第44話 種と性


 小桜は、とりあえず「新奇探索傾向」という言葉だけ必死で覚え込んだ。それだけでもあとで調べれば、皇帝の言いたいことは理解できるかもしれない。


 だが、皇帝が小桜からなにかを得たのだとすれば、小桜も皇帝から知を得る権利があるはずだ。それは、この「新奇探索傾向」だけに限定する必要はまったくない。皇帝は教師なのだから。


「先生、生徒会長から私のことを聞いたとおっしゃってましたね。私と生徒会長が話したのは、この学校を共学化しようとする動きがあり、それに反対したいということでした。で、同じクラスの奴が言っていたことがあります。『別学の意義についてきちんと整理しておかねばならない』ということです。きちんと理論武装しておかないと、感情論だけではまともな反対もできないだろう、と。

 先生は、ずっとここで教えてきました。先生の考える別学の意義を教えて下さい」

 小桜の問いに、皇帝は眉間にしわを寄せた。


「僕は生物学徒だ。その中での考えになるが、それでもいいか?」

「はい」

 むしろ、小桜としては望むところである。今まで自分が見てこなかった視点を得られるかもしれない。


「まず、観察された事象として言おう。共学校で、男子は女子に勝てない」

「どういうことでしょうか?」

「裏を返せば、別学にしないと男子の学力は伸びないということだ」

 小桜にとって、初耳のことである。


「日本のデータですか?」

 小桜の問いに、皇帝は首を横に振った。

「世界中で、だ。この差は18歳以降では見られなくなっていく。おそらくは、ヒトが成熟するにあたり、メスに比べてオスの方が同じ発達段階に至るまで余計に時間がかかることと無縁ではない」

「……なるほど」

 初耳のことなので、理解するのに手一杯で気の利いた返答もできない。


「別学だとその差が生じない理由は、それぞれに適切な教育がされた結果かもしれないし、なにかを解決するための脳の方法論が性により異なっているからかもしれない。これは、先ほどの小桜の、自らのレゾンデートルのために戦うという強い動機は、女子にとってはそれほど強い動機にはならないかもしれないとも言いえるだろう。

 さらに可能性を挙げれば、狩人たる性のオスが、狩るべき目的の異性がいないことで学習に目が行くからかもしれない」

「……はい」

 小桜はそう返事をしたが、生徒会長から聞いた考察と真逆な方向性に戸惑っていた。


 生徒会長の杉山は、別学の意義は社会的役割が性によって振り分けられ固定されてしまうことを防げると言った。女性の社会進出のモデルになるなど、女性のメリットを語ったのだ。だが、皇帝は男子側のメリットを話している。


 思い返せば、共学校では男子は女子に勝てないという話は、そもそも一番最初に同じクラスの佐藤が語っていたことではなかったか。「定員が今のままで共学化していたら、俺、この学校入れなかったしなぁ」と。

 となると、女子より発達が遅い男子を守るシステムこそが必要ということになる。そうでないと、男子の発達が女子に追いついたときには、すでに社会的な居場所は女子に独占されているということになりかねない。


 皇帝は続ける。

「その辺りの反省からか、アメリカでは別学校が増えているし、イギリスでも成績の上位校ほど別学の傾向がある。この辺りは日本と同じだな。ただ、昔は遅れていた女子教育を補完するために女学校を作っていた。そして、その結果の別学だったのかもしれないが、今は男子のためとも言える。

 だが……。僕はそこからさらに考えることがある」

「はい」

 小桜は固唾を呑む。



 ※

 未だ、生物学徒としての話を皇帝は語ってはいない。

 そして、ここは校庭に面した生物学準備室。小桜が前のめりに座り、話を聞いているそこは、昔々、他校のラグビー部の主将(白目をむいていて息がなかった)が運び込まれて寝かされた場所だったりするのだ。

 伝統、怖い(笑)。



「今まではヒトの中での比較だ。だが、ヒトの生態を語ろうとすれば、他の類人猿の生態との比較は外せない」

「はい」

 まったく知識がないことなので、小桜は相槌を打つことしかできない。


「わが母校、といっても大学の方だが、類人猿の研究をしていてね。そこの知見は面白く読んでいる。

 そこでの話だが、ヒトもチンパンジーもゴリラもボノボもオランウータンも、オスの性的競合を抑えるために、それぞれにオリジナルの生態を持っている。例えばチンパンジーではオス同士の熾烈な争いがあり、殺し合ってまで性的競合を抑えている。その激烈さの余波として、他のオスを排除し交尾できるボスになったときには、群れの中にいる他のオスの子供を皆殺しにすることになる」

「子殺しの話は、聞いたことがあります」

 小桜はそう答えるが、皇帝の話がどこに向かっているのかは見当もつかない。


「ボノボは一転して平和な社会だ。殺し合いなどない。そして、メスが強い。だがこれは、女性の方が平和的などというような短絡的な話ではない」

「そうなんですか?」

 小桜はききかえす。


「チンパンジーのボスは群れの中のメスを独占するが、ボノボはメスの発情期が長く、さらには妊娠可能でない時期にまでオスの性行動を受けいれる。そのため、1匹のオスが多数のメスを独占しきれない。結果として、ボスの権力と交尾が切り離され、それによって交尾相手の決定権はメスに移った。その結果として、オス同士の血みどろの争いはない」

「はい」

 小桜は頷く。さすがに皇帝の話の行先が小桜にも薄々見えてきていた。


「そして、ヒトの場合だ。ヒトのメスの発情期は極めてわかりにくい。そして発情期以外でも交尾可能だ。そうなるとオスが確実に自らの子を持つためには、交尾相手としたメスから離れるわけにはいかなくなる。ここで、他の類人猿と異なり、ヒトはオスメスで1対1での関係性の構築が必要となった」

「なるほど、よくわかります」

 皇帝は、小桜の返事に頷く。


「そうなれば家族の原型が形作られ、オスの育児への参加という行動にも繋がっていくだろう。現に、ヒト以外の猿では、オスが子育てに携わることは一切ない」

「はい」

「嬉しそうだな、小桜。話の行き先がわかったか?」

「確実ではありませんが……」

 小桜の返答に、皇帝は笑いながら頷いた。


「では、それを話してくれ」

 皇帝はそう言い、小桜は座り直して背筋を伸ばした。



 ※

 皇帝は、この話をどう着地させるつもりなのか。

 浮世離れしたその姿は、本当にそのままなものなのか。

 そして、それは小桜にとってどう影響するものなのか。

 次話、「皇帝の結論」に続く、……んじゃないかなぁ。

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