やり直し寿司
柴田 恭太朗
第1話 やり直し寿司
「店長、ほんとにこんな場所でいいんですか」
バイトの拓斗が心配する。
「ここがいいんだよ。やり直しの負け犬にはここで充分」
店長の新井が胸を張った。「見ろよ、この閑静な森」
新井と拓斗の前には、郊外の樹々に囲まれた真新しい寿司店が建っていた。店の入り口にかかげられた看板には、太く踊るような文字で『やり直し寿司』とあった。
「いいだろう、この店名。オレの心意気そのものだ」
半年前まで新井は日本有数の大手商社員だった。三十を半ばも過ぎて初めて任された新規プロジェクト。新井が練りあげたプランは万全にみえたが、運の悪いことに新型コロナの旋風が吹き荒れ、プロジェクトの根幹をなす新規顧客の呼び込みがとん挫した。想定外の災害であったが、新井にセカンドチャンスは与えられなかった。上層部が新井に声をかけたときから、プロジェクトが成功すれば良し、失敗したときは企画もろとも新井を切ればいいと考えていたのだろう。プロジェクトの消滅とともに、彼は商社を去った。
新井のセカンドチャレンジが、このやり直し寿司というわけだ。こんな辺鄙な場所に寿司屋を出店していいのか、新井には確信はない。自信はないがやる気はあった。
新井とバイトの拓斗が緊張しながら最初のお客さんを待っていると、最初の客がぞろぞろと入ってきた。昨日から駅前で配布した割引チケットが功を奏したのか、変わった店名が興味を惹いたのか、あるいはコロナ明け需要があったのかは知らぬ。新井は幸運が向いてきた予感がした。なぜなら、最初の客は近くの大学の経済学部の学生だったからだ。
コミュニケーション力の高い元商社マンの新井である。学生相手に昔学んだ経済学から商社のこぼれ話などを語り、すっかり意気投合してしまった。
「珍しいなと思ってたんです。メガネをかけたインテリな寿司屋の大将って」
会話が弾んだ学生が、大きなロイドメガネをかけた新井の風体を評価する。
「これ似合うでしょう」
新井もまんざら悪い気はしない。
「横からスミマセン。あの商社の人なら、ちょっと知恵をお借りしてもいいですか?」
それまでカウンターの端に座って寿司をつまんでいたサラリーマンが、新井たちの会話に興味をそそられたようだ。
「実は私、とあるプロジェクトを……」
サラリーマンは、企画で考えあぐねているところがあるという。新井は機密に触れないよう肝心なところはボカしつつ、彼のノウハウとアイデアを伝授した。
そうして、やり直し寿司の初日は無事に終わった。
慣れない寿司屋の経営は最初の数か月は大変苦労をした。だが採算度外視のサービスを行う新井の心意気と商社時代に蓄えた知識が、次第に学生やウワサを聞きつけて通うようになった近隣の起業家たちを魅了していった。最初は半信半疑だった拓斗もいまではすっかり新井になつき、積極的にデリバリーをこなしてくれている。
一年後、やり直し寿司は、口コミから地元の学生、起業家たちの拠点となっていた。なかでも市内で活動を続けるインディーズのアーティストが寿司屋のファンになってくれたことがインパクトがあった。店がにぎわうにつれ、郊外の森までの道も人通りが増え、季節ごとにインディーズアーティストによるイベントが行われるようにもなる。地域との関わりを深めていった。
終業時間となり、新井が店の暖簾を下ろしていると、今日最後のデリバリーを終えた拓斗がバイクを降りて、感慨深げに言った。
「店長、この店もすっかり賑やかになりましたね」
「一度人生で負けたからこそ今日がある。よく言うだろ、負けるが勝ちってさ」
新井は暖簾を手に、店の看板をそして森を見上げた。新井のメガネが月明りに輝いた。
おしまい
やり直し寿司 柴田 恭太朗 @sofia_2020
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