第40話 勝敗2
赤い玉を拾った小桜は、それを投げようとするのだが、籠の周囲はみっしりと他の選手たちが詰めかけて玉を投げている。
みんな、事前に示された作戦は、焦りのあまり頭から飛んでしまっているのだろう。「綱引きに続け」という思いがあまりに強いのだ。籠の直下で、ひたすらに拾っては投げるを繰り返している者もいる。数歩籠から離れた方が玉は入りやすいのに。おそらく、他の者を押しのけてまでそうやって投げている者は、興奮で冷静さを失い、視野が狭まってしまっているのだろう。
もう、本当に邪魔でしかたがない。
しかたなく、小桜は遠くから慎重に投げる。
入った。
そこでホイッスルが鳴った。
小桜は次と拾った赤い玉を、その場に落とした。綱引きの選手ほどではないだろうが、精も根も尽き果てた気がする。
「全員、サークルから退出!」
審判の声に、小桜は他の者たちと一緒にサークルから出る。
振り返って見ると、4つの籠はどれも同じくらい入っているように見えた。
審判チームによって籠がまとめられ、赤い玉と白い玉それぞれの集計準備が整った。
前置きもなにもない。いきなり計数が始まった。
「1、2、3、4、5、6、7、8……」
審判の声に合わせて、審判チームの者が玉が籠から取り出して投げ上げる。
「32、33、34……」
ここで敷間高の1つ目の籠が終わった。「36」で政木高も次の籠に移る。政木高側から歓声が湧いた。
「61、62、63、64、65」
62で赤い玉が尽き、65で白い玉が尽きた。
「勝者、敷間高!」
そうヤケクソ気味に叫ぶ審判は、政木高の生徒だ。その表情は泣かんばかりに歪んでいた。
敷間高側から、凄まじい歓声が起きた。
「退化したな。猿はオーバースローできないからな」
「お前ら、泣きながら帰れ」
敷間高側からの罵声を、小桜は唇を噛んで耐えた。山中は落胆で四つん這いになってしまっている。三城は平然と敷間高側にせせら笑って見せているが、その表情は普段より明らかに硬い。
まさか玉入れで負けるとは……。先ほどの、敷間高側の茫然自失が身に沁みてわかる。番狂わせは続いてしまったのだ。
ほぼ同時に、部対抗の試合もすべて終了していた。
総合スコアに、玉入れと最後の部対抗の試合のポイントが足される。
その瞬間、政木高側から歓声が上がった。連覇である。
「負けを知りたい」
「もう次からは、敷間高ではなく隣県のトップ高と定期戦をやろう」
「落ち着け。敷間高の連中が可哀想だろ。可哀想なんだよ。ぷくくくく」
勝った。
政木高は敷間高に勝った。
暴言が乱れ飛ぶ。
だがこれは、勝利に画竜点睛を欠いた感が否めないからだ。逆に、敷間高は負けても一矢報いたという雰囲気がある。玉入れで政木高は負けた。その心理的影響は大きい。綱引きで勝ったことより、玉入れで負けた痛みの方が大きいのだ。
その後は閉会式となった。
両校の実行委員長が健闘を称え合って握手し、拍手が湧いた。前回の勝利者である政木高の校長から優勝旗が授与され、敷間高の校庭での「青藍」の放歌高吟で定期戦は幕を閉じた。
戦いは終わったのだ。
※
これでいて卒業すると、互いに相手高は第二の母校のような気持ちになるのだ。偶然に相手高OBと一緒になったりすると、妙な安心感を覚えたりもする。
ライバルとは、どこまでも競う関係であったとしても敵ではない。むしろ分類としては仲間なのだ。だから、他の高校に対しては、このような暴言は決して吐かない。男同士の仲間内だから許されるということは、皆よくわかっているのだ。
定期戦が終われば、次は文化祭の準備である。
息吐く暇もない。だがすでに校内では、異様なまでの盛り上がりの片鱗が現れている。部活展示が多いが、クラス展示も数件はある。
この辺りから、家に帰ることを放棄する者もちらほらと現れだす。特に天文部など、天体写真は夜にしか撮れないから、雨の日以外は毎晩合宿という様相を呈する。
だが、その祭りの雰囲気に冷水が浴びせられた。
試験結果が返されたのである。
例によって順位が張り出され、かろうじて顔色を保った者と蒼白になった者が現れた。余裕の笑みを浮かべる者など、それこそ一握りでしかない。
小桜は細かく震える指先で、配られた個人成績表を開いた。
まず一番最初に目を走らせたのは数学だ。夏休みの間の学びが正しかったのかどうか、ここで結果が出る。
得点176/200。
100点満点に換算して88点。中学の時は当たり前の得点圏だが、高校へ来てからは未だかつて取ったことのない点数である。校内順位53位。ぎりぎりで50傑に入れなかった。
思い返せばミスは皆無ではなかった。基本的に、同一得点者は複数いる。だから、そのミスがなく、もう2点稼げただけでも順位は大きく上がる。そう思えば、まだまだ戦う者としての純度が低いのだろう。
だが、夏休み前の零戦墜落からしたら、とんでもない上昇である。
ここでようやく、他教科にも目が行く。
国語、悪くない。得点178/200。
いつもより10点は高い。
理科と社会、これも悪くない。
問題は英語だ。
得点138/200。これが足を引っ張っている。
とはいえ、校内総合順位で76位。東大京大への志望は無理だが、旧帝大クラスなら学部によっては望めなくもない。地方国立大ならほぼ安全圏である。
そこまで確認して、ようやく小桜は愁眉を開いた。
ふと視線を感じて目を上げると、三城が小桜を見ていた。同じ努力をした者として、結果を比べたいのだろう。小桜が成績表を指に挟んで振って見せると、御城は席を立って小桜の机までやってきた。
「見せろ」
「お前もな」
そんな会話を交わしあって、成績表を交換する。
三城の得点は、各教科、小桜よりも総じて10点低い。数学は20点ほども低いだろうか。校内順位としては、ちょうど真ん中辺りだ。
三城は露骨に舌打ちをして、小桜に成績表を返す。
「坂井さんによろしくな」
「どういう意味だ?」
小桜の問いに、三城は答えずに背を向けた。
小桜には想像することしかできない。
もしかしたら、三城は恵茉になんらかの思いを抱いていたのかもしれない。そして、小桜より成績が勝っていたらと、なにか期するものがあったのかもしれない。だが、その三城の思いを小桜は打ち砕いた。
打ち砕こうとして打ち砕いたのではない。だが、小桜の心の底は、快哉を叫ぶよりも苦いものが勝っていた。
※
三城とて、なにも考えていないわけではない。いや、余計なことまで考えている。なぜなら、そういうヤツだからだ。
小桜と恵茉が、中学の時の同級生だということは知っている。だがそれ自体は障害にならない。そう思って、夏期講習で恵茉の隣に座り続けることはできても、どうにも関係性を深めることはできなかった。だが、夏休み前の小桜の成績を薄々察していた三城は、今回も勝てていたらそれをマウントの根拠にし、恵茉の連絡先を小桜に聞こうと思っていたのだ。だが、それは叶わぬ望みとなった……。た……。
次話、「報告」。小桜、筋を通す。
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