(3) デグゥ=ミタラシ
「なっ……!? あなたは一体何を……!? それは父さんがあなたの為に――」
「こんなことッ、俺は初めから知っていたッ……!」
掌に積もるビトーの人生の証である残灰。その未練がましく纏わり付く燃えカスを、俺は粉々になるまで握り潰してゴミのように投げ捨てた。
その父親の人生をふいにするような無慈悲な光景を、息子である亜人は唇を噛んで堪えていた。そして俺に批難めいた強い視線を送ると、
「その
亜人は落ちた
「……フッ、ならば俺から殺して奪うか? この血塗られた宿業の指輪を……!」
亜人は止まる。迷いと脂汗を滲ませた顔で、その大きな足の動きを止めた。
やはりこいつはそうだ。こいつは知っている。頭が良すぎるから気付いてしまったのだ。俺という影の存在だからこそ成し遂げられた、本当の意味での泰平の価値を。
「……フリード陛下。それを使わなくてもあなたの人生は充分満ち足りたものであったはずです。あなたがこの世界で成し遂げた功績は偉大だ。それはあなた以外の誰にも出来ることではなかったでしょう。誰もが認めた英雄であるあなたが憎まれ役を引き受けなければ、今もこの世界は果てしなく続く闇の中を永遠に彷徨うよう運命付けられていたはずだ。現在この戦乱の過渡期に当たる時勢においては、帝国の象徴であるあなたのことを世界中の誰しもが災いの禍根だと考えています。この長きに渡る革命による動乱も、そんなあなたを消す為だけに行われたと言っていい。けれど歴史を正しく読み解ける者ならば、あなたという特異点の重要さは分かっているはずなんです」
亜人は真顔のまま微動だにしない俺を、哀れさと親愛さを同居させたような複雑な顔で見つめている。
「第二次大陸間大戦が起きた三十年前のあの時、あなたがヴィルン連邦に寝返ってバルハイム聖王国を滅ぼさなければ、今頃世界は魔神ガラムを信仰する邪教によって暗黒の時代に堕ちていたはずです。今でこそ通説になっていますが、当時の聖王国統治機関である元老院議員の半数は、既にガラムを盲信する邪教徒によって占領されていました。そんな状態で国民に戦争を迎合する気運が高まり、聖王国が本格的に植民行為を始めれば、もはや世界中のどの国家にも抗う術はなかったはずです。それだけ当時の聖王国には他国を屈服させる程の絶大な力と大義があった。あなたはそれを知ってか知らずか……いや、おそらく知りはせずとも確信に近いものを感じていたのでしょう。あなたは祖国であるバルハイム聖王国を裏切り征服した後、元老院議員はおろか聖王家に軍部上層部高官、それらを支持する国民まで邪教に関わりがあると疑われる人間全てを処刑して、栄華を極めた大国を完膚無きまでに滅ぼした。それら行き過ぎた行為も全て、蔓延しかけた邪教を根絶やしにすることが目的だったのでしょう。……ここからは僕の憶測による想像に過ぎませんが、フリード陛下、あなたは父と最後に会ったあの幽霊屋敷――クロムウェル公爵邸でも全く同じことをしたのではありませんか?」
俺の沈黙をどう受け取ったのか分からないが、亜人はそのまま喋り続けていく。
「あなたが件の幽霊屋敷で、旧知の仲であったはずの仲間たちを虐殺した行為。父の手紙ではあなたがアルヴィン=フリーディングの影の存在から脱却し、表の人格として生きる為に必要なことだと書かれていましたが、僕の考えではそれだけの理由とは思えないのです。いや、それが仮に本当だとしても、その理由はおそらく後から来たもののはずです。あなたが家族同然であったはずの仲間たちを計画的に虐殺した真の理由。……それはあなたの作った【
俺は俯きながら密かに笑う。この亜人がここまで頭の切れる男だとは思わなかった。俺が墓場まで持っていこうとした真実を、ビトーの手紙だけを手掛かりに看破してしまうとは……。
この若くも老練な雰囲気を纏う亜人の淡々と推理を重ねる姿に、俺は脳裏に浮かぶとある男の面影がだぶる。
……ウィルフレン。
俺に腹を刺し貫かれて驚愕の表情を浮かべる
「あなたがいつどの段階でその事実に気付いたのかは僕には分かりません。ですが確かに邪教徒はあなたの仲間の内に巣食っていた。いくら英雄と呼ばれたあなたであっても、仲間内に潜む邪教徒の真贋を判別する手を持たなかった。あなたはきっと苦悩したはずだ。そして悩み抜いた末に、疑わしい仲間たち全員を自らの手で殺すことに決めたのでしょう。それ以外に彼らの名誉と誇りを守る方法を、当時のあなたは思い付かなかった」
……悩み抜いた。
その亜人の軽々しい一言で済まされるのが我慢ならなかった。
俺がどれだけ悩み苦しんだ末に決断したのかを、この亜人は知らない。
俺はアルヴィンの影だった。俺の存在を【
俺は仲間だと思っていた。家族だと思っていた。だけど彼らの多くは
「それ以外にも仲間を殺すことは、自分自身を守る意味合いもあったのでしょう。逃げ出した魔神の依り代が英雄として名を馳せていたと知られれば、邪教徒たちはあなたを放っておくはずがありませんからね。おそらくどんな手を使っても成功体であるあなたを捕獲したのち、あらゆる洗脳工作を施して再び邪教の支配下に置いたでしょう。あのまま何もせず手をこまねいていれば、いずれ仲間内に潜む邪教徒はあなたの本当の正体に気付いたはずです。だからあなたは自分自身を守るためにも行動するしかなかった。それにはまず身体の正当な持ち主であるアルヴィン=フリーディングを殺し、自らが影の存在から表の人格へと昇格する必要があった」
俺は素直に脱帽した。この亜人の慧眼は並外れている。それがビトーのお陰なのか天賦の才なのか分からないが、俺はこの瞬間に皮肉な運命を感じていた。もしかすると今際の際にこうして俺の人生を賭した謀が暴露されるのも、意地の悪い神々のささやかな抵抗なのかもしれない。
(だが
亜人の言ったことは概ね正しい。俺は祖国を滅亡させた。かけがえのない仲間をこの手に掛けた。それは世界を堕落させんとする邪教徒を激しく憎み、何より怖れたからだ。だが一つだけ亜人は大きな勘違いをしている。
それはこの俺が表の主人格――アルヴィン=フリーディングを自ら殺し、無理やりその身体の所有権を奪ったということだ。
(お前ほどの男がたかが悪霊である俺に、負けるはずがないというのにな。……なぁ、
――アルヴィン=フリーディング。
幾度の困難にも信念を損なうことなく果敢に抗い続け、時に立ち直れない程に激しく傷ついても、何度もそのおぼつかない足で立ち上がり、
……思い知らされたと言うべきなのかもしれない。俺は閉ざされた精神の籠の中で
(今でも思うよ、
俺は思い出す。三十五年前のあの二重満月の日、一時的に身体を占有した俺はあの幽霊屋敷で仲間を惨殺した後、
それは初めてのことだった。俺が
……そうだ。俺は
だからなのだろうか。
自身の生い立ち。邪教徒の存在。俺が取り憑いた理由。それからの冒険。そして冒険を共にした仲間たちを、俺がやむなく殺したこと……。
だけど
そして
それから俺は計画を変えざるを得なかった。もう止まれなかった。仲間を殺し
自分も
……【
この屋敷にはその
だからあれだけ屋敷中を遠征隊全員で探しても報告が無かったのなら、霊体になったミヤが未だに隠し持っているのはすぐに推測出来た。ミヤがいることにはとっくに気付いていた。ミヤは俺がビトーに酷い報いを受けさせるのだと怖れていた。だから俺は仲間殺しの罪を着せるはずだったビトーを餌にして、隠れ続けていたミヤを引きずり出した後に、脅して指輪を奪い取った。
転生の指輪を手にし、幽霊屋敷に火を放ち、樹海に逃げこんだ俺は、たった一つのことだけを望んでいた。それはこの呪われた身体から解放され、もう一度穢れのない肉体と精神で、広い世界を自由気ままに生きることだった。
この世界では、俺の存在こそ不幸の元凶だった。俺が余計なことをしなければ
【
邪教徒が言っていたことが本当なら、この指輪を使えば俺はもう一度人生をやり直せる。
それは魅力的な話だった。たとえ嘘でもあの時の俺にとっては生きる原動力になりえた。
使用条件はおよそ今の俺には実現する見込みがない、雲をつかむような話だ。
だけどもしそれが叶ったのなら、俺はもう一度、あの全てを奪われる前の無垢な子供の頃から始められる。
俺の、俺だけの、失われた、取り戻すべき、輝かしい人生を再び生きるために……。
「デグゥ=ミタラシ」
俺は遠い過去の記憶から呼び戻される。
久しく聞いていなかったその名が、俺の夢想を否定するように鼓膜に響き渡る。
声の方向へ頭を向けると、亜人が覚悟を決めたような面で俺を見ていた。
「あなたがその名を捨て、どれほどの思いを抱えて神聖皇帝にならざるを得なかったか。それは戦禍に巻き込まれることもなく、父に守られて生きてきた僕には察するに余りあります。ですがあなたが受けた受難の道、そしてその果てに成した数々の偉業は、後世を生きる僕らによってようやく、朧気ながらも真実の片鱗が見えてきました。今は長らく続いた戦争終結への気勢に押され、
亜人はそう力強く言い切ると、
「その指輪を僕に渡して下さい。父の名に誓って、僕がその指輪を葬ります」
「……ビトーの息子よ。お前は何も分かっていない」
俺は玉座からゆっくりと立ち上がる。よろよろと鈍く歩く老人の俺は、亜人の持つ巨大な斧槍の刃先を前に立つ。
「お前は正しい。正しいが……それだけだ」
俺は斧槍の刃先を握る。斧槍に俺の黒い血がゆっくりと流れ、それはやがて亜人の手を伝って汚した。
「俺は運命を受け入れている。受け入れているからこそ、俺は抗うのさ」
「あなたは間違っている……!」
俺は笑う。腹がちぎれるほど笑った。
「ああ、そうだ。その通りだ。俺は正しくない。間違った存在だ。この世界に俺がいること、それこそが間違いなのさ。……だけどなァ!」
俺は笑いながら握った
「俺からすれば、この世界こそが間違いなのさァ……!」
亜人にゆっくりとした足取りで近付く。亜人は俺の
「敬愛する父親に伝えておけ。……ビトー、お前の努力は全て無駄だったとな」
俺は無慈悲に右手を振るう。亜人は死を覚悟していた。俺も確実な死を与えたと思っていた。
だが俺の放った
(あ……?)
なぜか俺の視界がズレていく。左と右で分断されたように別れていく。訳も分からず地面に膝を付くと、俺の認識していた世界が半分になって逆さまになった。
それが自身の頭部を両断されたからだと気付いたのは、鏡のように磨かれた玉座の装飾に反射した自分が映ったからだ。玉座の装飾に映る老いた男の皺だらけの顔面には、
「ユウリ!」
「アイヤナ! ……君がやったのか?」
血溜まりになった床に倒れた俺の眼に、
奴はよろけながらその場に立ち上がると、無様に頭を両断された俺を見下ろした。亜人はまるで親しい友人を亡くしたような悲痛な顔を浮かべて、嗚咽する少女の身体を静かに抱きしめていた。
……これで終われる。
これで俺はようやく、本当の冒険を――
途絶えかけた意識の中で、俺はほくそ笑む。
これで条件は満たした。俺は英雄として人生を全うした。
指輪の使用条件……。
それはこの星の億の民を救い、億の民を殺し、遍く繁茂する衆生から英傑と認められた者が、その与えられた人生を偽りなく全うすること――。
つまり真の英雄として人生を全うした者だけが、この
俺は昏い死の淵にたった一人臨みながら、確かに【
(ビトー……ミヤ……そしてアル……俺は……俺は……オレは……!)
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