第41話 報告


 6時間目が終わり、小桜は自転車に跨る。

 恵茉にメールを打とうかとも思ったが、模試のあとからずっと連絡を取っていない。ようやく恥ずかしくなく電話を掛けられるようになったのだから、あとで直接話して謝ろうと小桜は決めていた。

 これは、三城と話したあとの苦い感情から心を切り替えられなかったということもある。すぐに恵茉と話したりしたら、その苦さが増してしまう。だから、少し時間を置きたかったのだ。


 だが、それはそれとして、夏期講習のスポンサーである親に対してもようやく申し開きができるようになった。小桜の両親は、高校に入ってから成績の話は一切しない。だが、夏期講習では安からぬ出費を強いた自覚がある。報告するのが筋というものだ。


 自宅に帰ると、母親が夕食の支度を始めていた。

 今日は母の仕事も一段落しているのだろう。状況によってはずいぶんと遅くなることもあるし、小桜に作ってくれとSOSが出ることもあるのだ。


「ただいま。今日はなに?」

「焼きナスの青紫蘇包みとベーコン肉じゃが」

「ナスがダブるじゃん」

「秋だからね。美味しいうちに食べておかないと。嫌なん?」

「いや、どっちも大好き。大歓迎」

 そう答えて、制服を脱ぐ。


「報告がある」

「彼女でもできた?」

 そう聞く母に、小桜は成績表を渡す。


 手を拭いて、それを受け取った小桜の母は、天を仰いだ。とは言っても、台所の天井である。

「……見事だね。悪いとは思っていたけど、予想以上だ。通知表を隠して、自分で保護者印を押したあたり、相当なもんだとは思っていたけれど」

「ごめん。見せられなかった」

 小桜は、素直に頭を下げた。


「高校生になったら、勉強のことはなにも言うまいと思っていたけど、さすがにこれはねぇ」

「だろ。だから、無理を言って夏期講習に通わせてもらった。で、これがその結果の今回」

 そう言って、今日返された成績表を渡す。


 それを見た母親の安堵のため息が、その心情のすべてを物語っていた。

「少しだけ安心した。政木高でこれなら国公立に行けるね。学費が厳しいから、私大は勘弁して。特に、理系私大はね。あと、浪人もね。それなら今、講習会に出した方がマシだわ」

「ありがとう。冬休みも通えたらありがたいんだけど……。ただ、日数が少ないから、夏期に比べればずっと……」

「それはいいから」

 母親は小桜の言葉を遮る。


 小桜は、言外の母親の情に甘えることにした。

「とりあえず、お陰でここまでは上がることができた。あとは落とさないように頑張るよ」

「そうだね。じゃあ、明日は特大ハンバーグを作ろう。この間『作れるか?』って聞かれたアイスバインってのは手に負えないから、ドイツ料理つながりで」

「ありがとう」

 小桜はそう言って、母親の手から成績表を取り返した。

 やはり、あれだけの肉の塊は、レストランでなければ食べられないらしい。とはいえ、ハンバーグだって大歓迎な小桜だった。



 ※

 とりあえず、筋は通した小桜である。

 母親は、「小桜に浪人はさせない」と決めている。息子が1年間のどっちつかずの状況に耐えられるかどうか、あまりに不安なのだ。だがその一方で、自ら問題を解決し、自ら話した小桜に、大人になったと感じてもいる。

 政木高での切磋琢磨は、小桜を半年の間に男の子から1人の男にしたのだ。



 小桜は自分の部屋で、「……さて」と考え出す。

 恵茉との約束も、果たせたことになっている。校内成績、上位3分の1に入ったのだから。

 だが、心配も同時にあった。


 三城は同じ夏期講習を受けたのに、小桜ほどは伸びなかった。元々の成績は小桜より良かったはずなのに、である。

 恵茉も同じ模試を受けているはずだ。恵茉のことだから、小桜より点が下ということはないはずだと思い込んできたが、三城の「実績」を思うと不安になる。


 恵茉にはずっと自分より上でいて欲しい。

 だが、同時に恵茉を凌駕したいとも思っている。その2つの願いは完全に並列で、どっちが叶っても嬉しく、どっちが叶っても悲しい。そうなると、恵茉と成績のことを話さねばならないのに、そのことは話したくない。そんな矛盾した思いに、小桜の心は逡巡している。


 だが……。

 それでも話さねばことは始まらない。それに、定期戦で政木高と敷間高の生徒会長同士が話していたことも、恵茉には伝えておく必要がある。あの場で「政木女子高に顔が利く」と言われたのは、「情報共有しておけ」ということに他ならないのだ。


 小桜の指は、スマホのディスプレイの上を滑る。

 帰宅部の小桜と違い、恵茉は新聞部だから、もしかしたらまだ帰っていないかもしれない。だが、政木女子高の文化祭は今年は開催されないから、新聞の記事を書くことに追いまくられてはいないかもしれない。

 そう思って、夕食前の時間での電話を決断したのである。


 呼出音の3回目で恵茉は出た。

「ご無沙汰」

 とりあえず、小桜はそう切り出す。

「うん。……どうだった?」

「いきなりかいっ!?」

 小桜はそうツッコむ。


「まぁ、聞かなくてもいいんだけどね。小桜さんから電話かけてきたってことは、上位3分の1に入ったからでしょ。でなきゃ、掛けてこない」

 恵茉の返事に、小桜は見透かされている自分を認めざるをえなくて、複雑な気持ちになった。

 けっして嫌ではないが、なんとなく悔しさが払拭できないのである。


「共学化反対運動の件で、そちらに繋ぐことがあるから電話したんかもしれないんだけど……」

「ふーん。そうなら、もっといじいじ話さない?」

 ここで、小桜は白旗を上げることにした。やはり恵茉には敵わない。


「問題の数学は、300人ごぼう抜きできた。結果、総合でも上位3分の1に入れた」

「小桜さん、ひと月で化けたもんね。そうなるだろうとは思っていたけど、思っていたとおりだなぁ」

「ようやく息を吹き返しました」

 そう答える自分の声に、実感が籠もるのを小桜は自覚した。

 夏休みの東京行の時点でそれなりに自信は取り戻していたが、まだ形になったものはなかったので、心に忸怩たるものはあったのだ。


「で……」

 と、思い切って小桜は話題転換を試みるが、恵茉からは沈黙しか返ってこない。小桜も、そこからぺらぺらと話すこともできず、黙り込んだ。

「数学、何点だったん?」

 ようやくの恵茉からの声に、小桜は救われた気になった。



 ※

 ま、言いにくいよね。色っぺー話はさ。

 照れるし恥ずかしいし。で、困ってしまった恵茉が口走ったのがコレ。

 言い方さぁ(笑)

 次話、「それから」。押せ押せーっ。

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