第55話 恋敵の非情な罠

「姉ちゃん達、人の声だ。どっかから聞こえてくる……けど渡瀬の声じゃない」


「声質からして年配ね。レイヤの家族構成って、確か祖父と二人暮らしだったわね?」


「ええ、そうですわ。レイヤは幼い頃から両親に酷い虐待を受け、12歳くらいまで養護施設で過ごした後、父方の祖父に引き取られている筈ですわ」


「なんだって!? そうか……杏奈と同じ施設出身とは聞いていたけど、あいつそんな幼少期を過ごしていたのか」


 由莉亜の話に、俺は顔を顰める。

 幼い頃に受けた体験が、渡瀬という男を歪ませてしまったのだろうか。

 しかも異世界でも相当な裏切りにあって闇堕ちしてしまっているし……どちらの世界でも散々な人生だ。


「だからと言って野放しにはできないねぇ。ここには法があるんだから犯したら駄目だよぉ。鬱憤を晴らしたいなら、『奈落アビス』ダンジョンでモンスター相手に暴れりゃいいのに~」


「香帆、少し違うわ。レイヤの拠点はあくまで異世界よ。奴は邪神メニーラの意志に従い受肉させる新たな『生贄』を差し出そうとしているの……ゼファーからの情報よ」


 美桜はタイムリープしてきた体験を重ね合わせながら、バレない範囲で真相を説明している。

 信頼できる相棒パートナーとはいえ、タイムリープしてきたことは制約上言えない事情があった。


「そういうことでしたの……あの時の災いが繰り替えされようとしているのですね。まぁ、わたくし達“帰還者”は二度と女神アイリスに導かれることはありませんが、おそらくその災厄周期シーズンに合わせて、現実世界から新たに転生・転移者が選別されるか、その時代の種族らが頑張ることになるでしょうね。異世界との中継役である政府や特殊公安警察としては、断固として阻止したいところでしょうが……」


 前に美桜から聞いた話によると、エリュシオンを通じて日本政府と異世界の神々が互いの利益と共存のため、何かしらの手段を用いて定期的にコンタクトを取り合い最新の情報を共有し意見交換が行われているらしい。

 その中で“帰還者”の情報も共有され、特殊公安警察の『零課』が管理すると言う。

 したがって『零課』としても面目を保つ必要があり、現実世界で起こした犯罪を異世界へ持ち込ませるわけにはいかないのだ。


「皆様、『魔糸』は隣の部屋まで続いているのです! そこに間違いなくレイヤがいる筈なのです!」


 メルは釣り糸のように、人差し指に巻き付いた《導きの探索者ダウジングシーカー》を引っ張って手応えを確認している。


 隣の部屋か。襖越しで区切られた部屋のようだ。

 言われてみれば、呻き声もそこから聞こえている。


「《索敵》スキルは反応してないけど、ここは罠である可能性を考慮するべきね。みんな、冒険者モードの姿になりましょう」


 美桜の指示で全員が賛同した。


 俺は《アイテムボックス》を出現させ、『黒鋼ブラックメタルセット』を装着し冒険者の姿となる。


 美桜も以前に披露した白マントに純白の鎧を纏った勇者の姿となった。

 眼鏡は外され切れ長で知的な双眸を見せ、長い髪はポニーテールに束ねられている。

 腰元に差したバスタードソードは『アダマンタイト』という超硬質金属で構成されている聖剣であった。


 香帆はエルフ族の暗殺者アサシン、『狩人の乙女ファロスリエン』となる。

 深紅色のフード付きマントに、艶めかしいボディラインに密着させた漆黒の革製レザースーツ。

 この狭い空間では例の『死神大鎌デスサイズ』は扱えないので、両手に短剣ダガーが握られていた。


 そして、由莉亜はサイドテールが解かれ長い白髪が腰元まで揺れている。

瞳もガラスのような銀色に染まり、より美しさを引き立たせていた。

 また冒険者モードの姿も独特であり、全体が真っ白な軍服のような衣装に身を包んでいる。

 頭に軍帽を被り襟の高い将校マント、黒手袋にミニスカートに水色のタイツ、半長靴といったコスプレのような装備だ。

 さらに腰元には長細い剣ことレイピアが装備されている。


 あれ? 彼女って『氷帝の魔女』と呼ばれているから、てっきり魔杖がメイン武器だと思っていたけど……。


「由莉亜さん、変わった格好だね? まるで軍人みたいだよ」


「ええ、真乙様。こう見ても異世界では軍を指揮する『総督』でもありましたので……それとわたくしがこの姿をした場合、どうかフレイアとお呼びくださいませ」


 総督? だから軍服なのか?

 けど姉ちゃんと同じ『七大聖勇者』でもあるんだよな?

 

 俺は「わかったよ、フレイアさん」と了承すると、メルがゆっくりと襖を開けて奥側を確認している。


「《看破》スキル、反応なしなのです。トラップらしき仕掛けも見当たらないのです」


 メルは言いながら物音を立てずに室内へと入り、俺達も後へと続く。

 襖の先は和室となっている。薄暗い奥側には仏壇と押し入れがあった。

 しかし、やはり誰もいない。

 ただ呻き声だけが、不気味に反響して聞こえてくる。


「……マオッチ。あの押し入れの扉、開けてみ。きっと誰かいるよ」


 香帆が言ってきた。

 彼女も暗殺者アサシンとして《探索》スキルが高く、トラップを見破る《看破》や《索敵》スキルもほぼカンストしている。


「お、俺が? 罠かもしれないんだろ? 奇襲とか食らわないかな……」


「マオッチ、盾役タンクでしょ? その能力値アビリティなら《貫通》スキルでも使わない限り、ノーダメージじゃん」


 それもそうか。

 不気味な雰囲気に飲まれ内心びびっていたのか、すっかり自分の職種を忘れていた。


 俺は前衛に立ち、いつでも防御できるよう心構えながら扉を開ける。

 すると、押し入れの中で何者かが蹲っていた。


「だ、誰だ!? ん? 爺さん?」


 細身の爺さんだった。

 口に布で猿ぐつわをされ、ぐったりと項垂れている。

 他は特に拘束されていないようだが、垂れ下がった左腕の手首辺りから出血らしき液体が流れていた。


「あっ!? まんまと奴にしてやられましたのです! マオたん様それに皆さんも、早くこの部屋から離れるのですぅぅぅ!!!」


 メルが叫んだと同時に、足元の畳と床が抜けた。

 俺達は爺さんごと吸い込まれるように床下の暗闇へと落下する。


 気が付くと薄暗い石畳の上に立っていた。

 俺は爺さんを抱えたまま、仲間達の居場所を確認する。


 みんな熟練冒険者だけあり、何事もなかったかのように平然と佇んでいた。

 ただメルだけは悔しそうに地団駄を踏んでいる。


「悔しいのです! 無念なのです! イラつくのですぅぅぅ! レイヤめぇ、とんだサイコパス野郎なのです!!!」


「落ち着きなさい、メル。どういう状況か説明するのです」


「……はい、フレイア様。まずはそのお年寄りの右手の小指を見てくださいのです」


 気を落ち着かせたメルの言葉通り、俺達は爺さんの左手を見つめた。

 すると呪文語が施された糸が小指に巻き付けられており、メルの人差す指と糸電話のように繋がっている。


 これは渡瀬に施した筈の《導きの探索者ダウジングシーカー》の魔糸だ。

 何故、この爺さんの小指に巻き付いているんだ?


「真乙、その人の口に巻かれた布を取ってみて」


 美桜に指示され、俺は爺さんの口に巻かれた猿轡を解いた。

 爺さんは虚ろだが意識があるようで、何かぶつぶつと呟いている。


「……ぼ、僕は『渡瀬 玲矢』。玲矢、玲矢、玲矢、玲矢……」


「この爺さん……何を言っているんだ? 自分が玲矢って可笑しくね?」


「違うわ、よく左手を見るのよ。右手と違って随分と若々しく見えない?」


 美桜の指摘通り、右手は年相応の皺があるのに左手は艶のある十台の手に見える。

 

「そういうことですの……悪魔調教師デビル・テイマーならではの禁忌秘術、《悪魔改造融合デモン・フュージョン》の応用ですわ」


「デモン。フュージョン? フレイアさん、何それ?」


悪魔調教師デビル・テイマーは、ただ悪魔デーモンをテイムするだけではなく、生物同士を融合させ強化させる禁忌魔法を得意としますわ。レイヤは自分の左手を切断し、その御仁の左手を差し替えたのでしょう。その左手首の出血跡が何よりの証拠ですわ」


「爺さんの左手と交換しただと? じゃあ、この爺さんって……渡瀬を引き取った実の祖父なのか?」


「そういうことだよぉ、マオッチ。最低だねぇ……けど、このお爺さん、ひたすら自分を『玲矢』だと思い込んでいるよぉ? これって魅了系のユニークスキル?」


「おそらくそうね……予め《導きの探索者ダウジングシーカー》の追跡を察知し、魔糸の存在にも気づいたんだわ。だけど能力の性質までは見抜けず、左手を差し替えたと同時に精神を支配した……保険のためにってやつかしら? おまけに気づかせるのを遅らせる目的からか、あるいは呻き声で恐怖を煽らせる演出なのか、あえて出血量を多くして意識を朦朧とさせているわ……生粋の外道ね」


 香帆の見解と美桜の推測に、俺は愕然とする。

 自分を引き取り育ててくれた実の祖父対してなんて仕打ちだ……。


 これが、『渡瀬 玲矢』という男の本性なのか?

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