第4話 お出かけ
海が近いと、水平線から昇る朝日がとても綺麗に見える。晴れた日の朝は、海面に反射した日光がとても眩しく、まるで海外旅行のパンフレットに写された世界の中に立っているような気分にさえなる。
姉ちゃんが所属している組織のレストハウスで夜を越した俺は、適応障害と診断されてから、初めて気持ちのいい目覚めを迎えることが出来た。
「……あれ? 玄関?」
良い目覚め方だが、目覚めた場所が想定外だった。
適応障害だと、寝相まで悪くなるというのか? ――って、そんなわけあるか!
「一体何が……?」
寝室にしている和室を見てみると、一番襖に近い俺の布団には、何故か大の字になって寝ている姉、昇子がいた。
下着姿で口から涎をたらしながら寝ている三十路の女、か……。
誰か、この女を嫁にもらってはくれないだろうか?
「おはようございます、秀平さん」
振り返ると、そこにはチータがいた。既に顔を洗い終えているのか、さっぱりとした表情だった。着替えもしていて、今は上下黒ではなく、ノースリーブの青いチャイナドレスを着ていた。激しい運動に備えたか、下には膝丈の黒いスパッツを履いている。動きやすさを重視したチョイスと思われる。
「おはよう、チータ。よく眠れた?」
「ボクは大丈夫ですけど、秀平さんが……」
「あぁ、はは……」
チータが、申し訳なさそうな表情をしながら、俺の――おそらくは目元に注目しているんだろう。きっと、目の下のクマが気になっているんだね。
「クマが出来てるのは、もっと前からなんだ。君達のせいじゃないよ」
「眠くないんですか?」
「そんなことないよ。今日はよく眠れた」
「……事情は存じませんが、辛かったんですね」
「それは、まぁそうだけど……」
でも、今はそれほど辛いとは思わなかった。
目の前に、チータがいるから。
「君達の苦労に比べればゴミみたいなもんだから、気にしなくていいよ」
俺の不幸は、命を失う程のものじゃなかった。だから、逃げるという選択肢が頭に生まれただけでも、幸せだと思っている。
でも、チータ達にはきっと、それすら許されなかった。彼女達の苦労を考えれば、「死んで楽になりたい」なんて、口が裂けても言えない。そう思えるようになったからこそ、俺はチータ達との出会いに感謝しているんだ。
「それより、俺はいつからここまで転がってたんだ? いくらなんでも、自分をここまで寝相が悪い奴だとは思いたくないんだけど」
チータに気に病まれても困るので、ちょっと強引に話題を変える。
「さ、さぁ? ボクが起きた時には、もうここにいらっしゃったので……」
チータが気まずそうに笑う。
俺は、未だにイビキをかいている姉に、非難の目をぶつけた。まだ寝ているスゥ達にここまでのことが出来るとは思えないし、そうなると容疑者は絞られる。
「……だからこの人苦手なんだよ」
軽くでも蹴っ飛ばしてやりたい衝動に駆られたが、気持ちよさそうに寝ている姉ちゃんの顔を見たら、怒る気力が失せた。つい、ため息が出てしまった。
ところで、気になることは他にある。
チータの服装だ。
「チータ。その服、どこにあったの?」
「服、ですか?」
「チャイナドレスって、普通あんまり日本の家には置いてないから、ちょっと気になってさ」
「なるほど、そういうことですね」
チータは胸に手を当てると、彼女の衣類が一瞬で昨日と同じ黒一色の半袖長ズボンに変化した。
「えっ? 何が、どうなって……?」
「ボク達の服は、神霊のもつ力の性質を受けて変質する仕組みになっています。昨日は消耗し過ぎてたからこの姿でしたけど、元気な時は――」
さらにもう一度、チータの服がさっきのチャイナドレスに変化する。
「このようになります」
「そ、そうなんだ……」
「体調管理の、ひとつの目安として取り入れられた側面があるそうです。秀平さんも、よろしければそのようにしてみてはいかがでしょう? ボクはともかく、他の三人は少し説明下手なところがあるので」
「お、お気遣い、どうもです……」
チータは「いえ」と言い残し、玄関で靴を履き、庭に出た。窓越しに、太極拳か何かだろうか? チータが運動を始める姿を見た。
「立派なもんだね……」
自分があの子くらいの時は――と思ったところで、考えるのをやめた。人生の形は千差万別、それこそ人の数とイコールだ。誰一人、同じ人生を生きていない。
俺の人生は、あくまで俺のもの。
能力。
場所。
役割。
それぞれもっているものを、充分に発揮さえすれば、それでいい。
今の言葉は、俺が尊敬しているコピーライターの言葉だ。彼が制作の指揮をとっていたゲームが昔から大好きで、俺の永遠のバイブルになっている。
例の会社で追い詰められていた時は思い出せなかったが、今ならその意味がよくわかる気がする。
そして、それを思い出すきっかけをくれたのは、やはりチータ達だ。
「……朝飯でも作るか」
たぶん、それが今、俺に彼女達に出来る、最大の恩返しだろう。
みんなたくさん食べそうだし、起きるのにも時間がかかりそうだから、カレーでも作るとしよう。
◇◆◇◆
「よし、出かけるぞー」
朝食後、姉ちゃんの突発的な提案の元、俺達はグリーンのワゴン車に乗って外出することになった。運転は俺。よくもまぁ、心療内科に通ったばかりの男に任せようと思ったもんだ。もっとも、今日はよく眠れたから、コンディションに問題は無いけどね。
「イヤッホー! 遠出だ遠出~!」
「フーコ、山に行きたーい!」
「おっ! わかってるじゃないか、行き先は
「「イエーイ!」」
後部座席ではしゃぐフーコとシェン、そして助手席の姉ちゃん。チータは熱心に外を眺め、スゥは……バックミラー越しに、俺の目を見ているように見える。心配しなくとも、事故だけは起こさないように注意はしているから、安心してほしい。
故に、俺達の服装もアウトドアに合わせたファッションになっている。
俺と姉ちゃんは、それぞれ黒と青のジャージ姿。
こども達も、今は違う服装に着替えていた。
いや、「着替えた」ではなく、「変化した」が正しい。
チータと同様に、スゥ達の服装も変化していた。
スゥは、チータと同じチャイナドレス姿。彼女のものは赤がメインで、鳳凰の意匠を取り入れている。スパッツがなく、チータと比べたらセクシー路線に特化した出で立ちと言える。後は、黒いバレエシューズのようなものを履いている。これも、チータと同じものに見える。
フーコは、胸に白い虎の顔がプリントされた白いTシャツと黒のスパッツ姿。靴が嫌いという性質が反映されているのか、フーコは晒(さらし)を捲くことで足を保護していた。
シェンは、黒い学ランそのまんまだった。履物も黒のローファーと、徹底している。ただし、学ランの背中には、亀みたいなロボットの刺繍が施されている。
チータは竜で、スゥは鳳凰、フーコは虎で、シェンは亀。
まるで、四神のようだ。
さて、行き先は高尾山――東京か。ここからだと、一時間以上はかかるな。
せっかくだから、今のうちに確認をしておこう。
「姉ちゃん。そろそろ話してくんない?」
「組織についてか?」
「そうだよ。この車といい、スゥ達のことといい……いくらなんでも、用意が良過ぎるよ」
あのレストハウスは、こども達が流れ着いた場所から近い。なんとなくだけど、俺には彼女達があそこまで流れ着くことを前提とした準備に思えてならなかった。
ご都合主義なんて言葉は、早々あり得るもんじゃない。
「そうだな。予測はしていた」
「マジか」
「いくつかある拠点の内ひとつ……それが、たまたま近かったってのはあったけどな。それでも、こども達があそこまで流れ着いて来ること……ついでに言うと、お前があそこに来ることも、想定した動きだったことは認めるよ」
「俺のも?」
「私の仲間には、予知能力を持つ者がいる」
「予知能力、ねえ……」
神霊という存在を知覚してなお、胡散臭いワードが出てきた。
「信じてないな?」
「さすがに、いきなり言われてもってカンジだね」
「まぁ、そこはそうとしか説明しようがないから、納得できないなら今は置いておけ。神霊についての理解も浅い状態だしな。だから、まずは私が属する組織について説明しておこう」
「お願いしまーす」
一番知りたかったのは、そこだからね。
良くも知らない人達に、自分達の命を預けることは――難しい。いくら姉ちゃんがいるからって、本人もまとめて騙されている可能性だってある。
ちゃんと理解を深めた上で、今後の行動に反映させなくては。
「組織の名前は≪シーズン≫っつってな。神霊の力を使う人間――『
「自営業ってのは嘘だったのか」
「あながちそうでもない。隠れ蓑は必要だからな。普段は派遣社員みたいな形であちこちの仕事を手伝う――という体をとって世に紛れているんだからな。実際にそうもしたぞ。スマホゲームのテスターとか」
「へぇ……」
俺としては、テスターの方が興味ある。
「≪シーズン≫の存在は秘匿されている。何せ、人は目に見えるものしか信用しない生き物だからな。見えない人間に神霊子の保護の必要性を説いたところで、何も意味を成さない。出来る人間がやるしかないんだ」
「それが出来る人の集まりってわけだ?」
「そうだ。ウチのリーダーの仕事は、いろんなコンテンツを扱う会社の社長で、コピーライター。名前は、お前ならよく知っているはずだ」
「おいおいまさか……!」
その、なんだか幅が広すぎてよくわからない表現――俺には、むしろよくわかった!
「もしかして、綱吉悟(つなよしさとる)!?」
「そういうこった」
「マジかよ!? すげー!」
興奮気味に体を上下に揺らす。運転中じゃなければ、舞い上がっているところだ。
綱吉悟。株式会社オールサーチの社長で、コピーライター。
持ち前の探求心から、様々な分野に興味を示し、調査をし、いろんな人のマーケティング事業に助力をすることで、世界を広げていくことをモットーとした会社。その発起人。余談だが、俺の好きなゲームの作者でもある、偉大な方だ。
その人が、≪シーズン≫のリーダーなのか!
「リーダー、お前が自分のゲームのファンだって聞いたら喜んでたぞ」
「なんとぉぉぉぉ……!」
姉ちゃん、綱吉さんに俺の事を説明してくれたのか。珍しく気が利いている!
ちょうど赤信号で止まったので、姉ちゃんが「論より証拠だ」とばかりに、スマホで集合写真らしき写真を見せてくれた。
十数人の人間達が笑ってサムズアップをしていた。その中央に、綱吉さんがいた。姉ちゃんは左端にいた(この人だけ笑みが引きつってるのはなんでだろう?)
。
「つっても、あのゲームに関してはあの人ホント寡黙だからな。今の内に言っとくけど、その手の話題での盛り上がりは期待しない方が良いぞ?」
「あぁ、なんか記事でそんな話をしてたよね」
「だから、リーダーに話を合わせるためにも、まずはお前が自分の神霊――つまり金翼の欠片についてもっと知るべきだ。高尾山に行くのは、その準備のためだ」
俺は、ハンドルを握る右手の甲を見る。
金色の翼の模様は、未だに消えずに残っている。
「シュウ、青になった」
「お、サンキュー」
ぼんやりしていたが、スゥが声をかけてくれたおかげで、スムーズにアクセルを踏めた。無駄に後続車を待たせるのは後味悪くなるから、助かった。
「じゃあ、≪シーズン≫はスゥ達を自分達の戦力に組み込むつもりなのか?」
姉ちゃんに尋ねると、「少し違う」と返ってきた。
「≪シーズン≫の目的は、神霊子を社会に溶け込ませることだからな。そのために手段を、仲間達で模索していきたいわけだ。……ただ、問題が発生した」
「問題?」
「神霊の存在に気付いた人間が、外道な研究を続けているって情報を手に入れた。それが、こども達の話していた『施設』とやらの人間っぽいんだが、残念ながら絶賛調査中。後手に回らざるを得ないのが現状だ」
「胸糞ワリィ」
「そうだよ。だから、保護しなきゃならんのだ」
「だね」
つまり、≪シーズン≫の活動には、神霊子の暴走を防ぐ役割があるってわけだ。
綱吉さん……人知れず、世界を救おうってわけですね。
「それで、俺は何を協力すりゃいいんだ? ≪シーズン≫の事情はわかったけど、みんなを保護する以外にも、何か頼まれたりするわけだろ? 多分だけどさ」
「お前の神霊の力を使いこなせるようになれ。そのためにも、こども達と暮らすのは良い事だ。時々、変わったことがないかどうかくらいは教えてもらうが、後は勝手にしろ」
「勝手にって――」
「つまり保護者。これがお前の新しい仕事だ」
「仕事って……部下みたいに扱うんじゃねえよ」
「みたい、じゃなくて、お前は私の部下だ」
「えっ?」
「お前は既に、≪シーズン≫の一員として登録されている。憧れの人のチームに入れるんだ、良かったな!」
「ッ……!?」
姉ちゃんは笑いながら俺の肩を叩くが、俺自身は空いた口がふさがらなかった。
「い、いつの間に……てか、なんでそうなんの!?」
「お前、転職先でいじめに遭ったじゃん?」
「う、うん……」
当時の状況を、軽く思い出す。
頑なな不合格。きつめの言動。同期という第三者からの評価「火野さんにだけ厳し過ぎる気がする」。
被害妄想でなければ、あれはいじめに分類される指導だ。
「あれ、私の差し金だから」
「……………………………………………………えっ?」
一瞬、何を言われたかわからなくなった。
あの仕打ちが――仕組まれていたものだった?
「リーダーはお前の協力を欲した。けど、お前は無駄に頑固な性格してっから、綱吉悟が勧誘してるっつっても、あの時は絶対聞かなかっただろ?」
「そ、それは……まぁ」
否定出来なかった。
綱吉悟の事業は、どこか芸能活動じみているところがあると感じられたから、俺には適性が無いと思う。加えて、あの時の俺は、整体師を目指すことが絶対正しいと思い込んでいた。そういうイノシシ状態になった俺が、素直に転職を勧められたとしたら、十中八九、耳を貸さないだろう。
そういう意味では、姉ちゃんの指摘は正しい。
「だから、まずはお前の頑固な心を破壊しようと思った。いや~、安月給の会社員は便利だよな~! なんせ、金さえ積めば、平気で他人を犠牲に出来るんだからな~!」
「クソどもが……!」
どんだけ俺が苦しんだと思ってやがる!?
そんなわけで、この状況で素直に感謝できるかと言えば、答えはNOだ。
姉ちゃんのせいで、俺は自殺寸前まで追い込まれたわけだからな。チータたちの事が無かったら、確実に殴り合いになっていたと思う。
「げ、外道……」
「えげつねー……」
「ショーコ、さいてー」
「おねえちゃん、おにいちゃんをいじめちゃダメ!」
チータ、シェン、スウ、フーコが、次々と非難の声を上げる。いいぞ、もっと言ってやれ!
しかし、我が姉は動じない。
「私がそれをしなかったら、秀平はお前達を助けられなかったんだぞ?」
むしろ、正論を盾に、こども達を黙らせてしまった。
大人は汚い生き物だなぁ。
「てなわけで、ようやっと頑固さが取れたお前が、体の赴くままに行きついた先が、あの観音崎の海岸だったってわけだ。おかげで、お前の≪金翼≫の覚醒に繋がったし、こども達も救われたしで、一石二鳥ってわけだ」
「威張んな!」
この人、本当に悪びれないな……。頼むから、クソ姉の脳天に隕石でも落ちてきてくれないかな?
「≪金翼≫の力をさらに引き出すためには、まずは無心になる必要があるだろう。だからハイキングをしようってわけだからな。高尾山は良いぞぉ。なんせ、心の山とか呼ばれてるからな」
「あれ? もしかして、高尾山に行く目的って――」
「メインはお前の修行だ。神霊子としての自覚を芽生えさせるなら、力の使い方を学ぶのが一番手っ取り早い。あそこなら、お前にも何か感じられるものがあるだろ」
「あぁ、そういうこと」
高尾山は、何かと霊的な話題に事欠かない山だという認識は持っている。世間でいうような効力があるかどうかはわからないけど、何かきっかけをつかむという意味では、最適な場所なのかも知れない。
自分を変える。
神霊の存在を――神霊子としての自分を受け入れる。
そういう意味で、確かに修行みたいなものは必要になるかも、とは思っていた。それが今からだというのなら、まぁしんどそうだけど、話は早い。
「ねえにーちゃん! オイラ、天狗ラーメンって食ってみたい!」
「フーコ天狗ドッグと山菜とろろそばが良い~!」
「わたし、ブルーベリーのスムージー」
もちろん、観光にも良いところだ。(主に姉ちゃんのせいで)傷ついた心を癒すのにも、ちょうどいい機会だろう。
みんなで楽しむ初めての外出。
修行も大事なんだろうけど、まずは思いっきり楽しみたいな。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
ここで(名前だけ)登場する綱吉悟というキャラクターのモチーフは、糸井重里様でございます。MOTHERシリーズの生みの親という、ぼくの中では神に等しい存在です。
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