第2話 公園と美少年
公園に到着した私は、人通りの少ない木陰に腰を下ろした。
桜の季節も終わり、新緑の季節に突入している桜並木。若々しい葉を揺らしながら吹き抜けていく風が心地よい。胸いっぱいに空気を吸い込むと、肺の中まで爽やかな空気で満たされていく。
「ふうー…。よし!」
私は鞄から先ほど仕上がったばかりの人形を取り出した。人形の洋服を整えて、ほつれたり破れたりしていないか最終チェックをする。うん、大丈夫そう。一応小さな持ち運び用の裁縫セットも鞄に入れてきたが出番は無さそうだ。どの方向から見ても問題なし。木陰から差し込む光に照らされた胸元のリボンがキラキラと輝いて見えた。やっぱりこのリボンつけて正解だったな。これならきっと子どもたちにも喜んでもらえるだろう。
喜んでくれている子どもたちの姿を想像して思わず笑みが零れた時だった。ふわっと優しい花の香りが鼻を掠めた。あ、いい匂い……と思ったと同時に、聞き馴染みのない声が耳に入った。
「すごいね、君が作ったの?」
ゆっくり顔を上げると、そこには綺麗な顔が印象的な青年がいた。
ふと頭を過るのは小梅さんが言っていた謎の美青年だ。いや、まさかね。
青年は興味深そうに私の人形を見ている。この人、人形が好きなのかな。
「えっと、はい。そうです。」
「この人形の服のデザインも君かな?」
私は首を縦に振った。あれ、もしかして作った人形の服……変だったかな。可愛いと思ったんだけど。
ふーん、と呟きながら青年は私と距離を詰め、目の前にしゃがんだ。顔が近い近い近い。陶器のような白い肌に、長い睫毛、宝石のような綺麗な瞳。サラサラの髪。どこかの国の王子様のような風貌が眩しくて思わず目を逸らしてしまった。青年は何が面白いのか、クスッと笑った。
「おや、目を逸らされてしまったね。」
しまった、失礼だったかな。私は恐る恐る視線を戻して、青年を見る。青年は形の良い唇で弧を描くようにして笑みを浮かべていた。
「君が良ければ、その人形を見せて貰ってもいいかな。」
男性にしてはやや高い中性的な落ち着いた声。綺麗な顔によく合う透き通った聞き心地の良い声だ。スラリとした細くて長い手足。服が大きいのか肩幅が余っているが、それが一層華奢で儚げな雰囲気を醸し出している。こんな綺麗で完璧な男性がこの世に存在しているとは…。夢でも見ているんじゃないだろうか。なんて思いながら、人形を青年に差し出した。
「ど、どうぞ。」
青年は「ありがと。」と小さく笑みを浮かべて私から人形を受け取った。まるでお姫様を扱うかのように丁寧に人形を抱く姿は、まるで美術館に飾られている絵画だ。…といっても一般庶民、その中でも中の下の下くらいに位置する私は美術館に行ったこともなければ、実物の絵画も見たことなんてないけれど。
青年は人形を、まるで赤子を高い高いするように持ち上げてみたり、スカートや袖先に触れている。長い指先で今日人形に付けたばっかりのリボンに触れると、青年は小さく頷いて、人形を私に手渡した。
「可愛いお嬢さん。どうもありがとう。」
「はい?」
可愛いお嬢さんなんて言われたこともなかったから、思わず耳が遠くなってしまった老婆のような声を出してしまった。
「君は人形屋さんなのかな。」
青年は変な声を出してしまった私を気にすることもなく、質問をした。
「いえ、仕立て屋の見習いです。」
「なるほど。」
ふむ、と青年は口元に指をあててじっと私を見た。私の顔に何かついているだろうか。私が首を傾げると、青年は私と同じ方向に首を傾げた。…これはもしや、からかわれているだけなのでは。
私が少しだけムっとした顔をすると、青年はふふっと笑った。
「怒らないでよ。」
「怒っていません。」
「ごめんごめん。」
その時だった。青年の袖口からぽろりとボタンが落ちた。ボタンは私の目の前までころりと転がってきた。私はそれを手に取った。少し年季は入っているが、綺麗な模様が掘られているボタン。きっと高級品…かなり良いものなのだろう。
「それ、欲しいの?」
「違います!良いものなんだろうなって思っただけで。」
「本当?」
「本当ですよ。」
さっきまでの綺麗でちょっと神秘的な笑みとは違って、青年は悪戯っぽく笑っている。この人は一体何なのだろう。…あ、そういえば鞄の中に裁縫セット入れていたっけ。私は鞄から裁縫セットを取り出すと、青年に声をかけた。
「私裁縫セット持っているので、良かったらボタン付けましょうか。」
「良いの?」
「はい。その上着を脱いでくださいますか。」
「君の作業を傍で見ていたいから、このままボタンを付けてくれてもいいんだけど。」
「なっ。」
青年は私とおでこがぶつかりそうなくらい顔を近づけてきた。思わす後退る私。そして真後ろに会った桜の幹に激突した。ゴンッと重めの音が鳴る。……痛い。
「大丈夫?すごい音がしたけど。」
「……大丈夫です。それより上着を脱いでください。」
後頭部を抑えながら言うと、青年は一瞬だけ迷っているような表情を見せた。スーッと目が泳ぐ。別に裸になるわけでもないのに。変なの。私が青年をじっと見つめると、青年はさっきの表情が嘘のように、ちいさく笑みを浮かべて上着を脱いだ。上着の下には、何の変哲もない立ち襟のシャツを着ていた。どこにでもあるような男性が着ているシャツ。それなのに何となく違和感を感じるのはなぜだろう。少し服が大きいから?いや、違う。もっとこう根本的に何かが…。まるで喉に魚の小骨が引っ掛かっているようなすっきりしないモヤモヤとした感情に、思わず眉間に皺が寄る。
「お嬢さん。」
「はい!?」
「難しい顔してどうしたのかな。はい、これ上着。春とは言っても、こんな薄着では少し肌寒いからね。出来るだけ早くボタンを付けてくれると助かるんだけど。」
「分かりました。」
私はせっせとボタンを縫い付ける。
「へえ、上手いもんだね。」
「ボタン付けは慣れていますから。それにしてもこれ、素敵な上着ですね。」
「ありがとう。」
「これは人から頂いたものですか?」
「ん?どうしてそう思ったのかな?」
青年は笑顔のまま私に問う。
「作り自体は細身の上着ですが、肩幅はあなたにとっては広いと思ったので。あとほら、この肘の部分。糸と生地がほんの少しですが伸びています。あなたの肘の位置とはズレていますよね。きっとあなたより体の大きな人が着ていたのではないかと……。」
「なるほど。」
「それと、上着を脱いだ状態を見て思ったのですが、あなたはまるで女性のような細身の体形なので、もっと淡い色でウエストが絞られた上着…例えば西洋の紳士が着ていそうなものの方が似合うんじゃないかなって……はっ。失礼しました。」
しまった。男性に対して女性のようなんて言ってしまって失礼だったかな。ちらっと青年を見ると、青年は目を丸くして驚いた顔をしていた。それから、またさっきみたいな悪戯な笑みを浮かべて呟いた。
「君、面白いね。」
「はい?」
「ううん、こっちの話。」
丁度ボタンを付け終わった私。パチン、と小さな音を立てて糸を切る。青年は私の手から流れるような所作で上着を受け取ると、すぐに袖を通した。
「うん、いい感じ。ありがとね。」
「いえ。」
その時だった。遠くの方から「どこですのー。」と誰かを探している声が聞こえた。青年は声のした方向に顔を向けると、クイっと口角を上げて私の頭をポン、と撫でた。
「それでは可愛いお嬢さん。ありがとう。また会えるのを楽しみにしているよ。」
それだけ言い残すと、青年は声のした方向と逆方向へ歩いて行った。私はぼーっとその後ろ姿を眺めていた。
「変な人。………あ、昼休み終わっちゃう。早く人形渡しに行かないと!」
私は片手に鞄、片手に人形を抱いて、子どもたちの遊び場へ向かって走り出した。
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