第25話 VSフランマウルフ2
根源的な恐怖を呼び起こす、耳障りな獣の低い唸り声が辺りに響く。
巌の様に巨大な体から生える赤い体毛が、ゆらゆらと燃え盛ってるのかのように揺らいでいた。
体毛と同じ色の瞳は、こちらの一挙一動を確実に捉えて離さない。
俺達と巨大なフランマウルフの睨み合いは、時間にすれば数分も無い。
だというのに俺達の間に流れる時間は、緊張感のせいで一時間にも二時間にも感じられた。
「くそっ! コイツ全然隙が無い!」
そう叫ぶのは俺の横で弓を引くナイル君だ。
先ほどは見事な技で他のフランマウルフを仕留めた彼だったが、目の前の巨大なフランマウルフには焦りを隠せない様で、鋭く睨む顔からは冷や汗が滲んでいる。
「グルルゥ……」
「グリフ下がって! ヒーリィさん! グリフの傷も見てあげて!」
「えぇ! 分かったわ! グリフこっちに!」
「グルゥ……」
フランマウルフを睨んでいたグリフだが、痛々しい傷口から夥しい血を流すのを見てられず治療魔術の使えるヒーリィさんに頼んで、後ろに下がらせる。
明らかに大きな隙のはずだったが、巨大なフランマウルフはその俺達の様子を唸りながら見ていた。
その瞳に宿す警戒の視線は、俺を中心に捉えている。
奴の様子に狩人として腕の良いナイル君も気づいたのだろう。
ナイル君はこちらに顔を寄せて呟く。
「ハイドラ様を見ていますね……」
「さっきの水弾だろうな……あれを警戒してるんだろ」
「でしょうね……」
ちらりとグリフ達の方を見る。
グリフとカバル君は、ヒーリィさんに介抱されている。
傷の様子から、彼らがこれ以上戦うのは難しいだろう。
アインス君もツヴァイちゃん達を守りつつ戦うのは厳しい。
一番警戒するのは俺か……。
どうする……?
この世界に来てからこんなやばそうな生き物に出会ったのは初めてだ。
グリフ達の時は最初から敵意は無いのが分かったが、こいつは明らかに最初から俺達を獲物と見ているだろう。
他の手下に、いきなり俺達を襲わせたのがその証拠だ。
エルフの皆が進化して強くなったお陰で、他のフランマウルフは倒すことが出来た。
だが、皆も無傷とは言えない。
やはり、俺がやるしかないのか……。
この身体の性能はならば、負けることは無いだろうが、本気の戦闘は初めてだ。
正直怖い。
俺は元々争いとは無縁の世界に居たんだ。
身体は兵器になったが、中身はただの一般人なんだ。
でも……。
エルフの皆やグリフ達はもう俺の家族だ。
震える腕を抑える。
そしてナイル君に声を掛けた。
「……ナイル君、俺が奴の注意を引くから、皆を守っててくれるか?」
「っ!? ハイドラ様をお一人にすることはっ……!」
「大丈夫だって、俺の身体、丈夫だから」
「しかしっ……!」
ナイル君がそこまで言った時、状況が動いた。
フランマウルフは俺達の葛藤をあざ笑うかの様に、前足を一歩踏み出す。
そして顔半分が裂けたかのように口を開き、巨大な口牙を剥き出しにした。
犬の表情などわかるはずもない。
だが牙をむき出しにしたその顔は、まるで笑っているかの様だ。
まさかこいつ……この状況を楽しんでいる?
そんなありえないことを思った瞬間だった。
奴が突然大きく口を開く。
感じたのは巨大な魔力の動き。
その瞬間、轟音と共に炎が渦巻いた。
そして、俺が出した水弾と同じくらい大きな火の玉が奴の前に現れた。
「うっ!」
「やっべっ!」
横にいるナイル君がそれを見て硬直したのが分かる。
瞬間、俺は空に飛んだ。
空中ならば俺の他に誰も居ない。
奴が俺のみを警戒するならばこれしかなかった。
その俺の狙い通り、奴の巨大な火の玉も俺の方を向いた。
僅かに見えた奴の目。
その目線に込められた意思を確かに感じた。
奴はこう思ったのだろう。
――掛かったな! と。
そして、そのまま巨大な火の玉を俺へと打ち出してきた。
「うおぉ!」
今まで聞いたこの無いほどの轟音が俺に迫ってきた。
とっさに俺は両手を前に出す。
同時に魔力操作して身体に水の球を纏わせた。
直ぐに真っ赤な炎が水の球を包み、そのまま周りに留まる。
炎に面している水の膜から気泡が上がるのが見えた。
そうか、魔力操作で俺の周りで炎を留めているのか!
その事に気づいた瞬間、やばいと思った。
直接焼かないようにと咄嗟に水を出したが、そしてそのまま通り過ぎると思っていた。
だが、奴の出した火の玉は魔力操作術によるものだろう。
であれば、その場で止めることも出来る。
俺だって、水や火を空中に留めることが出来るんだ。
奴がそれを出来ない理由は無い。
あいつは、俺が水の球を出しているのを見た。
こうなる事を予想していたのか?
水の球を出されても構わない。
それごと燃やしてやれば関係無い、と言うことか?
このフランマウルフは、かなり頭が良い。
それは分かる。
だけどただの獣が、こんな考え方が出来るか?
そんなバカな、とは思う。
だがさっきの奴の表情。
そしてこの状況は、明らかに俺の行動を読んでの攻撃だった。
このままでは水が蒸発して直接焼かれるのも時間の問題だ。
いや、その前に沸騰したお湯で茹でられてしまう。
幾ら俺の身体が兵器で丈夫だといえ、どこまで耐えられる?
熱に対する耐久性が分からない以上、下手にダメージを受けたくはない。
それに直接焼かれるのも、生きたまま茹でられるのも俺の精神にも悪い。
焦りからか魔力操作が甘くなり、水の膜が更に狭まり、炎が迫ってくる。
このままじゃ本当に焼かれる!
「クッソ! このまま焼かれるくらないならっ!」
そう呟き、背中に魔力を込めた。
背中からブーストの排気口から機械的な音が響く。
俺の込めた魔力は、滞りなくブーストへの推進剤へと変換される。
そして、一気に圧縮された空気と熱がブーストから排出された。
「っ!」
いきなりの加速による負荷と視界のブレが俺の身体を襲った。
目の前に迫る炎を確認して、水の中から出る瞬間に体の表面に服を着るように水を纏わせた。
直ぐに視界は炎の赤色で覆われたが、それは一瞬であった。
加速された俺の身体は、水の球に纏わりついた炎を置き去りにして空を舞った。
外に出ると、フランマウルフの姿が見える。
奴は俺が炎から抜ける姿を確認すると、地を駆けた。
そして、そのまま駆け抜ける速度を落とすことなく飛んだ。
俺の居る空へと。
まるで空中にも地面があると言わんばかりに。
「はぁ?! ぐぅえ!?」
驚愕の叫びを発すると同時に身体に襲いかかる衝撃。
奴の大きな口が、俺の胴体を咥えている。
そして、俺の身体は、そのまま地面へと放り投げられた。
地面へ激突する瞬間、全身のブーストに魔力を込めて地面へと噴出する。
ガクンとブーストによる衝撃により身体が激しく揺れるが、直接地面へ衝突することはなかった。
ブーストによる姿勢制御が間に合った。
その事に安堵する。同時に俺は先程の展開に驚愕もした。
あいつ、俺が炎から出てくるのを狙ってやがったのか?
しかも飛んだぞ!?
そんな事が獣に可能なのか!?
いや、あの瞬間、魔力が操作された雰囲気を感じた。
何をどうしたのかは分からなかったが、飛んだように思えて何か魔力操作したのだろう。
そう冷静に考察していると、ドンという衝撃音が俺の目の前に起きる。そして巨大な影が俺の身体へ被さる。
巨大なフランマウルフが俺を見ていた。
その赤い瞳の視線が俺に突き刺さる。
こちらを観察するようなその視線を受けて、俺の身体は硬直した。
こいつやばい!
そう強く思った。
明らかに戦い慣れている。
さっきの戦いは、明らかにこっちの行動を読んでの攻撃ばかりだ。
こんな獣、見たことも聞いた事もない。
いや、異世界では居るのかもしれないけど……。
さっきまでは何とかなるとか思っていたけど、こんなに戦い慣れた奴なんて戦いの素人の俺で勝てるのか!?
いや! こんなやばい奴、皆と戦わせるわけにはいかない!
ブーストによる加速と、この身体の膂力なら当たれば倒せる!
そう決意して拳に力を入れて構える。
奴はその俺の様子を見て、瞳を険しくする。
そして、その巨大な口を開く。
「グルゥ……、貴様は一体何者だ……」
「えっ!?」
「先程の動き。 エルフにしては妙な動きをする……」
「しゃ、喋った……」
嘘だろ?
かなり頭は良さそうだとは思ったが、まさか喋るとは思わなかった。
異世界の獣って喋るのも居るの?
でもエルフや他の魔族もそんな動物が居るって話してなかったけど……。
そんな俺の困惑をよそに、巨大なフランマウルフはさらに言葉を発した。
「そこにいるエルフ達もそうだが、我が眷属達を屠る力を持つほど進化した者なんぞ、ここ最近は居なかったはずだが?」
「ア、アインス君達の事か?」
「そうだ……この森には、今は進化も儘ならぬ魔族しか居らぬはず……居たとしても其処におる言葉も話せぬ魔獣ぐらいだ」
「魔獣ってグリフの事か?」
そうだ、と言って巨大なフランマウルフは溜息のようなものをついた。
未だに困惑する俺をよそにフランマウルフはグリフを見て言葉を続けた。
ヒーリィさんとオキシーによって治療されていたグリフは血が止まったのを確認すると、立ち上がってフランマウルフを鋭く見ていた。
「其奴は以前、我が眷属達と縄張りを争っておった筈だが? 眷属達の話では縄張りは奴らが勝利したと聞いたが、まさか魔族と共におるとはな」
「っ! グリフのあの時の傷はやっぱりお前達か!?」
「それが獣の掟よ。だが我はそのような掟に興味は無いからな。眷属達が縄張りを増やそうが好きにすれば良いと捨て置いておる」
「うん? お前が命令したとかじゃないのか?」
「我は一々眷属達に命令なぞせぬ、獣ならば縄張りなんぞ好きに戦って獲れば良い」
そう言って、俺へと視線を戻す。
俺を警戒しているのか、その瞳から険しさは抜けない。
「以前、我が眷属の一匹が妙なやつが居ると報告してくるから来てみれば……だ。
貴様は何者だ? 魔族の中にそれほどの魔力を持つものなんぞここ数百年居らぬはずだ」
「妙な奴って……俺のことをお前の眷属が言っていたのか?」
「ああ、我よりも強大な魔力を持った、エルフのようだが変な匂いの奴が居たと……そう報告してきたものがおってな。
我以上の魔力を持つものなんぞ、ディアラトぐらいだ。気になって当然であろう」
「……ディアラト様の事を知っているのか?」
「知恵あるものならば、ディアラトの事を知らぬものなんぞおらぬだろうに……。
しかし確かに貴様のその魔力量は……貴様、本当に何なのだ?」
そう言って、フランマウルフは怪訝そうに目を細めて俺を見る。
こいつディアラト様の事を知ってるみたいだ。
しかもこいつの目には俺の魔力が見えているみたいだ。
「……だったら何だよ、いきなり襲ってきた奴が俺の事なんか気なるのかよ?」
「あぁ、そうか……そうだな、貴様らをいきなり襲ったのは悪かったな。
其処に座れ、少し話そう。貴様に興味がある」
「はぁ?」
そう言って、巨大な身体を横して、地に伏せるフランマウルフ。
先程までの剣呑な雰囲気は消えて、その瞳は深い知性を携えている。
ふとアインス君達の方を見るとこちらに駆け出さんばかりの格好をしている。
ナイル君は弓をフランマウルフにいつでも放てる様に引きながらこちらを見ている。
皆、この巨大なフランマウルフが話す所を見ていた為か、驚愕の表情をしている。
アインス君達に手のひらを向けて、そこで待つように合図した。
フランマウルフの様子を見るに、どうやらこれ以上戦う必要も無さそうだが……。
完全に警戒を解くのは危険かもしれない。
いつでも攻撃できる様に魔力操作はしておこう。
というか俺達こいつの眷属とやらを倒したのだが、それはいいのだろうか?
一応聞いてみるか……。
「いいのか? 俺達はお前の眷属とやらを倒しているんだが?」
「構わぬ、弱肉強食が我ら獣の掟だ。 負けた奴らは弱かった……ただそれだけだ」
そう言って呟いて促すように鼻先を地面につける。
その様子にどうやら大丈夫そうだと思い、俺も地面へと座った。
対面するフランマウルフは満足するように頷き、俺へと言葉を続けた。
「それに奴らは勝手に着いてきただけだからな、我も仇を取るといった面倒な事は言わん。
元々我一匹で来る予定だったのだからな」
「そうかよ……」
どうやら、獣の世界は想像以上に厳しい様だ。
他のフランマウルフは勝手に着いてきたようだったが、元々は一匹でくる予定だったようだ。
しかしこいつ、いきなり襲ってきたと思えば話をしたいとか、一体何しに来たんだ?
「それで? 何を話すんだ?」
「まずは貴様が何者かという事だ」
俺が何者か……。
一応俺の姿はヒーリィさんと同じエルフの姿のはずだ。
こいつに俺の正体を言って理解できるか分からんし、ここは姿通りエルフとしておくか……。
「俺が何者かって? 見た通りのエルフのはずだが?」
「嘘をつくな……エルフの姿をしておるが、匂いがまるで違うではないか」
俺の言葉を否定するフランマウルフ。
普通に嘘って看破していらっしゃる……。
フランマウルフはフンと鼻息荒くすると、さらに言葉を続けた。
「それに貴様、本当に生きておるのか? 生きておるものなら感じられるはずの気配がまるで無いではないか。
魔力は感じられるが……貴様は生き物というよりは精霊共に近い感覚を感じる」
「それは……」
睨みつける様に俺を見るフランマウルフ。
確かに俺は純粋な生物とは言えないからな……。
しかしこの世界、精霊とかいるのか?
村の皆からは聞いた事なかったが……。
でもここまで看破されていたら、下手に嘘ついても無駄かもしれない。
嘆息ついて、こいつに俺の正体を話す事にした。
「俺は、というより俺の身体はアニマキナっていうんだけど……」
「アニマキナ……だと?」
「えっ?」
「……その名はディアラトが言っていた……まさか……そんな馬鹿な……」
アニマキナという名前を聞いた瞬間、フランマウルフは驚愕の表情を俺を見た。
え? 何その反応。
言ってもどうせ分かんないだろうと思っていたのに、なんか思ってた反応と違う。
何だかアニマキナのことを知ってるかの様な反応だ。
いやでも、アニマキナが居たのは千年も前の話じゃ無かったか?
何でディアラト様がアニマキナの事知ってるんだ?
驚愕に彩られたフランマウルフの表情は、段々と落ち着きを取り戻していった。
そして何か納得したかのように頷くとすっと立ち上がり、こちらを見下ろした。
そのいきなりの行動に、また戦うのかと警戒して、腕に魔力を込める。
だが、先程と違って、フランマウルフからは敵意は無かった。
そして、俺を見たまま言葉を続ける。
「……そうか、貴様がディアラトが予言した新たなる魔王か……」
「はぁ?」
「ジジイの戯言だと思っていた予言が、まさか本当に当たるとはな……」
魔王って、俺が?
いきなり何言ってんだ、この犬ころ。
突然のフランマウルフの言葉に困惑する。
ディアラト様が予言したとも言っていたが、そもそも予言って何だよ?
「……ディアラト様が予言したって何のことなんだ?」
「それはディアラトのジジイに直接聞く方が良いだろう。 我は何とも言えん」
「えぇ……?」
なんだよそれ。
ここまで言ってお預けって、それは無いだろう。
俺のそんな落胆の様子を見てフランマウルフはやれやれと言った様に首を振る。
「仕方なかろう、我もあのジジイ程、予言については詳しくは無いのだ」
「そんなぁ……」
「だが、貴様の正体も理解した、我の用は済んだ」
「え?」
そう言って踵を返して歩き出す、巨大なフランマウルフ。
そして、そのまま森の方へと歩き出し始めた。
俺はその唐突の行動を唖然とした表情で見つめる。
「貴様とはまた会うこともあろうからな、次は戦うこともあるまい」
「お、おい、ちょっと待てよ!」
「ディアラトのジジイに会ったら我のことも言っておけよ」
そして、巨大なフランマウルフは泥を巻き上げて走り出した。
一瞬で森の闇の中に消えたその姿を唖然とした表情で見送る。
突然巨大なフランマウルフとの戦闘だったが、まさかフランマウルフと会話が出来るという予想外の展開で戦いは終わる。
だが、フランマウルフとの会話は、俺の思考をさらに混乱させる内容になるとは思わなかった。
俺が、このディアラト様の予言とやらを知るのは、もう暫く後になるのであった。
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