第18話 実力


「……なんだこれは?」

 問題用紙をひっくり返して1問目を見るなり、思わず小桜は口の中で呟いていた。

 軽いのである。

 あまりに問題が持つ負荷が軽い。

 政木高での試験に比べたら、数字の計算は明らかに桁数が少なく暗算で済むレベルだし、文字式部分は眺めるなり答えが頭に浮かぶ程度の単純さに過ぎない。

 これでは、高校の数学というより、中学の問題の延長ではないか。まともに考える必要すらない。


 小桜は次々とマークシートを塗りつぶし、45分の試験時間の半分近くを余らせて回答を終えた。

 あとは、「1つずらして塗ってしまった」などのケアレスミスのチェックをし、痛い目にあった不等式の確認をし、そのまま目をつぶった。もうやることがないのだ。



「そこまで」

 試験官の声で、小桜は目を覚ました。

 いつの間にか、うとうとしていたらしい。早朝から電車に乗った疲れが出たのだろう。緊張していた気疲れもあった。

 視線を感じてふと横を見ると、こちらを睨んでいる複数の視線とかち合った。試験中に居眠りをしているのを咎められたら、たしかに言い訳はできない。小桜は視線を伏せ、周囲からの視線とそれ以上かち合わないようにした。

 もしかしたら、自分はいびきをかいてしまったのかもしれない。小桜は周囲に迷惑をかけたかと、不安を覚えていた。


 続いて行われた英語の試験も、問題の軽さは変わらない。

 小桜はさっさと終わらせると、机に突っ伏した。不用意に船を漕いだり、いびきをかかないためだ。


 結局、11時前には2つの試験は終わってしまい、小桜はぞろぞろと他の生徒とともに予備校の建物を出た。

 2時間以上あるから、ゆっくりと昼食が食べられる。とはいえ、親に不要な出費を強いたという思いから、小桜は東京での食費は極端なまでに削ろうと考えていた。なので、目についた立ち食い蕎麦かファストフードかで悩み、少し高いがファストフードを選んだ。午後の授業開始までの2時間、座って時間が潰せる以上の理由はない。


 ベーコンと玉子の挟まれたバーガーのセットを買い、席に座り込んだ小桜はうめき声を上げた。ようやく午前の試験の緊張から開放され、リラックスしたがゆえに心の箍が外れたのだ。

 今となって冷静に思い返せるとはいえ、先程の試験の意味はわからないままだ。手応えからして、9割は越えている出来のはずだ。こんな試験で、クラス編成ができるのだろうか?

 全員が最優秀クラスになってしまうのではないか?


 それとも、自分は致命的な見込み違いをしていて、問題の罠に嵌っているのだろうか?

 もしそうだとしたら、1割程度しか正解できていないことになる。そうなったら、無条件に最下のクラスの放り込まれてしまう。


 考えれば考えるほどわからない。

 わからないから不安が増す。

 ベーコンが好きだから頼んだバーガーなのに、不安のあまり味が感じられない。小桜はバッグから文庫本を取り出して時間つぶしのために活字を目で追い出したが、その中身が頭に入ってくることはなかった。


 ※

 学内順位でブービーという実績は、小桜から完全に冷静な視点を奪っているのだ。

 すべての人間が自分より頭がいい。

 この思い込みはなかなかに強烈なのである。ああ、思い出すと心が痛いw



 2時間後。

 予備校の建物に戻った小桜は、嫌々ながら貼り出されたクラス分け表をチェックした。そして、自分が最上位クラスに配属されていることに目を疑い、呆然とした。

 数百人が5つのクラスに分けられているうちの、最優秀クラスである。

 ますます、わけがわからない。


 小桜は教室に入って、あえて教卓前の最前列に座った。

 最優秀クラスに配属されたのであれば、受講料の元を取るのがスポンサーである親に対する務めである。

 授業を受ければ、きっと謎は解けるはずだという思いもある。


「小桜」

 意図せず名を呼ばれて振り返ると、そこにいたのは三城である。

「こんなとこでなにやってんだ、お前?」

「わかりきったことを聞くな、三城。お前、抜け駆けしようとしたな?」

「それはお前もだろう?」

「まぁ、遠足で東京も近いと思ったからな」

 いつもの口調で、いつものように三城は話す。小桜は安心のあまり頬が緩むのを感じた。三城の服装は首周りが少し伸びたラフなTシャツ1枚で、政木高の蛮カラな雰囲気をそのまま持ち込んでいる。


「試験、マジに易しかったな。なんなんだ、アレ?

 なんで、アレでクラス分けできたんだ?」

「バカか、小桜。小桜、バカか」

 三城はどこかで聞いたような言い方をした。


「小桜、お前な、俺が予想するに、ここには中堅校から進学校までの連中が来ているんだぞ。政木高の俺たちからしたら、易しいのは当然だろうがよ。おそらくは上位2クラスだけが進学高のレベルで、俺たちはその2クラスの上の方なんだよ」

「……俺、成績が悪いから来たんだぞ。それなのに……」

「だからさぁ、きちんと自分の居る位置を確認しておけよ。対外的に見たら、俺たちは頭がいいと言われる存在なのを忘れているだろ。例え、お前が最下位でもな」

「……そか」

 そう答えた小桜の背中がのびた。


 三城の例えがほぼピンポイントで的中していたのは偶然なのだが、それによって具体的なイメージができたのも事実である。

 ほんの少しだけだが、相対的に自分を見たことで小桜は自信を取り戻したのだ。政木高での最下位でも、全体の中で見たら最下位ではない。初めて小桜はそこに気がついていた。

 それにより、小桜は冷静さを取り戻したと言っていい。


「さて、期待どおりの授業が聞けるか楽しみだな」

 三城の余裕ある言い方に、小桜も虚勢を張る。

「聞く価値があればいいけどな」

 と、言っていると、冴えない風貌の中年の講師が教室に入ってきた。どことなく、カバを思わせる顔をしている。腹が出ているのも、そのイメージを補強している。

 さすがの三城も口を閉ざし、小桜の後ろに席を定めた。机は長く、2人ずつ座れるようになっているが小桜の隣に座る者はいない。やはり、最前列の中央は、誰にとっても荷が重いのかもしれなかった。


「数学の牧野だ。これから23日間、よろしく」

 最前列の小桜は、他の者たちの反応を見ることはできない。なので、そのまま頭を下げてあいさつとした。

 講師の声はざらつきがあったが、そのためかより教室の中で響いた。


「とりあえず、数Ⅰからその先、行けるところまで行く。

 このクラスで数学に躓いている人間がいるとすれば、まぁ、慣れない文字式あたりに惑わされているんだろうが、こんなのは考え方次第でな」

 そういきなり言い放った講師は、そのまま黒板に向かった


 ※

 わかるヤツはわかる、わかるヤツだけ付いて来い。

 小桜は勘違いをしている。政木高と同じで、成績の良い方の指導は上位をさらに上げる指導なのだ。つまり、成績の振るわないクラスの方が指導は丁寧になっている。練習問題させたり、と。ただ、それでもカリスマ講師はカリスマたる所以の授業をするのだっ。

 次話、「再び机を並べて」。小桜、違和感。

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