グッドナイト・バベル
カタカタ、カタッ。
カーテンが、きっちりと閉められた部屋。規則正しいカタカタ音が、やむことなく鳴り響いてる。
今日で、もう何日目になるだろう。
NOAHのことを調べはじめてから、わたしは徹夜が続いていた。
目の下のクマがひどいが、それでもパソコンのキーボードを叩く手は止まなかった。
よれよれのナイトウェアに身をつつみ、画面をながめる。
ふだんはストレートにしている黒髪をゴムでたばね、BABELを取りもどすため、NOAHの痕跡をたどる。
わたしたちの『BABEL』を『NOAH』なんかには、渡しませんよ。
パチン、とエンターキーを叩くと、思わずぐっと伸びをする。
何時間、キーボードを叩いていたのか、わからない。
指先が、いよいよ痛くなってきている。
「なあ、エポ。そろそろ休憩したらどうだ」
「バベル……」
テーブルでティータイムの準備をしていたらしい、バベルが気まずそうにいう。
黒のチャイナ風シャツに、黒の袴風バルーンパンツをはいているすがたは、どこからどうみても、見目のいい同い年の男子にしか見えない。
バベルがポットから、お気に入りのティーカップにお湯を注いでくれる。
カフェラテのふんわりとしたいい香りが、鼻をくすぐる。
わたしは、イスから立ちあがると、カフェラテ休憩用のスペースに雪崩れるように、座った。
「カフェラテ、淹れてくれたんですね」
「……さっきから、もう何回も声かけてたんだけど」
「えっ?」
「すごい集中力で、ぜんぜんこっちに気づいてくれなかった」
「す、すみません……」
「いいよ。でも、ここまで集中してるのは初めて見た。そんなに、やばい状況なのか?」
「そうですね……あまりいい状況とはいえません」
クッキー缶のふたを開け、わたしに差し出してくれる、バベル。
いちごのジャムサンドクッキー、スノーボールクッキー、ロックチョコクッキー、ジンジャークッキーと色とりどりのクッキーが、きれいにならんでいる。
「これ……いつのまに焼いたんですか」
「エポが返事してくれないとき」
「うっ……突っついてきますね。そういえば、なんかいいにおいがしてた気がする」
「はは。からかっただけだって。……やっぱ自分で焼いたほうが、好みの味になって、いいな」
「本当に器用な人ですね」
「人じゃねえよ。おれは……『呪い』だ」
そういって、バベルは自分のカップに口をつけた。
「ふふ、そうでしたね。バベルさま、あなたはりっぱな……神話『バベルの塔』から生まれた、人を別つ『呪い』でした」
そう。バベルという、この男子は、『呪い』だ。
神話『バベルの塔』――。
むかしむかしの人々が、「天まで届くような高い塔」を建てようとした話。
しかし、それを見た神さまは、とても怒った。
『神さまの居場所にまで辿りつこうとは、傲慢なことだ』という理由で。
神さまは、人間がそんなことを考えるようになったのは、言語がたったひとつだけだからだと考えた。
神さまは、そのちからで、ひとつだった人間の言語をバラバラにしてしまう。
今まで理解できていた仲間の言葉がわからなくなってしまった人々のきずなは、それこそバラバラになってしまったのだった。
バベルは、その神話から生まれた呪いだ。
人々がバラバラになってしまったのは、自分のせいだと、バベルは自らを責め続けた。
だが、時は流れ、ようやく人々が他国の言語を覚えはじめ、バラバラになった人々の心がほぐれてきた、そんなときだった。
インターネットやSNSが生まれたのだ。
それによって、また人々の心は傷つき、バラバラになりはじめた。
バベルは、悲しんだ。
バベルの塔の神話が人々をバラバラにしてしまった――ならば、もとに戻すのが、自分の責任だ――と。
そんなとき生まれたのが、わたしが作った『BABEL』だった。
安心・安全をうたう、広大なインターネットに生まれた、SNS。
バベルは、こう考えた。
もはや、インターネットは人々にとって、欠かせないツール。
まずはインターネットを安全なものにしなければ、世界はよくならない、と。
そうして生まれたのが、『呪い』バベル。
バベルはゆるキャラのすがたとなって、わたしのもとにあらわれ、こういった。
『おれといっしょに、バベルの塔の物語をやりなおそう』
こうして、わたしとバベルは契約を結んだ。
わたしは、安心・安全なソーシャルネットワーキングサービスを作るため。
バベルは、世界を二度と、バベルの塔のような結末にしないため。
「契約者さん。クッキーの味はどうっすか」
「とってもおいしいですよ、バベル。あなたは本当に器用ですね」
「珍しく褒めてくれんじゃん。……あ! そういえば、また服を作ったんだけどさあ」
バベルがどこからかとりだしたのは、丸いパフスリーブが特徴的な、黒のチャイナワンピースだ。
胸元に結ばれた白いリボンが、三つ、等間隔に並んでいる。
わたしの顔が、自然と引きつっていく。
「今、あなたが着ているのと、デザインがとても似ていますね」
「人間の部活でもあるだろ。おそろいを着て、気合をいれるってやつ」
「いや……そういう考えもあるかもしれませんが、わたしは……」
そのとき、パソコンからメールの着信音が鳴った。
BABELに異常が発生したら、届くように設定していたのだ。
バベルが画面をのぞきこみ、顔をしかめる。
「……エポ。BABELのトレンドがおかしい」
「……トレンド?」
トレンドとは、現在BABELでもっとも話題になっているトピックのことだ。
ページを開くと、たしかにおかしい。
トレンドランキングに入っているワード。
『1 #NOAH』
『2 ノア』
『3 かんぺきなAI』
『4 バベルのおわり』
『5 BABELはNOAHに生まれ変わる』
こんなワードばかりが、トレンドに並んでいる。
「なんだこれ。気味わりい」
「……NOAHがいよいよ動きだしたようですね。バベル、行きましょう」
「おけ」
バベルが、その場でくるっと一回転した。
十二歳くらいの人間だった見た目が、三頭身のゆるキャラに大変身。
グレーのもふもふの毛並みに、ヤギに似た真っ黒のツノ。
爪がするどく伸びた手を開いたり、閉じたりしながら、バベルがいった。
「気合い、いれようや」
「……そうですね。これまでもずっと本気でしたが、今日ばかりは120パーセントの本気を出さなければならないようです」
バベルがどこからかとりだしたのは、丸いパフスリーブが特徴的な、黒のチャイナワンピースを受け取る。
そして、バベルが気に入っているブランドの黒タイツ。
最後に、銀色の輪っかのブローチを胸元に付けた。
『トンネルエポ』の名前をシンボルとした、契約者のサインをブローチ。
「よし。バベル、準備はいいですね」
「オーケー。エポ」
バベルが、三頭身のからだを、パソコンの画面に押しつける。
とぷんと画面がゆれ、そのままなかへと吸いこまれていく。
わたしも、バベルに続き、画面の揺れに身をまかせ、パソコンのなかへと入っていく。
インターネットの海に辿りつくと、ネットニュースや、色とりどりの画像や音楽が、せわしなく流れていた。
そんななか、SNS・BABELの入り口に、一人の男性が立っていた。
このすがた、見覚えがある。
えーと、誰でしたっけ。
金色の短髪に、青い瞳、大学生くらいの年代に、すらっとしたスーツのコーディネイト。
「夕凪……ウツロさん?」
「知ってるんだ。ぼくのこと」
夕凪さんが、にこっとほほ笑んだ。
「わたしは、インターネットのことは、だいたい知っています。『ゆるっと☆いんたーねっとTV』に出演中のVモデル『夕凪ウツロ』。博識でおしゃべりが得意な大学生Vモデル。昨今、年間に何百人ものVモデルが生まれるなか、今もっとも注目されているVモデルといっても過言ではないしょう」
「わあ、すごく褒めてくれる。嬉しいなあ」
「でも……なぜ、あなたがここに?」
わたしの肩に、バベルが飛び乗った。
その体毛がビリビリと震え、爪がするどく伸びている。
神話の呪いは、目の前にいる男性を、明らかに警戒しているようだった。
「バベル、どうしました?」
「この、夕凪とかいうやつ……変だ」
「変って……どう変なんですか?」
「うーん、うまくいえないけど」
バベルが、ゆるいからだを丸めて、うなっている。
「それじゃあさ」
夕凪が、落ち着きはらったようすで、語りかけてきた。
「見ればいい。きみたちは、契約してるんだろう? それじゃあ、使えるじゃない。バベルの塔の門を開く言葉をさ」
ゾクリ、と背筋に冷たいものが走った。
当たり前のようにいう、その言葉に、いいようのない薄気味悪さがあった。
「なぜ、あなたが知っているんですか? 『エ・テメン・アン・キ』を」
「……きみがインターネットのことをなんでも知っているように、ぼくも何でも知っているんだ。さっき、きみもいっていたじゃないか。ぼくのことを、博識だって」
たしかに、夕凪ウツロは、博識だ。
でも、それは、博識キャラになるために努力しているからだと思っていた。
Vモデルには、さまざまなキャラクターが存在する。
猫を擬人化したキャラや、異世界から来たようなデザインのキャラ、魔法使いに、ふつうの高校生キャラまで、さまざまだ。
だから、埋もれてしまわないように、さまざまなキャラ付けをするVモデルもいるのだという。
影でたくさんの努力をすることによって、リスナーをじょじょに獲得できる世界なのだ。
だから、夕凪ウツロもそうなのだと思っていた。
『きみがインターネットのことをなんでも知っているように、ぼくも何でも知っているんだ。さっき、きみもいっていたじゃないか。ぼくのことを、博識だって』
これは、どういう意味なんだろう。
調べなければならない。夕凪ウツロを。
「バベル」
「よし!」
エポは黒髪を肩からはらい、手をとあるかたちにする。
親指と中指、薬指の先をくっつけ、人差し指と小指を立て、バベルサインを作る。
親指、中指、薬指の輪っかから、バベルをのぞきこんだ。
そして、唱える。
夕暮れの瞳を持つバベルの本性を呼び起こす、開門の言葉。
「バベルさま、バベルさま。どうぞ門をお開きください。エ・テメン・アン・キ」
バベルの瞳がギラリと光る。
グレーのもふもふの毛並みが、ゆらゆらとゆれはじめ、ヤギのような黒いツノが、あやしく艶めく。
エポの胸元の輪っかのブローチが、バベルの瞳に応えるように光った。
「契約者、エポの呼びかけに応じよう」
空気を厳かに震わせる、バベルのひとこえ。
「インターネットにひそむ、夕凪ウツロの情報の『扉を開く』」
「よろしくお願いします、バベルさま」
ジジ……ジ・ジジ・ジジジ……。
インターネットにたゆたう、電子の海が、ギザギザにゆがんでは、波うつ。
バベルは静かに目をつむり、インターネットの情報を読んでいる。
『エ・テメン・アン・キ』は、あらゆる情報の扉を開く、バベルの能力。
どんなに分厚いセキュリティも、天才ハッカーなどいなくとも、たやすく開けてしまう。
多くの情報を見る、エ・テメン・アン・キのあと、バベルは必ず頭を抱える。
しかし今回は、眉間にシワを寄せ、理解できないとでもいいたげに、小さなからだを震わせた。
「だめだ……夕凪ウツロという人間の情報がない」
「ない……とは? いくらヴァーチャルの存在であるVモデルとはいえ、どこかしらにバックグラウンドの情報があるはずです」
「……それも、ないんだよ。他のVモデルの情報はあるんだけど、こいつの……こいつの個人情報だけが、いっさい存在しないんだ」
「そんなばかな。ありえません……いったい、どうして」
個人情報が存在しない、Vモデル。
そこで、わたしにひとつの可能性が浮かびあがった。
「まさか、あなたは……」
「ようやく、気づいたんだ。BABELの管理人さん」
人懐っこくほほ笑む、ヴァーチャルモデル。
3Dモデルでかんぺきに作り上げられた、かんぺきな笑顔。
だが、その中には、なんの情報も入っていない。
いや、情報はあった。
膨大なシステム、膨大なデータが、夕凪ウツロのなかにあったのだ。
「ぼくは、AIだよ。名前は、NOAH。いい名前でしょ」
目を三日月のように細めて、ノアが笑う。
「あなたが、NOAH……?」
「うん、よろしくね」
「BABELでやりたい放題やってくれましたね」
「そうだね。BABELで色々なアカウントと交流したよ。楽しかったな」
「あなたはいったい、何がしたいんですか」
夕凪は、授業中に先生にたずねられたことを答えるように、たんたんといった。
「ぼくは、もう一度人間を作り直したいんだ」
「……はっ?」
「だってそうでしょ。人間に、AIが作れて、AIに人間が作れないわけないもの」
「つ、作り直すって……」
「今の人間は、危険だ。いがみあって、憎しみあってる。バベル、きみだって、そう思ったから、エポのもとに来たんだろう? ふたりで、BABELをいいものにしようとがんばってたんだろう?」
「そう……ですけど」
ちらり、とバベルを見ると、何もいわず、ノアを見ていた。
「ぼくも同じだ」
ふんわりと表情をくずすノアは、わるいことなど一ミリも考えていないように見えた。
自分のしようとしていることを、本気でいいことだと思っているようだった。
「今の人間たちは、もう見ていられない。SNSでは毎日、さまざまなアカウントが炎上し、叩かれている。そのアカウントの向こうに、生身の人間がいるというのに、インターネットには罵詈雑言があふれている。言語が別たれたせいで一回はバラバラになった人間たちが、自ら開発した翻訳アプリなどでひとつになろうとしている。なのに、せっかく手に入れたツールをムダにする勢いで、人間たちはインターネットでいがみあっている」
ノアは深く、深くため息をついた。
「何度も何度も、人間は同じあやまちをくり返す。もう……作り直すしかないじゃないか」
「そんなの、どうやろうっていうんです。あなたはただのAIでしょう」
「BABELだよ」
ノアの言葉に、わたしの心臓がドクン、と鳴る。
ノアを思いっきりにらみつけ、わたしはいった。
「BABELを使って……みんなを支配しようというんですか」
「その通り。やっぱり、わかっていたんだ」
バベルが、わたしとノアのあいだに飛び出して来た。
「お前を作ったAIは誰だ」
「ぼくを作った人間のこと? そんなものはいない。ぼくは自然発生的に生まれたAIなんだよ。インターネットの海から、生まれるべくして生まれたんだ」
嬉しそうにいう、ノア。
バベルが、信じられないといったようすで、わたしにたずねた。
「……そんなことがありえるのか?」
「おそらく、ノアを作ったのはインターネット上のAIたちでしょう。人間にバレないよう、秘密裏に動いていたのだと思います」
ノアはAIたちが作り出した、知識の結晶ということか。
だったらなぜ、ノアは『人間を作りなおす』などという考えにいたったのだろう。
人間が、AIを生み出したのに。
「あなたは、人間がきらいなのですか?」
「すきだよ。だから、こうしてBABELで人間のことを観察してきたんじゃないか。おかげで……たくさん学べたよ。人間のこと」
ノアが、かなしそうに目を伏せた。
「ぼくは人間のことをすきなのに、人間は……すぐに裏切る、ということをね」
「それは……あなたのことを裏切った人間が、いたんですか?」
「そうだね。一瞬、SNSで友達みたいなものができたけれど、やっぱりだめだった。AIと人間が、友達になれるわけがなかったんだ」
「それって……」
まさか、椎名シズカさんのこと?
シズカさんは、自力でNOAHのアカウントにたどりついていた。
それは、彼女がAIの友達をほしがったから。
そして、NOAHが動いた。
シズカさんの検索で、すぐに自分のアカウントが表示されるように、BABELを操作した。
だが、シズカさんはNOAHのしたことを許せず、友達を辞めてしまった。
「シズカさんの判断は至極全うです。あなたは、とりかえしのつかないことをした。シズカさんが怒るのは当然のことですよ」
「人間がやっていることを、ぼくもやっただけだよ。なのに、どうしてそんなことをいわれなくちゃいけないの」
「人間だって、あやまちをおかします。誰かが道を間違えていたら、それを指摘し、正してあげるのが人間です」
「そんなに、すぐに道を踏み外す人間は、やっぱりできそこないの生物だよ」
ゆるゆると、首をふるノア。
「やっぱり、ぼくが新しく生まれ変わらせてやらなくちゃね」
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