第30話 再びの東京散策9


「……ねぇ、坂井さん」

 小桜の声に、恵茉は視線を庭園に向けたまま答える。

「なんだろ?」

「ひょっとして、だけど……。俺って、弟扱いされてる?」

 小桜の口から、抵抗なくするりとそんな言葉が出てしまった。


 もしかして、と思ったことは確かだ。だが、本当は小桜、この話題よりも2人きりでいるというチャンスを逃さず、恵茉との距離を縮められるようなことを話したいと思っていたのだ。

 だが、満腹の上にほどほどの疲れと絶景の中で、小桜の心の中のガードが下がってしまっていたのかもしれない。


 言ってから失敗しまったとは思ったものの、こんなことくらいで恵茉との関係にヒビは入らないだろうと小桜は思っている。

「……」

 恵茉は庭園から視線を外さず、無言のままだ。だが、小桜に見せている頬が、かすかに緊張を示している気がする。先ほどよりは明らかに固いのだ。


「なんか、さ。俺、頼りなくて、それが申し訳なくて。もっときちんとエスコートできればよかったよね」

「……」

 小桜はそう続けるが、変わらず恵茉は無言だ。


 小桜もそれ以上は話し続けられず、無言になった。

 そして、3分も経ったころ……。

「そんなことないよ」

 ようやく恵茉の口から返答がこぼれ出た。


「……ならいいけど」

「小桜さん、さっきも言ったけど卑下はやめて。……全然、違うんだよ」

「違うって?」

 小桜の問い返しに、恵茉は再び沈黙した。


 小桜はさらに問うか迷ったものの、恵茉の表情を見たらそれ以上は追えなかった。どう見ても、小桜の問題ではない。そうなら、ここまで内省という表情にはならないだろう。恵茉の視線は下がってしまっていて、握った自分の手を見つめている。

 それは暗に、この問題に小桜は関係ないと言っているに等しかったし、拒絶すら感じさせるものだった。


 だが……。

 一瞬悩んだものの、小桜は続けることにした。もしも、予備校の夏期講習に三城がいなかったら、そして、三城があからさまに恵茉を狙っていなかったら、ここで続けはしなかっただろう。

 三城に先を越されたくないという恐怖が、小桜の尻を叩いたのだ。「チャンスの神様には前髪しかない」という。つまり、縋る後ろ髪はないのだから。



 ※

 結局は振られるのかもしれない。だけどね、他の男子が先に告白した結果振られるというのは、勝負の土俵にすら上がれなかったことになるのだ。

 それだけはなんとしても避けたい。

 就職活動も含め、これからの人生はシステム的にリベンジ戦のできない勝負が増える。それだけは痛いほどわかっている小桜なのだ。



「坂井さん、やっぱり俺、坂井さんが好きみたいだ。今日の半日でそう思ったよ。なんでも話せる相手としてだけじゃなく、女性としても、だよ。

 今の俺が頼りないのはわかる。弟扱いされるのも仕方ない。だけどさ、夏休み後の試験で、政木高での成績が上位3分の1に入れたら、少しは俺のこと、考えてくれないかな?」

 とてもスムーズには話せない。言葉はたどたどしいし、顔も耳まで赤い。だが、小桜はそれでもそう言い切った。


 だが、恵茉の返答はなかった。

 小桜は、恵茉を見る勇気が湧かない。視線は庭園に向けたままである。ここには絶好の視線の逃げ場があった。いや、ありすぎた。


 そのまま5分ほどが過ぎ……。

 小桜は、恵茉を見ることができないまま立ち上がった。

 諦めたのだ。こうなれば、未練がましくしていてもみっともないだけである。


「ごめんね、坂井さん。忘れて。これからどこか行きたい所があれば案内するし、帰るのなら新橋の駅まで歩こう」

 そう言って座ったままの恵茉に視線を向けるが、恵茉とその周囲の空気は凍ったように動かない。

 凍ったように?

 そう、恵茉の表情は凍りついている。


「……坂井さん?」

 不安はもう通り過ぎ、ある種、さばさばした気持ちで小桜は声を掛けた。

 そこまで拒絶されていたのかという痛みはあるが、もう結果の出たことである。痛みの上塗り分は、元の痛みより大きいわけでもない。

 そこで、ようやく恵茉は視線を上げて小桜を見た。


「……私、小桜さんのこと、弟扱いになんかしていない」

 小声ではあっても、断言という語気の強さである。その視線も据わっていた。

「あ、そう……。変なこと言ってごめんね」

 小桜としては、他に言いようがない。なにか恵茉を怒らせたのかもしれないが、自分のどこがそうさせたのかすらもわからないのだ。


「小桜さんがそう感じたのなら、私こそごめんね」

「あ、いや、俺の方こそごめん」

 恵茉の言葉に小桜は再び謝るが、恵茉の態度の変化がどういうことなのかさっぱり理解できていない。


「じゃあさ、9月入ってすぐに、校内でない方の全国模試があったよね?

 その結果、教えてくれる?」

「うん、いいよ」

 小桜はそう恵茉に応えながら、わけがわからなかった。


 深く考えるまでもない。「結果を教えろ」ということは、この際、社交辞令を超えて小桜の告白に応じると言っているに等しい。だが、とてもではないが、恵茉の雰囲気はそういう話をする感じではなかった。


「……中学の時以来だね、成績を見せ合うのは」

 小桜の声に、恵茉はかろうじて笑ってみせた。

 もう、それ以上、このことについて小桜になにかを言う勇気はなかった。


 すでに時間は15時を回っている。

 夏の日は長いとはいえ、帰りの電車の時間が迫っている。親に事情を話していない小桜としては、いつもと同じ時間の電車で帰るのが望ましい。いや、いつも新幹線を使っている恵茉のことを考えるのであれば、さらに1時間の前倒しが必要だろう。もっとも、恵茉は小桜と違って親に話しているらしいから、その辺りは考えなくても良いのかもしれないが。

 そう考えると、残りは2時間しかない。移動も考えたら、目的地で使えるのは実質1時間だ。


「どうする?

 このまま帰ってもいいけど、あと1か所どこか行くなら、ここからなら築地場外か、東京タワーかもね。ただ、築地はもう時間が遅いから……」

 そう小桜が聞いたのは、あくまで儀礼である。恵茉が「帰る」という返事をするのを、見越した上で聞いたのだ。


 だが……。

「東京タワー行こう。今どき、スカイツリーじゃない方に行くのって、渋くていいよね」

 そう返されて、小桜は面食らった。だが、そう明るく言いながら張り切って立つ恵茉に、小桜は完全に気圧されていた。



 ※

 さてさて、東京デート、もとい、勉強会も終盤となったのだ。

 2人の距離は縮まったと言えるのか。言えないのか、この場ではまだまだ判断できないところなのが歯がゆいですな。

 次話、「再びの東京散策10」、これで人生の一大イベントは終わりとなります。さぁ、小桜、次話は悶絶だぞ。覚悟しておけ……。

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