第8話 重圧
結局、昼休み、クラスの中の議論では仰木の論理の牙城は崩せなかった。
仰木もさらに持論を補強してきたのだ。ジェンダーへの理解、教育コスト、前時代的権威や不要なエリート意識の問題視、話が大きくなりすぎて収拾がつかない。
とはいえ、このままクラスの中で抱えていて良い問題ではない。
結果として、小桜と仰木の2名で生徒会長に直に話すということで意見の一致を見た。
その日の放課後すぐ、小桜と仰木は階段を登る。校舎は3階建てで、1階が1年生、2階が2年生、3階が3年生となっているからだ。
生徒会長の顔は知っているから、降りてくる上級生の中から見逃すことはないだろう。
正直に言って、階段を登る足が重い。上級生とは、やはりどこか恐ろしいものなのだ。
3階まで登ると、小桜と仰木の予想外のものが廊下一面に広げられていた。
鯉のぼりである。
今日日なかなかないほどの特大サイズで、廊下に長々と伸ばされ、吹き流しから真鯉、緋鯉と揃っている。
そして、何人かの3年生が、ほつれがないかなど、細かくチェックしていた。よく見れば、針と糸も用意されている。
「なんだ、これ?」
仰木が呟く。
「男子の集団だから、そろそろ端午の節句ってことかな?」
小桜もそう返す。
呆然と見守っていると、3年生がそれを見咎めた。
「どうした、1年。
なんか用か?」
「生徒会長の杉山先輩に話がありまして……」
「そうか。
おい、杉山。
お客だ」
そう呼ばれて、吹き流しの口のあたりを見ていた3年生が立ち上がる。
同じあたりを見て、小桜は鯉のぼりに校章が染め抜かれているのに気がついた。
※
こういうものがあるっての、案外生徒の帰属意識に影響するのだ。
ところが、普段は校旗が掲げられている旗竿が使われるので、矢車とかはつかず、画竜点睛を欠くのは仕方ないw
「おう、なんか用か?」
「話があって来ました。
あまり他言できる話ではなく、どこかで聞いて頂きたく……」
緊張のあまり、小桜の話す言葉は可怪しくなってしまっている。
「ふーん。
じゃあ……。
おい、あとを頼んでもいいか?」
と、これは他の3年生への声がけである。
「あとで、そいつらにも手伝わせろ。
それならいい」
背の高い3年生の言葉に、生徒会長は「応」と笑って頷いた。
「じゃあ、こっちだ、来い」
そう言われて、小桜と仰木は素直に従った。
たどり着いた先は物置のような部屋だ。
生徒会長が扉を開けて、2人を招き入れる。鯉のぼりを出すために鍵を開けたので、そのまま使うつもりなのだろう。雑多なものが棚に積み上げられ、深く埃を被ったものもある。歴代のものなのだろうが梱包されていることもあって、小桜にはなにが入っているのかよくわからない。
古い木の丸椅子を持ち出し、その表面の埃を手で払って生徒会長は無言で2人に座るよう促した。
「で、話とは?」
と、単刀直入である。
小桜は、緊張からの口の中の唾を飲み込み、話しだした。
「1年5組の小桜と仰木です。
政木女子高の同級生から聞いた話ですが、男子高、女子高を無くすという話が極秘に持ち上がっているそうです」
「……その話か。
まずいな……」
生徒会長の顔に驚きはない。ただ、深刻になっただけだ。
「ご存知だったんですか?」
半ば驚きとともに小桜は聞く。
「まぁ、君たちが知っているということは、2年余計にここに巣食っている我々も当然知っているということだ。
主なリーク経路は3つあるが、政木女子高から聞いたということは、企業ルートだな。我々には行政ルートで情報が来た。
だが、1年生の君たちが話を持ってくるほど情報が広まりつつあるなら、対応は急がねばならない。地元の新聞に花火を打ち上げられる前に動かないと、無用の混乱を生む」
「そうですか。
生徒会が知っていたというなら、俺たちも肩の荷がおりました」
小桜はほっとして、いくぶん青ざめていた顔色も戻ってきた。
だが、生徒会長の表情は変わらない。
「荷をおろされては困る。一年生と言えども当事者だ。執行部だけが生徒会じゃない。
だが、しばらくは知らない振りで頼む。教職員も教育委員会ルートで知っているが、みな知らんぷりだ。動くときは連絡する。そのときはOBや教職員も連動して一気に動くからな。抵抗の芽を見せたら潰されるのはわかりきっているから、いきなり大木に持っていく。
一応言っておくが、その時まで教職員は当てにするな。彼らに裸で雇い主に反逆しろというのは酷な話だ。教職員で信用できるのは、『皇帝』しかいない」
「『皇帝』、ですか?」
小桜は聞き返す。
「生物教師の、通称、『皇帝』だ。この学校から京大、で、生物の教師として戻ってきて40年近く、親子で教わっている者も多い。能力はあっても、出世の道は選ばず、異動もせず」
ここで生徒会長は、一瞬考えた。『皇帝』の実績を、なのだろう。
「……そもそもだが、進学校のウチが、能力別編成クラスでないのはなぜだと思う?」
「その『皇帝』の意向ですか?」
「職員会議で能力別編成クラスの提案をした数学のT先生は、『黙れ、若造』と一喝されたそうだ」
なんで、職員会議の中身まで漏れているんだろう?
小桜の疑問はそのままに、生徒会長の話は続く。
「生徒の力だけで伝統は守れないのはわかるだろう?
ウチがこの数十年、変わらずに来られたのは『皇帝』の力も大きい。『皇帝』は、というより、『皇帝』を中心とするOBの先生方は皆、俺たちを信用してくれている。受験もしかり、校内、校外活動もしかり、だ。
天下りの校長に抵抗し、我々を守ってくれているのはその先生方だ。だから、我々もその信用からの逸脱行為はできない。どう振る舞おうが、結果としては必ず彼らの信用に報いる。これが、この自由な環境を守るために絶対に必要なことだ。それを失ったら、教師からの統制が始まり、俺たちのこの場は他の高校と同等になってしまう。なにより、受験時の合格率の維持は、OBの先生方を守ることにダイレクトに繋がる。それがあるからこそ、単純な能力別編成クラスの話も潰せ、その分多様な人間が集まったクラスになり、団結が強まるんだ」
……なるほど。
小桜は思う。
今までの自分は、自由に酔い過ぎていたのかもしれない。
だが、自由には自由の代償がある。信用されているからこその自由なのだ。
思い返してみれば、先ほどの剣道の時間でだって、あのOBの教士が自分の道場でいきなり素人同士を戦わせたりはしないだろうことは想像がつく。だが、そのリスクを負ってもらったことで、あの場にいたすべての者たちはなにかを得た。二度と馬鹿なことをする者は現れないことは言い切れる。
そして言い切れるだけの自覚と自律、それを自ら自発的にこなすことこそが信用であり、実績である。つまり、あのOBの教士は、5分とかからない最短の時間で最大の効果を得たとも言えるのだ。
そこに気がついた小桜の背筋は寒くなった。
自分たちが、あまりに重いものを背負わされていることに、初めて気がついたのだ。
しかも、それは個人としても集団としても背負わされている。
仰木の言う前時代的権威というのすら、その根幹は自律によって形作られているのかもしれない。
※
小桜君、今、君は自由の代償を知った。
限りない自由の中で、受験だけには手を抜かない。そう決心したのだ!
この弊害は大きい(あれっ?w)。生徒たちは高望みに走り、現役合格率がはらひれはれほれ……w
次話、「猜疑からの」。仰木が別学校の存在意義を知る!
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