第3話 仕事がなくなった!?

「ふう、間に合った。」


 あれから無事子どもたちに人形を渡してから、急いで仕立て屋に戻ってきた私。全力疾走してきたから、背中は汗でしっとりしてるし、額にも汗が滲んでいる。時計を見ると、昼休み終了五分前。ギリギリだ。

 息を整え、店のドアノブを握る。ゆっくり開くと、ドアの隙間から話し声が聞こえてきた。


「琴子には内緒にしてね。」


 私に内緒?どういうこと?ドアを開きかけた手が止まる。そのまま耳を澄ませる。話しているのは、艶乃さんと、松恵さんタケさん小梅さんだ。私はドアに耳を近づけた。


「でもどうするんですか。このままじゃお店の存続に関わりますよね。」

「それはそうなんだけど、こればかりはね…。ごめん。」


 いつも元気な小梅さんの泣きそうな震える声。申し訳なさそうに謝る艶乃さんの声。

 話の内容はこうだ。最近近所の大通りに出来た大手企業が経営するデパート。そちらに客が取られつつあるらしい。この町にある小さな個人経営店は次々と経営難に追いやられており、この店も例外ではないという話だ。実際依頼自体も減っているそうだ。今日の午前中も艶乃さんはその件について電話対応をしていたところだったらしい。


「もしこの店を畳むことになっても、あんたたちの仕事先は私が責任をもって探すから。」

「そんなの嫌です。」

「そう言われてもね…。大丈夫さ。あんたたちは洋裁学校も出ているし、ここの仕立て屋でそれなりの技術は叩き込んできたつもりさ。どこに出しても恥ずかしくない。ちゃーんと、あんたたちが活躍できる仕事先を用意するさ。」

「艶乃さん…。」


 艶乃さんと小梅さんのやり取りの中。鋭利な刃物のようにスッと話に割って入ったのは松恵さんだった。


「琴ちゃんはどうするんですか。」


 シン、と静まり返る店内。


「琴ちゃんは、まだ見習いの立場です。あの子には素質や技術はあると思いますが、まだまだ未熟なのも事実です。洋裁学校を出ているわけでもないですし、次の仕事先を見つけると言ってもかなり厳しいですよね。」

「松恵…。」


 艶乃さんに気を遣わせてしまっている。艶乃さんだけじゃない。皆に気を遣わせている。聞いてるだけで胸がぎゅっと掴まれたように苦しくなる。

 そうだ、私は洋裁学校も出ていない。洋裁学校を出るほどの財力が家になかったのだ。いろいろあってここに雇ってもらってはいるが…。

 どうしよう、店に入りにくい。ドアから耳を離し、隙間から今度は店の中を覗くと、タケさんと目があった。今日はよくタケさんと目が合う。


「琴子。」


 タケさんの言葉に皆の視線が私に集中する。私はゆっくりドアを開けた。艶乃さんはにっこり笑った。


「琴子、おかえり。」

「戻りました…。」


 返事をしつつ私の視線は床に向いていく。気まずくて皆の顔が見られない。すると艶乃さんはいつもより優しい声で私に問う。


「聞いてたのかい?」

「―-はい。」


 ズンと重くなる空気。その空気を取っ払うように私は大きく息を吸って、捲し立てるように話す。


「いやー、いきなりこんな話になってて驚きました。大変ですよね。あ、艶乃さん!私全然タダでも働きますよ!むしろ今まで見習いの身分なのにお給料をいただいてたのが申し訳ないっていうか。いっぱいお世話になってるので少しでもお店の役に立たせてください。」


 自分でもこんなに早口で喋られたことに驚いた。

 しかし艶乃さんは、首を横に振った。


「馬鹿言いなさんな。タダ働きさせるわけにはいかないよ。」

「でも…。」

「琴子。」


 私の反論を聞く間もなく、艶乃さんは言葉をかぶせてきた。


「琴子、お使いを頼んでいいかい?商店街の大福を人数分。あとお茶も。はい、これお財布。日差しが強いから帽子をかぶって行きな。」


 艶乃さんに帽子を被され、背中を押される形で私は店をでた。



 トボトボあるく商店街。迷惑はかけたくない。でも専門技術も知識も何もかもが足りない。仕立て屋見習いの自分が、他のお店に勤務なんてかなり厳しい。家には弟と妹もいるし、働かないと仕送りが…。どうしよう。

 商店街で買い物を済ませると、そのまま当てもなく歩き続ける。いつの間にかまた公園の近くまで来ていた。新緑の桜並木が風に揺られている。さっきまで気持ちよかった風は、ひどく冷たく感じた。


「はあ…。」


 ため息と同時に強い風が吹いた。それと同時に帽子が巻き上げられていく。まずい、とっさに手を伸ばすが、短い手は届かず帽子は勢いよく飛ばされていく。


「まずい!」


 帽子を追いかけて走り出す。このまま飛んでいけば、その先は川だ。それは避けたい。走りながら手を伸ばすが、帽子には届かない。まるで帽子に嘲笑われているようだ。

 あともう少しで着水してしまうという瞬間、スッと伸びた白い手が帽子をキャッチした。よかった。お礼を言おうと顔を上げると、そこで会ったのは…。


「やあ、また会ったね。」


 先ほどの青年だった。青年は帽子を持ったまま体制を整えると、全力疾走で息切れしている私にふわっと帽子を被らせた。


「あなたは。」

「どうも、お嬢様のピンチに表れる正義の味方の王子様です。」

「……ふざけないでください。」

「いや、大真面目だよ。」


 ははっ、と声を出して笑う青年。青年はそのまま私の顔を覗き込んだ。


「浮かない顔をしているようだけど何かあったのかな?さっき会った時はウキウキとした顔をしていたのに。今はそうだな、フナのような目というか。」

「フナって、ちょっと失礼じゃないですか。」

「そうかい?まあ、何かあったのは事実だと思うけど違うかい?」


 思わず視線を逸らす私。


「あ、目を逸らした。君ってわかりやすいね。」


 何が面白いのか青年はクスクスと笑っている。


「からかわないでください。何でもないですから。」

「本当に?」

「本当です。」

「ふーん。」


 青年はポン、と私の頭に手を乗せた。


「何でもないならそんな今にも泣きそうな顔はしないと思うけど。困ってるなら力になるよ。僕は君を気に入ったからね。」

「何言ってるんですか。」


 ふふっと笑って青年は私の手に何かを握らせた。


「それ、服に付けておいて。じゃあね。」


 そう言って踵を返す青年。私は手に視線を落とし。握った手をゆっくり開くと中あったのは小さなピンズだった。ピンズには羽ばたいている鳥を模した細やかな模様が掘られている。


「綺麗…。」


 思わずポロリと言葉が零れる。服のどこかにつけて、か。

 じっとピンズを見つめてから、私はそれを襟元に付けた。庶民の私には不釣り合いなくらい輝きを放っているピンズが眩しく感じた。


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