第6話 強襲する悪意

 歩いていく。何も考えずに、ただひたすら高尾山たかおさんの頂上を目指して、誰もいない獣道を歩き続ける。もしかしたら二十年ぶりかも知れない山登りなので途中でダウンするかも知れないと思っていたけど、そんなことはなく、休まず脚を動かすことが出来ている。それは、高尾山が登山初心者向けの山と称されるだけあり、一見は人間の手が入っていないような自然の道も、何人もの人が足を踏みしめているために、人間が歩きやすくなるよう、自然と土の表面が調整されているからだろう。

 イヤホンを持ってこなくて良かった。普段はアニソンを聴いて歩いているんだけど、今日はそれが出来ないから、自然の音だけが耳に入る。鳥や虫の鳴き声、風に揺れる葉の音を聞いている内に、世界を感じ取ることが出来るようになった気がする。まるで、閉塞気味な俺の心を広げる、サプリメントのようだ。音楽も良いけど、たまにはこういう環境音を聞くことで、自分の中の世界まで広がっていく……そんな気がした。

 余裕が出来たのだろうか? ふと、過去を振り返っていた。


 二十三歳になる年から働くようになって、五年ちょっとが経過した。ちょうど、年号が兵静(へいせい)から、零破(れいわ)に変わった年だったな。

 今、思えば、俺は人付き合いが苦手なまま、ここまで来てしまった。

 職場の人間関係に嫌気が差して、最初の職場から逃げた。

 それからのアルバイト生活は何ともなかったが、それは期限が決まっていたからだと思う。自動的に関係が切れる環境に、甘えていた。

 そして、今回の退職。姉ちゃんからの種明かしを抜きに、俺自身が、俺をいじめてきた担当講師の気に障るような態度を取っていなかったか? と問われれば、自信は無い。


 自分を変えたくてしたことが、悉く裏目に出ている。

 だけど、自分を変える……自分を知るために必要な劇薬になってくれたことも、否定はできなかった。ここでミスをしなければ、あるいは下手に耐え続けていたら、俺は自分自身の欠点に気付けないまま、歳を重ねていくだけだったと思う。そういう意味では、姉ちゃんの蛮行に、感謝しなければならない。思い出すとムカついて来るけど、それでもやっぱり、有難いことだと思った。読んで字のごとく、ね。

 

 歩き続ける。

 こうしている間にも、壊れた自分が、再び組み上げられていくのを実感する。

 今までは、自分の為だけに生きてきた。

 家族や他人が助けてくれるのは、当たり前だと思ってた。

 だけど、それが違うとわかった。

 誰もが、時には自分だけの力で乗り越えなきゃならない壁に当たる時が来る。

 本当に困った時、最後に頼りになるのは、自分だけなのだ。

 だから思う。

 人は、常に独りだということを。

 だからこそ、誰かと力を合わせることが、素晴らしいことなのだと。

 

 まだ、誰にでもそう思えるようになったわけじゃない。

 だけど、今は自分を頼りにしてくれているこども達に――あとついでに、俺を必要としている姉ちゃんのためにも――自分に出来ることをしよう。今はそう思っている。今はもう、死のうと思っていたあの時の自分が、バカだったと断言できる。

 坂道を上る脚に、力が漲っていくのを実感できる。息を、大きく吸い込むことが出来るようになっていた。


 だけど、なんとなくおかしい。

 直感というか、感覚的な話になるんだけど、何故か足りないものがあるような気がしてならない。自分自身をジグソーパズルに例えるのなら、最後のピースが欠けている……そんな感じがする。


「あれ……?」


 次第に、手とつま先の感覚が無くなっていく。呼吸が緩やかに苦しくなり、動くようになったと思ったはずの横隔膜が、いきなりその動きを止める。

 ――このままじゃ、マズイ!

 体が叫んでいるような気がした。


「いやー、すんませんねぇ。療養中だったってのに横やり入れちゃって」


 すぐ近くの大木の裏側から、黒いコートに身を包んだ肥満体型の男が出てきた。フードで頭部を隠していたから目元は見えないけど、口元に整えられた髭を見た。

 俺は、そいつの声に聞き覚えがあった。


「いろいろね、あんたに恨みはないんスけど……なんというか、こういう縁だったってことで、申し訳ないんスけど、はい」


 男が、少しフードを上げて見せる。

 思った通りの人物が、俺を見下し、嘲笑っていた。


 友角ともかど。下の名前は知らない。

 俺が辞めた会社の先輩社員で、俺の研修を担当していた講師だった男だ。


「いやはや、それにしてもすごい偶然っスね。まさか、あんたがあのガキどもの保護者だったなんてさ」


 立位を保てず、地面に転がる。他の木に体をぶつけ、接触した腹に鈍い痛みが走る。この程度で済んでいるのは、既に身体中から感覚が消えかかっているからだ。それなのに、喉だけが焼けるように痛み出し、声も上げられない。


「――ッ」

「あーあー、声なんて出るわけねーだろ。念入りにいたぶってやったんだからな、あんたの身体を、俺の神経毒でよォ」


 友角は、掌に乗せた紫色のリンゴを、俺の視線の先に置いた。

 鈍った感覚でも、感じ取ることが出来た。

 あのリンゴ――神霊だ!


「あーこれ? もしかして見えてんの?」


 友角は、得意げにリンゴのような神霊の表面を、指でなぞる。


「なんか、ずっと前から使えるようにはなってたんだけど、これって要は人を殺すための力じゃん? だから、せいぜいあんたみたいな豆腐メンタルの雑魚いじめんのにしか使えねぇんだよ。あぁ、一応言っとくけど、殺したことあっからな。この世に役に立たねえムカつく奴とかさ」


 それは良いことを聞いた。あのまま我慢してあの会社にいたら、俺はこのクソ野郎に毒殺されていた可能性があったわけだ。


「あんたを退職させてくれってお願いされた時は驚いたけど、まぁ俺もあんたみたいなナヨっちいのは嫌いだし、しかも今はガキを誘拐するための餌になるってこともわかったし……いや、俺ってラッキーだわ! マジ、人生ちょれぇ」

(なんだって――ッ!?)


 友角に、顎を蹴り上げられる。俺が坂道を転がっていくのを見た友角は、可笑しそうに笑っていた。どうやら、俺の命なんぞ本気でどうでもいいと思っているようだ。

 それより、気になることを話していた。

「ガキを誘拐するための餌にする」――確かにそう言っていた。

 友角の野郎、チータ達を狙って追ってきたのか!


「たぶん童貞のあんたにはわかんねーだろうけど、子どもがいると何かと金かかんだよ。ちょうど、昨日の夜に前金もらってさ、あんたを利用してガキ共捕まえて引き渡せば、合計一億だぜ? 俺みたいな能力持ってる奴なら、やらないって選択肢はないよな」


 友角が、急に自慢も交えた自己弁護を始めた。既に勝ちを確信しているみたいで、自分に依頼をかけた人間がいるという情報をあっさりバラしている。

 迂闊な奴だとは思うけど、ここで俺が殺されたら、相手の思うつぼだ。それだけは避けなくてはならない。

 友角が、鼻がくっつく寸前まで顔を近づけ、醜悪の笑みを浮かべて見せる。


「てなわけで、あんたも運が無かったってことで、諦めろ。どのみち、この先生きてたってなーんも良い事ないんだからさ。資源の無駄だっつーの。てか、ムカつくんだよ。自分より年上の、自分より学ぶチャンスがあるヤツが、なーんもしないで」

「…………」

 

 急速に、自分の身体が冷えていくのを実感できる。毒が回っているのもそうだけど、それ以上に怒りがK点を突破して殺意に代わっていく。

 こいつは、命を軽視し過ぎている。どんな人間にも、生きる権利がある。生きるということは、他人と関わるということ。それだけで他人に貢献しているということを、こいつは知らない。知っていれば、間違っても死んでもいい命があるなんて思われるような言葉遣い、出来るわけがない。

 そうか、友角。お前はそういう男だったのか。

 自分のこどもの為に非合法な金稼ぎをしたいんなら、勝手にしろ。俺を殺してスッキリしたいってんなら、その考えを止めることはしない。

 だが、貴様は一つミスを犯した。

 俺がこのまま、お前ごときに殺されてやるとでも思っていたのか?

 


 ――力が欲しい。


 生まれて初めて、真剣にそう思った。こんなに汚く、醜い男がいるなんて、チータ達には知ってほしくない。速やかに、この世から排除しなくては。

 目を閉じて、念じる。

 中二病的な妄想から願うのではなく、目の前の問題を解決するために、初めて頂上的な力が必要だと感じ、欲した。

 姉ちゃんは言っていた。「無心で登れば、見えるものもあるだろ」と。

 組み上げ直した自分を、思う。

 欠けたピースがある。ぽっかり穴の開いた自分のイメージ。


 その空洞の奥に、俺は黄金のように輝く翼を見た。


 ◇◆◇◆


 高尾山頂上。

 

「動くなよ、スゥ。チータもな」

「……どうして?」

「毒を操る神霊のようですね。神霊の力を使いこなせない今の秀平さんでは、対抗手段はありませんよ?」

「わかっている。だが、行くな。何度も言うが、あいつのためにならん」

「納得できない……」

「スゥ。君の朱雀すざくの力があれば、いつでも秀平を救える。だけど、あいつが自分を乗り越えるにあたって、あの男は最適な相手なんだ」

「昇子さんは、敵の正体を知っているんですか?」

「そうだ、面識がある。秀平が仕事を辞めて自殺しようとした原因を作った男だよ。もっとも、今は違う思惑があって、秀平を襲っているみたいだけどな」

「……コロス」

「だからスゥ、待ちなさい。だからこそチャンスなんじゃないか」

「昇子さんは、秀平さんに仕返しの機会を与えようとしているんですか?」

「そうとも。男同士のケンカなんぞ、やってやり返してが常だろうが。あの友角って野郎が神霊子だったことには気づけなかったが、考えようによってはラッキーだ」


 突如、森の奥から金の光が輝いた。

 その光の正体を、彼女達はすぐに察知した。


「ねーねー!」

 

 食べることに夢中だったフーコとシェンも、光が気になって近づいてきた。


「なんか、にーちゃんが強くなった気がしたぜ!?」

「うん、そうみたい」


 間近で見ていたチータは、シェンの予想が正しいことを理解していた。


「さて、こども達。よぉ~く見ておけよ」


 昇子は、楽しそうに笑っていた。


「お前達の保護者の、逆転劇の始まりだ」


~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 

 あんまり「ざまぁ」になってないような気もしますが、こういうシチュエーションが、ひとつ「乗り越える」というわかりやすい描写であることは、確かだと思います。

 友角というキャラにモデルはいませんが、ぼくが適応障害になったきっかけになった人間が、こんな風に接してきたという例はあります。

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