第17話 期末試験、そして再び東京


 遠足から帰って、そう間も空かないうちに期末試験である。

 そこで、再びの阿鼻叫喚が繰り返された。

 小桜に関しては、東京から帰ってからぼーっと考え込んでいることが増えたのだから当然のことである。


 各教室には、各科目ごとと総合の試験結果の順位が容赦なく貼り出されていた。

 小桜にとっては再び惨憺たる結果である。再びかろうじて現代社会は50傑に入り、順位も5つほど上がったが、他の科目は救いようがない。理系科目は得意と思っていたが、物理基礎でいきなり躓いている。

 数Ⅰに至っては、ついに……、である。


 理由は簡単だ。不等式の辺にマイナスが掛けられれば不等号記号の向きが変わる。それを全問綺麗にケアレスミスしたのだ。答えの数字だけはすべて合っていたが、それにはなんの意味もない。

 数学の教師が試験を返すときに、黒板に撃墜される零戦の絵を書いた。それが自分だとは思ってもみなかった小桜である。


 中間試験で躓いたのだからと、それなりに積み重ねはしたはずだ。だが、まったく足りていない。

 初回の校内実力テストで2位だった浅川は、中間試験で三桁位台まで落ち込んだが、さらに三桁位台半ばまで落ち込んで再び紙のような顔色になった。「このままどこかの国立大」などという甘い考えは、「このまま東大」という考えに続いて粉々に打ち砕かれたのだ。


 小桜は周囲を見回す。

 順位のことだから、落ちた人間がいれば上がった人間もいる。だが、中間試験のときのような、喜びもがっかり感もあからさまに表情に出していない者が多い。

 それが小桜には恐ろしい。

 すべてが敵だ。その意識が徹底されたということなのだから。


 思えば、小桜にも甘えはあった。

 夏休み中に東京の予備校での講習会を受けることにしたことで、かえって油断したのだ。そこで本気を出せばいいという思いは、知らず知らずに今の学習の突き詰め方を甘くしたのは否めない。「無茶ではあっても無理ではない」、この学校の合言葉を未だ徹底できていなかったのだ。


 ここまでくると、却って級友たちは信用できるとも小桜は思う。

 中途半端な人間は信用できない。だが、純粋に受験という勝負に賭け、そこしか見ていないということは、裏を返せばその一点については裏切らないということに他ならないではないか。

 だが、そんな思考の逃避は一週間で再び逃げ道を奪われた。


 夏休みなのだ。

 そして、その前には当然の儀式がある。通知表だ。

 そこに赤字で書かれた「1」、もしくは、枠内を赤く塗りつぶしその上に黒々と書かれた「1」、そして、複数並ぶその「1」は、小桜のアイデンティティを根本から覆す。

 こんな通知表、親に見せられるわけがない。高校には通知表がなかったという嘘はさすがに無理だろうが、なんらかの方便は必要だろう。


 そんな小桜以外でも、クラスの中で夏休みという単語に無邪気に浮き立つ者は皆無かもしれない。「海だ」、「花火だ」なんて計画する暇があったら、その時間を学習に突っ込まねば置いていかれる恐怖は誰もが認識している。

 だから、恵茉にも愚痴を言うことはできない。恵茉も苦労しているのは知っているし、それでもここまで酷い成績ということはないはずなのだから。


 いつの間にか歩くときの小桜の背は丸くなり、負け犬というものはこういうものと名は体を表すような姿勢になっていた。東京の予備校に通うことすら無駄なのではないか?

 小桜は、そう思い始めていた。



 ※

 もしも、答えの数字だけはすべて合っていたという事実がなかったら、小桜の心情に救いはなかった。首くらいは括っていたかもしれない。細い細い糸ではあるが、それだけが小桜の心の均衡をかろうじて保たせたのだ。

 ふう、危ない危ない。



 だが、講習の初日はやってきた。

 小桜は嫌々電車に乗り、渋々東京に向かった。今さら、「行かない」とはとても言えない。親は受講料を払い込んでしまった。小桜は、受講料と往復の旅費で20万近い出費を親に強いた。サラリーマンで共働きの両親にとっての、その額の大きさは小桜にもわかる。

 親に対し、その額に相当する言い訳を考えつけない以上は行くしかないのだ。


 そして、嫌々という気持ちは、目的地についてさらに確定的なものとなった。そこには数百人の受講生たちが長い行列を作っており、受付が始まるのを待っていた。


「受付が終わったら、引き換えの番号札を持って、その番号の席に座ってください」

 交通整理の人が、受付を待つ列に向けて声を張り上げている。

「そのまま本日は数学と英語の試験です。

 その結果によりクラス編成されますので、お昼すぎはここの掲示板に貼り出される結果に従い、指定されたご自分の教室に入ってください」

 この案内を聞いた小桜は、再び絶望的な気持ちになった。


 このスピード感は、マークシート式の回答だからできることだ。そして、小桜は、マークシートに対し苦手意識を持っている。やたらと無味乾燥で、場合分けが必要な答えでも、無条件にどちらかを選ばねばならないからだ。

 そして、ここへ来てまでこのように選別され実力別クラスになるのであれば、もはやまともな授業は期待できない。どうせ、自分は最下位のクラスに入ることになるのだ。

 小桜は歯を食いしばった。そうしなければ、情けなさで涙がこぼれそうだったのだ。一念発起しての東京通いだったのだが、現実はあまりに厳しかった。


 受付を済ませ自分の番号の机に座って、小桜はちらりと周囲を見渡したがすぐに下を向いた。

「さすが東京だ」としかいえない。

 周り中、みなやたらと頭が良さそうに見えた。中には、蛮カラの対称のようなオシャレな一団もいて、来ている服もブランド物だということが一目でわかる。そして、声高に自分の校内順位が上がったという自慢をしあっている。

 本来ならこのような相手を見ればハッタリを疑い、「敵」の撹乱として「けっ」と吐き捨てるところなのではある。だが、今の小桜はなけなしの勇気もみるみるうちに削られて、再び歯とこぶしを固めて耐えるしかなかった。


 時間が来ると、試験用紙を持った試験官が教室に入ってきて、事前説明と注意事項の伝達を始めた。だが、その言い方は極めてビジネスライクで、これもまた小桜の勇気を削り取った。政木高のなんでも言えるような明るい雰囲気は毛頭なく、頭上のLED照明まで灰色に見えてくる始末だ。


 そんな小桜の心情なんぞに忖度されることはなく、まずは解答用紙が配られた。不安は的中し、やはりマークシートである。

 続けて問題用紙が配られ、試験官の「始め」という声とともに小桜は数学の問題用紙をひっくり返していた。

 できるできないは関係ない。こうなったら、力は尽くさねばならないのだ。



 ※

 最下位からの10位とかの成績取っちゃうと、外界はすべてこんな感じの灰色に見えるのだ。ああ、昔を思い出すぞ。

 小桜の視界に色が戻る日は来るのだろうか。ナレーター役としては、話が進まなくなるので頑張って欲しいところだ。

 次回、「実力」。勉強しろ、小桜。今の君にはそれしかないのだ!

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