第36話 もうひとつの定期戦


 小桜たちは、テニスのあとはラグビー観戦に場所を移す。

 同じクラスの山内が試合に出ている。1年生と言えどもこの競技において、巨漢だというのはやはり有利なのだ。

 だが、ラグビーはテニスと違い、直接の身体のぶつかり合いである。自然と戦っている選手も観戦している生徒たちも熱気が満ちていく。もちろん、教職員たちまでも、だ。

 観戦者の数もぞくぞくと増え、両校の3分の1ほどの人数に達しているようだ。他の競技も同時進行しているのだから、これは多い。


  ホイッスルが鳴って、試合が一時中断した。ラフプレーにストップがかかったのだ。

 小桜たちの脇には2年生の集団がいて、それを見ながら恐ろしいことを話している。

「おうおう、やるなぁ。膝が当たったぞ」

「皇帝が言ってたけど、定期戦じゃないらしいが、ラグビーは他校との試合で死人が出ているんだよな」

「相手の主将がタックルされて潰されてもボールを離さなかったんで、みんなで頭を蹴ったら死んじゃったってヤツだろ」

「生物学準備室に運び込まれたときにはもう、白目をむいていて息がなかったって話だったよな。そのあとルールが厳格化したって言ってたけど、ひでぇ話だ」


 小桜たちは、上級生の会話に口を挟むこともできず、同じクラスの仲間と顔を見合わせた。これはさすがに笑い話にならない。ただ、「皇帝」の話だとすると、何十年も昔の、より野蛮な時代の話なのだろう。

 皇帝とは、生徒会長が話していた、あの、生物教師の通称「皇帝」のことだろう。政木高から京大、で、生物の教師として戻ってきて40年近く、出世の道は選ばず、異動もせず。親子で担任された者も多いと言う。親が息子のクラス集合写真を見て、異常なまでの既視感デジャ・ヴュを覚えたという笑い話があるのだ。


 小桜は周りを見回す。

 いた。

 小桜も何度か廊下ですれ違ったことがある。自らを生物学徒と称し、学者然とした風貌は浮世離れしていて高校教師には見えない。この人物が、若い教師を一喝するなど、その姿からはとても信じられない。



 その後、試合は再開したが、すぐに前半終了でハーフタイムとなった。

 選手たちがコートを出て戻ってくる。

 山内は、顔を両手で押さえていた。ラフプレーの被害者は山内だったのだ。

「鼻が折れたかも……。曲がってないか」

「マジか!?」

 そう声を上げた仰木の顔色が悪くなる。現実の怪我に対して、論客は無力だ。怯えてすらいるのかもしれない。

「すげー痛い」

 そう言ってその場に座り込んだ山内に、小桜たちは一瞬、おろおろと行動に迷った。


「敷間高の保健室に行け。1階奥だ」

 その声に、はっと視線を上げると、皇帝が小桜たちを見下ろしていた。

「骨折なら昔から何例も見ている。鼻骨は曲がっていないし、鼻血も出ていない。脳髄液が漏れてもいない。状況からして心配する必要はなさそうだが、それでも折れていないと言い切れるわけではないし、そもそも脳も近い部位だ。救護班には看護師がいるし、保険も利く」

「はいっ!」

 小桜はそう返事を返し、山内の脇の下からその身体を支えようとした。


「自力で歩ける」

 山内はそうつぶいて、よろりと立ち上がった。

「仰木、ラグビー部の部長に顛末を話しておいてくれ」

「応」

 その返事を背中で聞いて、山内と小桜は並んで歩き出した。



 ※

 今や、魔法のやかんはない。

 脳震盪の危険があるのに、水をかければ復活などということがあろうはずもない。そういう意味では、安全な競技になったものだ。「殺せ!殺せ!殺せ!」とか、「くっそ! まぁだ生きてやがる」なんて世界は、ダメ、絶対。



 保健室には、両校の保健室の先生とこの日限りで来てもらっている看護師の女性、合わせて3人がいた。高校に来て以来、校内で3人もの女性を一度に見るのは初めてだ。たとえそれが敷間高であってもである。

 ラグビーのウェアを着た山内の姿を見て、すぐになにがあったかを察した3人は、てきぱきと山内を座らせ状況の確認を始めた。


「外で待ってます」

 小桜はそう言って、一旦保健室から出た。自分がいても邪魔だろうと遠慮したのだ。

 そのまま、保健室の外に貼られた保健関係のポスターを端から見ていく。それなりに枚数があって、いい時間つぶしになりそうだった。



「小桜」

 不意に声を掛けられて、小桜は振り返った。

 そこには、10人ほどの両校の生徒がいる。敷間高は学校指定の体操着があるので、服装が自由な政木高との区別は一目でつくのだ。


「ご無沙汰してます」

 小桜はそう生徒会長に返事を返す。生徒会長と話すのは、鯉のぼりをあげる手伝いをしてから初めてである。ほぼ5ヶ月ぶりだ。


「つきあえ」

 そう言われて、小桜に迷う自由などない。

「はい」

 そう返事をして、小桜は一番最後からその群れについていった。なにがなにややらわからないが、別に酷い目にあわされることもないだろう。


 階段を上り、着いた先は敷間高の生徒会役員室である。

 敷間高の生徒の1人が部屋の照明を点けようとしたのを、同じく敷間高の生徒が止める。

「一応は内密の機会だからな。ここで両校の生徒会長が話しているなどと、花火を打ち上げることはない」

 ……なるほど、そういうことか。

 小桜は納得がいった。


 おそらくは、男女共学化に対する反対運動について、両校で話し合いの機会を持とうということなのだ。あえて両校の生徒会で話し合いの機会を持てば角が立つ。だが、定期戦に紛れてしまえば、目立ちはしない。

 敷間高、政木高、敷間女子高、政木女子高の4校で足並みを揃えることは、絶対的に必要不可欠なのだから。


「自己紹介するが、政木高の生徒会長の杉山だ。まずは、ここにいる全員で、連絡先の共有をしたい。それから、生徒会選挙が近いので、この共有情報は近いうちにバージョンが変わる。それも容認しておいて欲しい」

「敷間高の生徒会長の鈴村だ。了解した。当然のことだ」

 敷間高の体操着を着た、ひょろりと背の高い生徒が言う。大きい眼鏡のせいか、どことなくフクロウを思わせる風貌である。


 杉山はさらに続ける。

「それから、事前に紹介しておく。生徒会ではないが、1年生の小桜将司。政木女子高に顔が利く。そちらからも誰か、敷間女子高に複数のルートを……」

「言われるまでもない」

 鈴村がそう返し、身振りで全員に椅子を勧めた。


 ※

 ひそかに始まった、両校の会談。

 さてさて、なにが話されるのか……。こういうことがあってもおかしくないという路線で話は進むぞ。

 次話、「方針」に続く。小桜、なんか役割を期待されているぞ。

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