたくさんの本に囲まれていることもあって、珈琲を飲む姿は文学少女という言葉が良く似合う。
「どうしたの。私の顔に何かついていて?」
「いえ。素敵だなと思って。文学少女みたいと言いますか。」
「文学少女?」
あはは、と笑って紋さんの真似をして珈琲を飲む私。だけど私はなんの上品さも醸し出せなかった。
「今日はありがとうございました。寮会議の件、紋さんが何とかして下さったんですよね。」
「そういう約束だったもの。でも二度目はないわよ。」
「はい。」
少しの沈黙が流れる。
「奏が言ってたこと、覚えてる?」
「脚本のことですか。」
「ええ。」
冷静に淡々と話してはいるが、珈琲のせいなのか紋さんの頬が若干赤くなった。
「脚本の事は他言無用でお願いできるかしら。」
「どうしてですか。」
「どうしても、よ。」
コクン、と珈琲が喉を通る。私はとりあえず頷くと、視線の先、つまりテーブルの下に落ちている原稿用紙が目に入った。タイトルは…。
「月見草…。」
ゴホンッ、音をたてて紋さんが珈琲を吹いてしまった。
「紋さん大丈夫ですか?」
「え、ええ。」
ハンカチで口元を覆う紋さん。私はどうしてか、その原稿用紙から目が離せなかった。これは脚本。花を愛する青年と、花の精の少し切ない物語だった。確か月見草は夜に咲いて、たった一晩でしぼんでしまう一夜限りの花だったはず。というかこの話、この小さな原稿用紙一枚でも切なさが伝わって来る。続きが読みたい。
「あの、紋さん。」
「何かしら。」
「このお話、続きはないのでしょうか?」
「え?」
「これ、すごいですよ!」
私は原稿用紙を拾い上げて、立ち上がった。
「この一枚だけでも切なさがすごい伝わってきます。これは世に出すべきです!素敵な脚本です!もっと認められるべきです。」
「ひ、日野さん、落ち着いて。」
「はっ。」
しまった。あまりにも話が素晴らしかったので、語彙力の欠片もない言葉で熱く語ってしまった。しかも相手は寮長だ。はしたないにも程がある。
「すみません。取り乱しました。」
ゆっくりと座り、頭を下げる。紋さんは今どんな顔をしているだろう。はしたない子、常識のない子だって呆れているかな。しかし紋さんから返ってきた言葉は予想外だった。
「そんなに良かった?」
ゆっくり顔を上げる。紋さんは顔を真っ赤にして、私と顔を合わせないように横を向いて珈琲を飲んだ。
「はい。とても。」
「そう。」
紋さんは少しだけ微笑んだ。
「脚本ってことは、舞台とかお芝居が好きなんですか。」
「まあ…えっと、そんなところかしら。」
「そうなんですね。紋さんならきっと素敵な脚本家になれると思います。」
「脚本家だなんて。こんなのただの趣味だから。」
「勿体ないです。あ、すみません。また出過ぎた真似を。」
「いいえ。日野さんって真っ直ぐなのね。」
フフッと笑って紋さんは立ち上がり、本棚から一冊の古い冊子を取り出して、私に渡した。
「私だけ秘密を知られたのは癪だから。良かったら部屋で読んで。」
そういって古い冊子を私に持たせた。
「夕食まだでしょう?時間をとらせて悪かったわ。行ってらっしゃい。」
「わっ、ちょっとだけ待ってください。」
きょとんとしている紋さんをよそに、私は冊子を一旦テーブルに置き、残った珈琲とクッキーを口の中に放り込んだ。ちょっとお行儀が悪かっただろうか。でも残したくなかった。折角用意してくれたんだもの。勿体ないことはしたくない。
「ごちそうさまでした。」
冊子を再び手にとり、深々とお辞儀をする。まだ口の中がクッキーでモゴモゴする。紋さんはプッと噴き出して笑った。
「残しても良かったのに。」
「そういうわけには行きません。珈琲もクッキーもとても美味しかったです。」
「そう。日野さんって面白い人ね。」
そういえば奏さんにも前に面白いって言われたっけ。私そんなに面白いかな。平凡で何のとりえもない、何の変哲もない人間だと思うけど。
部屋から出る前に、もう一度だけ振り返る。
「脚本、本当に素敵だと思ったので。」
「分かったから。」
「それでは失礼します。」
今度こそ本当に部屋を後にした。ちょっと勢いよく言い過ぎただろうか。でも本当に感動したから、紋さんは趣味だと言っていたけど…。
グーギュルルルル、部屋を出ると急にお腹がすいたのか間抜けな音が廊下に響いた。
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