第31話 再びの東京散策10


 東京タワーにたどり着いて小桜と恵茉、2人は共に驚いていた。

 スカイツリーができてから、東京タワーはすっかり観光地としては聞かなくなっていた。だから、もう寂れきっていると理由なく思い込んでいたのだ。

 だが、実際はタワーの足元のフットタウンは賑わっており、観光客の姿も多い。展望台入場料を払った2人は、東京でのデートの締めくくりを地上150mで終わらせた。


 そして、帰りの電車の中、疲れのあまりうとうとと眠る恵茉を見ながら、小桜はいたたまれない気持ちになっていた。自分は、恵茉のことをなにもわかっていなかったのではないか?

 恵茉は小桜を理解している。だからここで安心してうとうとできるのだろう。なのに、自分は?

 その疑問が、小桜の胸を灼いたのだ。



 − − − − − − − − − − − − − − − − −



 恵茉と別れ、自宅にたどり着いた小桜だったが、今日という1日はまだ終わらなかった。夕食を用意していた母が、「楽しかった?」といきなり小桜に聞いてきたのだ。

「なにが?」

 そう問い返す小桜だったが、いきなりの問いに、動揺を隠しきれた自信はない。


「ウチの取引先の営業が、息子さんを見たってさ」

 小桜の母は、自宅を事務所としてインテリアデザイナーの仕事をしている。その関係で自宅での業者打ち合わせも多く、小桜もそういった業者の人と顔を合わせればあいさつくらいはする。もっとも、顔も名前もほぼうろ覚えでしかなく、小桜側からの認識はできていない。


「ふーん。どこで?」

 小桜はまず、そう探りを入れた。

「グリーン車で、女の子と仲良く座っていたって聞いたよ」

 これはダメだ。とても言い逃れができる状況ではない。


「中学の時の同級生の坂井さんと、予備校で偶然一緒になった。だから、一緒に行っただけだよ」

「今日は夏期講習、休みの日だよね?」

 これはだめだ。あっさりと防衛線は突破された。


「今日は江戸城とか、歴史関係のものを見てきたんだ。自主学習だよ」

「ふーん。で、楽しかった?」

「うるさいな。どうだっていいだろう!」

 テレ隠しもあって、小桜の語気は荒くなった。


「じゃあ、デートじゃないんだね?」

「……どういう意味?」

 母の語調の変化に、思わず小桜は問い返していた。


「デートならば、将司、アンタ、知っておいた方がいいことがあるの」

「なに?」

「聞くってことは、デートだったんだ」

「もう、いい!」

 母親の言葉に茶化されたと感じ、小桜は奮然と自分の部屋に籠もろうと背を向けた。


「よくない。

 坂井さんの話は聞いておいて」

「なに?」

 そう言われると、小桜は振り返らざるをえない。


「坂井さんちはご近所ってほどでもないけどね、この辺りの子供がいる人は口には出さないけどみんな知っていることよ。恵茉ちゃんだっけ? 恵茉ちゃんには3つ下の弟がいたのよ」

「えっ?

 ……だって?」

「生後半年で乳幼児突然死症候群で亡くなったの」

「……」

 あまりのことに、声が出ない。

 同時に、今日1日のことが頭の中でぐるぐると回る。



 ※

 いくつも思い当たることがあるよな、小桜。

 あれもこれも、みんな符合するよな、小桜。

 小桜にも同情するぞ、ナレーター役としては。



「ご近所育児ネットワークで、当時から地域の母親はみんな知っていたのよ。あえて話題にはしないけど、不審死扱いで騒ぎになったしお葬式もあったからね」

 つまり、小桜自身も3歳のときということになる。別の保育園だか幼稚園の子のことなど、知らなくて当たり前だ。だが……。


「恵茉ちゃん、あの子、いい子よね。だけど、大変よね。きっと、2人分の子供の役を独りで頑張っている。だから、いい子過ぎるほどいい子なんだって、それがPTAとかで集まったときの母親同士の結論。私は、その話に単純に与するわけじゃないけど、将司、アンタ、この間、向こうの親御さんとも話をする機会があったんでしょ?

 念のために言っとくけど、地雷を踏み抜くんじゃないわよ」

「……もう踏み抜いた」

 小桜のうめき声に、母親は眉をひそめた。


「保護者同伴で、謝りに行かないとかな?」

「さすがに、そこまでは踏み抜いてはいないよ。だけど、知っておきたかった」

「まさか、坂井さんちの娘と出かけたなんて、私だって想像もつかないわよ。まぁ、そこまで踏み抜いていないならいいけど……」

 小桜は思う。「ちっとも良くはないんだけどな」と。


 恵茉が仙厓の絵を見たかったのは、単に可愛い禅画だったからではなかった。

 仙厓が「祖死父死子死孫死」と書き、「順序正しく死ぬということは、家族に若死する者がいないということだ。だから、こんなめでたいことはない」と言ったことは、恵茉にとっては実感を超えた実感だったのだ。

 恵茉は、仙厓に救いを求めていたに違いない。


 なのに、小桜はそれを茶化すようなことを言ってしまった。本意はそうではなかったのだが、そう取られてもおかしくはない。

 そう言えば、そのとき、「そういうところ、なんだよなぁ」と恵茉はつぶやいていた。それがどういう意味か、考えるだに恐ろしい。


 それに、小桜を弟扱いしているというのも違う。

 恵茉は、いない弟のために、弟がいる女子よりも姉として生きてきたのだ。そうやって、2人分のいい子を務め、両親の心に空いた穴を埋めようとしてきた。その生き方が、小桜に対しても漏れ出てしまったのだ。現実にはいない弟に対してだからこそ、できあがった習慣として恵茉は相手が誰でも車道側を歩くに違いない。

 それを指摘された恵茉の心情は……。やはり、小桜には考えるだに恐ろしい。恵茉が凍りついたのも今から考えれば当然のことだ。

 知らなかったとはいえ、あまりに自分はデリカシーがなかった……。


 思わず立ち上がった小桜の肩を、台所から駆け出してきた母親が掴んだ。

「謝りに行こうなんて考えるんじゃないわよっ!

 大事おおごとにするつもり?」

「……でも」

 小桜は口籠る。どうしていいかは、まったくわからない。


 それでも、母親の言うとおり、ゲームの世界のように「謝るんだ。謝らなきゃいけないんだ」と言って、誤解が解けるものではないことは痛いほどわかる。誤解が解けたって、恵茉の痛みがなくなるわけではない。到底、なかったことにはできないのだ。


「今日のお礼のメールで、『デリカシーのないことを言ってごめん』って、それだけにしときなさい。あの子は、親に『こう言われた』なんて話す子じゃない。それが、親御さんの傷口をえぐることをわかっている子よ。今だって、独りで耐えているわ。なのに、アンタが押しかけたら、向こうの親御さんも疑問に思うし、話が大きくなるでしょ」

「なら、どうしたら……」

「一言、二言で済む話じゃないでしょう?

 下手に話すと誤解を深めるわよ。時間が取れるときに目を見てしっかり話すか、折を見て長文メールを送るか、それしかないでしょ。電話だって、途中で切られちゃったら真意は伝わらない」

「そうだね……。

 でも、独りで耐えているなら……」

「できることなんかないよ。だから、『デリカシーのないことを言ってごめん』って、それだけにしなさい」

「……そんな。それだけだなんて……」

 小桜にはもう、それだけしか言えなかった。


 ※

 これが、東京行の締めくくりなのだ。

 小桜。恵茉ちゃん。それでも、このナレーター役は君たちに期待している。

 君たちならば、まだまだ終わらんよ。

 次話、「待ち伏せ」に続く。ピンチはチャンス、ならいいなぁ。



あとがき

本日分の31話の表紙、掌編小説(140字)@縦読み漫画(原案)配信中@l3osQbTDUSKbInn さまからいただいた第Ⅷ弾です。


ありがとうございます。


https://kakuyomu.jp/users/komirin/news/16817330668783266339

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