記憶-1

「あれェっ!? どうしてお前がここにいるのさァ!」


 僕の隣で黙々と乾パンを齧っていたはずのデグゥ。


 彼が突然部屋の暗がりに向かって叫んだことで、僕はようやくそこに隠れていた存在に気が付いた。


「……ミヤ!?」

「……」


 大きな柱時計の物陰からゆっくりと出てきたのは妹のミヤ。

 ミヤは暗い顔で部屋の真ん中まで歩くと、突然僕に向かって抱きついてきた。


「ミヤ、何でお前、こんなところに……」


 僕の胸に顔を埋めたまま離れようとしないミヤ。彼女の小さな身体からは想像出来ない力の強さに、僕は振り払うことも、叱ることも出来ずに、ただ抱きしめ返して困惑するだけだった。


 よく見るとミヤの両眼が赤く腫れている。ずっと泣き続けていたのだろうか。もしかするとミヤは、この寒々しい部屋にずっと一人で隠れていたのかもしれない。


「……ミヤ。もしかしてお前、僕たちの後を尾けてきてたのか?」


 ミヤの身体を引き剥がして問い詰めるように聞くと、妹の赤い目からじんわりと涙が湧いてくる。


 僕に怒られると思ったのだろう。ミヤは僕の服の裾を握ったまま、俯いて自分の泣き腫らした顔を隠した。


「どうりでおかしいと思ったさァ。屋敷の亡霊レイス共が妙に騒がしかったのは、オレたちじゃなくてミヤを探し回ってたからだなァ。じゃなきゃオレの完璧な忍び足がバレるわけないさァ」


 デグゥは腑に落ちたように鼻息を荒くして、どっしりと腕組みをする。


「ミヤ、どうして孤児院を抜け出してこんなとこまで付いて来たんだ。僕はお前に来ていいなんて言ったか?」


 当然ミヤは答えられない。小さな身体を震わせて、ポロポロと涙を流し続けた。


「ビトー、そんなに怒らなくったっていいさァ。ミヤは怖かったのさ。突然夜中にお前とオレが何も言わずに外に抜け出したら、ミヤだって勘違いするさ」


 デグゥの言う通りだ。よく考えなくても何も説明せずに出た僕が悪い。ミヤからすれば自分を置いてけぼりにして、僕らが孤児院から逃げ出したと思うだろう。それがミヤの一番怖れていることだなんて、兄である僕には分かりきっていたことなのに……。


「……」


 ミヤは黙ったまま、僕の服を力強く握って離さない。もう絶対に僕から離れないという強い意思が、その細い腕に掛かる強さから痛いほど感じられた。


 本来ならミヤは幽霊屋敷はおろか墓地にだって一人で近づけない。だけどミヤはたった一人でここまで来た。ミヤにとってはその恐怖以上に僕と離れることが恐ろしかったのだ。


 僕は間違っていた。ミヤを一人にするリスクを背負ってまで幽霊屋敷で宝を探す必要などないのだ。僕はミヤを守る責任がある。そのためには僕は絶対に死んではならない。僕らが二人揃って生きていくことは、何より僕らを守って死んだ父さんと母さんの願いでもあるんだから……。


「……デグゥ、もう帰ろう。ここまで連れて来てもらって悪いけど、ミヤと一緒にこの屋敷はうろつけないよ」


 僕はミヤの手を包んで優しく握り直す。そして持っていたハンカチで妹の濡れそぼった眼を拭ってやると、ミヤはようやく僕に微笑んだ顔を向けてくれた。


「ま、仕方ないかァ。宝探しはもう少し大人になってから来るかねェ」


 デグゥは頭の後ろで両手を組んで溜息を吐きつつも、仲睦まじく並ぶ僕らにニッカリと笑いかけた。


 デグゥだって覚悟を決めてこの屋敷に忍び込んだはずだ。それはきっと自分の将来を考えての決断でもあったはずだ。だけどなんだかんだで彼は僕らのことを最優先で考えてくれる。僕はそんな心根の優しい親友デグゥに深く感謝した。


「帰ろうか、ミヤ」


 僕がそう語りかけると、ミヤは安堵したようにコクリと頷く。だけどそのあとすぐ何かを思い出したように、顔を曇らせる不安な表情に切り変わった。僕が気になって、


「……どうしたミヤ?」


 そう聞くと、また泣きそうな顔でミヤは僕を見上げた。


 ミヤは何かを僕に訴えようとしている。しどろもどろの手振りで最初はよく分からなかったが、段々とミヤの訴えがおぼろげながらに理解出来てくる。


 おそらくミヤは人形がないと言いたいのだ。どうやらミヤはこの屋敷の中で、僕の作ったあのボロの人形を失くしてしまったらしい。


「今から探すのは無理だよミヤ。この暗さじゃどうしようもない。人形はまた作ってやるから、今日はもう帰ろう、な?」


 僕は宥めに掛かるが、ミヤは頑なに頭を振る。どうしてもあの人形じゃなきゃ嫌だと全身で訴える。


 本当なら僕がここでミヤを叱るべきなのかもしれない。人形一つで危険な真似は出来ない。ましてやデグゥを巻き込むことは出来ないと。だけど一方で、僕にはミヤがあそこまで駄々をこねる理由も分かるのだ。


 あの人形は誰でも作れるような簡素なもの。だけどある意味特別製なのだ。それは僕の手作りだという意味じゃない。あの人形に使われた布切れには父と母の形見の服を切り取って縫い合わせて作られたのだ。なぜわざわざそんなことをしたのかというと、苦肉の策でもあった。


 それは孤児院に入所するための規則に原因がある。孤児院に入るには予め財産と思われるものは全て没収される。たとえそれが親の形見であろうと強制的に持っていかれるのだ。それが入所の際の決まりだと厳しく説明されたが、子供の僕だって裏の事実は知っていた。それら孤児から没収した様々な金品はきっとどこかの闇市で売られるのだろう。そしてその売上は全て孤児院の運営費という名目で、やくざな職員達の懐に消えていく。


 だから僕はそうなる前に両親の服を切り裂いて、それを繋ぎ合わせて無理やり人形に仕立て上げた。さすがに幼い子供が慰み代わりに持つ人形ならば、大人たちから財産として没収されないからだ。


 だからあれはミヤにとってただの人形じゃない。亡くなった両親の匂いが染み込んだ、最後の思い出そのものなのだ。


「ミヤ、頼むからわがまま言うなよ」


 そうはいってもミヤには諦めてもらうしかない。この危険な屋敷でミヤを連れて探しものをするわけにはいかなかった。


 だけどやっぱりミヤは折れない。このままだと自分一人で探しに行くような勢いだった。


「ビトー、ミヤの大事な人形なんだろ。だったら一緒に探してやるさァ」


 僕が途方に暮れていると、薄暗い闇の中でデグゥがニッカリと笑って言った。


「でも……」


「ミヤがここまで来た道順は予想が付く。帰り道についでに探すくらいなら別にいいさァ」


 デグゥの言葉を聞いていたミヤの顔が晴れていく。


 僕はデグゥがそう言うなら……そう思って渋々了承した。


「だけどミヤ、帰り道で見つからなくてもすぐ帰るからな。いいな?」


 ミヤは僕の忠告に何度も頷く。そして僕の手をしっかりと握って、廊下の端から端まで見落とさないよう目を皿にして歩き出した。

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