第六章 「終幕 ~絶望の先へ~」

(1) 精算

「英雄アルヴィン=フリーディングは敵国に寝返ったよ」


 聖王家の紋章が刻印された、白塗りの真新しい鉄製ベンチ。僕の隣に座る白髪隻眼の軍人、キップ=ハナダ中尉は、広場で無邪気に遊ぶ子供たちを眺めながら言った。


 聖都オストムの中心街に位置する王立公園ロイヤル・パーク

 その王城を望むことの出来る公園の噴水広場には、晴天のもと多種多様な種族の子供たちが、自身らの違いを気にすることもなく仲良く水を掛け合っている。


「瓦解状態だったはずの連邦国はアルヴィン=フリーディングが自国に亡命後、申し合わせたように休戦協定を撥ね付けた。それどころか復活した連邦議会は、困窮した民衆を焚き付けて臆面もなく挑発行為を始め出した。連邦国の首脳陣は先の大戦の終結を認めず、再度大陸間戦争を始めるつもりらしい。それも亡命した敵国の救世主を、新たな指導者として迎え入れてな……」


 キップ中尉は真顔で子供たちの戯れを凝視する。その厳しい視線が子供たちにではなく、連邦国の新たな希望となった彼に向けられていることは、隣りで沈黙を守る僕にも容易に想像が付いた。


「……これから聖都は大変な局面を迎えることになる。救国の英雄【光のアルヴィン】は、もはや聖王家すら凌ぐこの国の象徴といえる存在だった。その彼が敵国である連邦国家に寝返ったと国民が知れば、戦時ですら生ぬるい恐慌を社会全体に来たすだろうな……」


 キップ中尉の口調には、どこか諦めを感じさせた。


 修羅場と化した戦場でさえ決して弱音を吐かなかった上官。その彼の今の姿に、僕は言葉以上にこの国が深刻な立場に立たされていることを理解した。


「突然重大な決断を迫られた元老院は、毎日議会で穏健派と強硬派が挙兵するかどうかで紛糾している。聖王陛下も信頼していた英雄の謀反により心労で倒れ、婚約の儀を控えていた姫殿下は自殺未遂を起こしたらしい。市井に生きる民間人は知る由もないが、今この国は滅亡するかどうかの瀬戸際に立たされている……」


 広場でボール遊びをしていた子供たち。その一人が放ったボールが、大きく逸れてこちらに転がってくる。キップ中尉は足元に転がってきた黄色いボールを拾うと、満面の笑顔で子供に優しく投げ返した。


「アルヴィン=フリーディングの正体を教えてほしい」


 キップ中尉は笑顔を残した顔で、前を見たまま強い口調で言った。


 僕と中尉の間に、不自然な空白の時間が生まれる。それは僕らの関係を不意にするような辛い時間だったが、それでも僕がその空白を自ら埋めるようなことはしなかった。


「……ビトー。お前は知っているはずだ。奴はただの冒険者じゃない。ましてや私達が待ち望んだ英雄なんかでもない。奴について分かっていることは、鬼神の如き強さをその身に宿していることだけ。奴の出生や親兄弟のことは、どれだけ調べても何も出てこない。世界各国に優秀な諜報員を数多く有する、この聖王国バルハイムの情報部隊の力を持ってしてもだ。そんなことは本来有り得ない。たとえ届けのない私生児だったとしても、現代の魔工技術を持ってすればおおよその血統は証明できる。だが奴にはそれが当て嵌まらない。私達の技術だけで見れば、奴はこの世界に存在しない人間ということになる。……奴を野放しにすることは危険だ。あれだけの力を個人として持ちながら、誰にもその本質を捉えられない人間を、この世界の救世主とさせてはいけない。それはこの聖王国だけでなく、この世界全ての国家においても同じことだ。何としてでも奴の真の目的を見定めねば、子供たちの未来は必ずや悲惨なものとなるだろう。そのためにはまず、奴の得体の知れない素性を調べ直すしかないんだ……!」


 段々と熱を帯びていく中尉の横で、僕は居心地の悪さを感じながらも黙り続けた。これが軍人としての尋問なのか、それとも友人としての質問なのかは分からないけど、僕はその脅威を感じる陳述に対して黙秘を貫いた。


 キップ中尉はそんな僕を咎めることもない。ただ互いに無言で、広場のありふれた平和な光景を眺めることに、しばらく一緒に付き合ってくれた。


「……彼女の容態はどうだ?」


 空気の澄み渡った青空には、小さな白い雲がまばらに点在している。その中を企業飛行船アドエアプレーンの船団が、王城を目印とするようにゆっくりと旋回していた。


 僕はそれら派手な色で彩色された飛行船を数えながら、中尉にあまり芳しくないと答えた。一緒に船団を見守っていた中尉は、空から地面へ視線を移すと、肺の底から絞り出したように深い溜息を吐いた。


「……私の責任だな」


 ――そうかもしれない。


 そう思ったけど、僕は口に出さなかった。


「今思えば、私がかつての部下であるお前に案内人ガイドの仕事を要請したのも奴の思惑の内だったのだろうな。お前とあのアルヴィン=フリーディングの間に何の因縁があるのかは私には分からないが、少なくとも奴はお前に対して並々ならぬ関心があったと思う。私はあえてそれを利用して奴の素性を探ろうとした。奴がお前との接触に見せる反応で、何かしらの情報が得られると思ったのだ。だがそれは失敗した。遠征に紛れ込ませた私の部下の諜報員は全員奴に殺され、それだけでなく味方であるはずの仲間まで容赦なく殺すとは……。完全に誤算だった。奴が動き出すのはまだかなり先のことだと思っていた。私が囮としてお前に仕事を与えなければ、お前の伴侶が傷モノにされることもなかった。全て私の判断ミスだ……」


 項垂れて後悔の念を滲ませる中尉の老け込んだ顔。その顔を母親の手に引かれて歩く幼児が、不思議そうに見ていた。幼児がさらに中尉の顔を覗き込もうとすると、獣人族ベスチアだろう母親が慌てて連れ戻す。母親は僕らから醸し出される異様な雰囲気を察して、逃げるようにこの場から立ち去った。


 中尉はそんな出来事にも気付かず、思考を切り替えるように自分の顔を掌で大きく擦ると、


「謝罪代わりというわけでもないが……」


 そう言って僕に封筒を一通手渡した。


 中を開いて便箋を取り出す。そこには軍部の堅苦しい文言で書かれた任務要請書と共に、聖王家の厳かな紋章が押印された契約書が同封されていた。


「お前に新しい仕事を斡旋したい。書面には軍部所属契約と書かれているが、あくまで体面を保つもので従軍する必要はない。仕事は聖都の大聖堂図書館を警備するもので危険なものではないし、給与も軍部を通して支払われるから誤魔化しや遅配もない。それに時間的拘束も比較的緩い職場になるから、これならば養生する彼女の面倒も充分見れるだろう」


 キップ中尉はそこまで言い終えると、安堵したようにベンチに座り直す。


 僕は当然感付いていた。このあまりにも手回しの良すぎる、そして破格の条件である仕事の斡旋は、僕への口封じなのだろうということには。


 中尉もきっと上から言い含められているのだろう。あの屋敷での生き残りである僕に、事の真相を世間に暴露させないよう手を打てと。


「キップ中尉、申し訳ありませんが――」


 僕は特に動揺もないまま、改めて中尉の顔を見やる。


 中尉は瞬間、不快そうな表情を眼尻に浮かべた。


「僕らは傷が癒え、司祭様の許可が降り次第、この国から離れようと思います。ユーリカが安らげる、別の土地に移るつもりです」


 ここに来て初めてまともに口を開く僕に、中尉は何かを言い掛けようとする兆しを見せる。だけどその緩慢な動作は半端な段階で止まると、中尉は再度諦めたように目を伏せた。


「……そうか。そうだな。それが一番いいのかもしれんな。お前たちはまだ若い。充分やり直しが効く。どこか知らない土地で、全てを忘れた方が……」


 そのか細い言葉は、自らに言い聞かせているようにも聞こえた。自分自身にもそんな道があるのだと、錯覚させるように……。


 けれど中尉は目が覚めたように顔を硬直させると、軍人としての居佇まいを取り戻して僕に向き直った。


「ビトー、遠征任務の報酬は傷病手当ても含めて多めに見積もっておく。他国に居を構えられる程多くはないが、それで旅の資金は充分賄えるはずだ。それと同盟国への身分保証書と荷馬車の用意はこちらでしておこう。今から自力で揃えるには難儀するはずだ。これから国外に出ようとする者が爆発的に増えるだろうからな」


「……ありがとうございます」


 僕はキップ中尉の申し入れを素直に受け止め、感謝した。


「準備が出来たら迷わずすぐに発て。軍部の人間だけでなく、あの件を探る者は否応なく出てくるはずだ。現に身元を偽る怪しげな奴らが聖王国に数多く入国しようとしている。面倒な奴らに嗅ぎつけられる前に、安全な場所へ彼女と共に身を隠すんだ」


 中尉は言い終えて軍帽を素早く被ると、即座にベンチから腰を上げた。


「……旅の無事を祈っている」


 僕に一瞥して軽く目礼するキップ中尉。彼はそのまま僕に振り返ることもなく、公園の出口へとキビキビと歩き去って行った。かつての恩人の後ろ姿――その淋しい背中が雑踏の中に紛れるように消えていく。


 僕も立ち上がる。そして上官の見えない背中を見守ると、


「……お世話になりました」


 深く一礼して、その場から静かに去った。

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