第5話 お嬢様と対面

屋敷の中は、綺麗な絵画や高そうな壺が飾られていた。絵にかいたような豪邸だ。私には価値は分からないけれど、相当高いんだろうな。

 こんな豪邸に住んでいるような知り合いはやっぱり思い当たらない。何度か人違いです、って帰ろうとしたが真後ろに構えているヒバリさんに幾度となく阻止された。大人しく言うことを聞き、案内されるままに進むしかないようだ。私はまるで怯えた猫のようにキョロキョロしながら長い長い廊下を歩いた。


「着きましたわ。」


 目の前には大きな扉があった。ドアノブには鳥を模した彫刻がされている。使用人は軽く扉をノックした。


「失礼します。連れてまいりました。」

「ありがとう。」


 部屋の中から聞こえる声。何となくどこかで聞き覚えがあるような…。どこだったかな。

 考える隙もなく、使用人は扉を開いた。


「さあ行きましょう。お嬢様がお待ちです。」


 開かれた扉の向こうにいたのは……。


「やあ。」


 陶器のような白い肌。宝石のような綺麗な瞳。入念に手入れされているであろうサラサラの髪。そして聞き覚えのある声。上質なシルクのワンピースを身にまとい、その人は『上流階級』や『貴族』という言葉が良く似合う上品な笑みを浮かべていた。


「あなたは…。」


私はこの人を知っている。

頭をフル回転させ、必死に自分の記憶をたどる。この容姿に声…私の記憶の中でただ一人だけ該当人物がいた。数日前に公園で会ったあの青年だ。しかし服装…いや、そもそも性別が違う。容姿といい声といい、目の前にいるのは間違いなく数日前に会った『青年』なのだが、今目の前にいる人は使用人に『お嬢様』と呼ばれている。ワンピースも着ているからおそらく女性で間違いないのだろう。

状況が整理できず、あれこれ変わる私の表情が面白いのか、青年は先ほどの作り込まれたような上品な笑みを崩し、ははっと悪戯っ子のように笑った。


「混乱してるねー。かーわいい。」

「これは…どういうことでしょうか?」

「見たままの通りさ。」


 意味が分からない。私は助けを求めるように振り返り、使用人のコルリさん、メジロさん、ヒバリさんを見た。三人はにっこり笑っているだけで何も言わない。ああもう、本当に何?


「驚いたかい?」

「何なんですか。」

「まあ、そう怒らずに。可愛い顔が台無しだよ。」

「怒っていません。あと可愛くないです。」


 私の返答はさらっと流された。青年は、私の後ろに立つ使用人三人に目配せをした。その合図で使用人たちは丁寧にお辞儀をし、部屋を出た。


「さて、本題を話そうかな。そこに椅子に腰かけて。」

「これは一体。」

「今から説明するよ。あ、紅茶は飲めるかい?」


 呑気に紅茶なんて飲んでいる場合じゃない。仕事終わりに誘拐まがいなことをされて、知らないお屋敷に連れてこられて、会ったことはあるが良くわからない人物を目の前にして、次は紅茶を飲めなんて本当に混乱どころの話ではない。私は威嚇する猫のように目の前の人物を睨んだ。しかし相手は怯えることもなければ、むしろ余裕の表情を浮かべている。大きな部屋に小さな沈黙が流れた。

 『お嬢様』と呼ばれた人は、私がなかなか座らないのを見かねたのか、小さくため息をついた。そして私の目の前まで近づき、手を引っ張った。


「わっ。」


 急に引っ張られた私は、バランスを崩しながら数歩彼女に近づいた。あと少しで彼女とぶつかりそうだという瞬間、彼女は掴んだ手をパっとを離し、私の両肩に手を置いた。そのままダンスを踊るかのように流れるような仕草で、彼女はすぐそばにあった椅子に私を座らせた。ふわりと柔らかい椅子の感触が広がる。


「もう一度聞くよ。」


 私が座ったのを確認すると、彼女は満足気に笑ってもう一度私に問う。さっきの使用人たちに対しても思ったが、笑顔なのに圧がすごい。


「紅茶は飲めるかい?」


 私はただ小さく頷くことしかできなかった。その瞬間だった、ぐーぎゅるる、と情けない音が部屋に響いた。そうだった。誘拐されたのは仕事終わりの帰り道。まだ夕飯を食べていなかった。反射的にお腹を押さえたが遅かった。チラッと視線をあげると彼女と目が合う。あ、だめだ。この顔は完全に音を聞かれていた。恥ずかしさで顔が熱い。


「紅茶の前に夕飯だね。コルリ―。」


 名前を呼ばれると、先ほど部屋から出たコルリさんが入ってきた。


「どうされましたか。」

「彼女に夕食を。飲み物は紅茶で。」

「かしこまりました。お飲み物はどのタイミングでお持ちしましょうか。」

「任せるよ。」

「承知しました。」


 コルリさんは丁寧にお辞儀をして部屋を出て行った。


「じゃあ、夕食を用意してもらっている間に自己紹介しようかな。本題は食事の後にしよう。」


 フフッと笑うと、彼女は自己紹介を始めた。


「私の名前は美羽奏みはね かなでだよ。」

「みはね…かなでさん。」

「そう。覚えてね。呼び方は奏でいいよ。ちなみに君に初めて会った時は男装していたけど、性別はこの通り、正真正銘の女だよ。」

「本当ですか。」

「あ、疑いの眼差しだねえ。」


 だって会った時は本当に美青年という言葉がぴったりの青年だったのだから。


「本当だよ。触ってみるかい?」

「結構です。」

「恥ずかしがらなくてもいいのに。」


 彼女は胸元に手を置いてどうぞ、と仕草をするが私は首を横に振った。


「歳は十六で、高等女学校に通っている。あとは何が知りたいかな?夕食が来るまでの間なら質問に答えるよ。」


 どうぞ、と彼女は私にまるで歌唱指導の先生のように手を向けた。


「えっと…。」


 聞きたいことは山のようにある。どうして私が急に誘拐まがいなことをされなければいけないのとか、どうして私と会った時は男装をしていたのかとか、あの三人の使用人のこととか。きりがない。


「質問、ないの?」


 彼女は私の目の前まで顔を寄せた。顔が近い!反射的に後ろにのけ反る。


「あっあります!ありますから!なんで私はここに連れてこられたんですか?」

「うん、良い質問だね。」


 スッ顔を引いて彼女、奏さんは椅子に座りなおした。


「私が君を気に入ったからだよ。」

「はい?」


 まったく意味が分からない。気に入られる要素もなければタイミングもなかったはずだ。


「私たちってあの日に会ったきりですよね?」

「うんそうだね。」


 それが何か?と言わばんばかりに彼女は小首を傾げた。


「気に入られるような理由はないと思いますが。」

「気に入るのにいちいち理由が必要なのかい?」

「……。」


 会話しているはずなのに会話が成立していないような気がするのは何故だろう。質問を変えてみるべきなのかな。


「どうしてあの時は男装をしていたんですか。」

「ああ、それはよく行く喫茶の女店長が男装の麗人が好きでねー。試しにやってみたら思いのほか喜んでくれたからたまにその姿で来店してるんだよ。君に会ったのは丁度喫茶店帰りだったんだ。」

「そうなんですか。」


 どんな喫茶店だよ、なんてツッコミを心の中で入れながら、次の質問を探す。


「あの使用人の方…。」

「ん?コルリとメジロとヒバリのことかい?」

「はい。私はあの使用人の方々にお会いしたことはないはずです。だけど彼女たちは、私がここに連れて来られる際に、間違いないと言い切りました。どうして私のことを知っていたんですか。」


 奏さんは、綺麗な指先でスッと私の襟元を指差した。


「それだよ。」


 私の襟元には、あの時貰ったピンズがついていた。


「可愛くて可憐なお嬢さんを探してくるように伝えたんだ。うちの紋が入ったピンズを付けているはずだから。ってね。」

「……よくそんな説明で確信持って私を見つけましたね。」

「うちの使用人は優秀だからね。」


 優秀、という言葉で片付けられるものなんだろうか。


「ほかに質問は、―-あ、食事が来たみたいだね。」


 ドアがノックされるよりほんの少し先に奏さんはドアの方向に視線を移した。

 コンコンとドアがノックされ、ワゴンに乗せられた豪勢な食事が運ばれてきた。こんなの絵本の中でしか見たことがない。メジロさんとヒバリさんが机を運び入れ真っ白のテーブルクロスをかける、その上にコルリさんは丁寧に食事を並べた。あっという間にレストランの一角が仕上がった。

 


「遠慮せずに食べてね。冷めないうちにどうぞ。」


 遠慮というか思わずその豪華な食事にたじろいてしまう。この並べられたナイフとフォークだってどうやって使えばいいんだろう。庶民の私はマナーなんて知らない。


「ああ、なるほど。」


 何かを察したのか、奏さんは立ち上がって私の後ろに立つと、そのまま私の両手をとった。


「何するんですか。」

「いいかい、ナイフとフォークはこうやって使うんだよ。」


 少しだけひんやりとした手に導かれて、丁寧に切り分ける。これは魚だろうか。にしては何かかかっているし、見たことない綺麗な野菜が添えられているし、庶民の食卓では見たこともない。とりあえず見た目が華やかで綺麗なことだけは分かる。


「ほら、出来た。はい、口開けて。」


 ひょい、とフォークに刺さった何やら美味しそうなものを口に含む。口いっぱいに美味しい味が広がる。思わず顔がにやける。


「おいひいです。」

「良かった。それは魚のムニエルだね。食べたことない?」

「焼き魚とは違うのでしょうか。」

「似たようなものかな。西洋の焼き魚といったところかな。」

「なるほど…ムニエル。覚えておきます。はっ。」


 雰囲気に流されるところだった。ぱっと手を離したため、皿の上に落ちたナイフとフォークはガチャンと大きな音を立ててバウンドすると床に落ちる。


「すっすみません。」

「いいよ。コルリ、新しいものを。」

「かしこまりました。」


 私が落とすことを見込んでいたのか、コルリさんは何処に持っていたのかすぐに新しいナイフとフォークを取り出した。


「もう一回教えようか。」

「結構です。大丈夫ですから!」


 私はさっき教えられたようにして、ナイフとフォークを使う。


「そうそう。さすが、手先が器用だし覚えも早いね。感心するよ。ゆっくり食べてね。食べ終わったら本題を話すから。」


 にっこり笑って奏さんは向かいの席に座った。そんなにみられると食事が喉を通らない。


「あの…そんなにみられると緊張するといいますか。」

「おや、これは失礼したね。可愛いお嬢さんが美味しそうに食べてる姿をみてるとこっちまで嬉しくなってきてね。まあ、そこまで言うなら私は一旦席を離れようかな。」

「そこまでは言ってないです…けど。」

「じゃあ、ここにいるよ。」


 にっこり笑う奏さん。良く笑う人だ。

 私はとりあえず目を合わせないように食事を口に運ぶのだった。


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