第9話 寮案内

「ここが寮の談話室よ。月一回寮会議を行う場所でもあるわ。」

「寮会議?」

「ええ。各連絡や報告が主ね。基本的には寮生は全員参加。談話室に入るときは入口で内履きを脱いで並べること。」


 談話室はお洒落な絨毯が敷かれているし、窓際には観葉植物も飾られている。いかにも上流階級の女の子が過ごしていそうな雰囲気が漂っている。


「次に食堂ね。まあ、説明はしなくても分かるわね。食事をするところよ。食事の時間が決まっているから遅刻しないように気をつけなさい。寝坊したら朝食はないものと思った方が良いわね。」


 なるほど。広い食堂だな。ご飯を用意してもらえるなんてありがたい。あれ、食堂の隣に小さな台所がある。寮の職員用かな。


「ああ、そこは調理室よ。学校で料理の試験もあるから、いつでも練習できるようになっているの。将来嫁いだ先でも料理が出来た方がいいものね。そこでお弁当を作ってる寮生も見かけるわ。置いてある調理器具や調味料は好きに使って貰って構わないわ。ただし使ったら綺麗に片付けること。まあ、当然よね。」


 なるほど。お嬢様たちは嫁いだ先の事も考えているんだ、大変だな。目の前を歩く紋さんに付いていく。そのまま大浴場、洗濯場、お手洗いを説明される。一通り共用部分の説明が終わると、紋さんはポケットから小さな冊子を取り出した。


「細かい決め事はこの冊子に書いてあるわ。分からないことがあれば聞いて頂戴。」

「ありがとうございます。」

「どういたしまして。最後になったけど、貴女の過ごす部屋を案内するわ。これを。」


 紋さんはポケットから小さな鍵を出した。


「これがあなたの部屋の鍵。寮は基本的には二人部屋よ。同室者とは仲良くすることね。」

「はい。」


 同室者か。どんな人だろう。恐い人だったらどうしよう。もしかしたらすごく高飛車なお嬢様かもしれない。私やっていけるかな。心配でお腹が痛くなってきた。

 鍵を受け取り、階段を上る。長い廊下を歩いて突き当りの一つ手前の部屋で紋さんは足を止めた。


「ここよ。さあ、開けてみて。」


 促されるままに鍵を鍵穴に差し込む。カチャ、と鈍い音をたてて鍵が開く。…開いてしまった。いや、当然なんけど、心の準備が。ゆっくり深呼吸をしようとしたが、それは紋さんの声によって遮られた。


「何をもたもたしているのかしら。」


 私の心の準備なんて待たれるはずもなく、紋さんはドアノブに手をかけ、勢いよくドアを開いた。


「あっ待ってください、心の準備が!」


 同室者が怖い人だったらどうしよう。私は思わず目を瞑って、深々と頭を下げた。


「はっはじめまして。日野琴子と言います。今日から同室になります不束者ですがどうぞ、よろしくお願いいたします。」


 ………返事が返ってこない。これはもしや本当に怖い人なのでは。もしくは何か失礼なことを言ってしまっただろうか。ゆっくり目を開き、顔を上げる。部屋の中には……誰もいなかった。明るい日が差し込む窓。左右対称に設置されている勉強机と本棚、そしてベッドだけがそこにあった。


「あれ?」


 思わず間抜けな声がでる。


「皆既に登校しているし、今は朝礼中だろうから誰もいないわよ。」

「あ、えっと、そうなんですね、ははっ、恥ずかしいです。」


 思わず顔が赤くなる。


「ふふっ、でもまあ元気いっぱいの挨拶はいいことだと思うわ。」


 口元に手を当てて紋さんは上品に笑った。私は火照る顔を冷ますように頭をブンブンと振って、紋さんに聞く。


「紋さんは朝礼に出なくて大丈夫なんですか。」

「私は新しい寮生を案内するように言われているから大丈夫よ。」

「そうなんですね。」

「ええ。じゃあ、大まかな説明も終わったところだし、学校に向かいましょうか。」

「はい。」


 再び歩き出す。寮の玄関先まで来たところで紋さんは立ち止まった。私はその背中に軽く顔面からぶつかってしまった。


「わっ、すみません。」

「……奏。どうしてここにいるのかしら。朝礼は?」

「二人とも待ってたよー。」

「質問に答えなさい。」


 何故か寮の門の前で奏さんがいた。片手をひらひらと振っていて、もう片方の手には紙袋が下げられている。


「二人に差し入れを持ってきたんだよ。」

「はい?」


 奏さんは紙袋をこっちへ向けた。


「奏、朝礼は?」

「んー。何の話かな?」

「奏。」


 紋さんは腕を組んで奏さんを睨みつけた。奏さんは、臆することもなく紙袋を両手で持って高々と掲げた。まるで新しいおもちゃを買ってもらった小さな子どものようだ。


「朝礼に出ようと思ったら、いい匂いがするなーと思ってね。すると何と!すぐそこのパン屋さんが丁度焼き立てだったんだ。もうこれは買うしかないよねって。まだ温かいよ。はい、どうぞ。」


 紋さんは、それはそれは大きなため息をついた。


「サボったってことでいいわね。」

「人聞きの悪いことを言わないでくれ。」

「事実でしょ。」

「まあまあ、落ちついて。琴ちゃんもあんぱんどうぞ。」


 奏さんは満面の笑みを浮かべている。というか口元に餡子がついている。すでに一つ食べたんだろうな。私が貰っていいのかな…。チラッと紋さんを見ると、紋さんは眉間に皺を寄せて奏さんを見ている。思わず受け取ろうとした出した手を引っ込めた。


「ほら、紋ちゃんが怖い顔してるから琴ちゃんが困ってるよ。」

「もとからこんな顔ですから。」

「いーや、紋ちゃんはもっと可愛らしく笑えるの知ってるよ。例えばこのあんぱんを食べたときとかね。」

「なっ。」


 急に紋さんの顔が赤くなる。


「紋ちゃんあんぱんが好物だもんね。」

「奏。」

「ほれほれ、焼き立てだよー。いつも焼き上がりの時間は授業中だからなかなかお目にかかれないよね。」

「奏。やめなさい。」

「紋ちゃんが食べないなら、残念だけど私と琴ちゃんで食べようかな。はい、琴ちゃんおひとつどうぞ。」


 奏さんがあんぱんをひとつ手に取って私に渡した。まだホカホカしている。


「絶品だから一口食べてみて。」


 紋さんを見ると、私に顔を見せないよう向こうを向いているが、耳まで真っ赤だった。私は奏さんに促されるまま、一口だけ食べた。柔らかいパンに包まれた、甘い餡子の味が口いっぱいに広がる。これは美味しい、何個でも食べられてしまいそうだ。


「美味しいです!」

「でしょー!」

「あーもう。分かったわよ!差し入れ、貰ってあげるからすぐに授業に向かいなさい。奏、責任もって日野さんを校舎まで連れて行きなさい。」

「はいはい。紋ちゃんもそれ食べたら追いかけてきてね。じゃあ、琴ちゃん行こうか。ゆっくり食べながら行こうか。」

「はしたないことはやめなさい。あと奏、口元に餡子がついてるわよ。」

「おっと、これは失礼。さあ行くぞー。」


 奏さんは紙袋を紋さんに押し付けるように渡すと、私の手を引いて歩き出した。私はあんぱんを片手に持ったまま校舎へと向かった……はずだったのだが、一向に校舎が近づかない。


「あの、奏さん。」

「何?」

「校舎ってこの方角で合ってますか?」

「いーや、違うよ。」

「えっ。」

「大丈夫大丈夫。少しだけ寄り道するだけだから。」


 紋さんに校舎に行くように言われたのに大丈夫かな…。

手を引かれて進んだ先。用具庫のような建物の角を曲がった瞬間だった。


「さて、到着。」


 視界に広がったのは、たくさんの花々だった。まるで絵本の中のお姫様のお庭…いや、花園と言った方がしっくりくる光景に思わず感嘆の息が漏れた。


「わあ…すごい綺麗。」

「うちの学校の庭園だよ。さ、そこの椅子に座ってあんぱん食べよう。早く食べないと冷めちゃうからね。大丈夫、あとでちゃんと教室まで送るから。」


 奏さんは西洋風の装飾がされている長椅子に座ると、隣をトントンと軽く叩いた。私はきょろきょろと辺りを見渡してから奏さんの隣に腰を下ろした。奏さんは、猫みたいだーなんて言って笑っている。太陽に照らされていた長椅子はほんのり暖かかった。


「素敵な場所で食べるとより一層美味しく感じます。」

「良かった。この場所、よく覚えておいてね。」

「ん?はい、分かりました。」

「よし。」


 奏さんは笑って私の頭をポンポンと撫でた。

そのまま他愛のない会話をしつつあんぱんを食べ終えると、奏さんは今度はしっかり校舎まで送ってくれた。


「職員室はここだよ。教室棟はその奥。私とは階が違うから、ここでお別れだよ。」

「ありがとうございました。あと、あんぱんも御馳走様でした。」

「どういたしまして。校舎で会った時も声かけてくれて大丈夫だからね。」

「はい。」

「ああ、それと…。」


 奏さんは私に顔を近づける。ふと頭を過るのはエスという姉妹関係の話。恋仲…まさかこんなところで。私はグッと目を瞑った。

 奏さんはそのまま唇の横をスッと撫でた。


「ははっ餡子がついてたよ。」


 恥ずかしい。恥ずかしすぎて顔面から火が出そうだ。


「じゃあ、またね。学校生活、慣れるまで大変だと思うけど頑張ってね。」

「はいっ。」


 私は自分の顔が見えないように深々と、頭が床に付くんじゃないかってくらい頭を下げた。


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