第12話 予期せぬ別れと出会い

 少し、憂鬱な日がやってきた。


「そっか。もう6月になったんだっけな……」


 6月19日――カレンダーに丸が描かれたところを見て、ため息が出た。

 これ、今日の日付だ。


「シュウ、どうしたの……?」


 スウが俺の手を取り、気を引いてくる。


「昨日からそんなカンジ……」

「そりゃ、会いたくない奴に会わなきゃいけないってんだからなぁ……」


 今日は、人生相談の先生として頼りにしていた整体師に会いに行くことになっていた。退職の報告を怠ったことに憤っていたことから、ブロックだの着信拒否だのされていて、もう二度と話すことはないと思っていたんだけど、「もう一度だけチャンスをやる」とか言ってきたらしく、ひとまずは会ってみようということになっていた。


 このような流れになったのは、ひとえに兄である火野優ひのすぐるのおせっかいが原因だった。


 ◇◆◇◆


 話は、3日前に遡る。その日の夜、みんなで夕食を済ませた直後に、突然兄貴から着信が入ったのだ。

 一人、スマホをもって庭に出る。それから画面の通話をタップし、スマホを耳に当てる。


「……もしもし、兄貴?」

「よォー秀平! 今、大丈夫か?」


 電話越しの兄・優の声は、必要以上に朗らかに聞こえた。


「あぁ、大丈夫だよ」

「そっかそっか。いや、今なんか大変らしいじゃん」


 それからは、他愛のない話ばかりが繰り返された。傷口に塩を塗らないような話し方をするのは、人間関係の調和を重んじる、兄貴らしい話し方だった。

 少しして、兄貴が本題を切り出してきた。


丘山おかやま先生に、大分怒られたって?」

「まぁね」

「一昨日、俺も会ったけどさ……大分ショックだったらしいぞ。お前が相談してこなかったこと」

「うん……」


 正直、「そんなこと言われても」って思った。

 二か月前を当時と言って良いのかはよくわかんないけど――その時の俺は、ただがむしゃらに頑張っていたんだと思う。それなりに歳の離れた同期達の、共感し合うだけの会話はとにかくキツいしだるかったけど、それでも彼らは一生懸命で、そんな人たちの中で浮いてしまわないよう、四苦八苦しながらも会話を欠かさないよう気を遣ってきた。

 それでも、結果は悲惨なもの。会社側のやり方に問題があると丘山先生は前置いてはいたものの、やはり本心では俺が上手くやれなかったこと――コミュ力の低さ故の無礼を働いたことを、何度も指摘してきたものだ。

 丘山先生に俺を紹介したのは、兄貴だ。だからかも知れないけど、自分が紹介した――しかも血の繋がった弟が無礼を働いたという事実は、メンツにこだわる兄貴にとっては良くないことなんだろう。診療代は自腹だけど、金の問題ではないんだろうね。きっと。


 四十とちょっとの日をチータ達と過ごして、よくわかったことがある。

 それは――俺は結局、丘山先生やそのファンである兄貴が願うような人間では、断じてないってこと。

 もし、俺が神霊子で、仕事で人を殺す寸前まで追い込んだことを知ったら、彼らはどんな反応をするだろうか?


「先生、あの時のこと少し反省してて、もう一度お互い頭を冷やして話そうって言ってたぞ」


 兄貴の催促は、俺の思いを踏みつけるようなタイミングで発せられた。


「お前、今のスケジュールってどうなってる? 確か、昇子と同じ会社で働いているとか聞いたけど?」

「そうだよ。えっと……」


 スケジュールを確認する――ように兄貴が誤解しそうな間を置いて、考える。

 相手の意図。

 こちらの思惑。

 誰の言葉かは忘れてしまったが、『世界に対する唯一の防御は、それについての十分な知識だ』という格言がある。それの通り、彼らは俺が自立することを望むと話しておきながら、結局は俺をコントロールしようとしているように感じられた。いや、それは俺が他人のアドバイスを参考にしながら生きていくことに慣れ過ぎた結果。自分で考えることを知らずに放棄していた報いであり、その影響からくる悪い誤解だ。

 だけど、今の俺にはやるべきことがある。


「先生の都合のいい日に、最速のタイミングで頼む」

「わかった。じゃあ、また後でLINEするわ。いきなりスマホ変えたって聞いたから、ビックリしたぞ。お前、そういうトコだぞ」

「変えたのは本当に今日からだったんだ。修理してたんだし、悪く思うなって」


 これは本当だ。フーコとの訓練中に、うっかりセイクリッドファントムの手からすっぽ抜けた金属棒が、畳んだ上着の上に置いておいたスマホに直撃してしまったのだ。まぁ、古い機種だったし、そろそろ買い替えの時期かな? って思ってたから、いい機会と思うことにする。

 ただし、兄貴や丘山先生については、本当にかみ合わないと思わざるを得ない。

 いつの間にか、関東地方から九州地方くらい心が離れてしまったような気がする。

 でも、これが俺の正しいと思う道なのだ。そう思うと、不思議と緊張は薄れていった。


「じゃあな」

「おう」


 最後に、簡単な挨拶をして、通話を切った。

 それから、入浴を済ませた後に、兄貴からLINEが届いた。

 それは、面談日として6月9日を指定する、といった内容だった。


 ◇◆◇◆


 そして迎えた当日――つまり、今日だ。

 チータ達を綱吉さんの事務所に預けた俺は、一人で目的地である東京都にある、黒中野くろなかのという町を訪れる。電車の乗り継ぎは、面倒だから好きじゃない。だけど、人通りの多い都内で『テレポート』を使うのは躊躇われたため、そうなると電車を使うしかないのだ。

 河川敷に沿って、歩道を歩く。そうしている内に、やがて目的地の小綺麗なマンションが見えてきた。そこの五階が、丘山先生の整体院だ。

 マンションのインターホンを押し、返事を待つ。すると、来訪者を確認する声は聞こえず、ただ施錠のロックが解除される音だけが響いてきた。


「…………」


 思うことがないわけではないが、気にせずエレベーターで五階まで上がる。そして、出てすぐ右隣りにある部屋のドアが開いているのを見た。

 そこが、丘山整体院おかやませいたいいんだ。


「おはようございまーす」


 一応、挨拶だけはしておく。勝手に入って良いとかいつも言われているけど、そんなことは常識的に無理だ。今みたいなギクシャクしている状態でそれをやったら、意地の悪い人間が相手だと不法侵入とかで脅されることになるだろう。丘山先生はそういうタイプではないとは思うものの、やはり身構えてしまう。


「おーぅ、入れー」


 丘山先生の声が聞こえてきた。どうやら、落ち着いてはいるようだ。


「失礼します」

「おう」


 部屋に足を踏み入れると、白いTシャツと黒いジャージのズボンを履いた丘山先生が、コーヒーカップを掲げて見せた。今年で還暦を迎える丘山先生は、白髪をリーゼントっぽく整えた中肉中背の男だった。若い頃から、スポーツインストラクターとして世界各地を飛び回っていた丘山先生には、世界を旅して回った経験などをいろいろと話してもらったもんだ。

 だから、一時期は彼の言葉を支えに整体師を目指してきたんだけど……うん、ここまで思って、気付いた。

 禊は、必要だ。


「まぁ座れよ」

「はい」


 お言葉に甘えて、木製のイスに座る。先生は反対側のイスに座り、テーブルの上に自分と俺の分、二つのコーヒーが入ったカップを置いてくれた。

 早速、少しだけ口に入れる。ブラックだが、豆の風味が良く出ていて、美味かった。


「前な、俺も正直熱くなっちまってよ」


 いきなり、先生から話題を切り出してきた。


「お前がさ、あんなことになって……いろいろ話してきて、もう大丈夫だって思って、でも潰れちまってさ……ショックだったよ。俺の言葉が、伝えきれてなかったんじゃないのかってさ」

「いえ、そんなことは……俺の、未熟さゆえの結果ですので」

「でも、お前はちゃんとやり直せてるらしいじゃん。良かったよ、ホント」

「いや、そんな。いろいろ運が良かっただけです」

「そのチャンスをものにする才覚ってのが必要なんだよ。それだけじゃダメだけど、無かったら困るんだぞ、そういうのはさ」


 それから、先生はやたら俺のことを褒めてきた。「新しい職場に適応できているのは成長の証だ」とか、「お前なりのやり方で生きていければ、それでいい」とか。なんか、今まではあれこれ諫められるような言い方ばかりされてきたから、全身がかゆくなっていくのを感じた。

 同時に、妙な気配も感じていた。


「ようやく、お前も目覚めてくれたんだなってな。そう思うと……やっとかってカンジになるんだよな」

「目覚めるって……?」


 最近、こんな言い回しが目立つもんだから、つい聞き直してしまった。

 だから、次に何を言われても、頭が真っ白になるようなことは無いと思った。


「お前の体……しっかり整理されたから、やっと『作業』に入れる」


 丘山先生の瞳が、赤く妖しい光に染め上げられた。


「ッ! セイクリッドファントム!」


 野球帽をかぶった少年の人形――セイクリッドファントムが、俺の目の前に現れ、『創造』のスキルを変化させた『バリア』を展開した。光の膜に阻まれて尚こちらを睨む、赤紫のスライムのような生物が、血走った目で俺を見据えている。俺とセイクリッドファントムは、部屋の端まで後退し、相手の様子を窺う。


「先生、あんたそいつは……」

「ガガッ、グゴゴ……!」


 スライムが先生の頭の上に飛び乗ると、彼の体が熱したバターのように溶け始める。そして、スライムと混ざり合った先生の身体は、やがてスライムそのものを巨大化させ、人型の体を成す。


「コイツ……荒神あらがみか!?」


 先日、綱吉さんのボートに乗せてもらった時に出くわしたヒュドラ。ああいう神霊子の体を乗っ取って顕現した神話生物を、荒神と呼称する。

 今、丘山先生の体ははっきりとスライムに取り込まれていた。疑う余地はないだろう。


「てめえ……いつから先生の身体を乗っ取った?」


 しかし、所詮は軟体生物。知性なんてものはなく、ただひたすらに俺を食らわんと、襲い掛かってきた!


「チッ!」


 横に跳び、直撃を防ぐ。靴をもって外に飛び出し、隠形を試みた後、階段の壁を飛び越えた。普通なら飛び降り自殺になるが、今の俺は神霊子だ。


「飛べよ、セイクリッドファントム!」


 スキルを『バリア』から『変身』に切り替えたことで、セイクリッドファントムはUFOみたいな姿に変化した。その変化したセイクリッドファントムに両手で捕まり、ゆっくりと道路の上に降り立つ。そこで、セイクリッドファントムは元の人形の姿に戻った。

 もはや、正体を隠す必要が無くなったためか、スライムは勢いよく窓ガラスをぶち抜き、俺の目の前に「ベチャ!」と音を立てて降りてきた。

 そして、俺は自分の判断を後悔する。

 飛び散ったスライムの一部が、周囲にいた通行人全員の身体に付着する。


「な、なに……ごぉー……?」

「おいこれなんだよ!? きもっ……ぢぃ~……」

「あいや、なんやこりゃああぁぁぁ~……」

「おい、お前。へんなんついてぇぇ…………」

「あ、あなたぁぁぁ…………」


 若い女性が、ガラの悪そうな兄ちゃんが、変なエセ関西弁を使う恰幅の良い男が、老夫婦が、全員服もろとも体を解かされてしまい、スライムの養分となる。それを吸収した本体は、俺の二倍近くまで大きくなっていた。


「ここから引き剥がせない……くそ!」


 奴の狙いは、俺だけではない。きっと、栄養になるのなら、無関係の人間すら喰らうのだろう。

 下準備も何もしていないけど、ここでやるしかない!


「ケッ! やっとやる気になったかよ?」


 スライムから、突然乱暴だが知性を感じさせる男の声が聞こえてきた。俺の目の前で捕らわれた、丘山先生たちの声とは、明らかに違う。

 巨大化したスライムは、徐々にその身を縮めていき、ダチョウの卵くらいの大きさの宝石に変化する。それはすぐにひび割れ、孵化した。


「カァーッ! シャバの空気はウンマイぜェェェ~!!」


 飛び出してきたのは、人間の腕を六本もった、身体中に渦巻き模様をもつハエだった。その全長は二メートルはくだらないという程大きく、見る者の吐き気を催すくらい醜悪な姿だった。


「新生! ベルゼブブ! ここに降臨ってな……」


 自称新生ベルゼブブは、神具を出すように瞬時に手に三叉の槍を召喚し、握る。


「火野秀平……随分と勘が良くなったもんだ、なァ~?」


 ねっとりとした口調が気持ち悪い。すぐに撃ち落とさんと、セイクリッドファントムがリュックから手榴弾を取り出し、ベルゼブブに投げつけた。


「都内でそんなもん使うんじゃねえ!!」


 ベルゼブブは口から液体を吐き出し、手榴弾を溶かしてしまった。おそらくは、強酸だろう。

 ……ていうか、助かった。

 いつの間にあんなものを持参していたんだ、俺の神霊は?


「じゃ、一応は約束だ。お前のことは……ここで殺す」

「ッ!」


 ベルゼブブが、一気に距離を詰めてきた! 眼前に迫るベルゼブブの顎が俺の顔面を砕く前に、セイクリッドファントムが金属棒を伸ばして敵の顔面を叩いてくれたおかげで、弾き返すことに成功した。


「おっととと。やっぱやるなあ」


 ベルゼブブはピンピンしていた。セイクリッドファントムの攻撃が、まるで通用しない。一応、これでも石を砕けるだけの威力はあるはずなのに。


「んじゃ……面倒なことになる前に、まずはお前の脚を喰っちまうかぁ!!」


 ベルゼブブが槍を振るう。セイクリッドファントムが身を挺してそれを防ぐが、


「かぁっ!」


 防御して一瞬硬直したセイクリッドファントムの隙をつき、ベルゼブブが俺に向かって酸を吐き出した。一瞬で手榴弾を溶かしてしまうんだ、人体なんて絶対に耐えられない!


 一瞬、走馬灯が駆け巡った。

 チータ達との生活。出会い。綱吉さんと姉ちゃん。兄貴とその嫁さんに、ふたりの間に出来た甥っ子と姪っ子。両親の笑顔。実家にいる愛犬。疎遠になった友達との思い出。

 そして――大好きだった、幼馴染の女の子。




「さ、せ、ま、せぇえええええええええええええええええええん!!」




 突如、空から光の柱が降ってきて、ベルゼブブの身体を飲み込む。それが止まった時、ベルゼブブは黒焦げになって、動かなくなっていた。


「助かった……?」


 セイクリッドファントムと顔を見合わせ、同時に首を傾げる。

 上空を見上げると、そこには黄金に輝くドラゴンの姿があった。そして、その背に跨る、毛先が跳ね上がったショートボブの茶髪を揺らす女性が、黒真珠のように綺麗な瞳を潤ませながら、こちらを見ている。

 俺は、彼女の姿に既視感を覚えていた。確か、初めて今の家に来た時――


「志摩、輝美……?」


 俺の呟きが聞こえたのか、少女は両手で口元を抑え、涙をこぼした。

 大好きだった女の子。成長して美人になって、もしかしたらもう一生縁が無いんじゃないかって思っていた、雲の上の存在になったと思っていた幼馴染。

 輝美……本当に、君なのか?


 黄金のドラゴンが、ゆっくりと地面に降り立った。その背から、輝美が飛び降りた。黒いコートを羽織った彼女は、ドラゴンを光の粒子に変えて自分の身体に溶け込ませる。

 彼女も、神霊子だったのか。


「秀ちゃん……久しぶり」

「輝美……」

「秀ちゃん!」


 輝美は、涙を流しながら俺に駆け寄る。

 そして、俺達は抱き合った。かれこれ、17年ぶりになるのかな?

 なーんて思ってたら、


「ぐへっ!」


 輝美の勢いを止め切れず、思わず背後の木に背中からぶつかってしまった。


「秀ちゃん……ずっと会いたかったよ。秀ちゃん……!」


 俺の身体にしがみつきながら、再会を喜んでくれる輝美。そんな彼女には申し訳なかったが、俺は軽い脳震盪を起こしていた。どうやら、後頭部も打っていたようだ。

 いちいち締まらないし、別の意味で泣きたくなった……。

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