第10話

 ――竜宮は物理法則的に加えて人生経験に照らしてみても、おかしな見た目の場所である。つまり不自然。

 海の底なだらかに隆起する丘の頂きで下降海流に包まれて、ドーム状の輝く半球が深海の闇を静かに霞んで照らしている。


 光の中心部へ向けて流れに従い下降して行くと、朧気おぼろげながら辺りの地形が確認できた。


 大陸棚から深海底へ移る斜面なのだろう。ゆるく堆積している泥の上に海流で削られる様に、そこだけポッコリ盛り上がる広く平らな丸い台地。

 その上に伏せられたボウル形の光が、深海の暗黒に逆らって大きく覆い守っている。


 発光している壁の内側には、きっと大気が在るだろう。不思議とそう確信できた。

 重力の方向がおかしいのか? 周りの高い水圧が、まるで無視されている。その不自然さは天地を逆にして見れば、まだ目立たない。

 この場所が水脈のと、呼ばれているのも頷ける。


(――『ゲーム内最高絶景を探し出し、俳句を詠む』……か)


 此のゲームを始める切っ掛けとなった『社命』を、ふと思い出した。


(ここは、この世界に有る『絶景』の一つに違いない)


 そんな言葉が素直に浮かぶ。



 真っ直ぐ下降していたムーちゃんが、再び円を描き泳ぎ始めた。

 少しずつ径を伸ばし、徐々にドーム状の光の壁をなぞる軌道に接近してゆく。

 海流がそうなっているのか、ムーちゃん自身が泳いでいるのか、育児嚢の中からは分からない。

 高圧の深海に見渡す景色は無く、変わらない暗黒の静けさの中ただ迫る光の動きだけが、ムーちゃんの螺旋に進んでゆく様子を伝えてくれた。


 大きく周回しながらゆっくりと降下を続け、海底が近付くのに従い、慎重に壁へ向かって近付いて行く。


「――マスター……こわい」

 育児嚢の中で押し寄せる光に身投げするよう取り込まれ始め、肩がおびえるビキニの声。

「キャプテンとムーちゃんなら、きっと大丈夫……無事に切り抜けてくれる」

「……はい」


 ムーちゃんの体は徐々に輝きに包まれて、やがて、遂に壁を突き抜けた。



 途端どどどうっと、水の砕ける音に包まれた。心臓が跳ね上がる。どうやら環境が一気に変わったようだ。深海の高い水圧も無い。

 発光するお椀のような壁の正体は、脈同士が接触する境界面だったらしい。


 巨大な球形の内側に添って流れ落ちる水の向こうに、光を浴びて『竜宮』が揺れる。

 ビキニをお腹に包んだムーちゃんが、土砂降りのような海水に細長い顔をざざんと突き出し、青く輝く海面へ立ち泳ぎで進水した。


 忘れていた色彩が一斉に復活して、視界を明るく満たす。

 狭いアパートの部屋に見晴らす景色が久し振りだ。

「うわぁ……」

 解放された安堵の声を、ビキニと二人重ね合わせた。


 ――天空すべてを光る壁に閉ざされた、円形の海。

 水平線まで見えそうな広大な内海は、おおむね均一な遠浅だ。鮮やかなコバルトブルーが何処までも視界に続き、空には雲まで流れている。

 閉じた空間でも風は在るらしい。

 遠く波を作る海上中央には、大きな緑の島が砂漠の蜃気楼のように、丸くぽつんと浮かんでいた。


 竜宮という名前から沖縄の『首里城』っぽいお城が建っていると想像していたが、行く手に浮かぶ明るい島には大きく栄えた『街』が見える。

 ムーちゃんに続いて壁を越えて来た竜騎士ヒノ・ハルトさんは「――俺は公安庁へ報告が有るから、先に行かせてもらうよ」と、カピバラえっくすに跨り水玉模様の紙袋を振りながら、島へ向かってパタパタ飛び去って行った。



 あまり波の立たない穏やかな遠浅を、ムーちゃんは島に向けて、のんびり泳ぎ始める。

 細長い彼の頭上では目指す街に誇らしく胸を張り、腕と胡坐あぐらを小さく組んだキャプテン・ほのなえちゃんと、ナデシコ髪を潮風に揺らす笑顔のビキニが、仲良く寄り添い腰掛けた。


 ――少年海賊船長と、異国のへそ出しお姫様。


 アニメのような冒険の後ろ姿を海上からの引きの視点で、俺はワクワク四畳半から見守った。



 〇 〇 〇



 田舎のバス停のような看板が立つ港へムーちゃんを係留し、キャプテンに街を案内されるビキニは、スキップでも踏んでくれそうだ。

 観光地を散策する、仲良し女子の二人組。


 さっきから肩を寄せ合い何かくすくすとやっているので、こっそり盗み聞きすると「……この人が私のマスター……」と、待ち受けを取り出し見せびらかしてやがった。


「へ……へぇ……か、カッコイイ、ね?」

「えへへっ!」


(なんて事しているビキニよ! ほらみろキャプテンが微妙な微笑……いや、これは苦笑だっ!)


 顔を真っ赤に熱くして一人ジタバタ部屋で悶えている内に、目的の宿泊施設に到着した。




「――女将の、ゴオルドさんだよ」


 八重咲きのハイビスカスのような段フリルのドレスを、しゃらしゃら陽気に振り撒き出迎えるラテン系美女が、なんと宿の女将だと聞いて驚いた。

 しかも彼女は頭の上に、ポコポコうるさい二メートルほどの大きなを引き連れていて、さらに仰天する。


「スパ竜宮へ、ようこそ」

「ぽこ、ぽこぽこ……」

「あ、お、お世話に……なります」

 半ばポカンと、うわの空のビキニ。


「ボクの部屋に泊めてあげたいんだけど、いいかな?」

「もちろん! キャプテンがお友達を連れてくるなんて、めずらしい」

「……ぽこぽこ」


 大きな和風旅館の通用口で少年海賊と、トロピカルの化身みたいな美人が会話をする奇跡の絵面えづら。こんなに美味しいお膳立てでも、ビキニは突っ込みを忘れて二人の頭上に釘付けだ。


「ぽこぽこぽこ……」

 空中でマンボウがポコポコと鳴く。マンボウだよな、これ。俺も正解を見つけられない。


 彼女の不躾ぶしつけな視線に気づいたらしく、マンボウがキョドキョドと視線を泳がせ始めた。何かやましい所でも有るのか? いや、これは遠慮なしに見つめるビキニが悪いだろう。すみません。

 空中を横切る広い面積の魚体に、ぷつぷつと汗が浮かび上がる。


(マンボウって、汗かくのか?)


「この子は『ペレス』。ウチののリーダー」

 不思議顔のビキニに、女将・ゴオルドさんが紹介してくれた。

 マンボウの汗が、ぷつぷつと増す。

 ソウルに何かを、ため込んでいる。

「ぽこ、ぽこぽこ……」


(楽団? ペレス? まさか、とは思うが……)


「Uh!!」


 空中で大汗かいていたマンボウが、突然叫び声でビシリと全身を震わせた。

 情熱のスプラッシュ! 美しい。


「マンボっ!」


 ゴオルドさんも学芸会の花飾りような衣装を、なまめかしく揺らし踊る。いきなり何かが始まった。


「ぽっぽ♪ ぽこっぽ♪ ぽっぽ♪ ぽっこっぽ♪」


 特徴的な繰り返しフレーズ。キビキビくるくる舞う女将。「ひっ」短いビキニの悲鳴。


 気付けば宿の奥から次々と、パーカッションやら金管楽器の音色が加わり始め、その演奏が次第に熱を帯びて行く。


「――ゴオルドさんは、この宿の女将、兼ダンサーなんだ」

 おびえ震えるビキニに対し、キャプテン・ほのなえちゃんが解説してくれた。

「お客を出迎える時は何時も、こうやって踊るのさっ!」

「い、いつも……? なの、ですか……」


「Aa~h! di-lo!!」


 鋭くマンボウが、魂を雄叫ぶ!

 奥の厨房からサキソフォンのソロパートが始まり、女将のダンスは切れを増した。


「あははっ! 接待の心意気が、すこし突き抜けてる人なんだよ」


 キャプテンの説明によると『竜宮』は人口が少ない為、個人が何種類もの職業を掛け持ちするのが普通だという。


「ボクとムーちゃんも、路線バスと『スパ竜宮』の送迎バスの兼任。あと、たまに師匠の『ライダーズ・スクール』の手伝いもしているよ!」

「そ、そうなのですね。突然だったのでビックリしちゃいました」


 そうこうしている内に宿の奥から次々と、トランペットやトロンボーン、大きなコンガを腰に抱えた楽団員が、女将のダンスを陽気に盛り立て、せまい通用口に集まりだした。

 全身のフリルをワシャワシャ揺らし、イキイキ手足を伸ばすゴオルドさん。


 お客を迎える度に、毎回これを!?


「まずい、このまま通用口ここに居たら大変な事になる。部屋へ移動するから、ついて来て」

「は、はいっ!」


 賑やかさを増してゆく楽団と女将を置き去りにして、キャプテンは旅館の奥へとビキニを連れ込む。


「! Uh!!」背後でマンボウが、声高に叫んだ。



〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇



 観光地の俳句。


『佐保姫の 舞う衣のぞく 海のへそ』 ビキニ。

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