第7話 対戦


 まず新村が有言実行した。

 身体を低くし、竹刀を伸ばして佐々木の脛を払いに行ったのだ。

 だが、先ほど公言された手にかかるほど佐々木も愚かではない。

 とはいえ、対処の方法もわからなかったので、いきなり回れ右をして逃げだした。さすがは陸上部、行動選択に迷いはない。新村が追いきれないことを確信しての行動である。


 正座して座る面々を2周したところで、あっけなく新村がバテた。

 初めて付けた防具が、あまりに重いのである。しゃがみこんで、はあはあと荒い息をつく。

 下半身はジャージだが、袴をつけていたらもっと早くバテていただろう。


 自分を追いかける足音が止まったのを察した佐々木は、一気に攻勢に転じた。

 とはいえ、竹刀の描く軌道はよれよれで、やはり疲労しているのが誰の目にも明らかである。おまけに、防具すらない脛を払われないために、しゃがんだ相手にへっぴり腰で遠くから竹刀を振り回しているのだから、見られたものではない。

 正座して見守っている面々から笑いが起きた。


 佐々木は無様にぶーんぶーんと大振りに竹刀を振り回し、「小手」と叫びながら新村の面を打った。竹刀はからからと軽い音を立て、新村の付けた防具の面金の上を滑る。

「それでは斬れてないぞ」

 師範の教士の声が厳しい。


 その声に佐々木は焦ったのか、新村の全身を「面」「小手」「胴」とランダムに叫びながら打った。だが、最初からその声をフェイントととしか考えていない新村は、惑わされることなく緩慢な動きでも佐々木の竹刀を避ける。

 佐々木も良心が咎めるのか、新村の防具を付けていないところは叩けないし、そもそも叩く手にはすでに威力がない。精一杯長く持った竹刀も、相当に重く感じられているのだろう。


「絵に描いたような泥試合だな。

 何分経った?」

 小桜はひそひそと隣の山内に聞く。

「まだ1分しか経ってない。

 残り4分が見ものだな」

 そのまま小桜と山内は視線を合わせ、ため息をつきあった。もはや、笑う気も起きない。

 

 それから1分が過ぎ、佐々木が新村を叩く手はさらに威力を失った。もはや、撫でていると言っても良いくらいだ。振りまわしながらも、竹刀の切っ先は道場の床についてしまうことが多い。

 だが、新村は何回か叩かれながらもほとんど動かず、体力の回復に努めていた。


 そして突然立ち上がると、全身の残りの力を込め、「死ねえっ!」という言葉とともに竹刀を横殴りに振ったのだ。まるで野球のバットのように、である。

 その竹刀は佐々木の頭にもろにあたり、竹刀が深く撓ったのが誰の目にも見えた。佐々木はくらりとふらつくと、そのままその場に崩れ落ちた。軽い脳震盪くらいはおこしたのかもしれない。


 すぐにクラスの面々が立ち上がり、よってたかって佐々木の防具を外した。

 新村も四つん這いで肩で息をしていたが、なんとか自力で防具を外す。


「佐々木、生きているか?」

 なぜか嬉しそうに聞く三城に、「悪りーけど、死んでねーよ」と佐々木は弱々しく言い返すと、憮然とした顔でなんとか自力で胡座に座りなおした。

「……半日戦ったような気がする」

 その佐々木の声に、すでに笑う者はいない。


「で、これが君たちが私に教えてくれる剣道なのか?

 とてもではないが、私はこれを学びたいとは思えないぞ」

 教士の顔はにこやかなままだったが、言っていることは辛辣である。


「今のではよくわからなかったし、まだ3分そこそこだ。どうだ、もう一手見せてくれないか?」

 と、追い打ちはさらに厳しい。


「もう勘弁してください。身体が動きません。

 すいませんでした」

 佐々木は両手を床につく。

「すいませんでした。

 佐々木、ごめん。

 マジ、殺すつもりは全然ない……」

 新村もあとに続いた。

 疲労で、指先が震えていた。


「これが武道か?

 違うだろう?

 さっき、笑った者もいたな。考えが足らないことを自分で証明することになるぞ。

 そうだな、これがそこの一番体格のいい山内くんだったらどうなる?

 ベクトルは変わって事態は凄惨になって笑えないだろうが、お前たちはそれなら満足なのか?

 よく考えろ。

 笑えることだろうが、凄惨なことだろうが、どっちにしてもこの時間の目的から外れているという事態は変わらんのだ。

 戦闘テクニックを学びたいなら自衛隊でいいだろう。銃だって教えてくれるぞ。だが、これは最初から戦闘テクニックや同級生同士の殺し合いの授業ではないこともわからんほど、お前らは愚かか?」

「……いえ」

 ぱらぱらと、散発的に返事がされた。


「まあ、佐々木、新村の両名はよくやった。

 去年はもっと無様だったぞ」

 と教士の言葉は続き、その場は生温かく凍りついた。


「まさか、毎年やっているんですか、これ?」

 浅川がようやく問うと、教士はにこにこと笑った。

「欠かさず、ではないがな。

 そもそも30年前に、ここで私もやったことだ。

 当時の先生は練士だったが、さらに容赦なかったぞ。私は三本勝負までさせられて、床にのびたからな」

「一体全体、伝統って……」

 呆然と呟く仰木の声が、静まり返った道場にこだました。



 ※

 毎年のことで、生徒たちの小理屈への論破に疲れた、外部から来ている先生の対処の効率化が……。頭でっかちの彼らは、50年も前から「役者代わって役変わらず」なのです。

 野蛮な方法ですが、まぁ、生徒も野蛮なので……。で、これにはさらに意味がありますが、これは後ほど。

 ちなみに柔道は防具がなく、素人の殴り合いに発展してしまうのでこの手がとれず、さらにめんどくさい……w



 そのあと、しこたま竹刀を素振りさせられて、最後に打ち込みも数回やって、床の雑巾がけまで終わらせ、ぐったりとした顔の面々が教室に戻る。

 そう回数は多くはないが、これからしばらく剣道の授業は毎週続くのだ。


 そこで、佐々木が聞いた。

「おい、白田。

 お前、剣道部だったよな。あの先生知っているか?」

「あれは、生きている神様だぞ。

 県内で次の練士はあの人だと言われている。

 OBだから、来てくれているんだろうなぁ。普通ならこんなとこ、絶対来ねぇよ」

「練士ってなに?」

 無邪気な質問で割り込んだのは新村である。


「……八段受有後8年以上経過して、剣理に通暁、成熟し、識見卓越、

かつ、人格徳操高潔なる者だ。

 むちゃくちゃ狭き門だ。東大行く方がよほど楽。

 そもそもの八段の合格率が0.6%と言った方がわかりやすいかな?」

 白田の説明を聞いた佐々木は黙り込んだ。


 だが、新村はぼそっと呟いた。

「……俺、やってみようかな?」

「人格徳操高潔にほど遠いのにって、いや失礼、対極にいるのに?」

 白田の指摘はお約束だ。


「白田、テメェ、ぶっ殺すぞ」

「そういうところだぞ、新村」

 佐々木もツッコむ。そして、ツッコんだままに自分の思いを語る。


「だが、新村の言いたくなる気持ちもわかるわ。

 やってみてわかった。あれは、『面』『胴』『小手』を評価するシステムじゃないんだな。『面』『胴』『小手』以外を評価しないシステムということなんだろうな。

 そう考えたら、深い」

「一度聞いただけでは、なにを言っているかわからんな」

 白田が冷静に合いの手を入れた。


「ああ、一度言っただけではなにが言いたいのか自分でもわからない」

「ふざけんな」

 最後に新村がツッコんだ。

 最後まで真面目に話すことができないのが、「懲りる」ということだけは覚えられない彼らの性である。「納得」でしか、彼らを制することはできないのだ。


「だが、一面で佐々木の言うとおりではあるな。

 警察剣道は足払いもありだからな」

「……なるほど」

 白田の言葉に、佐々木と新村は頷く。

 完全ではなくとも、その一端は確実に理解したのである。


 ※

 師を師とも思わない傲岸不遜な彼らだが、先生に恵まれるとそれはそれで人生が変わってしまうのだ。

 そう、OBたちは、さすがに現役の扱いを知り尽くしているのだw

 そして、そのOBたちの根本にあるものはなにか……。

 次話、「重圧」。まだまだ続くであります!

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