(3) デグゥの真実

「これがオレの……いや、この身体の持ち主であるアルヴィン=フリーディングの正体さ」


 彼の身体は常軌を逸していた。


 上半身の表面を覆う筋肉は異常に収縮し赤黒く、年相応のしなやかさが全く無い。筋肉だけでなく肉そのものが極限まで削ぎ取られ、肋骨はおろか脊椎まで浮き出るように痩せ細っていた。まるで餓死寸前の老人のような、みすぼらしい貧相な身体が鎧の中に隠されていた。


 まだそれだけならば何か深刻な病を抱えていると捉えられたかもしれない。だけど彼の身体における最大の異常。それは全身を冒されたように半融合する、その見慣れぬ異物群にあった。


 太さの異なる幾つものチューブ。それらの管は上半身のあらゆる場所から穿たれたように顔を出し、複雑に絡み合い、そして調和するように繋がれ、彼の身体の一部と化していた。チューブの中を巡る緑色の液体はおそらく臓器から臓器へと移動し、休むことなく無限に循環し続けている。そしてそれらのチューブが集中する心臓部に、肉に食い込むように拳大の魔石が深く埋め込まれていた。その正六角形の魔石の表面には見たことのない奇怪な文字がびっしりと彫られており、まるで自身はこの身体とは違う意思を持つ別個の存在だとアピールするように、耳障りな強い脈を一定のリズムで打ち続けていた。


「デグゥ……その身体は、一体……」


「……気持ち悪いだろう? 世界を救った英雄がこんな醜い身体を持っていたなんて、誰も想像もしないもんなァ」


 デグゥが喋るたびに、胸に埋まった魔石が大きく脈づく。


 どうしてそんな状態で生きていられるのか、僕には皆目分からなかった。


「見ての通りこの身体は死にかけだ。いつ動かなくなってもおかしくない。この【大賢者の暗愚石ラピス・ストゥルトゥス】のチカラに曝され続けた肉体は、とっくに限界を迎えているのさ」


「……【大賢者の暗愚石ラピス・ストゥルトゥス】?」


「ああ。これは世界に二十七片しか存在しない【神聖遺物オリジナルアーティファクト】の一つ。こいつを身体に移植されたお陰で、この肉体は失われたはずの生命を取り戻し、そして超常の力を個として持つことが許された。まさに英雄たるチカラの結晶さ、この呪われた石はなァ」


 胸部に息づく黒石を拳で叩くデグゥ。聖遺物アーティファクトであるそれは、怒ったように赫く赤熱して抵抗の意思を見せた。


「どうしてそんなものを彼が……」


「まだ分からないのか、ビトー。コイツはオレで、オレはコイツなんだよ。二十年前のあの日から、オレたちは離れることの出来ない一心同体の関係なのさァ」


 ――子供の誘拐、人身売買、臓器摘出、移植手術、そして幽霊屋敷に蔓延る亡霊レイス……。


 それら全ての情報が僕の頭の中で一緒くたに駆け巡ると、ある一つの答えが天啓のように導かれた。


 それは――


「デグゥ、君は……いや、彼は……!」


「……そうさ。やっと気付いたか。オレたちが屋敷に入り込んだ二十年前のあの日、この身体の持ち主であるアルヴィン=フリーディング……こいつも同じ屋敷の中にいたのさァ」


 僕の導き出した答え。それは彼が言うことと一致していた。


「だけどオレたちとコイツは幽霊屋敷に来た理由も立場も全く違う。コイツは宝探しの為に屋敷に来たわけじゃない。コイツはこの屋敷に留まることしか許されなかったのさ」


「……それは、彼が盗賊たちに誘拐されたということなのか?」


 僕が神妙な顔で尋ねると、デグゥはわずかに口角を上げる。けれど自身の頭を左右へ振った。


「そう考えるのも無理ないさ。オレたちはあの地下室で大量の子供の死体を見たからなァ。あのとき別の部屋に誘拐された子供がいても不思議じゃない。だけどコイツは違う。コイツは特別なのさ。……コイツはな、ビトー、この幽霊屋敷で生まれた。オレたちが屋敷に入り込むずっと前から、コイツはこの屋敷の中で密かに暮らしていたのさァ」


 自分の言葉に驚愕する僕の反応を見ながら、デグゥは楽しそうに喋り続ける。


「この幽霊屋敷はな、イカれた邪教徒の実験場として何十年も前から使われていた。政府の目が行き届く聖都郊外から遠く、信仰心の薄い人間が集まる集落、そして何より誰もが怖れる英雄王の屋敷という点が、邪教徒の求める隠れ家としての条件にピッタリだった。世界に秩序を齎した英雄王の威光を借りれば、政府の人間もこの墓所である屋敷の中まで踏み込まない。たとえ無知な冒険者が迷宮として挑みに来ても、踏破に失敗した冒険者として皆殺しにすればよかった。邪教徒が隠れて研究を続けるには最適の場所だったのさ、この幽霊屋敷はなァ」


 だとしたら、あの地下室で行われていたことは……。


「魔神崇拝者の究極の目的。それは現世に堕罪の魔神ガラムを降臨させて、世界を混沌とした渦の中に堕とし込み、あらゆる快楽を与えて全ての人間を堕落させること。つまり遍く世界に広がるマール聖教を根本から否定することが重要だったのさ。そして邪教徒たちはその目的を果たすために、魔神が現世に降りる為の依り代を作ることに着手していた。……ここまで言えば分かるだろう? つまりアルヴィン=フリーディングは、この屋敷で造られた魔神の容れ物なのさァ」


 大戦を止めた本物の英雄、アルヴィン=フリーディングが魔神の依り代。そして造られた存在……


 デグゥは真剣な顔で語る。だけど僕には俄には信じられない。アルヴィンが魔神などという邪悪な存在と関わりがあるとは、少なからず彼と時間を共にした僕には到底考えられない。そう固く信じさせるほど、彼は慈愛に満ちた高潔な人物だった。


 だけど彼のあの人間離れした力。あれはとても普通の人間が努力や才能だけで賄える力とも思えなかった。もしもデグゥの言う通り彼が始めからそういう存在として意図的に造られたならば、彼の持つある種神懸かった異常な力は納得出来る気がした。


「コイツには明確な親など存在しない。全世界から集められた優秀な精子と卵子を掛け合わせ、無機質な試験管から産まれたデザイナーベビーなのさ。受精胚の段階で遺伝子を魔術的に操作され、更に【大賢者の暗愚石ラピス・ストゥルトゥス】を心臓と代替することによって無限の魔力と生命力を生まれながらに付与された。まさに魔神たる器に相応しい能力を持って、コイツはこの世に産声を上げたのさァ」


 デグゥは自らの身体を誇るように、その【大賢者の暗愚石ラピス・ストゥルトゥス】に支配された肉体をしならせた。


「けれど邪教徒どもはコイツを失敗作と見做した。なぜならコイツには重大な欠陥があったからなァ。圧倒的な身体能力と戦闘センスを持って生まれながらも、コイツの身体にはそれを振るう体力が全く無かったのさ。つまり身体が成長する過程において、聖遺物アーティファクトのチカラに耐え得る臓器が上手く作れなかった。【大賢者の暗愚石ラピス・ストゥルトゥス】は移植された身体に膨大なチカラを与えたが、それだけ莫大な負荷も内部の肉体に抱えさせた。人間が聖遺物アーティファクトを組み込まれたまま成長すると、それに見合った強靭な臓器を体内で生成することが出来ない。結局そう邪教徒たちは研究過程で判断した。だから奴らは別の方法を考えた。臓器が作れないなら別の臓器を用意すれば良い。活きの良い健康な子供から臓器を奪い、魔神の器に適合するまで移植を続ければ良いとなァ」


 そうか……そうなのか。


 僕らが地下室で見た大量の子供の臓器。あれらは誰か金持ちに売られるわけでもなく、医療研究されるわけでもなく、始めから魔神の依り代を完成させる為だけに集められたのだ。


 その邪悪な実験の片棒を担いだのが、幽霊屋敷を根城にしていた盗賊団、そしてアルバート村の大人たちだった。彼らはきっと邪教徒が提供する金に目が眩んだに違いない。孤児院で慎ましやかな生活を送っていた僕ら孤児も、奴らからすれば臓器のスペアに過ぎなかった……。


「……無茶苦茶だろう? 自分たちの利己的な野望を叶える為だけに、奴らは数え切れないほどの無垢な子供の生命を犠牲にした。それも何年も、何十年にも渡って、奴らは執念深く研究と実験を繰り返した。そしてビトー、オレたちが屋敷に忍び込んだ二十年前のあの日、ついに魔神の器は真の意味で完成を迎える。……オレの臓器がコイツの肉体に適合したことでなァ」


 デグゥの人を食ったような笑み。そのある種自棄になった強気な姿に、僕は憐れみを感じて閉口する。


 きっとそうなのだろう、デグゥの話を聞きながら内心予感はしていた。だけど改めてその事実を突き付けられると、自分のした事の大きさと罪深さに潰されそうになる。


 ――デグゥはやはりあの後、奴らに身体を解剖されたのだ……。


「オレの臓器が適合すると分かると、邪教徒どもはオレの腹を掻っ捌いて根こそぎ臓器を引きずり出していった。オレはもはや人間として見られなかった。奴らにとって有益な臓器の詰まった、ただの物言わぬ肉塊さ。オレは抵抗することさえ許されず、自分のハラワタを抜かれて達磨にされた。当然そんなことをされればオレは死ぬ。だけどオレは生きた。生かされたのさァ。きっと適合した臓器を持つ子供はオレが初めてだったんだろう。まだ利用価値があると思われたんだろうな。オレはオレの身体より大きい人工臓器を付けられて、弱り切った命を無理やり現世に繋ぎ止められたのさァ。そしてオレはそのまま、芋虫のようになった身体で暗い地下室に放置された」


 デグゥが語る事実は僕の心を抉っていく。彼が味わった底なしの絶望は、間違いなく僕が生み出したものだった。


「両目を抉られ、四肢を切断され、臓器を全て抜き取られても俺は辛うじて生きていた。だけどいつまでも生かされるわけじゃない。いつかは用済みとなって廃棄される。オレはその時を待ち望んださァ。暗黒の闇の中でいつ死ねるかと一日中考え続けた。オレはもうこの苦痛から解放されたかった。邪教徒や盗賊への恨みなどすっかり消えていた。とにかくこの地獄のような現実から、一分一秒でも早く消えたかったのさ。……だけど運命は皮肉なもんさァ。生きたいと願った時に死が近づき、死にたいと願った時に生命の奇跡が顔を覗かせる。オレの運命を弄んだのは邪教徒じゃない。決して信仰させられた神なんかでもない。この呪われた幽霊屋敷に纏わり付く、純粋で邪悪な意思そのものさァ」


 ……どうしてだろう。一心不乱に話すデグゥのその姿に、僕は彼が泣いているように思えた。あの日起きた残酷な結末を自ら語り続ける彼は、誰よりも彼自身が痛みを伴っているように見えた。


「オレは希望が潰えた闇の中で、このままゆっくりと死ぬことだけを望んだ。だけど屋敷の意思はそれを許さなかった。オレというヒトの中で最も重要な要素、最後に残された魂に呪いを掛けた。お前も知ってるだろう。迷宮は長い時を経て魔力を帯びると、時として人知を超えた神の如き御業を宿す。この英雄王の屋敷は所蔵された数々の聖遺物アーティファクトの影響を受け、この場で死んだものを霊体にする能力が偶発的に備わった。……オレはようやく安堵して死ねたあと、強制的に亡霊レイスに生まれ変われさせられたのさァ」


 ……ミヤ。


 デグゥの言う通りならば、彼だけでなく、妹のミヤも、それに解体された子供たちもそうなのだろう。


 僕らがこの屋敷で追い掛けられた亡霊レイスは、元はこの屋敷で殺された子供たちなのだ。彼らは皆デグゥやミヤのように大人から理不尽な暴力を受け、その末に非業の死を遂げた。だからこの屋敷に住まう亡霊レイスは子供を追い掛けはしても決して襲わない。恨みがあるのは大人だけだからだ。


「オレの魂は神の祝福から離れ、穢れたモンスターである亡霊レイスとして生まれ変わった。だけどオレがなったのは普通の亡霊レイスじゃない。ゴースト系モンスターでも最も忌み嫌われる、幾千の冒険者を葬ってきた呪縛死霊スペクターさ。オレがそこまで強い亡霊レイスに生まれ変われたのは、きっとそれほど恨みと絶望が深かったからなんだろうなァ。オレは自分が霊体となった事実に気付くと、まだこの地獄に縛り付けられるのかと狂いそうになった。だけど絶望に浸されながらオレはふと思った。これはチャンスではないかと。誂えられた培養槽の中で静かに眠る魔神の依り代、この同世代の名もなき少年に、オレは成り替われるんじゃないかとなァ」


 デグゥの話は熱を帯びていく。ここからが正念場であると、彼はその勢い付いた口調で暗に示していた。


呪縛死霊スペクターには特殊能力があった。上級モンスターにだけ許された固有魔法オリジナルスペルさ。【呪縛憑依カースド・ポゼッション】。オレはこの能力を使って、亡霊レイス以上の強力な精神汚染を行い、魔神の依り代であるコイツの身体に取り憑いた。身体を乗っ取るのは簡単だったさァ。なんせコイツの中身のほとんどは元はオレのものなんだからなァ。むしろオレの臓器は、オレが乗り移ることを歓迎しているとさえ思えたさァ」


 デグゥが僕を見て不敵に笑う。その含みのある笑みに、僕は確信する。


 僕が遠征隊の仲間たちを無意識下で殺した原因。それは呪縛死霊スペクターである彼が、僕に取り憑いたことにあるのだと……。


「身体の乗っ取りに成功すると、すぐに自身の中に渦巻く異常なチカラに気付いた。……魔神の依代。その名前は伊達ではなかったのさァ。まだ臓器適合の調整中だったに関わらず、ほんの少し力を込めて殴るだけで培養槽の強化ガラスは粉々に砕けた。オレは自分の強過ぎるチカラに寒気立ちながらも、そのあどけなさが残る少年の姿で見張りの盗賊を縊り殺した。それからは言うまでもないよなァ。オレは屋敷内にいた人間全てを皆殺しにした。たとえ盗賊や邪教徒と判断出来ない奴でも構わずぶっ殺した。全員笑えるくらい呆気無く死んでいったさァ。どいつもこいつもオレの顔を見て死ぬほど驚いていた。本当に簡単だったよ。神ではなく人に造られた存在とはいえ、コイツは本物の英雄のチカラを持つ悪鬼だった」


 復讐を果たした快感――それを思い出したように、デグゥはその歪んだ顔に恍惚とした表情を浮かべていた。


「邪教徒たちを全て殺し終えると、オレは数ヶ月振りに屋敷の外に出た。蒼月が妖しく空に輝く、美しい宵の口だったさァ。外に出たオレがすることは一つだった。それは当然、アルバート村の奴らも皆殺しにすることさ。……ビトー、あの時お前は言っていたなァ。村の人間は臓器売買に関わっているはずだって。オレはあのとき怒った。自分の生まれ育った村を貶されたと思ったからだ。だけどオレもとっくに気付いていたのさァ。村の大人が怪しげな商売に手を出していることはな。なのにオレはそれを気付かないフリをした。知らん振りを通した。怖かったのさ。いくら村を出て世界を冒険したいと宣っても、十歳やそこらのガキが何の当てもなく外に出ても野垂れ死ぬことは分かっていた。オレが大人たちの不審な行動を糾弾すれば、オレは村から追い出されるんじゃないかと思った。オレは一人になるのが怖かった。疎外されるのが恐ろしかった。だから村の中に不穏な空気を感じても、馬鹿な子供のフリをして黙っていたのさ……」


 唐突に見せたデグゥのその弱さ。その引け目を感じさせるような姿は、僕に孤児だった頃の嫌な感情を想起させた。


「だけどお前の言う通り間違いだった。村の人間は孤児のことなんか何も考えちゃいない。自分と自分の本当の家族のことしか考えていないのさ。ビトー、村の人間はあの日お前が盗賊から逃げ出したことをゼーマン院長から聞き知っていたはずだ。なのに幽霊屋敷に取り残されたオレとミヤを助けに来る者は誰もいなかった。あいつらは金主である邪教徒に楯突くのが嫌で、まだ助かるはずのオレたちを見殺しにしたのさァ。オレは村のみんなを信じていた。本当に家族だと思っていた。なのにあいつらは汚い金を得る為にオレを裏切った。信頼していた。だからこそ憎かった。オレは盗賊から奪った蛮刀を握って、村中の民家を襲って大人も子供も皆殺しにした。罪悪感はなかった。先に裏切ったのは向こうからだからなァ」


 僕には分からない。デグゥのその瞳に灯る憎しみが、正当なものであるかどうかは……。


「オレは激情に駆られて殺戮を行った。だけど頭の一方では極めて冷静だった。オレがもう一度この身体で人生をやり直すには、死んだはずのオレを知る者が存在してはいけなかったのさ。だからオレはこの村ごと滅ぼすことに決めた。今後二度とこのアルバート村一帯に誰も近づけなくしようと、オレは村人を切り刻みながら画策していた。オレは息付く暇もなく幽霊屋敷に戻ると、邪教徒さえ使用を躊躇う病原性の猛毒菌を持ち出した。オレはオレの痕跡を全て消す為に、動物だけでなく植物さえ冒す毒を村中にばら撒いた。これでオレは本当の意味で生まれ変われる。そう思って安堵したけど、毒を撒き終わった後でオレは気付くのさ。……オレのことを最も良く知る、肝心な奴を殺していなかったことになァ」


 冷ややかな眼でデグゥは僕を見ている。彼に刺すような視線で射抜かれた僕は、目を逸らすことも出来ずに立ち竦むしかなかった。


「……毒と疲労の影響だろうな。オレはやり残しを思い出しながらも、そのあと意識を失くしてぶっ倒れたのさ。なんせ慣れない身体で一晩中村の人間を殺し続けた挙げ句、屋敷から大量の毒を運んで散布し続けたんだからな。最後は気力と執念だけで動いていたさァ。オレの最後の記憶では、森の端で倒れたはずだった。だけど気付けばオレは荷馬車の中にいた。どうやらオレの本能は毒から逃げ出すため、無意識に森の中を彷徨っていたらしい。その途中で街道に偶然出て、行商中の商人の荷馬車に拾われた。幸運だった。もしもアルバート村周辺に住む人間だったなら、不審者であるオレは軍に連れて行かれただろう。だけど拾った商人は軍と関わり合いになることを嫌った。行き倒れのオレを助けるけど、手当てして街まで運ぶだけだと言った。オレはその事を朦朧とした意識の中で聞きながらも、一刻も早くアルバート村から離れるため荷馬車から降りようとした。そしてオレはようやく気付くのさ。自分の意思で身体を動かせなくなっていることに。……そうさ。オレが倒れたことでコイツが目覚めてしまったのさ。強力な毒の影響や、殺戮を繰り返したことでオレの精神が弱ったこともある。だけど一番の原因は幽霊屋敷から著しく離れてしまったせいさ。そのせいでオレの呪縛死霊スペクターとしての取り憑くチカラが急激に弱まったのさ。身体の操作は全てコイツに奪い返された。オレは自分の魂が消えないように精神の奥に隠れるしかなかった。もっとも目覚めたコイツは全ての記憶を失くし、オレの存在に気付くことはなかったけどなァ」


 さすがに長時間喋りすぎたのか、デグゥはゴホゴホと重い咳をしながら壁に手を付く。終わらない空咳は部屋の中を空しく木霊し、彼の甚大なる不調を僕に知らしめる。


 僕の心配するような顔に気付いたのだろう。デグゥは無理やり咳を止めて汚れた口を拭うと、強がるように笑みを浮かべた。


「……コイツは商人に看病され、街で怪我を治したあと、自分自身が何者であるかを知る為に旅に出る。オレにはどうしようもなかった。コイツの中でその成り行きを見守るしかなかった。いつかはオレが身体を取り戻すチャンスが来る。そう信じてオレは心の裏側でジッと鳴りを潜めた。呪縛死霊スペクターのチカラが回復するまでは、コイツの影として生きることを受け入れたのさ」


 誰よりも溌剌としてこの世界を生きる主人公然としていたデグゥ。そんな彼が誰かの影として生きることは、何よりも耐え難い苦痛だったに違いない……。


「過去の記憶もなくふらふらと世界各地を旅するコイツは、綱渡りのような危険な冒険を経て、多種多様な仲間と巡り会う結果を呼び寄せた。これも魔神の依り代としてのカリスマ性なんだろうな。コイツは旅先で出会った仲間と冒険を続け、図らずも数々の困難を打ち破ることになった。そうこうしている内に仲間の所帯は大きくなり、【夜明けの女神アストラ・アウラ】という傭兵ギルドのリーダーとなったコイツは、連盟ギルドの中でも一目置かれるようになる。そしてコイツは大陸間戦争を止めるほどに力を付け、誰もが認める英雄としてこの世界に位置付けられた。……それでもコイツは、自分の身の内に潜むオレの存在に気付くことはなかった」


 その痛切な言葉を聞いて僕は思う。デグゥにとってアルヴィン=フリーディングが英雄になっていくことは、複雑な心境だったのではないかと。


 いくら英雄と呼ばれることを夢に見ていても、こんな成り方は彼自身嫌だったはずだ。デグゥはきっと、自分の力だけで英雄への道を切り拓きたかったのだ。


「オレは諦めていた。オレがもう一度この身体を乗っ取ることは不可能だった。オレの呪縛死霊スペクターとしてのチカラは時間を経て回復していたが、それ以上にコイツの精神が著しく成長していたのさ。結果この肉体に定着したのは、アルヴィン=フリーディングの魂だった。オレは結局こんなものかと自分の不運を笑ったが、それでも未練がましくこの肉体に取り憑き続けた。……だがごく最近になってオレは気付いたのさ。コイツが戦闘後深い眠りに就くと、オレの精神が表に出れるようになった事実になァ」


 喜びとも嘆きとも区別の付かない笑み。そんな謎めいた表情を浮かべながらデグゥは話し続ける。


「理由はオレにもはっきりとは分からない。だけど何となくは想像はつくさァ。それはオレと同じ理由さ。つまりコイツは身体と精神を酷使し過ぎたのさ。コイツの戦場での戦い方は無茶を通り越して無謀だった。自分の体を一切顧みない戦い方をするのさ。例え自分より遥か格上の相手でも一歩も引かない。コイツの頭の中には逃げるという言葉がスッポリ抜け落ちてるのさァ。だから何度も死にかけた。だけどその度コイツは切り抜けた。自然界に蔓延る無限の魔力を取り込み、肉体への力へと変換する造魔の能力ちから。その魔神の依り代としての破格の性能のお陰で、コイツはいかなる戦場においても無類の強さを誇った。だけどその反則技のような能力には当然反作用がある。それを行うたびにコイツの身体には深刻なダメージが蓄積され、回復魔法程度で治癒されるレベルの怪我ではなかった。この弱り切った身体を見たお前になら分かるはずさァ。はっきりいってコイツはもういつ死んでもおかしくない。それだけこの肉体はボロボロなのさ。だがそのおかげでオレの意識は再び表に出れるようになった。眠っている内のほんの短い時間だが、オレはこの身体を自由にする権利を獲たのさァ。だけどこの状態がいつまた逆転するかも分からない。結局オレは予想外に取り憑いた悪霊で、必死にしがみついている異物に過ぎないからなァ。だからオレはこの機会が失われる前に、完全にこの身体をモノにするため画策した。……それがまつろわぬ民を救う遠征と偽って、この幽霊屋敷に再び戻ることなのさ」


 デグゥの笑みは暖炉の炎に照らされ、顔の陰影がくっきりと浮かび上がる。この数十分でめまぐるしく印象が変わった彼の今の姿は、まるでこの屋敷を支配する邪悪な主のように映った。


「……後はもう詳しく話すまでもない。コイツと意識が交代している内にオレは遠征を企てた。そして自分自身をアルバート村まで誘導するようにレールを敷いた。オレが表に出られるようになったとは言っても、行動出来る時間は一時間にも満たなかったからなァ」


 そこまで言うと疲れ切ったようにソファに腰を下ろすデグゥ。全てを話し終えたと思っているのか、あれだけ流暢に動いていた舌は嘘のように止まった。


 だけど僕にはまだ訊きたいことがあった。彼が真相を語る途中、いや、僕が記憶を取り戻した後からずっと疑問に思っていたことだ。


「デグゥ……君がこの遠征に僕を呼んだ理由は、僕を殺して復讐するためなのか? あの日の記憶を消してのうのうと生きる僕が許せなくて、それで僕に罪を自覚させる為にこんな事を……」


 言葉を選ぶよう慎重に言ったつもりだった。だけどデグゥは堪え切れないように冷たく僕を嘲笑った。


「……復讐? 今さらお前を殺して何になる。オレの存在を覚えていて所構わず吹聴しているならともかく、軍隊に入って聖遺物アーティファクトの人格矯正を受けてまで自分の記憶を消したお前を、わざわざこんなところに呼んで殺す意味なんてない」


「だったらなぜ……」


「お前はただの生き餌さァ」


 ゾッとするような無表情で、デグゥは僕に言い放つ。


「……ビトー。オレがこの幽霊屋敷に戻るに当たって、最大の難関は何だったと思う?」


 突然の問い掛けに、僕は狼狽して答えられない。


 デグゥはそれを見越していたかのように、平然と話を続けていく。


「それはな、コイツ……アルヴィン=フリーディングに自らの意思で遠征任務を引き受けさせることさァ」


 再び流暢になる彼は、更に詳細に語っていく。


「聖王や側近の大臣、それに元老院の議員を説得するのは比較的簡単だった。なんせオレは救国の英雄。戦争を止めた立役者だからなァ。オレがもっともな理由を付けて遠征をやると言えば、奴らは内心どう思っていようと対外的には従わざるを得ないのさ。だがその手法は周りの人間には通じても、同じ身体を共有するコイツにだけは通用しない。オレが遠征行きを計画する上で一番厄介だったのが、コイツを納得させて自然にアルバート村へ誘導させることさ。そりゃそうだろう。コイツからしたら知らないところで勝手に遠征行きが決まっている。しかもそれを決定したのは自分自身ときている。そうなれば普通は邪な誰かの企みを疑うし、もしかすると自分の頭が狂ったと思うかもしれない。そのまま強引に事を進められるほど、コイツは勘が鈍くも馬鹿でもない。オレが動けるチャンスを得た今、コイツに不審感を抱かせるわけにはいかなかった。……だからオレはビトー、お前をわざわざ遠征に加えさせる工作をしたのさ。コイツの意識の奥にはオレの記憶も混在している。長い時間を同じ身体で共有したことによって、それだけオレたちは心も精神もべったりと癒着してしまっていたからな。自身の記憶の奥底を刺激するお前の存在は、コイツにとってひどく興味を唆られたはずだ。そしてそれは当然お前の故郷であり、遠征目的地でもあるアルバート村にもなァ。コイツはオレがわざと目に付くよう置いておいたお前の紹介状を見るなり、すぐにオレの罠に引っ掛かった。ビトー=アルノーゼの顔写真が呼び水となり、コイツは次々と自身の記憶の断片を思い出していったのさァ。そしてコイツは勘付く。自分の謎に包まれた生い立ちが、このアルバート村にあるのではないかとなァ。後はもうオレが誘導することはない。コイツの本来の旅の目的は自身の失われた記憶を取り戻すこと。コイツはオレに誘われたことにも気付かず、不自然にお膳立てされた遠征行きを自ら決めたのさ」


 ……だからなのか。


 アルヴィンが僕らに妙に優しかったのは、自身の中に眠るデグゥの記憶が、僕という存在を認識して反応したからだ。


 アルヴィンはずっと僕の素性を探っていた。記憶を失った自分に、関わりのある人間なのではないかと疑って……。

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