第7話 聖霊(セイクリッドファントム)

 学生時代の友角敦ともかどあつしは、真面目な男だった。曲がったことは大嫌いで、特撮アニメのヒーローのように、弱い友達を守ろうとする、博愛精神に満ちた男の子だった。

 友角は、子どもの頃から野球を愛し、将来はプロ野球選手になることを夢見て、毎日練習をしていた。努力は実を結び、高校生になった彼は、野球の強豪校にスポーツ推薦で入学。実力者が揃うチームでしのぎを削り合い、二年生で一軍のレギュラーとして活躍し、甲子園にも出場した。優勝こそできなかったものの、仲間達と共に戦った記録は、友角の誇りだった。

 しかし、現実は非情だった。

 三年生の夏が終わり、引退した友角の元に、プロのスカウトは現れなかった。それでも夢を諦め切れず、プロテストに挑むも結果は不合格。

 一方で、チームメイト達から数人くらい、球団から声をかけられた者がいた。その中には、後輩も含まれていた。友角が可愛がっていた後輩だった。

 友角は、生まれて初めて挫折を味わった。

 

 健全な人間なら、こういう所で味わう挫折から、足りなかったものが何かを探り当て、生長の糧にする。

 だが、友角はそれが出来なかった。

 自分を選ばなかった人間達を無能と見下し、それどころか、憧れていたはずの野球そのものをお遊戯だと断じるようになった。そうすることでしか、選ばれなかったショックから立ち直ることが出来なかったのだ。


 やがて、友角は整体師になった。野球部にいた頃に経験したことを活かせると思ったからだ。「奉仕を重んじる」なんて、反吐が出るような企業理念に苦しみながらも、野球で培った根性でなんとか乗り切った。

 その内、同期の女性と結ばれ、子に恵まれるようにもなった。幸い、妻となった女性は美人なので、それが友角の新たな自慢になり、プロ野球への未練が薄れていった。その後、子宝にも恵まれた。

 妻と子を守ること――それが、友角の新たな行動理念になった。

 あまりにも大きな幸せは、彼のコンプレックスを、過去の物にした。


 同じ頃、友角は突然、自分の神霊――クレイジーアップルの存在に気付き、神霊子として覚醒した。クレイジーアップルは自然界に存在する妖精。寄生する人間の負の感情を糧に、毒をまき散らす凶悪な妖精だった。

 友角は、クレイジーアップルのもつ力を知覚したことで、内に秘めていた恨みを燃やす。自らが望む黒い願望が実現可能であることに、彼は気付いてしまったのだ。

 以来は、彼は誰に気付かれることなく、密かに自分を認めない者、気に入らない者を嬲り、時に始末することの快感を覚えるようになった。彼の凶行により、あるプロの球団の幹部が、一斉に入れ替わったこともあった。

 

 友角は、プロ野球選手以上に、素晴らしい力を得たと思った。

 クレイジーアップルさえいれば、自分は裁定者になれる。間違った人間を始末し、今の世をよりよいものに出来ると、本気で信じるようになった。


 ~~~~~~~~~~~~~~


 倒れていたはずの秀平の身体が輝き始めるのを見た友角は、ただならぬ気配を察知し、一歩後ずさる。


「んだよ、こりゃあ……!?」


 散々痛めつけてやった、年上なのに情けない男。それが、友角から見た、火野秀平という人間だった。ちょっと身長が高いくらいで、後は全然ダメ。意味はわからないが、ちょうどあいつを辞めさせたいと思っている女だっているのだ。謝礼金を出されるくらい、厄介者だと思っていたみたいだから、よほどダメな奴なんだな、と思った。

 これは副業だ。仕事で気に入らない人間をメッタメタに出来るのは、なんとも気分が良い。マッサージ以上に社会貢献が出来ていると実感できる。

 そして、昨日の夜。またも火野秀平を襲うよう、仕事を依頼された。「一般人に危害を加えかねない危険な子どもが脱走したので、捕縛してほしい」なんて言われたら、友角に断る理由なんてない。家族を守るためならば、修羅にだってなる覚悟があったからだ。

 だから、殺した。そのはずだった。

 しかし、友角は初めて自分の過ちに気が付いた。


『ニゲロ、おまえ! ヤベーノガデテクル!!』


 クレイジーアップルが、自分にしか伝わらない声で警鐘を鳴らす。


『コイツモ、おまえト同ジ! シカモ、オレヨリスゲーパワー!』


 見下していたから、相手が自分と同じ土俵に立つ才能がある、と思うことすらしなかった。

 火野秀平の力を感じ取ったクレイジーアップルが、両目を開けて震え出す。耳元で、「早ク逃ゲロヨォ!」と何度も警告してくる。

 だが、友角はそうしなかった。


「い、いや……目覚めたばっかのヤツだぜ」


 友角は、目の前の男が、脅威だと認めることが出来なかった。既に、火野秀平の全身には、クレイジーアップルの神経毒が回っている。今はまだ致死量寸前のところで止めているが、少しでも足してやれば、こいつは確実に死ぬ。ちょっと足せば良いだけなのだ。生殺与奪の権利はこちらにある。少しでも怪しい動きを見せれば、そうしてやるまでだ。


 だが、その思い込みが、友角の命運を分けた。

 

「こほッ!?」


 突如、眩い光が発せられ、同時に首を絞められた。すぐに拘束を解こうともがくが、両手の指は空を切り続ける。糸や他の道具、潜んでいた協力者によって攻撃されているかと思ったが、そうではない。

 

「なるほど……こういうことだったのか」

 

 目を開けると、火野秀平が立ち上がっていた。クレイジーアップルの神経毒なんて始めから受けていなかった――とでもいうかのように、平然と体を動かしている。


「あぁ、すまんすまん。せっかくだから、少し話でもしようか」


 火野秀平が指を鳴らすと、瞬時に友角の首を絞めつけていた『なにか』が消えた。荒い呼吸で、必死に体内に酸素を送り込む。


「て、てめえ……なにしやがんだぁ!?」

「あぁ?」

「ぐがっ!」


 今度は、脳天を叩かれた。やはり、何に叩かれたのか、わからなかった。

 しかも、今度は連撃だった。


「ぐあ! 痛い、やめ、ぐあっ! あ、あああああああああああああ!!」


 火野秀平は棒立ちなのに、友角の全身に衝撃が襲い掛かる。それは確実に、友角の身体を破壊するための動きだった。現に、右腕の肘、左足首の骨が砕かれていた。


「うう……うぅぅぅぅぅ!!」


 友角は恐ろしくなった。怪我をしたのもそうだが、何より今、自分の身に何が起こっているのかが理解できない。その事実が、友角の精神を追い詰めていく。


「へぇ? 思ったより汎用性高いな」

「お、おい……なんだよ? まさかお前が……?」

「あぁ」


 涙声になった友角に、火野秀平は軽く頷いた。


「今、目が覚めた。スキルの『創造』……ふたつの力。『念動力』と『ヒーリング』のスキル、同時使用。上手くいったかな」


 火野秀平の右目と右手が輝き、光の粒子をばら撒いた。そして、地面に零れ落ちていく。

 光の粒子は、やがて二頭身半の、全長五十メートル大の人形を創った。黒の野球帽、赤いポロシャツ、その上に紫のパーカー、七分丈のダメージデニムに、長方形のブラウンカラーのレザーボストンバッグ。赤いコンバースっぽい靴。小さくデフォルメされた――いわゆるSD調の表情、特に両目は、黒い豆粒がくっついたような外観だ。

 

「俺の好きなゲームの主人公……唯一無二のヒーロー……なるほど、こういうことなんだな」

「意味わかんねえ……ちゃんと説明しろやぁ!!」

「そうだな……名前なんて知らねーから、ひとまず名付けるなら――」


 涙目になって叫ぶ友角に対して、火野秀平は宙にふんわりと浮かび上がる人形を左腕に乗せて、答えた。


「『セイクリッドファントム』……」

「はぁっ?」

「≪金翼≫……その欠片の力が、俺の理想のヒーローを神霊にしたってことで」

「いや、意味わかん――」

「お前の感想なんぞどうでもいい」


 火野秀平の神霊、セイクリッドファントムが、その小さな拳で友角の足元を転がっていたクレイジーアップルを見る。


『ワギャアアアアアアアアアアアアアアアア!! ヤダ、死ニタクナイィィィィィィィィィィィィ!!』


 そう言いつつ、クレイジーアップルはセイクリッドファントムに突進を仕掛けた。その見た目からは想像出来ない力は、厚さ20センチのコンクリートを砕く威力があった。

 しかし、セイクリッドファントムは、難なくクレイジーアップルの身体を両手でキャッチしてしまった。そして、手から炎を発生させ、クレイジーアップルを瞬時に燃やした。


『アァアアアアアアギャアアアアアアアアアアアアアアアアア!!』

「あぐあああああああああああああああああああああああああ!!」


 神霊のダメージは、本体である神霊子にもある程度リンクする。全身に刺すような痛みを感じた友角は、その場で苦しみ出した。


「バレなきゃ良いとか、思ってたんだろ?」

 

 火野秀平が語り掛けるも、もはや友角にそれを聞く余裕は無かった。

 それでも、火野秀平は言葉を紡ぐ。


「何を思ってこうしたかなんて、知りたくもないけど……一個だけ、お前のミスを教えてやる」


 小さな少年を模した人形、神霊セイクリッドファントムは、黒焦げになったクレイジーアップルを投げ捨て、友角に近づく。そして、彼の頭を掴み、ゆっくりとは手を離していく。

 セイクリッドファントムの手には、透き通った四角錐の形をした透明の水晶――神核しんかくが握られていた。

 神核とは、人間と神霊となる神話生物の魂が一体化し、物質化したものだ。人間でいう心臓、惑星の核のようなもので、これを破壊されることは、すなわち神霊子としての力を失うことを意味していた。


「お、おい……なんだよこれ……?」


 自分の能力に溺れ、神霊について知ろうとしなかった友角に、神核がどういうものなのかを知る術は無かった。

 しかし、直感で理解する。

 ――神核(それ)を破壊された時、自分の中の何かが変わってしまう!


「お前のミスは、俺を見下したことでも、自分勝手なことでもない」

「や、やめ――」


 セイクリッドファントムに向かって伸ばされた友角の左腕は、火野秀平に踏みつけられた。


「あの子達に、手を出そうとしたことだ」


 セイクリッドファントムが、友角の神核を砕いた。

 それと同時に、友角は意識を失った。


 ◇◆◇◆


「ふぃ~……」


 友角を退けてから、約二十分後。俺はようやく、高尾山の頂上に辿り着いた。


「秀平さん!」

「シュウ……!」

「おにーちゃん!」

「にーちゃん!」


 先に着いていたチータ達が、俺に飛びついてきた。さすがに四人同時だと受け止めるのが難しく、チータとシェンは両脇に抱えるように持ち上げてしまった。背中にはフーコ、正面からスウがひっついてくる。


「シュウ、すごかった……カッコよかった」

「おにーちゃん、つよいんだねー!」


 スゥとフーコは、興奮しているのか、必死に俺の服に頬を擦り付ける。


「えっ? 見られてたの、俺ら?」


 チータとシェンに、尋ねてみる。


「はい。ヒヤヒヤしましたけど、昇子さんの見立ては正しかったです」

「ま、ほんっとギリギリだったけどな!」 

「な、なんとまぁ……」


 一部始終を知っているのなら、自分達を狙っている敵が近くにいるのがわかるはず。なのに、そんなことを気にする素振りも見せていない。


「ようやく牙を見せたな」


 遅れて、姉ちゃんが現れた。手には、ペットボトルのお茶が握られている。


「お前の力……『ヒーリング』と『念力』、後はなんだ? 人形みたいなのが出てきたけど」

「そう。上手く言えないから、名前を付けた。『セイクリッドファントム』だよ」


 ゴーレムとか召喚獣とも少し違う、俺の力。聖なる力をもった悪霊のような存在だから、即席でつけただけあって、かなり安直なネーミングだ。

 けど、口にしててなんか強そうな能力に思えるから、『セイクリッドファントム』の名前で通すことにした。


「ふむ。ひとまず、当初の予定は達成できたな。この調子で、生長しろよ」


 姉ちゃんが、してやったりと言わんばかりに笑った。

 俺は苦笑しながら、チータ達の顔を見渡した。


「これで……俺、君達の力になれそうかな?」


 こども達は、何も答えなかった。

 その代わり、俺にしがみつく手の力が、一層強くなった。

 その気持ちが、とても嬉しかった。


 ◇◆◇◆


「くっそ……なんで、こんな……!」


 痛む体に鞭を打ちながら、友角は必死に下山する。神核だけでなく、左足首も砕かれたため、思うように歩行が出来ないのだ。


 誤算だった。完全に計算外だった。

 まさか、火野秀平の神霊が、あそこまでの力をもっていただなんて!


「これ、どうすんだよ……?」


 契約違反をしてしまった。四神の子らを誘拐することを引き受け、既に前金をもらっていた友角だったが、契約の内容を思い出したことで、誰にも頼ることが出来なくなっていることに気付いた。


「ふざけんな……死ぬわけにゃあいかねえんだよ……!」


 四神の子らだけでなく、自らの使役していた神霊という存在そのものが、今の日本社会ではタブー扱いされている。もし、救急車なんか呼ばれたら、火野秀平と彼に与しているらしい組織は、自分を通じて依頼主に辿り着く。そこから、任務失敗を悟られてしまうことだろう。だから頼れない。

 しかし、死ぬわけはいかない。



「待ってろよ……父ちゃん、もうすぐ帰るからな……!」


 家に変えれば、愛する妻と娘が、自分を待っているのだから。

 自慢の妻と娘。彼女達の笑顔が見られれば、友角は何度でもやり直せる。クレイジーアップルとの繋がりを断ち切られてしまったのは想定外だったが、それでも妻と娘さえいれば、友角は何でも出来るのだ。

 クレイジーアップルがいなくなったからこそ、リラクゼーションで家族の幸せを築き上げるのだ。


「帰ることが出来るのは、勝者だけですよ」

「!」


 上空から、聞き覚えのある声がした。

 友角が空を見上げると、木の枝の上に、パンツスタイルのレディーススーツを着こなした女性が立っていた。知的な印象を与えるハーフリムメガネをかけた、友角より高身長の女性だった。スレンダーな体格は女豹のようにしなやかで、見た目からは想像できないくらい鍛え上げられていることを、友角は整体師としての経験から悟ることが出来た。顔面にはほうれい線が浮かび上がっているため、おそらくは中年の女性だろう。

 女性は、軽やかに地面に降り立った。栗色の長髪を優雅に揺らしながら、友角に歩み寄る。

 彼女は依頼人。友角に、四神の神霊子の誘拐を指示した人間だった。


「ま、待ってくれ……俺は、まだ――」

「神核を破壊される瞬間を見ました。言い訳は自らの価値を下げるだけですよ?」

「!」


 依頼人からの指摘に、友角は二の句を継げなくなった。


「火野秀平……想像以上の逸材ですね。その覚醒に貢献したのだから、まぁ、今回はこれで良しとしますが……」


 依頼人は、人差し指を立てて見せる。


「どうやら、あなたは一個人として、問題があり過ぎますね。精神が未熟過ぎる」

「はっ……?」

「自らの欲望に忠実なのは結構ですが、そのために周囲を巻き込むことを自覚できないその未熟さは、非常に危険です。関わった者に不安要素しか与えない。我々もまだそこまで無茶は出来ないので、そういうリスクはそぎ落とすに限ります」


 その発言が、友角に自らの運命を悟らせた。


「や、やだ! 待ってくれ!」

「その醜悪な精神の犠牲になった人々の怒りを、そして報いを受けなさい」


 友角の頭に『だけ』、雨が降った。頭上を見上げるが、既に神核を破壊されて神霊子の資格を失った友角には、ただ黄色い水が降り注がれている光景しか目に入らない。

 他の神霊子がいたら、友角の頭上に小豆色の皮膚をもつ三つ首のトカゲ―ーアジダカーハのような悪魔が浮かんでいる姿が見えたことだろう。アジダカーハが吐き出す強酸の唾液が、友角の身体を溶かしていく。


「がっ……げっ……あっ…………」

「さようなら。あなたのご家族は……まぁ、適当にやっていくと思いますよ」


 そう言い残し、女性は去っていった。それと同時に、彼女の神霊も姿を消した。

 友角の頭は、火が点いたキャンドルのように溶け始め……上半分が無くなった。

 そして、そのまま前のめりに倒れ、永遠に動かなくなった。


~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~


 セイクリッドファントムはジョジョのスタンドみたいですが、差別化が可能なオリジナリティを付与できるよう、気を付けて設定しているつもりです。



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