記憶ー3

 一つ、また一つと記憶が蘇る度に、僕の無防備な心にさざ波が立っていく。その小さくも力強い連続した波は、僕が作った贋物の堤防を削るように壊していった。


 どうして僕はこれらの事実を憶えていなかったのだろう。これほど大事な記憶が簡単に薄れるはずがないのに。


 僕は気付き始めていた。この忘れ去った記憶の続きを見ることが、僕の精神にとってあまりにも危険なこと。そして無作為に掘り返し続けることで、僕の築き上げた何かを徹底的に壊し尽くしてしまうことに。


 だけど僕はやめられない。ここでやめることを、きっと彼は許してくれない。


 ――逃げるな。


 まるでそう言いたげな厳しい顔つきで、目の前に立ち尽くす彼は怯える僕を睨み続けている。


 僕は記憶を掬う。掬って思い出し続ける。それしか今の僕に、彼の殺意に満ちた視線から逃れる方法はなかった。


 そして僕は同時に願う。せめてこの記憶の最後には、救いのある結末があるのだと、そんな淡く儚い愚かな期待をして……



◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆



 僕らが尾けた盗賊の男二人。彼らは一階廊下の行き当たりで突然立ち止まると、手慣れた様子で隠された床扉を開けて地下へと降りて行った。僕ら三人はそのまま尾行して地下に降りることに躊躇したが、それでもやはり意を決して盗賊を追い掛けた。


 地下へと続く石階段を慎重に降りながら気付く。どうやらこの屋敷の地下は昔聖堂として使われていたらしく、盗賊たちはここを拠点として隠れ住んでいたことを。僕らは地下にこもった男特有の濃厚な体臭と、割れて散乱した大量の酒瓶でそう推測した。


 僕らは細心の注意を払って盗賊たちを尾け続ける。すると地下に入って安心したのか、彼らの軽口が石壁に反響して聞こえてきた。


 息を殺して聞き耳を立てていると、思わぬ情報が手に入る。どうやら奴らの仲間のほとんどは息抜きに隣街に出払っているらしく、僕らの尾けた盗賊たち二人だけでここの見張りを任されているらしい。その盗賊二人も常備していた酒が切れたことに我慢できず、見張りを投げ出してでも調達してくるかと相談していた。そしてその軽口の通り、しばらくして盗賊二人は揃って地下聖堂から出てしまった。


 僕らはそれを好機と捉え、地下聖堂の中でも最も奥に位置する、石造りの貯蔵室に忍び込んだ。デグゥの見立てが正しければ、その貯蔵室には盗賊団が溜め込んだ財宝が隠されているはずだった。


 だけど貯蔵室の重い扉の先には目的の財宝なんかなかった。あったのは悪夢――人間の狂気のみが発せられる、最低最悪の人の道に外れた悪行だけだった。


「ひどい……」


 部屋中を占拠するように組まれた大小様々な樽木の大棚。その棚の上に隙間なく置かれた大量の厚いガラス瓶。


 その中に収められたモノを見て、僕らを全員言葉を失った。


 ……肉。


 人間の、内側の、身体を司る様々な臓器。


 僕ら自身を構成するあらゆる部位パーツが、透明な分厚いガラス瓶の中で粘性のある液体に漬かっている。僕はこれらを何度も見たことがある。戦時中に嫌になるくらい見た路上に捨て置かれた死体、それに父さんと母さんが醜巨人オーグル戦鎚ハンマーで潰されたとき、これらの物体が身体の外に飛び出していた光景を……。


「……これ全部子供さ。子供のハラワタを瓶に詰めてるのさァ」


 デグゥの見つめる先には部屋の角に設えられた排水溝。そこには切断された細い腕や脚が無造作に捨てられてあった。


 それらはどう見ても僕らの持つ手足の大きさとほとんど変わりない。闇の中で浮かび上がる桃色の肉片は、どれもまだ新鮮で健康そうに見えた。


「ミヤ、見ちゃダメだ……!」


 僕の背後に隠れていたミヤ。彼女が恐る恐るその狂気を覗き見ようとするのを、僕は自分の懐に無理やり抱き寄せることで防いだ。


 腕の中で小刻みに震えるミヤは、止まらない嗚咽を必死に押し殺していた。


(最悪だ……。あいつらこんなことしてたなんて……)


 村で拾った新聞で見たことがある。最近浮浪児の臓器を狙った人攫いが頻発しているという記事を。子供の臓器は高く売れる。身体の弱い金持ちの子供への移植にも使えるし、美食として嗜む変態もいると書かれていた。僕はそれを読んで所詮遠い外国の話だと高を括っていた。だけどそんな恐ろしい商売は、僕らのすぐそばでも行われていたのだ。


「そんな……だって、アレは……」


 僕の前に立つデグゥ。彼がわなわなと声を震わせる。僕は嫌な予感がして、彼が見つめている先を見た。


 そこは地下貯蔵室の中でも最も奥の壁に位置する棚だった。その棚にもガラス瓶がいくつも並べられている。だけど中身は臓器ではない。中に入っているのは頭だった。子供の生首が僕らを恨めしそうに見つめていた。そしてその頭部の一つに、デグゥは目を離せずにいたのだ。


 ……カムリ。


 僕を見つめ返す虚ろな顔に衝撃を受ける。あの見覚えのあるそばかす顔は、先月孤児院から退所したばかりのカムリの頭部だった。


「どうしてさ? だってカムリは町の商人の養子に……」


 デグゥはその場に崩折れて膝を付く。


 ひどくショックを受けている。血の混じった汚い排水にズボンが濡れるが、そんなことにも気付かないくらいデグゥは動揺していた。


 それもそうだろうと僕は思う。デグゥとカムリは仲が良かった。僕らが今の孤児院に転院する前は、二人はしょっちゅう悪巧みをして遊ぶ仲だったと聞く。些細なことで喧嘩をしてそれっきりだったらしいが、デグゥにとって一つ年上のカムリは兄のような存在だったのかもしれない。


「……全部嘘だったんだよ、デグゥ」


「え?」


 カムリの頭部を凝視しながら静かに僕は呟く。するとデグゥは驚いたように僕に振り向いた。


「……カムリだけじゃない。他に養子に行った孤児院の子供も全員ああなったんだ。孤児院の大人たちはみんな、僕らを盗賊に売り飛ばしてお金を儲けていたのさ……!」

 デグゥは突発的に放たれた、僕の辛辣な言葉に面食らっている。その言葉の意味することを、まだ頭の中で整理し切れていないのかもしれない。


「……何言ってるのさ、ビトー。そんなわけないさぁ……。孤児院の大人たちは時々腹が立つけど、無償で働いてくれて、オレらを守ってくれて――」


「全部僕らを盗賊に売り飛ばすためさ。普段は善良な孤児院を装って、裏では臓器を密売する盗賊団と繋がっていたんだ。孤児院から月に何人かを養子に出す。そんな大層な理念を掲げていたけど、本当はそんなの嘘っぱちだったんだ。送られる場所はみんなここ。ここで殺されて臓器を抜き取られた。この場所で孤児院のみんなは――」


「やめるさァ!」


 デグゥはいきなり叫んで、一心不乱に話し続ける僕を強く突き飛ばした。


 硬い石床に尻もちをついた僕は、怒りで震えるデグゥにようやく気付いた。


「孤児院で働いてる大人はほとんどが村の大人さ! 俺も昔っから知ってる人ばかりさ! 確かに良いやつばかりじゃないかもしれねェ! だけど人攫いみたいな悪事に加担するような奴は誰もいねェ! そんな腐ってるヤツは、あの村には絶対にいねェんだ!」


 デグゥの瞳には憎しみが籠もっていた。親友であるはずの僕のことを、彼ははっきりと敵視していた。


 両親が死んだデグゥにとって、あの村の大人たちは保護者であり家族だった。どんなに悪態をついても、デグゥには最後の拠り所であるあの村を切り捨てることは出来ないのだ。だからこそデグゥはこれだけの事実を目の当たりにしても村の大人たちを信じ続けていた。なにより自分も盗賊に売られる立場だったということを絶対に認めたくなかったのだと思う。


 デグゥが孤児として本当に売買リストに入っていたかは分からない。だけど僕らがよく知るカムリがああなったのは変えられない事実だ。もしもカムリが養子に行ったあとで人攫いに遭えば、それはいくら辺境の村に住む僕らの耳にだって噂は入ってくる。養子に行った子供は、数年間元いた孤児院が見守る義務があるからだ。だけどカムリの死は聞かされなかった。行方不明の手配書さえ発行されなかった。だとしたら孤児院と盗賊団が予め孤児の臓器売買を計画し、見えないところで繋がっているとしか考えられないのだ。


 僕はそう考えるに至ると、鼻息荒く見下ろすデグゥを睨み返した。


「……はじめからおかしかったんだ。僕らが前にいた孤児院を追い出されそうになったとき、ゼーマン院長は自ら名乗り出て僕らを引き取ってくれた。その時は感謝したよ。世の中にはこんなに親切な人がいるんだってね。だけど今考えるとおかしいことばかりだ。僕らのほかにも追い出されそうになっていた孤児はいた。だけどゼーマン院長は病気の彼には目もくれず、健康な僕らだけを引き取ったんだ。それも少なくない金を払ってまで……。普通孤児院の院長が孤児を迎える為にわざわざお金を払わない。そもそも僕らみたいな獣人族のよそ者の孤児を引き取る余裕なんてあの孤児院にはないはずなんだ。だったら理由は一つだ。……最初からゼーマン院長は、僕らを盗賊団に売るために引き取ったんだっ!」


 僕ががなるように大声で叫ぶと、デグゥは気圧されたのか明らかにたじろいだ。


 デグゥにだっておかしいと思うところはあったはずだ。長くあの孤児院にいるデグゥが気付かないはずがなかった。きっと今までにも僕らのようなよそ者の孤児は、何人も養子という理由をつけられて突然いなくなったはずだ。


 そう思うと、僕はデグゥも共犯のような気がした。


「……デグゥ、お別れだ。僕らは幽霊屋敷を出たら今夜にでもこの村を発つよ。もうここには二度と戻らない。カムリみたいにあんな風になるのはゴメンだからね」


 僕がはっきりと別れを宣言すると、デグゥは視線を合わせずに唇を噛んだまま黙りこくった。


 デグゥとのこんな別れ方は嫌だったけど、孤児院の秘密を知ったからにはこうするしかなかった。


 僕はミヤの手を強く取って部屋から去ろうとする。ミヤはデグゥのことを心配する目つきで訴えていたが、僕はあえて無視して貯蔵室の出口へと向かった。


 足取りの重いミヤを急かして僕は歩く。決してデグゥへ振り返ることはしなかった。もしも今デグゥに止められたら、僕は彼と一緒に孤児院に戻りそうな気がしたから。デグゥに陽気な顔で全部ウソだと言われれば、僕はそのまま彼の言葉を信じてしまう気がしたから。


 だからこそ僕は親友との決別を決心した。僕はもう間違った選択は出来ない。この手に掛かる小さなミヤの手を、間違った方向に導くわけにはいかなかった。


 僕は背中にデグゥの視線を感じながらも、出口である扉を開けて足早に部屋から出ようとする。すると僕の鼻頭に何かがぶつかった。驚いて前を見ると、それは大人の大きく太い足だった。


「よぅおめえら、こんなとこで何してんだ?」


 傷だらけの赤らんだ顔が、闇に慣れた僕の目に映る。すぐに僕は勘付く。屋敷から出たはずの盗賊……。


 僕はミヤを引っ張って咄嗟に逃げ出そうとする。だが男の動きは早かった。逃げる僕の脇腹を素早く、そして躊躇も手加減することもなく強烈に蹴りつけた。


 呼吸が出来なくなって僕はその場に倒れ伏す。必死に息を整えようと呻いていると、僕の後頭部に重い衝撃が走り、一瞬で目の前が真っ暗になった。

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