第6話 さて本題だ
あれから食事の後に紅茶までいただいてしまった…。
「さて、食事も終わったことだし、本題に入ろうかな。」
紅茶を飲む手が止まる。ゴクと音を立てて喉が鳴る。私はゆっくり紅茶を机の上に置いた。紅茶は小さく波打ち、カップの中で小さな波紋が広がった。
奏さんは視線でコルリさんたちに合図をすると、コルリさんたちはテキパキと机を片付けてしまった。
向き合って座る私と奏さん。彼女は立ち上がり、私の目の前に歩み寄ると私の手を取って引き寄せた。反動で立ち上がった私と奏さんの距離はほぼゼロに等しい。
「私とエスの関係になって欲しいんだ。」
「エス?」
「おや、知らないようだね。じゃあ、そこから説明しよう。」
艶やかな唇で綺麗な弧を描き、彼女は説明を始めた。
「エスというのは、女学校内での姉妹関係。少女たちの親密な関係…というべきかな。まあ簡単に言うと恋仲みたいなものだね。」
「こ、恋仲ですか?」
「そう。もちろん強制ではなくお互い合意の上での関係なんだけどね。女学生たちはみんないずれはどこかの家に嫁ぐことになる。恋なんてしてる間もなくね。早ければ在学中、おそくとも卒業後には親が決めた家に嫁ぐことがほとんどだよ。だからそれまでの間の期間限定の特別な関係ってことだね。姉妹のような関係であったり、主従のような関係であったり、さっきも言ったような恋仲関係だったり人それぞれだけど。」
女学生って複雑怪奇だな、なんて思っていると、彼女はパンっと手を叩いた。
「というわけで、君には私とエスの関係になって欲しいんだ。」
『エスの関係』というものは、何となく説明で分かった。要するに期間限定の恋人みたいなものなのだろう。だけど、なぜこの人は私にその関係を求めてくるんだろうか。一回しか会ったことがないのに。あれ、ここまで私夕食も紅茶も頂いてしまったけど…そもそも私名乗っていないような。
「どうしたんだい?」
「私、まだ名前を言ってませんよね?」
「ああ、その事か。」
奏さんはキョトンとした顔をして、それから人差し指を立てた。
「
思わず目を見開いた。どうしてそんなことまで知っているんだ。
「どうして…。」
「さて、どうしてでしょう。まあ、気になる子の事は知りたいと思うのが乙女心だよねー。」
知りたいってレベルじゃない。個人情報が筒抜けだ。乙女心って言葉で片付けられる話じゃない。
奏さんは私をエスコートするように椅子に座りなおさせると、自身も向かいの椅子に座り、足を組んだ。
「君が私とエスの関係になってくれると仮定して話をするよ。まず君には私と同じ女学校へ、私の遠い親戚として編入してもらう。学年は年齢通り高等女学校三年生。私は五年だから二学年先輩になるね。ちなみにうちの学校は普通科と家庭科があるんだけど、君には家庭科に編入してもらうね。そこで洋裁も和裁も学べるよ。」
高等女学校の家庭科…噂で聞いたことはあるがミシンにも触らせてもらえるし、洋裁や和裁を学ぶ環境としてはかなり良いと聞いたことがある。それにしっかり学校で学んだという事実があれば、卒業後に服飾関係の仕事に就くことが出来るかも。
「一部例外はあるけれど、一応全寮制の学校だから君には寮生として生活してもらうことになる。もちろん学費も寮費もこっちが負担をするからお金は気にしないで。期間は一年くらいかなー。多少伸びたり短くなったりすることはあるかも。ああ、もし君が望むならそのまま君が卒業するまで全面的に援助するよ。」
女学校に寮?急な話で開いた口がふさがらない。
「もちろん学費と寮費以外にもちゃんと報酬を用意する。こんなもんでどうかな。」
奏さんはメモ用紙に驚きの金額を書いて私に見せた。なんだこの金額は。一生は遊んで暮らせるんじゃないだろうか。恐るべしお嬢様…。
「どうかな?悪い話ではないと思うんだけど。弟さんや妹さんが心配なら大丈夫だよ。在学中の生活費はうちが保証しよう。」
「ちょっと考えさせてもらってもいいですか。」
「ああ、あとこれは女学校の制服。もう既に君の分を用意してあるんだ。」
話聞いてない!今聞かないふりしましたよね?
奏さんが指をパチンと鳴らすと、メジロさんがハンガーにかかった制服を持ってきた。ワンピース型のセーラー服。腰のベルトには学校の紋が入っている。可愛い…。これを着れたらどんな感じになるかな…ってそんなこと考えている場合じゃない。条件が良すぎるし、怪しすぎる。それに会うのが二回目と言えど、ほぼ初めて会ったに等しいような人とエス…恋仲関係なんて無理がありすぎる。
「あの!」
思わず声を張り上げる、
「条件が良すぎますし、まだ出会ってから間もない人と…えっと、その、こっ恋仲関係なんて無理があると思うのですが!」
奏さんは少し考えるような動作をして、それから胸に手をあてて丁寧にお辞儀をした。
「可愛いお嬢さんを困らせてしまったようだね。ごめんごめん。エスの関係と言っても、フリで構わないんだ。」
「フリ…ですか?」
「うん。実はこの容姿でしょう?成績だってそこそこ優秀なのも相まって、女学生間で私を取り合うという争いが起きているんだよね。可愛い女の子たちの悲しむ顔は見たくないから、その争いに終止符を打ちたくてね。君と姉妹関係を結べば諦めてくれると思ってさ。で、条件が良い理由は…。」
奏さんは手を伸ばし私の両頬を包み込んだ。
「女学生はみんながみんな優しいお嬢様じゃない。私との関係のせいで君に嫌な思いをさせることがあるかもしれない。その分だよ。条件が良いのはね。」
綺麗な瞳に私の顔が映る。
「もちろん出来る限りは君のことを守るつもりでいるけど。」
彼女の瞳に映った私は、何とも言えない顔をしていた。一つ言えるのは、自分の頬がやけに熱い。
「……話は分かりました。」
私の頬を包む彼女の手に、自分の手を重ねた。その時気付いてしまった。さっきまで自分の顔の熱さのことばかり気になっていたが、彼女の指先が異様に冷たいということに。先ほどの夕食の時に重ねられた手よりもさらに冷たいような気がする。
私を誘った理由は本当に自分を取り合う女の子たちを止めるためだけなのだろうか。
そのまま手を重ねたまま下ろす。そして私は彼女の顔をじっと見つめた。嘘を言っているようにも見えないし、本当のことを言っているようにも見えない。
「随分手が冷たいんですね。」
「うん、実は私すごい冷え性なんだよね。女学校でも色白な上で冷たい手だから、雪の王子様なんて呼ばれてるんだよ。夏生まれなのにね。―-だから、君の林檎のような真っ赤な頬に温めて貰おうかな。」
相変わらず余裕の笑みを浮かべている彼女。何を考えているのかはわからない。けど、何となく直感でこの人は悪い人ではないと思った。そしてこの話は受けたほうがいい、そんな気がした。
「さて、どうする?」
「その話、お受けします。」
「良かった。じゃあ、もう少し詳しい話をするね。」
ぱっと明るい表情になった奏さんは、鼻歌まじりに書類を取り出した。
「あ、でも私そろそろ家に帰らないと。」
「それなら心配無用だよ。琴子ちゃんの家にはヒバリから『今日はうちに泊まる』って連絡が入ってるはずだから。」
「はい?」
「あ、そうそう。琴子ちゃんって少し呼びにくいから琴ちゃんでいい?」
「あのちょっと待ってください。うちに連絡って。」
「ヒバリ、連絡出来たー?」
「はい、お嬢様。先ほど連絡完了いたしました。親御さんからの了承も得ております。」
「……嘘ですよね。」
「本当だよ。じゃあ、これからよろしくね。琴ちゃん。楽しみだなー。」
上機嫌なお嬢様と、変わった使用人に囲まれて。
私の人生は大きな転機を迎えたのでした。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます