第45話 皇帝の結論


 小桜は緊張とともに話し出す。

「類人猿の性成熟が子供を作ることと同義で、だけどオスが子育てをしないのが当たり前だとすれば、それはヒトのメスに限っては不利なことでしかありません。なぜなら、群れという集団を作る類人猿であれば、メスはその群れに属することができまますが、オスとメスが1対1の関係で、その関係が群れに属することより優先するのであれば、メスが属する場所自体がなくなってしまうおそれがあります。それを防ぐためには、メスはオスが自分から離れないように洗脳する必要があります。つまり、ヒトの性的競合の抑制は、オスメスの数の比や期間的制約によるものから、知能によるものになったということです」

 皇帝は、小桜が話すのに1回だけ頷き、目つきで先を促した。


「生物としてそうプログラムされているからこそ、今の時期の男子は女子に敵わないようになっているのではないでしょうか?

 そうでないと、先ほどの洗脳がうまくいきませんし、結果としてどこへでも種を蒔きたい男子を制御できません。制御できなければ、途端に男子はリスクのみの存在となります」

「そうだ、小桜。その疑いを僕は持っている」

 皇帝は、小桜の言葉に同意を与えた。


 その皇帝の顔を見て、小桜はさらにもう1つ思いついたことがあった。

「それに、もう1つ、この説を補強することを思いつきました。彼女のためなら死んでもいいって、僕たちは思います。ですが、死が身近で、死んでもいいって思いに突っ走るのは、年齢を重ねるごとになくなっていくような気がします。これは、この時期の洗脳なのでは?」

「なるほど、『愛する人の足もとに血に染まって死ねれば本望なんて思うのは……。青春とは“矛盾”なんだな、きっと!』というやつか」

「……そういうのがあるのですか?」

 小桜の問いに、皇帝は頷いた。もちろん、小桜にとってはどこからの引用か、想像もつかない。


「そして、こうも言う。『きみのためなら死ねる』と」

「……なるほど」

「だが、その仮説を補強しようと思ったら、きちんとデータに当たることが必要だ。そうでないと、説を立てても妄想と差がない。厚生労働省自殺対策推進室と

警察庁生活安全局生活安全企画課で資料を出しているから、当たって見るんだな。厚生労働省では、人口動態統計年報で年代別、性別死亡原因まで出している」

 これには、小桜も絶句した。驚きですぐに言葉が出ない。


「……先生は、すでに思いついて確認されているんですね?」

「まぁな。だが、自分で立てた仮説の可能性の、最初の判断は自分でするべきだ。僕はヒントだけ出す。現段階で僕の口からは、小桜の仮説についてこのままだと妄想だということ以外、なにも言うことはない」

「わかりました」

 そう答えるしかない。

 だがネットで調べれば、統計情報はすぐに見つかる。そこから推測するだけなら、苦労はなさそうだった。


 ※

 引用はもちろん、「愛と誠」。これが出るあたり、皇帝も年齢なのですねえ。

 で、皇帝は熟練の研究者でもあった。

 2年後、小桜の進路決定に皇帝は大きな判断材料を与える。皇帝の大学時代の親友が教授となっている、国立大学に小桜は進むのだ……。



「話を戻そう。『制御できなければ、途端に男子はリスクのみの存在となる』以降も考察はあるかな?」

 そう聞かれて、小桜は一瞬考え込む。

 だが、そう長い時間ではなく、小桜はそのまま口を開いた。


「特に今の私たちの年齢の時期、身近に女子がいるとその性的競合を抑えるシステムに巻き込まれ、オスはメスに餌を運ぶ機械に堕しかねません。進化の方向としては、これもアリではあったと思います。ですが、ヒトはその方向には進化しなかった。オスの完全な無能化は、文明を持つヒトの社会全体にとっては損失だったからではないでしょうか?」

「小桜、君は科学者にとって一番必要な、仮説を思いつき論理に沿って考えることに才能があるようだ。もちろん、文系であっても、研究者になるなら必要な才と言える。今は未熟でも、年齢によってより良いものになるだろう。

 成績を維持し、自分の進路の選択肢の1つとして考えるべきだな」

「……ありがとうございます」

 小桜は内心、舞い上がっていた。

 この学校に来てから、劣等感は感じても褒められたことは少ない。なのに、皇帝から認められたのだ。


 皇帝は続ける。

「そうだな。ヒトが文明を持つ以前であれば、それでよかったのかもしれない。だが、オスの質を上げることで、外敵との戦いに打ち勝つことができるようになり、オス同士の不要な争いさえも減らせるようになったのかもしれない。だが、これは証明は難しい。各類人猿は性的競合の抑制にそれぞれ異なる解決法を模索し、それが種の生態の違いの特徴になっている。つまり、『ヒトと同じ解決法が他の類人猿でも成功を生んでいるから正しい』ということができない。だが、傍証ならばある」

「傍証ですか?」

 小桜はオウム返しに聞き返す。

 つくづく自分はものを知らないと自覚させられながら、だ。


「そうだ。男子高自体の歴史は、人類史の中ではそう長いものではない。だが、ヒトの歴史の中で、若い男子だけを、あるいは女子だけを集めた教育システムは、極めて長い歴史を持っている。これ自体が傍証だ。これは、両性の利得の最大化を狙うとともに、ある程度歳を取ったヒトの群れのリーダーからは、社会集団としての群れの維持に目が行くので作られたシステムなのだろうな」

「日本にも、そういうシステムはあったんですか?」

 小桜はそう聞く。

 あとで自分で調べるにしても、ヒントは欲しいのだ。


「『若者組』、『娘組』で調べるといい。昔の女子教育は身分制度に則ったものもあるので、わかりにくいのだが……。あと、娘が武家に『奉公』という名目で行儀見習いに上がるケースなど、文面だけ見ていれば教育という側面は見落とされてしまう。だがこれは、当時の女性の高等教育にあたるし、良い武家に奉公するのは競争率が高く、名誉なことだった。だからもちろん、女子の武家奉公に給金はない。そして言うまでもないが、武家の『奥』は女子の世界だ」

「……なるほど」

 小桜はそうとしか言えない。皇帝の言ったことがどういうことか、あとで小桜なりに調べてみなければ納得はできない。だが、ヒトの生態学は、文化人類学とか歴史とか、視野を果てしなく広く持つ必要があることだけはわかった。


「そうなると、高校で伸び悩む女子が一定数いるというのは、逆なんですね。中学で伸び悩んだ男子が枷から開放されたからそう見える……」

「そうとも言える。

 だが小桜、この話はそのまま共学化反対には使えない論理だ。それはわかるな?」

 一転して、皇帝の口調は少し生臭くなった。

 皇帝がその外見に反して象牙の塔の住人ではないことを、改めて小桜は実感する。


「はい。ですが、男子の未熟さの克服という論理は使えそうな気がします」

「そうだな。杉山とも改めて話すといい。杉山も受験勉強が追い込みだろうが、自らの思想を後輩に残すことはやぶさかではあるまい」

「ありがとうございます」

 小桜はそう礼を言ったが、まだまだ皇帝からはいろいろと聞きたいことがあった。


「……先生、またここに来てもいいでしょうか?」

「僕は、生徒に対して閉じる扉は持っていない」

「ありがとうございます」

 小桜は、嬉しさのあまり無意識に右手でガッツポーズを作っていた。


 ※

 次話、「生徒会長」。小桜、善は急いでしまうのだ。




あとがき

鼻詰まりだと、ちっとも考えられなくて、推敲が進みませんねぇ……

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