第48話 青藍祭準備


 青藍祭の準備が始まっていた。

 部活などで展示を作らない者も、パレードや大掃除に駆り出されている。

 普段は床から15cmもの高さにゴミが溜まり、それを足でかき分けて日々を過ごしているような教室も徹底的に磨き上げられる。

「やあ、床よ、久しぶりだね。こんにちわ」

 この声は冗談ではない。


 小桜たちはまだ経験していないが、年に2度しかないと言っても過言ではない拭き掃除も、徹底して行われる。もちろん、トイレだって、そうだ。基本的に政木高には女子トイレがない。職員用のものが1つあるに過ぎない。

 多数の来校者が見込まれる青藍祭であるから、いくつかのトイレは女子用に臨時の転用がされる。そうなれば、ここだって学校の顔になるのだ。磨き上げないはずがない。


 そんな中だからこそ、事件は起きた。

「3年生が皇帝に並ばされて怒られているぞ」

 教室に駆け込んできた新村の声に、クラスの面々は色めき立った。この学校で、教師にそこまで徹底して叱られるということは誰もが経験していない。それなのに、「3年生が」ともなるとほぼありえないことだし、「なにをやらかした?」と気になるのも当然のことである。


「見に行くぞ!」

 三城の声に、白田がストップを掛けた。

「先輩の顔を立てることを考えろ。全員で見物は避けよう。誰か偵察に行け!」

「俺が行こうか?」

「馬鹿か、山内。逃さんからな。そもそも、ラグビー部のてめーの図体で偵察もへったくれもあるか。竹塚、お前が行け!」

 こう声を上げたのは黒崎である。駆け引きはギャンプラーだけあって上手い。たしかに竹塚であれば、顔に特徴が少なく目立たない。

 ちなみに、ラグビー部は当日の売店以外に準備はない。なので、そのでかい図体が災いして、山内は逃亡に失敗し、教室の掃除を手伝わされているのだ。


「応!」

 竹塚がそう応じて、教室から駆け出していった。

「俺も行く!」

 小桜もそう叫んで後を追った。あの皇帝が怒るところを見てみたいと思ったのだ。もしかしたら、若い教師を「若造」呼ばわりする片鱗が見られるかもしれない。


 竹塚と小桜は、階段を2階と3階の間の踊り場まで駆け上がる。

 そこからは慎重に歩を進めるが、そこへ皇帝の声が響いてきた。

「君たちは、その場のノリだけで命を投げ捨てるのかね?」

 その声に、竹塚が小桜の顔を見る。

 その視線は、「……3年生、なにをやったんだ?」と問うている。


 小桜は、「わからない」と軽く首を横に振り、さらに慎重に歩を進める。

 ぼそぼそと、3年生がなにかを答えるのが聞こえたが、その中身まではわからない。

「ほう、ノリではなく、愛校心だというのか?

 3階の窓から落ちたら間違いなく死ぬ。下はアスファルト舗装だ。ヒトの体はそれに耐えられるようにできていない。その理解の上で、もう一度同じことができるか?」

 皇帝の声は、怒りよりも理路整然としたものを感じさせる。


「どうした?

 できるのかね?

 できないのかね?」

 そこまで聞こえたところで、竹塚が斥候よろしく階段から廊下を覗いた。小桜もあとに続く。

 そーっと覗いた廊下には、多数の3年生が皇帝を取り囲んでいるように見えた。その皇帝の先には、3人の3年生の生徒が立ち尽くしている。


「できます!」

「馬鹿者!!」

 間髪をいれず、地響きのするような声を皇帝は上げた。普段の快活な声からは想像できない、周囲を凍らせる声である。小桜の目には、皇帝の威に打たれた竹塚の背がびくっと震えるのが見えた。


「命の重さがわかっていれば、このようなことはできぬはずだ。それを叱られて、もう一度できるかと挑発されて、後先考えずに『できます』とは何事か?

 そちらの方が愚かしいではないか。矢島、お前の命は、売り言葉に買い言葉で投げ出せるほど安いのか?」

「……いえ」

「お前の人生で成したことは、窓拭きと意地を張ったことでいいのか?」

「……いいえ」

「男なら、自分の命の捨て時くらい考えておけ。それが命を大切にするということだ。それまでは、くだらんことで失う危険を冒すな」

「……はい」

 矢島と呼ばれた3年生は、低い声でそう応える。


 皇帝は、ぐるりと他の3年生を見渡した。

「どの種もみな滅びてきた。一世代でも長く人類という種を生き延びさせるのがそれぞれの世代の努めと、授業で言っているのは冗談ではない。生物は簡単に死ぬ。

 お前たちは愚かではないはずだ。その愚かではないはずのお前たちが、愚かにも自ら死の危険に身を晒すのは許しがたい。しかも、3年生にもなって、それを誰も止めないとはどういうことだ?」

「申し訳ありませんでした。以後気をつけ、他の者も注意しあいます」

 聞いた声である。

 生徒会長の杉山が代表して、皇帝に詫びを入れているのだ。


「我々も、学祭気分で足が地についていませんでした。反省し、このようなことは二度とないようにします。本当に申し訳ありません」

 これは先日、生徒会長を訪ねた小桜に声をかけてくれた背の高い3年生の声である。

 この言葉に合わせるように、他の3年生も頭を下げた。


「次、なんぞあろうものなら、学祭は中止だ。いいな?」

「押忍!」

 これは応援団長の声だ。小桜も竹塚も、何度も聞いている声である。

 この返事を聞いた皇帝は、すたすたと歩き去っていく。3年生たちは、その後姿に黙礼をした。



 ※

 あー、皇帝の逆鱗のピンポイントに触っちまいましたね。

 なにをやらかしたんだよ……。

 怒ることなんて、それこそ滅多にない人なのに……。



「先輩、一体何が起きたんですか?」

 小桜は、先ほどの背の高い3年生を掴まえて聞いた。さすがに生徒会長を煩わせることは遠慮したのだ。


 その3年生は憮然とした顔のまま、それでも小桜に答えてくれた。

「小桜か……。発端はタバコでな。掃除のときに、奥から吸い殻がでてきた」

「あたたたたたた」

 と、これは竹塚の反応である。


「悪いことに、それがたまたま巡回に来ていた世界史の坂田に見つかってな。それ持ってすぐに職員室に帰りやがった。したら、即入れ替わりで皇帝が来て、杉山が対応した。『学校に来た業者の人が吸った可能性もあり、いきなり生徒の誰かが犯人と決めつけられるのは心外だ。まずは、我々も生徒の間で誰が吸ったかを洗い出すが、学校側には外部の人間の洗い出しを求める。これは我々の自治の範囲である』と、誰だかわからないが庇ったんだ。そうしたら皇帝がな……」

「なんと言ったんです?」

 これは、興味津々の小桜である。


「犯人が見つかったら伝えろ。『馬鹿か、お前は。学校では吸うな』、と」

「……吸うこと自体は怒らないんだ」

 竹塚が半ば呆然と言う。

 小桜も口には出さないが、「犯人検挙もそれでなあなあにしちゃうつもりなんだ」と思う。


「それで、杉山も油断してしまった。まさか、トイレから出たところで、窓の外に出て、片手でサッシにぶら下がりながら窓を拭いているあの矢島バカたちと皇帝の視線が合うとはな……」

「ここ、3階ですよね?」

 そう確認した竹塚の声は、信じられないという感情をもろに反映していた。


 ※

 目的のためには手段を問わない。

 その合理性が、知らず知らずに自分の生命の重さを超えちまったんですな。生命が3つも4つもあると思っている高校生らしい愚行ですわ。ちな、これはナレーター役の母校の実話なのだ。

 次話、「イベント準備」に続く。小桜、任務だ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る