第10話 同室者との出会い

「つ…疲れた。」


 あれから教室で紹介されて、休み時間はとりあえず女学生に囲まれて、いろんな質問されて…って、普段から娯楽に飢えているのか、暇なのか、ここの女学校に通うお嬢様たちは私に興味津々のようだった。張り付いたような笑顔をずっと作っていたせいか、顔が既に筋肉痛だ。ただ、授業は純粋に楽しかったし、とても勉強になった。


「あの、お疲れ様です。」

「はっはい。」


 横から声をかけられ思わず背筋を伸ばす。ぎこちない笑顔を作って、カクカクのブリキの人形のように動く私。


「驚かせてしまってごめんなさい。」


 艶やかな黒髪のお下げ髪が特徴的な女の子が、申し訳なさそうに頭を下げた。


「わわわこっちこそごめんなさい。頭を下げないでください。」


 二人そろってペコペコと頭を下げる。タイミングが揃って目が合う。なんだかおかしくてお互い吹き出して笑ってしまった。


「私、喜内結衣子きうち ゆいこと言います。あの、寮の…同室の者…です。よろしくお願いします。」

「そうだったんですね。こちらこそよろしくお願いします。」


 喜内結衣子、と名乗る少女は小さな声で遠慮がちに微笑んだ。


「本日の授業は終わりましたし、日野さんさえよろしければ、一緒に寮に帰りませんか。」

「はい、是非、よろしくお願いします。」


 良かった、と喜内さんはほっと胸に手を置いた。


「喜内さん?」

「あ、すみません。私あがり症で…。声を掛けるだけでも緊張しちゃって。日野さんが優しい方で良かった…です。」


 すみません、と言葉を付け加えて喜内さんはペコっと頭を下げた。奥ゆかしくて内気で可愛い。もし私が男の人だったらこんなに可愛い子を放っておくことは出来ないだろうな。


「行きましょうか。」

「はい。」


 急いで鞄の中に筆記用具を仕舞って喜内さんと並んで寮へ向かう。すれ違う女学生たちはやっぱり「ごきげんよう」って挨拶をしているので、私も見様見真似で挨拶を返してみた。良い慣れない言葉だから何だかぎこちないし、ただの庶民なのにこんな言葉を使っている自分が恥ずかしい。


「ゴッゴキゲンヨウ。」


 私の挨拶が面白いのか喜内さんは小さく笑った。私が視線を送ると、囁くような小さな声で「ごめんなさい、可愛らしくて。」と笑った。可愛いのは貴女の方だよ、なんて思いながら並んで歩く。あっという間に寮に到着した。


「えっと、もうすぐ部屋に付きますが、部屋の鍵は持っていますか?」

「はい。今朝いただきました。」

「良かったです。では細かい部屋の物品について説明しますね。あの、分からないことがあったらその都度聞いてくださると助かります。」

「ありがとうございます。」


 ポケットから今朝貰ったばっかりの鍵を取り出し、鍵穴に入れる。カチャリ、と音を立てて扉が開いた。夕方の部屋は丁度窓から西日が差し込んでいて、午前中に部屋に入った時とはまた違った印象になっていた。喜内さんは私に先に部屋に入るように促すと、そのあとに周りをキョロキョロと見渡してから私に続いて部屋に入った。


「私は入口から入って右側のベッドや机を使用しています。だから日野さんは左側を。ああでも、右側が良ければ私は移動しますので言ってください。」

「そんなそんな。左側使わせていただきます。」


 さっきから思っているのだが、どうして喜内さんはやけに周りを気にしているのだろう。控えめや遠慮がちというか、むしろ何かに怯えているような気さえする。


「どうかしましたか?」

「いや、何でもないです。喜内さんすっごく部屋を綺麗に使っているんですね。机の上もお布団も全部綺麗に整えられていて、まるで新品みたいです。」

「お布団のシーツはこの前新しいものに変えたばっかりなので。」

「そうなんですね。」

「ええ。」


 そう答えた喜内さんは少し難しい顔をした。どうしてだろう、私は首を傾げた。


「そういえば喜内さん、ずっと一人で部屋を使っていたんですか。」

「いえ、少し前までは同室者がいました。つい最近婚約が決まったので学校をやめたんですよ。」

「そうなんですね。」

「よくあることですから。」

「寂しくないんですか?」

「……少しだけ。」


 眉毛をハの字にして喜内さんは笑った。何となくだけど、聞いちゃいけない話題だったのかな。喜内さんはどことなく寂しそうな顔で窓の外を眺めた。部屋の空気がズシっと重くなる。ここは何か空気が軽くなるような、明るい話題を持ってきた方がいいかな。何が良いかな。空気が明るく…楽しくなるような…。そうだ。


「えっと、喜内さんって下の名前、結衣子さん…でしたね?」

「はい。」

「もし喜内さんが嫌じゃなかったら、結衣子さんって呼んでもいいですか?」


 喜内さんは目を丸くして驚いた顔をした。それからちいさな唇で弧を描いた。


「結衣子、でいいですよ。私も琴子さんって呼んでいいですか?」

「琴子でいいですよ。」

「いえ、呼び捨ては抵抗がありますので。」

「それは私もです。えっと、じゃあ愛称とか。」

「愛称?」

「はい。例えば、結衣子さんは…結衣ちゃんとか。」

「結衣ちゃん…。」


 まずいこと言ったか?結衣子さんは考えるような仕草をしてから、どことなく懐かしそうにして笑った。


「結衣ちゃん、ええ、構いませんわ。じゃあ、私は琴ちゃんって呼んでもいいですか。」

「もちろん!あ、もちろんです。」

「無理に敬語を使わなくても良いですよ。」

「じゃあ、結衣ちゃんも私なんかに敬語を使わないでください。折角同じ部屋なので、気軽に名前を呼んだり、話しかけてください。」


 二人で顔を見合わせて笑った。それから私たちは結衣ちゃん、琴ちゃん、と呼び合うことになった。ふわっと軽くなる空気。


「結衣ちゃん。」

「琴ちゃん。ふふっ改めで呼ぶと少し恥ずかしです…いや、恥ずかしいね。」

「そうだね。結衣ちゃん。これからよろしくお願いします。」

「こちらこそ。」


 改めて握手をした。結衣ちゃんの手はお日様みたいに温かかった。


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