第6話

 ――街を午前中に出発し、ソラと海岸線まで並び飛んで来たビキニは、海を見下ろす景色が見事な岩場へと降り立った。


 春になったとは言え大自然の色彩は、まだ寒々と荒々しく、何処までも深く広く大きくうねり、盛り上がっては、消えて沈むを繰り返す。

 見渡す海原を吹き上げる潮風と、雄大に飛び込んで来るパノラマに圧倒されて息を呑んだ。


(相変らず、リアルなグラフィックスだ……)


 眼下に打ち付け泡立つ、まるで人を拒む様な潮騒を耳にした途端、俺は一般的な地球人として当たり前の疑問を口にする。


「――この海の底へ、どうやって行くつもりなの?」


 みんなが当たり前のように『竜宮へお届け物』、だなんて会話をしていたので、いったいどんな方法で辿り着くのだろうか? と幾分楽しみに思っていた。

 海底へつながるロスト・テクノロジーの巨大トンネルが存在するだとか、神殿の様な建物の中に描かれた光り輝く転移魔法陣といった、そんな異世界ファンタジー物の定番が見られるのかも! そう漠然と期待していたが……。


「? 路線バスで、行きますケド?」

「ば、バスっ!?」

「おかしい、ですか?」


 いや、確かに手軽な交通手段には違いないが……チョッと斜め上、過ぎやしないか?


「何処かに出掛ける際に、バスを利用するのは変じゃないが……お菓子屋さんのお姉さん、『凄い冒険になる』って言ってなかったっけ?」

「え? バスの旅は、危険ですよね?」


「え?」

「え?」


 どうやら俺の思っている『バス』と、ビキニの言っている『路線バス』とやらは、まったく別モノのようだ。



 少し平らかに張り出した岩場に、背中の虹色の翅を納めた彼女は、背負ったナップサックを傍らヘ添わせ、景色が眺められる場所へと腰を下ろした。

 光で出来ているらしい魔法の翅は、荷物を背負っていても自由に伸びて、飛行の際に邪魔になる事は無い。便利なモノだ。


 水筒を取り出して春の海を眺めながら、ひと休みをするつもりなのだろう。


「少し行った港に竜宮行きのバス停が有るので、そこからバスに乗る予定です」

「バスって、自動車なのかい?」


 ちなみに、この世界で俺は、自動車を見た記憶が無い。そもそもガソリンエンジン自体が、存在しないようだ。


「じどう……? ああ、クルマではなく、タツノオトシゴですよ」

「た!?」

「大きなタツノオトシゴの、お腹の袋に入って海底へ移動します」

「へ……へぇ~……」


 確かにオスのタツノオトシゴには『育児のう』と呼ばれるタマゴを守る袋が有って、孵化した子供達は父親が出産するのだと聞いた事はある。


「袋の中には空気が有るので、海の底でも息が出来るんですよ」

「す、すごいね」

「はい! 凄そうです」

 ニッコリ笑って『猫のお菓子屋さん』から頂いた、竹の皮のお団子包みを取り出す。

「その……ビキニは怖くないの? バスの旅は危険なんでしょ?」

 ビビる俺を振り返り、一瞬きゅろんと丸くした瞳を、すぐに柔らかく笑顔にした。

「少し、怖いですね」

「なら……」

「マスターと行く冒険が、楽しいですから!」

 そう言って、やっぱり微笑む。

「だから三色のお団子で、百人力です!」

「るるっ!」

 ソラがビキニの指からシュルンと抜け出し、撫子の髪の周りをクネクネ愉快に舞い飛んだ。

「美味しそうですね。ソラも食べてみますか?」

「る!」

 打ち寄す波の海に向かって膝の上へ包みを広げ、ピンク・白・草色が美しく並んだ串を、高々と持ち上げて見せる。


(――この子は、強い)


「本当はマスターと一緒に、食べたいです」

「あ、うん。俺の事は気にしないで、せっかく貰ったんだから美味しく頂いて」

「はい」

「る」

 ソラは食べる気、満々だ。



「 ――そういえばマスター……バレンタインデーですよね?」

「え? う、うん……そうだね」


 お団子を楽しく味わい終わったビキニが、ぽつんと呟く。ソラは草団子が気に入った様子。

「チョコレートって、贈ってみたかったです……」


「き、気持ちで十分だよ……」

「――前にマスターの部屋に来ていた女性からは、もらいました?」

 ビキニが気持ち声のトーンを落としチラリと、いや、じっとりと質問態勢で睨んできた。

 ざざんと波が、岩礁に砕ける。

 丸く潤んだ、藤色の瞳が美しい。


(げ、根に持っていた……)


 そういえば昨晩、新聞社からの連絡を届けに部屋へ来た後輩『RR君』が、

「――社で配り終った、余りッス!」とかほざいて、ころりと『きな粉餅のチロル』を放ってったっけ。


「こ、小粒な物を……ひとかけら……」

「ズルイです!」


(ずるいって……)


「そういう事なら、私は歌います!」

「?……へっ?」


 ビキニは、こちらを振り返った質問状態のままスックと立ち上がり、ほほを桜色に染め上げた。


「恥ずかしいけど、マスターに贈ります……聞いて下さい!」

「え? へ?」


(て、展開が読めない)


「♪――は~る色のバスに、乗~って……」


 透き通ったビキニの歌声が春の海風に運ばれ、俺のスマホから四畳半へ向けて流れて来た。


(うわぁ、きれいな声……っていうか、曲のチョイスが、昭和のアイドル・ソング!? 俺、平成生まれなんだが!? 二十代だが!? 微妙に歌詞を、変えているし!?)


「♪ た~ばこ~の匂いの、ふ~くに……」


(ビキニの歌、嬉しい! うれしいが……やはり『野々〇真』風の写メが、裏目に出たのか!? 俺、オッサンだと思われてるのかっ!?)


「♪ 半年、過ぎても……」


 ビキニの美しい熱唱は、打ちつける潮騒の中、夢の様にまだまだ続く。


 ――ざっぱ~ん!




 ――そこそこの規模の港にたどり着いた。

 大きな船が発着できそうな、コンクリート製の波止場はとばも備えてある。


(所どころ、文明進度が近いよな……)


 この場所へ海の中から、巨大なタツノオトシゴが迎えに来てくれるのだという。


「……ホントに、バス停だぁ」


 田舎に有る様な、白く塗られた金属ポールのてっぺんに丸く錆びたお馴染みの看板。

 タツノオトシゴの小さなマークに『波止場』と黒く、太く書かれた達筆。


「もう直ぐ来ますよ~」

 ビキニがナップサックを背負った背中で、時刻表を覗き込み楽しげに言う。


(ひとりハイキングの山ガールだな。ビキニ鎧だけど)



 しばらく待っていると波止場前の暗い海に、白い泡が無数に浮かび上がってきた。

 みるみる海面は白く濁って徐々にせり上がり、海中深くから黒い巨大な影が、ぐんぐん近付いてくる。


 ――ずざざざざ……。


「をおおおっ!?」

「きましたね、マスター」

「る?」


 ――ざざざざざ……。


 海面から四メートル程の高さまで顔を出したのは、まぎれもなく特撮映画の様な、黄土色した巨大タツノオトシゴだった。


「す……すげぇ……」

「る?」

「……かわいい、です」

「えっ!?」

「る?」

「かわいい」


 まさか、この『ソフビ人形』の様な怪物が可愛いのか? と、ビキニの視線を追うと、巨大な頭の上にスックと立った小柄な影が確認できた。


「――君が、本日のお客かい? お嬢さん!」


 襟が高く折れ立ち、首をぐるりと囲んだ、大きなボタンの長い外套と、金縁が豪華に目立つ、やたらと羽が付いた三角つばの黒い帽子。

 幅広の腹帯に吊るされているのは、大きく湾曲している古いカトラス。


「こ……子供の海賊……?」


 どう見ても小学生に見える海賊姿の少年が、波止場に響く可愛いボーイソプラノで、高らかと名乗りを上げた。


「ボクの名前は『ほのなえ』! 『船長キャプテン・ほのなえ』さっ!!」



〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇



 春の海の俳句。


『君が岩を うた寄せ砕け 春の波』 ビキニ。

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