君を連れて行くよ【百合】

茶葉まこと

第1話 仕立て屋と噂話

「ねえ、知ってる?謎の美青年の話。」

「もちろん。近頃この町に出没しているらしいね。私は会ったことないけど、小梅は?」

「私も会ったことない。噂によると、背が高くて、若くて、整った顔立ちで、良い香りがして、どんな殿方よりも女性に優しくて紳士的なんだって。ああ、一度でいいからお会いしたい。」

「そんな美青年この町に本当にいるのかな。嘘じゃない?」

「んもー。タケちゃんったら夢がないよ!」

「私は現実主義なんですー。」

「おーい、おふたりさーん。噂話はいいから手を動かさないと怒られるよ。」

「一人でお茶飲みながら勝手に休憩してる松恵に言われたくないわ。」


 ワイワイと賑やかな会話が飛び交うここは、小さな仕立て屋だ。華やかな大通りから少し外れた路地裏にひっそりと佇む小さな店。ただ、ひっそりとしているのは外見だけで、店の中はいつだってミシンを踏む音や、元気な従業員たちの笑い声で随分と賑やかだ。

 そんな仕立て屋で見習いという形で雇ってもらっているのが私、日野琴子。従業員のお姉さんたちの会話をラジオのように聞き流しつつ、与えられた作業をするのが日課だ。ちなみに今はボタン付けの最中なのだが…。


「で、琴子ことこはどう思う?」

「へ?」

「謎の美青年の話。琴子はどう思う?」

「どう思うって…。」


 ミシン台から身を乗り出すようにして私に聞いてきたのは、さっきから噂話に花を咲かせている小梅さんだ。流行と噂話に敏感で、店に新しい情報を持ってきてくれるのは大概彼女だ。


「こら、琴子を困らせないの。」

「痛っ。タケちゃん暴力反対!」


 くるくると丸めたハトロン紙でポカっと音を立てて小梅こうめさんの頭を叩いたのは、タケさん。何だかんだいつも小梅さんの噂話に付き合ってくれていて、面倒見の良いしっかり者のお姉さん。


「二人とも琴ちゃん困らせちゃ駄目だよー。」


 軽く注意はしつつも、自分はちゃっかり休憩をとったりマイペースで作業を進めているのが松恵さん。おっとりしているけれど、技術面はこの店では店長に並ぶくらいすごくて、特に細やかな装飾が得意だ。松恵さんを指名して服の依頼する人もいるくらいだ。


「困らせてませーん。んもー、タケちゃんのせいで私が悪いみたいじゃん。」

「事実でしょ。あと松恵もさりげなく二人ともって表現するのはやめて。私は琴子を困らせてないから。悪いのは小梅一人だから。」

「あー、そんなこと言っていいのかしら!噂の美青年とお知り合いになってもタケちゃんに教えてあげないんだから!」

「結構結構。」

「二人ともそこまでにしないと、本当にまずいよー…っと、噂をすれば。」


 松恵まつえさんが振り向くと、腕を組んで満面の笑みを浮かべている女性の姿があった。うちの店長の艶乃つやのさんだ。すっと伸びた背筋に、一本でも垂らすまいと綺麗にまとめあげられた長い髪が特徴的な美人。人情味に溢れていて、明るくて優しくて頼りになる人だが、怒ると怖い。ものすごく怖い。確か以前に小梅さんが艶乃さんを怒らせて、小梅さん半泣きになりながらミシン仕事をしていたことがあったな。

 そして今。艶乃さんはにっこりと笑ってはいるけれど、よく見れば組んだ腕に力が入って、指が腕に食い込んでいる。あ、これ少し怒ってるやつだ。


「あんたたち、休憩時間はもう少し先のはずだけど。」


 ぴしゃりと凍る空気。小梅さんはそそくさと自分の持ち場に戻るし、タケさんは目が泳いでいる。松恵さんはさっきまで飲んでいたお茶をスッと作業台の下に隠している。

 さっきまでの盛り上がりが嘘のように静まり返る店内。どうしよう。ちらっとタケさんを見ると目が合った。タケさんは小さく頷いて、口を開いた。


「えーっと、艶乃さんこれはですね…。」

「タケ。言い訳は結構だよ。また雑談に花を咲かせていたんだろう?」

「すみません。」

「話の発端はどうせ小梅あたりだろう。ね、お喋り大好き小梅さん。」


 にっこりと笑う艶乃さん。名前を呼ばれた小梅さんはピャッと肩を猫のように上げると、はは…と苦笑いをした。


「はあ…あんたたちは少し目を離せばいつもこうだ。無駄話をするなとは言わないよ。でも手はしっかり動かす!休憩までしっかり働いてもらわないとお給料出せないよ。」


 私を含め四人とも口々にすみません、と謝ると艶乃さんは分かればよし、と言わんばかりに腰に手を当てて大きく頷いた。それから重くなった空気を断ち切るように両手を広げて、パンっと音を立てて手を叩く。


「はい、お説教終わり!今から休憩に入っていいよ。仕事再開は一時間後。いいね?」

「はい!」


 皆がそれぞれ休憩に入ったところで、松恵さんに声を掛けられた。


「琴ちゃん、琴ちゃん。」

「何ですか?」

「この前依頼受けた衣装の端切れ、いる?」

「良いんですか?」

「うん。琴ちゃんが欲しいかなーと思って取っておいたの。割と変わった生地だから縫うの楽しいかもね。他にもいろいろ端切れいれておいたよ。はい、どうぞ。」

「わあ!こんなにたくさん貰っていいんですか。」

「うん。じゃあ、私はおやつ買いにいってきまーす。」

「いつもありがとうございます。」

「良いってことよー。」


 松恵さんは私に紙袋いっぱいの端切れを渡すと、ヒラヒラと手を振って、鼻歌を歌いながら買い物に出かけてしまった。

 松恵さんはたまに私に余った生地をくれる。その端切れを使って、人形を作るのが私の趣味だ。最初は服作りの練習と思って始めた人形作りだったけれど、いつの間にかどっぷりのめり込んで趣味と化している。

今はその人形用の服を作っている最中で、丁度あと一歩何かが足りないと思っていたところだったので助かった。

紙袋の中に視線を落とすと、可愛い柄物の生地や、リボンやレースまで入っている。これは使える。胸元に付けたら絶対可愛い。思わず顔がにやけてしまう。


「琴子嬉しそうだね。」

「小梅さん。」

「好みの生地、入ってた?」

「はい。」

「良かったね。今作ってる人形、また公園の子たちに渡しに行くの?」

「はい。このリボンを人形の胸元に付けたら完成なので、明日にでも持っていこうかと。」

「そっか。天気予報では明日からしばらく雨みたいだから、公園に行くなら今日行った方がいいと思うよ。昼休み利用して行って来たら?」

「そうなんですか?じゃあ、急いで縫い付けて行ってきます!」


 紙袋からリボンを取り出し、人形の服の胸元に急いで縫い付ける。うん、やっぱり可愛い。つけて正解だ。そして作った人形は、いつも近所の公園で遊ぶ子どもたちに渡している。

 私はたった今仕上がったばかりの人形を鞄に詰め込むと、急いで公園へ向かった。


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