第11話 閉じた世界の闇

 綱吉さんとの出会いから、早くも一か月が経過した。

 あれから、俺は一週間に三回くらいのペースで、≪シーズン≫の戦闘員として任務に当たってきた。

 力に溺れて犯罪を起こす神霊子は、思った以上に多かった。任務の出先は、日本全域にもおよび、時には『創造』のスキルで『テレポート』に使うこともあり、向かった先で荒くれ者と戦うこともあった。幸い、今のところは覚醒したばかりの相手ばかりしているため、そこまで苦労せずには済んでいる。


 ◇◆◇◆


 てなわけで、俺は今日も、姉ちゃんの命令を受け、S県内にある舞姫町まいひめちょうという町までやってきた。

 舞姫町は、漁業や水産業が盛んとされており、朝は市場で魚介類の販売が行われている。運が良ければ、マグロ丼でも食べられるかな? って、実はウキウキでやってきた。山道も多く、辺りにはいくつもの果樹園(主にオレンジ)が見えた。

 そういう土地だとわかっていたので、服装もそれに伴って動きやすさを重視している。俺の、黒いTシャツに深緑のカーゴパンツ、ブラウンのスニーカーに、黒のライトバックパックという出で立ちは、登山に備えてのチョイスだ。

 現時刻は七時ジャストと朝も早いけど、今の俺は0時に寝て早朝4時に起きるのが当たり前の状態。特にキツイとは思わない。

 

「にーちゃん、オイラねむいぞ……」


 隣に立つシェンが、目元を擦りながらつぶやく。

 シェンの服装はフード付きパーカーの上に学ラン(っぽい)というスタイルだけど、今日は泊りがけもありえるということで、少し大きめのリュックを背負ってもらっている。シェンの服は自分のイメージで変化させることが出来る特注品だが、さすがに歯ブラシとかは用意できないからね。自分で使う物は、自分で運んでもらうことにしていた。


「我慢だよ、シェン。海鮮丼食いたいって言ってたじゃないか。他のみんなは今日留守番だし、頼りにしてるよ?」

「うーん……」

「まったく、しょうがないなぁ」

 

 バックパックを胸の前にずらし、背中にシェンを背負い、町を歩き続ける。 

 見渡す限り、緑の多い町だと思う。久しぶりに田んぼを見つけたし、果樹園が広がっている光景はのどかで空気がおいしい。遠くには海が見えて、綺麗だ。

 そう思っていたんだけど……。


「にーちゃん、ここなんでこんな暗いん? 朝になったばっかじゃんよ」

「それを調べるために来たんだよ」


 シェンの言う通り、朝のはずなのに、この町に入った途端、太陽の光が無くなった。真っ黒な空は、俺達の来訪を歓迎していないようだ。

 今は、電柱に設置された照明を頼りに、歩を進めているところだ。

 

「こんな状態で、ここの人ってどうやって生活してんだろーなぁ?」

「農家が多いらしいから、自給自足する分には困らないんじゃねーのかね?」

「そうじゃなくってさ。ほら、今はケータイとかも使えないってんだろ? そういう、なんてーの? 生活の、ほら。最低限のっつー、線引きというか――」

「ライフラインのことか?」

「そうそう! それも、いつまでもキープは出来ねーっぽいじゃん? そんな状況で、どうやって安全にやり過ごすんだろうな~って思ったってこと!」

「どうだろうな……基本的には外に出なければ安心ってことで、国はとにかく緊急事態宣言を出したらしいよ。実際に、ここの人に届いてるかどうかは知らんけどね」

「きんきゅー……って、なんだそりゃ?」

「たとえば、ウイルス性の病気の蔓延を避けるために、いろんな行動を制限することだよ。外出とか会話の方法とか、何人集まっちゃダメ――とかさ」

「まさに今のここじゃん」

「そうだな。だから、地元住民も自発的に外出制限してるらしいな。港に行っても人がいないし、残念だけど、海鮮丼もお預けだな」

「うえぇ~……」

「ここいらはウォータースポーツをするには良い場所らしいからな。かき入れ時の夏になるまでには解決しなきゃってことで、俺達が呼ばれたんだよ」


 今からちょうど一週間前に、急にこの辺の空が黒くなった――というニュースが入った。電話やスマホの類も繋がらず、警察等が調査に向かったが、何故か逆走していたというのだ。

 いわゆる、結界のようなものらしい――≪シーズン≫はそう結論づけた。

 だからこそ、綱吉さんは姉ちゃんを通じて、俺達に調査を指示してきた。故に、こうして足を運んでいるというわけだ。俺なら、『創造』のスキルを『テレポート』に変化させて、移動することが出来るからね。

 ちなみに、チータ達と別行動をとっている理由は、二手に分かれて、結界の内外の状態を確認し合うためだ。そして、俺達が戻れる際の目印になるため、とのこと。

 四神のこども達は、神霊同士の繋がりもあってか、ある程度距離が離れていても、感覚でお互いがどこにいるのかがわかるようになっているらしい。ただ、実際に試すのは初めてだから、うまくいくかどうかはわからないという。

 だけど、俺は彼女達を信じている。

 とりあえず、今回は検証を行う意味合いで、チーム分けを行なったってわけ。

 

「んじゃ、まず何が起こってんのか見ないとだな…………ん……?」


 目の前の古い木造の倉庫の裏から、麦わら帽子をかぶった老婆が出てきた。果樹園を営んでいる人だろうか? 帽子の下にもタオルを巻いているし、服装も長袖とジーパン、ブーツといった動きやすさを重視したものになっている。

 ようやく、人に会うことが出来た。


「あの、すみませ――」


 しかし、すぐにそれが思い違いであることを理解する。


「ボっ……オ……オ?」


 老婆だと思っていたのは、人外の存在だった。皮膚の色こそ肌色だけど、よく見たら目は黒く、瞳が赤い。歯は全て尖って見えるし、露出している皮膚には、所々細かい黒点がついている。ほくろに見えなくもないが、模様みたいに見える時点で、普通の状態じゃない。

 その証拠に――そいつの足元には、右肩辺りを食いちぎられた、俺と同年代くらいの男の死体が転がっていた。


「おいおい、ヤベーぜこいつはよォー」


 シェンが、柄を極端に短くした方天画戟みたいな神具を手にして、その先端を老婆モドキに向ける。そして、その先端からビームを放った。光線は老婆モドキの頭部に命中し、そいつは糸の切れた操り人形のように、その場に崩れ落ちた。

 倒れた老婆モドキは、その身を黒い灰に変えた。わずかに吹く風により、灰は飛ばされ、その場には男の死体だけが残された。


「お疲れ、シェン」

「やっぱ、人間じゃなかったな」

「ていうか、他の人もみんなあんななのか?」

「オ”ッ……?」


 その時、上にある果樹園から、同じような状態の人間モドキが、次々と姿を現した。服装が似たようなもんだし、おそらくは老婆モドキと同じような状態だと思われた。

 シェンと二人で、「ワッハッハ」と笑い合った後、


「シェン、ずらかるぞ!」

「おっしゃ!」


 即、退散した。この状況では、シェンもさすがに俺の背中から飛び降りて、自分の足で走ってくれた。


 それから、俺達は最寄り駅まで逃げ切ることが出来た。当然、電車は止まっている。しばらくは、そこにあるベンチに腰をかけ、呼吸を整えることにした。


「はぁ……なんだったんだ、あいつらは?」

「ゾンビってカンジでもなかったよなぁ?」

「そうだなぁ」


 自動販売機でペットボトルのお茶を2本買い、1本をシェンに渡す。キャップを開けてお茶を流し込み、喉を潤した。

 それから、さっき出くわした化け物について考える。

 一般に知られるゾンビというものは、動く死体のことを意味する。でも、あの老婆モドキの肉体は、人間の肉体に似てはいるものの、死骸のそれとは性質が異なっているような印象を受けた。

 知っている人がいるなら教えてもらいたいところだけど、生憎そういう人がいないため、とりあえず予想だけはしておく。


「灰になるから、灰人間はいにんげんでいんじゃね?」

「よし、それでいこう!」


 シェンの言う通り、仮称でも呼び方が決めることは、便利だし良い事だと思う。

 てなわけで、あの人間モドキのことは、『灰人間』と呼称する。


「じゃあシェン。その灰人間だけど、どうやって生まれると思う?」

「結界とか、やっぱ関係あるんじゃねーの?」

「それはそうだと思う。でも、他に手がかりなんてねーぞ?」

「だよなー」


 こういう時、どうすれば良いのか? ゲームならばヒントがどこかしらに隠されているもんだけど……。


「ふぅ……悩ませてもくれないのか」


 荷物をベンチに置いて立ち上がり、セイクリッドファントムを召喚する。

 目の前の住宅街から、次々と灰人間が出てきた。老若男女、様々なタイプがいる。見た目の若さとかと運動性能が比例するのか、若い男を模した灰人間が真っ先に襲い掛かってきた。


「けっ! 邪魔すんなよな!」


 シェンは足元から玄武を召喚した。玄武の甲羅――左右一番前の肋甲板から機関銃が飛び出した。


「バンバンバーン!」

 

 シェンが神具のビームを、玄武が二丁の機関銃を乱射した。それにより、迫りくる灰人間がことごとく撃ち抜かれ、次々とその身を灰に変えていく。

 なんというか……オーバーキルってのは、こういうことを言うんだなって思った。


「へへーん。他愛ないってな!」


 玄武を自分の身体に戻したシェンが、俺の前で胸を逸らして見せる。

 なんとなく、頭をなでると、彼女はフニャっとした笑顔になった。

 ふむふむ。グッドコミュニケーション! ってな。

 だけど、喜んでばかりはいられない。

 もしかしたら、今ので敵の本丸が俺達の存在に気付いたかも知れない。そうなったら、これ以上の増援――だけでは済まないかも知れない。

 早めに、対応策を見つけなくっちゃあならない。


「おにーちゃーん! シェーン!」


 山のある方角から、フーコと彼女を乗せた白虎が走ってきた。


「どうしたんだ、フーコ! 何かあったのか!?」


 目を離した隙に、施設の追っ手が来たのかと警戒したが、フーコは笑顔のまま俺の胸に飛び込んできたので、すぐにその線は無いと結論付けた。


「えっとね。リーダーのおじさんから、デンゴンしてきてっておねがいされたの」

「綱吉さんの?」

「うん! ケータイつかえないならって、いちばんかけっこがはやいフーコがきたの!」


 抱き着いたままのフーコが、俺の首筋の臭いを嗅ぎながら説明する。その間、白虎から妬むような視線を向けられ、食い殺されやしないかと少しヒヤヒヤしたけど、フーコがすぐに白虎を戻してくれたおかげで、無駄に寿命を縮めずに済んだ。


「ありがとね、フーコ。それで、綱吉さんはなんて言ってたの?」

「てきのショータイ、わかったって!」

「何!?」

「うんとねぇ……これ!」


 フーコの身体をゆっくり地面に降ろすと、彼女はズボンのポケットに入れていた一枚のメモ用紙を俺に手渡した。

 メモを受け取り、目を通す。


「ハ、ハーレムマスター……?」

「はあれむ? ますたあ?」

「なんだよ、その痛々しいネーミング……?」


 シェンの言うことはもっともだ。思わず、三人揃って変な顔をしてしまった。

 とりあえず、シェンの疑問への答えを代弁するため、しっかりメモに目を通しながら、記憶するために口に出して読んでみる。


「ハーレムマスター……ブードゥー教に伝えられる神々の神核の欠片が合成されたことで誕生した、オリジナルの神霊。これと魂を一体化させて神霊子のせいで、ここいらは外界から遮断されてるんだと」

「あの灰人間も、そいつのせいなんかな?」

「あり得るかもな」


 ハーレムマスターの材料にされた神、そのルーツたるブードゥー教については詳しくないけど、ちょっとだけどんな内容か学んだことがある(ちなみに、ゲームの攻略本に書いてあった)。

 それは――死者を蘇らせること。


「いろんな神話生物の欠片が入ってるし、ちょっとでも影響力が残ってたら、出来なくもないんじゃないか?」


 俺の神霊、≪金翼≫が良い例だ。欠片の状態なのに、いろんな力を使えるからね。


「ねえねえ、はあれむってなあに?」

「いっぱい女が好きな男で、いっぱいの女と結婚してるヤツ……?」

「それって、おにーちゃんみたいなひと?」

「なんでそうなる?」


 ハーレムの意味を微妙に間違えているのは置いといて、なんで俺がハーレム囲ってることになるんだよ?


「だっておにーちゃん、フーコたちのこと、だいすきなんじゃないの……?」

「好きの種類が違うって……」


 俺の場合は、保護者としての役割というか、娘を溺愛する父親っていうか……そんなカンジなんかね? 少なくとも、女を侍らすことでステータスを得るといった、利己的な考えではないと思うぞ。

 そう思ってみると、フーコとシェンがちょっとムスッとしていた。いや、欲情したら犯罪だっての。こちとら二十六で、小学生に恋したら犯罪だと思われるわ!


「それより、問題はどうやってコイツの居場所を特定するかなんだけど……」


 舞姫町は狭い町だけど、町は町。しらみつぶしに、しかも歩きでとなると、かなりの時間を要する。それこそ、何日も敵の襲撃に備えたまま、ここに滞在することになるだろう。可能ならそれは避けたい。

 

「でも、情報がこれだけじゃあなぁ……」


 手掛かりが、あまりにも少なすぎる。敵の正体――と言って良いかはわからないけど、それを知ることが出来ただけでも大きな収穫だ。

 ただ、それでもやるべきことが変わるわけじゃない。


「フーコ。もらったメモって、これ一枚だけか?」

「どうだったかな? え~っと……」


 フーコが、再びポケットの中を手で探る。


「あ、あった!」

「おいおい」

「ごめんごめん!」


 呆れるシェンに舌をペロッと出して詫びるフーコ。新たに出した二枚のメモを、俺に手渡した。

 その内の一枚――二枚目のメモには、俺の望んだ情報が書かれていた。


「すごいな、≪シーズン≫の情報収集能力ってのは」

「にーちゃん、何が書かれてたんだ?」


 尋ねてくるシェンに対して、俺はメモの中身を見せながら、笑った。


「敵の居場所だよ」


 そのメモは、舞姫町の地図だった。そして、その地図にはある地点を中心に円が描かれていた。

 円が意味するのは、結界。

 結界とは、媒体を中心に展開されるもので、そこからの範囲は全方位で平等とされている。

 すなわち、地図に描かれた円の中心――そこが結界の発生源となる。

 そして、その発生源は――飛雲山ひうんざん

 ここからでも見える、関東地方有数のハイキングコースのある山だった。

 

 そして、三枚目のメモ。

 これは、シェンとフーコには説明しなかった。

 結論からいうと、中身は命令の更新だった。

 ただ、できることなら俺の胸の内にしまっておきたい――可能なら避けたい、とてつもなく重たい覚悟を強いられる、実に嫌な要求が書かれていた……。


 ◇◆◇◆


 S県内舞姫町。町内にある飛雲山のふもと――ハイキングコースの入り口近くにある一軒家に、彼は潜んでいた。


「くっふふふ」


 寝室内にあるダブルベッドの上には、四人の女性が、生まれたままの姿で、荒い呼吸を繰り返している。そんな彼女達の有様を、全裸の男は嗜虐に満ちた笑みを浮かべて眺めていた。

 彼――根津蔵人ねづくらとが、後にハーレムマスターと名付けた神霊と一体化したのは、全くの偶然だった。社会人一年目で試用期間が終わった時、会社から解雇された根津は、それから今に至る十年もの間、ずっと引きこもっていた。両親は共働きで、海外出張も多い外資系の仕事だったから、あまり息子に構いきりになるわけにもいかず、半ば放置される形で今まで生きてきた。


 ――誰も、自分を助けてくれない。


 全てに絶望して、こっそり家を出たが、すぐに吐き気を催して引き返す。

 だが、そこで根津は見つけてしまった。

 庭に落ちていた、綺麗に輝く奇妙な宝石――知る人が見たら、すぐに神核とわかる物質を。

 根津はそれを拾い上げると、宝石はすぐに根津の体に溶け込んだ。根津は悲鳴をあげる間もなく、神核が秘めている全ての情報が体に溶け込んでいくのを感じた。

 そして、根津は神霊の力――スキルを自覚した。


 保有しているスキルは、概ね三つ。

 ひとつは、『結界』。邪魔者な警察や自衛隊を排除するため、彼らが舞姫町に来れないような仕組みを作った。おかげで、ちょうど一週間になるが、未だに連中はここまで来れないでいる。舞姫町が、根津の国になった瞬間だった。

 二つ目は、『グレースパペト』。疑似的な人型の傀儡を作ること。これは、根津を防衛するだけでなく、彼が嫌う陽キャや彼を貶すような話をする人間を始末するための、遠隔自動操作型の武器だった。知性は無いため家の中に籠城されると何もできなくなるが、そもそもの役割が人払いにあるため、あまり気にしていない。そういう風に念じれば、勝手に邪魔者を消してくれる、極めて優秀な奴隷だ。

 最後は、『神性力しんせいりょく』。端的に言えば、インキュバスの女を引き寄せる催眠術と、無尽蔵の精力を併せ持つスキルだ。これにより、目に付けた女は全て食い尽くしてやった。根津はセックスで他人を支配する欲求が高く、被害者数は十数人に留まっているが、満足するには程遠い状態にあった。いずれ、家屋に閉じ籠もっている女を直接傀儡を使って攫い、支配しようと思っている。


「ふふっ」


 根津は、鏡に映る自分の裸体を見て、恍惚な表情を浮かべる。メタボ体型で肩まで伸ばした黒髪もぐちゃぐちゃ、ルックスもお世辞にもイケメンとは言えない。

 だが、根津はそんな自分でも、初めて好きになれるようになっていた。

 何故なら、自分は特別な存在だから。たとえ見た目が醜悪でも、こうして女に困ることが無くなったのだから。世に生きる童貞たちを、過去の自分と同類の人間達に、むしろ同情してしまっていた。

 女を知った男は、変わる。それを身をもって思い知った根津は、世界が自分の意のままになったと思った。

 だから、もう何も怖くなかった。

 

 だが、人生とは幸と不幸と繰り返し起きるように出来ている。

 根津にとっての不幸の始まりは、自分と同じような境遇の人間がいるのではないか? という想像を、全くしなかったことだった。


 ズドッッッ!!!


 何か、鈍い音が聞こえた気がした。


「はっ? ……えっ?」


 根津が視線を落とすと、胸から六角形の金属棒が生えていた。生え際からは、おびただしい量の赤い血液が噴き出していた。

 そして、棒の先端には、見覚えのある宝石があった。


「さすがに、やり過ぎたな」


 背後から、若い男の声が聞こえてきた。

 それと同時に、金属棒の先端にあった宝石が、粉々に砕け散ったのが見えた。


「俺の目的は、神核を破壊することだから、本当ならここまでする必要は無かったんだけど……」


 根津の胸から、金属棒が乱暴に引き抜かれた。仰向けに倒れた根津は、自分を刺した者の正体を見て、愕然とする。


「セイクリッドファントム……俺の意識を移し替えて行動できるのは、初めてのことだったけど、上手くいって良かった」


「それよりも」と、人形は根津を睨む。


他人ひとの感情を無視した、欲望剥き出しの外道っぷり……びっくりする程スムーズに出来たよ。全然、躊躇わなかった」


 全長が1メートル程度しかない人形が、根津を見下ろしていた。その手には、先程の血まみれの金属棒が握られていた。

 根津は、抵抗を試みるも、何もできなかった。

 心臓を貫かれた。こうして生きているのが、嘘みたいだ。


「良かったよ、お前がクソがつく程の邪悪で。おかげで簡単に覚悟が出来た。不法侵入も不意打ちも殺人も、何もかもに躊躇いは無かったよ」


 人形が、根津に背を向ける。根津は一死報わんと手を伸ばそうとするも、体が言うことを聞かない。

 意識が、朦朧としてきた。


「安心しろ。この程度では終わらない」


 そう言い残し、人形は窓を開け、外に出た。

 根津の意識は、そこで途切れた。


 ◇◆◇◆


 翌日。俺は自宅で目を覚ました。セイクリッドファントムで根津とかいう男の神核を破壊した直後、奴が張った結界が解除され、すぐに撤退。その後、県の境目の道路で待機していたチータとスゥと合流し、なんとか当日中に帰宅することが出来たのだった。

 起床後。まだ眠るこども達を起こさないよう、足音を立てないようにリビングに入り、ソファに座り、テーブルに置いた充電中のスマホを手に取る。そして、昨日の夜に確認した姉ちゃんからの依頼完了の確認メールを、もう一度見る。

 メールの本文には、ある記事のリンクが貼られていた。

 それをタップし、報道の内容を確認する。


「逮捕、か……」


 ホッとため息をついた。どうやら、去り際に行った後始末が上手くいったようだ。

 遠隔操作するセイクリッドファントムに意識を預けた俺は、より精神が研ぎ澄まされている状態にあった。おかげで、生身なら出来ないことも出来た。

 セイクリッドファントムの武器である金属棒で根津の身体を突き刺し、同時に『創造』のスキルを変換して使えるようにした『ヒーリング』のスキルを使って、気絶した根津の致命傷を治療して消した。おかげで、根津は出血が致死量に到達する直前で死なずに済んだ。血を流し過ぎたせいですぐには目を覚まさなかったようだが、おかげで警察が飛び込んでくるまでロクに動くことは出来なかったという。 


「にしても、ヒデエ面だな」


 記事には、顔がパンパンに腫れあがった根津の写真が掲載されていた。本文には、全身殴打された状態で捕まったという説明がある。きっと、意識を取り戻した女性が、根津に精一杯の報復を行なった結果だろう。

 一応、彼女達にもヒーリングの光はかけておいたけど、彼女達が失ったのはそれで取り戻せるような軽いものではなかったはずだ。きっと、深い絶望を味わったことだろう。そこは、俺にはどうしようもないことだった。

 だから、俺なりに考えた結果、あえて彼女達が目を覚ます前に、退散することにしたのだ。そうすることで、彼女達にやり返す機会を与えたつもりだった。

 ちなみに、このことはフーコとシェンには話していない。やっぱり、そうする必要は無いと思うからだ。犠牲者はゼロではないけれど、死傷者は二十人に満たないという。俺は、俺に出来ることをやり遂げた。そう思うことにする。

 これ以上、考えるのは止そう。 


「にーちゃん、おっはー」


 あくびを書きながら、シェンがリビングに入ってきた。


「珍しいな? まだ朝六時だぞ」


 シェンがチータより先に起きてくるなんて、初めてのことだ。 


「わっかんねー。なんとなく、起きちった」


 シェンは食卓の上に置いたバナナを一本手に取り、皮をむき始めた。


「おい、歯は磨いたか? 起き抜けは口の中が雑菌だらけなんだぞ」

「わかってるって。ちゃんとやったよーん」


 そう言うと、シェンはバナナを頬張り始めた。

 

 少しだけ、嫌な想像をしてしまった。

 シェンが、もし今より大きくなって、根津みたいな男の犠牲になったら、俺はどうしただろうか? 今回ですら、つい人を殺しそうになったのに、もし、大事にしている人があんな目に遭ったとしたら……。

 胸騒ぎみたいな気持ち悪さを覚える。いかん、適応障害になってから、こんな悪い想像をして勝手にビビることが、多くなっている気がする。


「にーちゃん」


 バナナを食べ終えたシェンが、珍しくソファに座る俺の膝の上に乗り、真正面から抱き着いてきた。


「……どうした、急に?」

「んー……たまには、オイラも女らしいことしようって思ってさ」


 押し付けられる胸から、シェンの鼓動が聞こえる。

 少し、早鐘を打っているようだ。


「あんた、わっかりやすいんだよね。何考えてんのか、すぐにわかった」

「え、マジ?」

「マジマジ。だからさ、言っておこうかなって」


 シェンは、俺の頭を抱く腕の力を、強めた。


「……ボク達も、離さないよ。あなたのこと」


 一瞬、シェンの声が別の誰かの声に聞こえた気がした。

 けど、腕を離したシェンは、いつも通りの彼女だった。

 いつも通り大きく笑い――だけど、顔が赤くなっていた。

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